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上野動物園のレッサーパンダ その2

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上野動物園のレッサーパンダはなんか写真を撮りづらいので、
他の動物園に行ってみよう!

などとおもっていたのですが、

まずは野毛山動物園行ってみるか。
などとおもっておったですが、

いろいろ忙しく&疲労もあり、まだどこにも行ってません。




で、また上野ですよ。
東京都美術館の「ポンビドゥー・センター傑作展」
というのをみまして――

だが、まあ、たいしたこともなく、
例によって例のごとく フランスの外貨稼ぎ?
みたいなイベントで……

マティスの絵だけよかった気がする。


しかし前川國男先生の傑作建築は
堪能しまして……



夕方から動物園へ。
ほかの動物ちゃんにはまったく目もくれず(すまぬ)

アンアン&黄太郎のもとへ。

あ。画像ですが 使用レンズ。
↑3枚 Zeiss Makro-Planner T*2/50
↓以下の画像、AF-S NIKKOR 70-200mm f/2.8G ED VRⅡ

カメラはD800使ってます。



前回同様、ぐったりしておられるアンアンちゃん。

で、黄太郎くんの姿はみえない。

「ははん、こりゃ前回と同じパターンだな」
「夕方から黄太郎くんが散歩を始めると、アンアンちゃんも巡回をはじめるな」

――などとおもい、しばらく待っていると、

きましたきました。
黄太郎くん。



んだが、
前回と様子が違う。

なんか黄太郎 アグレッシブな気がする……

たとえば↑の写真ですが、
前回行ったときは
こんなにアンアンちゃんに接近しなかった。

2ショットはまったく撮れませんでした。
なんか二人がつかず離れず 適当な距離をおいて
離れていた気がする。

どうした黄太郎?
なぜそんなに元気なのか??





じっさい、今回の上野は
黄太郎くん主演の
「黄太郎ショー」
で……

アンアンちゃんはあんまし目立っていなかった。
といって別に具合が悪そうとかいうのでもないですけど。

今回アンアンの
めぼしい写真はこれくらい↓↓



はい。以下「黄太郎ショー」です。



しかしこの「電線」
んー……
撮りづらい。

せっかく木にのぼってくれて
あの汚いアクリル板(?)の外に出てくれたのだが、
今度は「電線」が邪魔。という。




しかし器用でいらっしゃる。
樹上生活メインの生き物なのだな。



地上では歩き方が「もこもこ」してて
なんか不器用っぽいが……

そんなのはどうでもいいんでしょうね。
木の上がメインだから。



アンアンを観察しているのだとおもいます。



黄太郎くんは
いつも なんか眠そうな顔をしているが……



それはたんに
つぶらな瞳のせいでそうみえるのか?

ほんとうに眠いのか?

どっちが正解かわかりません。




とかおもっていると。

あ。
寝ちゃった……




器用に寝ていらっしゃる。



…と、周辺のガキども
いえ、お子さんたちが

「おい、キタロー!」
とゲゲゲの鬼太郎の目玉のオヤジのマネをはじめる。

――と、それに気づいたかどうか??




10分かそこらの睡眠から ハッと目覚めまして



木からおりる黄太郎くん。



そんな「黄太郎ショー」でありました。

□□□□□□□□

アンアン&黄太郎のあとは
ハシビロコウ観察。

どうも前回は ハシビロコウの良さがいまいちわからなかったのだが、



ダブル・ハシビロ(鏡ではない)


などみまして……



あと、くちばしをクワっと開くと
案外かわいい、などわかりまして







あと、「まばたきをする」ということもわかりまして……

(前回はしなかった、とおもう)

いろいろかわいさがわかってきました。



ちなみに この「白目」みたいな状態は
「瞬膜」とかなんとかいう(たしかこんな字だったような??)
膜がかかった状態で……

これとはまた別に「まぶた」が存在するのだそうな……




□□□□□□□□

で、帰宅すれば……

トトやん様が熱心に自宅警備をしておられる、という……


動物の写真ばかり撮った一日でした。


アイチの時計(70963A) 1年後

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購入後 だいたい1年たちました。

順調に動いております。
なんの問題もありません。

正確にいうと
「ヘルムレ社製 70963A」
という時計を――

もはや時計製造をしていない愛知時計が
文字盤を愛知特製のものに付け替え……
シリアルナンバーの入ったプレートを付けた……

そういうものです。
なので日本製品ではなく、
Made in Germany のシールが貼ってある。

トヨタの販売店でフォルクスワーゲンを買う??
みたいなもんか??(ちがうか??)

ちなみにヘルムレ社というのは、
ドイツの「ゴスハイム」とかいう街にあるらしい。

グーグルで調べたら、なんか緑あふれる美しげな田舎町で
いつかこの時計の故郷にいってみたいもんだとおもいました。



ただ問題点を書いていかないと
正確なレヴューにはならんとおもうので……
書いていきます。

〇やっぱし精確ではない。

そりゃゼンマイで動くので精確さには欠けます。
振り子の下のねじを動かして調整するのですが、
これが調整に何日もかかるというシロモノ。
しかも調整できた。(日差1分くらいにはできる)
とおもっていると、季節により気温が変わると精度がまたズレてくるので
調整しなおさなけりゃならん。

――ようするに精確さは期待するな。
ということのようです。

機械式腕時計では 季節による精度の差 とかは感じないのですが
やっぱしサイズがでかくなると 温度によって金属の膨張の差とかが
デカくなるのでしょうか??
それで精度がズレてくるのか??
素人考えですが。

〇チャイムはやっぱりうるさい。

ウエストミンスターチャイムを求めて買ったのに……
なるほど美しい音色ですが。

慣れてくると……んーー

読書とか 仕事とかしている時に
急に鳴り始めると
「うわ」
という感じです。

あと15分ごとになる、というのはけっこう頻繁。

チャイム機能はほとんどOFFにして、
休日の昼間だけ使っているというのが現状です。

希望をいうと「チャイム無し」「時報のみ」
というモードがあればいいとおもうのですが、
(1時間ごとに鳴るのならうるさくない)
そうはいかないようです。

↓これがチャイムの仕組み。
真鍮の棒リンを ハンマーでぶっ叩きます。

これは見飽きません。

ちなみに時報の時は、
ハンマー5個 総動員で
「ボン ボン ボン ボン」
と時間の数 叩きます。




〇チャイム、および、時報用のゼンマイがどれくらい持つのか、謎。

上記のように、休日昼間だけ チャイムを作動させているのですが……

チャイム、時報用のゼンマイを巻いたのは
たしか半年くらい前?? だったような気がする……

それなのに??
なぜチャイムは鳴りつづけるのか?

いつエネルギー切れになるのか???

ようするに↓↓
文字盤に3つ ゼンマイ巻き用の穴が開いているのですが、

左から、「報時用」「時刻用」「ウエストミンスターチャイム用」なのですが。



まん中の「時刻用」は
毎週日曜の夜に チキチキチキと ゼンマイを巻いているのですが、

左右の穴は さっき書いたように半年 触れていないわけです。

なのにチャイムは鳴り続ける……
相当持ちそうな気がする。

いったいどれほど持つのか?
謎です。
















「学生ロマンス 若き日」(1929)感想 その3

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久方ぶりの小津ネタです。

前回「東京暮色」(小津のモノクロ作品ラスト)
の感想を終えて
いったん途切れましたので、

順番からいえば とうぜん「彼岸花」(小津の初カラー作品)
なのですが……

なんか9か月かそこら「小津ワールド」から遠ざかってたもので
「小津勘」(?)が鈍ってる気がするので……
もう一回初期作品から出直してみようとおもいます。
で、現存最古の「若き日」

□□□□□□□□

①「若き日」はぐるぐる映画である。

はい。
なんと現存最古の小津作品も
「東京物語」同様の
ぐるぐる映画だったことを発見しました。
(くわしくは「東京物語のすべて」を参照のこと)

まずはご存知。反時計回りのパンです。


カメラの向きが反時計回りに回転します。

ぐるぐるしてます。


つづいて主人公(結城一郎)が下宿しているうちのガキ。

けん玉がぐるぐるです。回転です。


主人公は「二階貸間」という紙を 自分の借りている部屋に貼って
かわいい女の子と接触しようという作戦です。

でも、なかなかうまくいきませんで、
「二階貸間」の紙を書いては捨て、書いては捨て、です。

この無意味な回転運動。
――はい。ぐるぐるです。

そして、「二階貸間」のそばには 小津安っさんお気に入りのぐるぐるグッズ。
時計。


いっぽう。
斎藤達雄がヒロイン(ブス)とおデート。

ヒロインが毛糸をぐるぐるしてます。


手をぐるぐる・ごにょごにょする。というのは
後年「恋」「激しい感情」をあらわすことになるのですが、

(↓↓例、「晩春」の原節ちゃん)

「若き日」の場合はそうではないです。
ただ、たぶらかしているだけなので。


ヒロインが結城一郎の下宿に引っ越してきます。
大八車がぐるぐるです。

――しかし。
1929年。物資輸送用の道具だからというのもあるだろうけど……
「ゴムタイヤ」は使ってないんですね。
全部木製の車輪。

人を運ぶ「人力車」はゴムのタイヤを使ってたはず。

んー。「生まれてはみたけれど」(1932)の引っ越しはトラックですが。
(もちろんゴムのタイヤ)


「引っ越し」-「大八車」というので
急に思い出してしまったので脱線。

松竹大船作品。
佐々木康監督 「新女性問答」(1939)
で、女学生の桑野ミッチーが引っ越しするのはやっぱし
木の車輪の大八車だったりする……

1939年も江戸時代の道具使ってる。


よくまあ、こんな国がアメリカ合衆国にケンカを売ったものだ……
(最近読んだ 兵頭二十八&別宮暖朗の「帝国海軍のウォープラン暴走説」には納得させられましたが……)

にしても……
桑野ミッチーかわええ……
制服姿やばい……

あ。そうそう佐々木康は 小津安っさんの弟子といっていいでしょう。


脱線終り。
「若き日」に戻ります。

結城一郎。ヒロインに部屋を譲ってしまったので
斎藤達雄の部屋にもぐりこみます。

で、時計。ぐるぐる。


斎藤達雄がいやがるので
「情は人の為ならず」
なんてコトバを持ち出します。

このコトバも
「情けをかけるのは回り回って自分のためにもなるのだ」
という意味ですから、

回転運動。ぐるぐるしてます。

――喜八もののなにかで
飯田蝶子がこの「情は人の為ならず」を口にするような記憶があるのですが……
(たしか)
忘れちゃいました。

どなたか教えてくださるとありがたい。


赤倉へスキーへ行くという話題。

斎藤達雄が結城一郎に
オレはスキー道具も揃えたし。
カネもあるんだ。
と自慢します。

で、財布をぐるぐるします。


念のいったことに……
アングルも変えてぐるぐる。

ただ、後年の「ドンデンを返す」
というあのアングルの変え方ではないですね~


しかし。この「財布ぐるぐる」は――
斎藤達雄が財布をなくしてしまうことを考えると……
すごく深い気がする。

小津作品全体を通して追求していったテーマのような気が。

「その夜の妻」(1930)
「東京の合唱」(1931)
と「おカネがない」テーマの作品をこの後作っていくことになるし。

ちょっと思い出しただけでも……
「東京暮色」(1957)の有馬稲子は堕胎の費用がなくて困っているし。
「秋刀魚の味」(1962)の佐田啓二はゴルフクラブのおカネを欲しがる。

しかし。
1929年当時の小津安っさんはまだお父さんが存命で
お小遣いには困らないうらやましい身分。

んーそのせいか。
あとあと見ていくように
(質屋=第七天国といういまいちピリッとしないギャグ)
「若き日」の「おカネがない」テーマはいまいち切実感がないわけですが……
(カネの苦労などしたことがないので)

もとい、小津マニアにとっては
この財布ぐるぐるはひじょうに興味深いものなのです。

なんか長くなりそうなので、今日はここまで。
「若き日」の分析。まだまだ続きます。
 

「学生ロマンス 若き日」(1929)感想 その4

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えー……

①「若き日」はぐるぐる映画である。

という考察のつづき。

斎藤達雄のお財布ぐるぐる
これは小津の全作品を通じてあらわれる
「おカネがない」テーマの嚆矢ではあるまいか?
ということですが……



そうそう。
「風の中の牝雞」(1948)を忘れてました。

「おカネがない」田中絹代が身体を売ってしまうはなし。

小津安二郎最大の失敗作は
最強の「おカネがない」作品でもあった、わけで……



小津安っさんがおもしろいのは……
というか、
完全狂っているのは……

次回作の「晩春」(1949)では
「おカネがない」テーマを全部消してしまっているところです。

笠智衆だろうが、原節子だろうが、杉村春子だろうが……
作品中のどの人物も「おカネがない」とはおもっていない。
ほんと、至福の作品です。


至福状態を描いてしまった小津安っさんが
次にやったのは「麦秋」(1951)
S135の紀子のセリフ――

「それに、あたしのんきなのかしら、お金のないことだって、人が言うほど苦労にはならないと思うの。平気なのよ」

つまり、間宮紀子の結婚は
「おカネがある」から
「おカネがない」への状態の移行として描かれる、わけです。




で。ご存じのように
「東京物語」は 皆が皆、「おカネがない」状態の人たち。

ま。「貧乏」というのではないですが、
なにをするにしても金勘定が先に立つ、
ごく当たり前の庶民たちです。



もとい、
「若き日」(1929)に戻りますと――

窓の外をながめる結城一郎&斎藤達雄……

「山は雪だな」とかいってます。
二人ともいい表情だな。



風車がぐるぐる……

外は風が吹いてます。
という描写ですが。

これは「ぐるぐる」である。
というのが小津マニアの見方。



通風塔(?) とでもいうのか?
風力で動く換気装置ですな。

これもぐるぐる。


そして絶頂期小津作品の「ぐるぐる」を
思い出しておくのも礼儀でしょう。

これは「麦秋」(1951)のぐるぐる……↓↓




通風塔は いろんな作品に登場しますけど。
「秋刀魚の味」(1962)が印象深い。

S88
路子(万感をこめて)「お父さん……」
平山(路子の手を持添えて)「アア、わかってる……しっかりおやり……」
路子、黙って、頷く。






娘の岩下志摩を送り出す
笠智衆の背後に……

例の「ぐるぐる」が。↓↓(ちとわかりにくいですが)

現存最古の作品と 小津安二郎ラストの作品の さいごのさいごのシーンが
通じ合っているという――
なんともいえん……すさまじさ。おそろしさ。
(ついでにいや、「若き日」にも笠智衆はチョイ役で出演してます)




はい。何度も何度も脱線しまして。
「若き日」に戻ります。

結城一郎がヒロインの部屋に行きますが、
ヒロインは留守。

教科書を「ぐるぐる」します。


斎藤達雄が例の「ぐるぐる」していた財布をなくしまして。
で電車から降ろされてしまいます。

その時のブレーキが↓↓

「ぐるぐる」

ブラタモリとかに出てきそうな装置。



斎藤達雄が財布をなくす。
結城一郎は実家からの仕送りが来ない。
「おカネがない」
というわけで、結城一郎が蓄音機を質屋においてきて
現金を獲得します。

↓「ぐるぐる」

このあたりで「質屋」=「第七天国」という……
例の、いまいちしっくりこないギャグが登場するわけです。

お金持ちのボンボン 小津安二郎には
いまいち「おカネがない」という心境が理解できなかったのではあるまいか。

まー「若き日」の「おカネがない」は
ようは「遊ぶカネがない」ってことで 切実さには欠けますから、
このつまらないギャグでいいのか??



現金獲得した二人。雪国へ汽車で向かいます。

弁当のおかずを争奪しあう二人。
これも「ぐるぐる」とみてよいでしょう。



ここなんかは「麦秋」のS16
横須賀線の車内での笠智衆・宮口精二の新聞交換のショットを
思い出させます。↓↓

どっちも移動中だな。おそろしく首尾一貫している小津安二郎。



で。雪国につきました。

またまた反時計回りのパン。
「ぐるぐる」です。




で、「パン」しながら、「ディゾルヴ」という……
初期小津にしかありえないテクニック。

ディゾルヴってのは同時にフェードイン、フェードアウトを進めることですが……

以下小津安二郎の言葉。

そうです。フェイド・インとかフェイド・アウトは演出者が考えた技法でなしに、キャメラに付属したシャッターの開閉を調節する一つの機械的の装置であって、そういうものを劇の中に持込むということは非常につまらぬという風に若い頃思ったことがあったのです。
(田中真澄編、泰流社「小津安二郎全発言(1933~1945)」236ページより)



というように、フェードイン、フェードアウトは否定してるんですな。
で、あのぶつ切りの「カット」「カット」「カット」で
シーンをつなぐ方法が確立していく、と。




で。例のかっこいい
―SMACK FRONT ONLY―

斎藤達雄のジャンパーの背中に
「殴るんなら前からにしろ(うしろから殴らないで)」
と書く。

これも「前」と「うしろ」の「ぐるぐる」と僕は解釈したいわけです。



となると、結城一郎のセーターのひっくりかえった「R」も……

return とか reverse とかいうコトバを思い出させるんですよね。

これも「ぐるぐる」だとおもうのですが、
深読みかな???



ひっくりかえって起きられなくなった斎藤達雄が
ストックを「ぐるぐる」




このストック「ぐるぐる」は何度も繰り返されます。
あきらかに意識的です。




ブスいヒロインにフラれた斎藤達雄が踊ります。
輪になって踊る。「ぐるぐる」です。

ここにブスいヒロインとうまくいきそうな結城一郎も加わるのですが、
ご存じのように、彼もフラれるわけです。




で、傷心の二人。

ですが、また女の子をひっかけるために
「二階貸間」作戦を 再実行。

「ぐるぐる」してます。




で、ラストです。
ずっと反時計回りだった「パン」が、

ラストは時計回りの「パン」です。



はい。結論。
◎「若き日」=「ぐるぐる映画」
納得していただけましたでしょうか?

いやあ。
最初みた時はヒロインのブスさにひたすらがっかりしたんですが……

これは見るたびに発見がある作品です。

マクロプラナーでトーハク撮影

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久しぶりにトーハクに行きました。
東京公立博物館。





レンズは一本だけ。

Carl Zeiss Makro-Planar T* 2/50

だいたいこれ一本で用は足りてしまう。




ちょっとみない間に、
入口がヘンな感じに改修されてしまっていました。





羊さんは元気そうでした。

……

……逆に、
元気なさそうだったらこわいが。




本館。




わたくし、
はじめてトーハク行ったのが夏だったもので……

あと、所蔵品の久隅守景の「納涼図屏風」がひじょうに好きなもので……




トーハク=夏。
と勝手に思っております。




ユリノキも好きです。



で……



谷口吉生先生の傑作。
法隆寺宝物館(1999)。



はい。
例によってヘンテコに画像をいじる。



ちょうど真向いの「東洋館(1968)」の作者が
お父さんの谷口吉郎。



「平成館」があんなに醜いのは……

このあまりに美しい――美しすぎる法隆寺宝物館と
バランスをとるためだそうです。

……と、かってに僕はおもっています。




帰りはアメ横をうろつきます。

イケダヤ靴店さんを撮る。

買い物はしませんでしたが。

というか中に入るとRedWing買っちゃいそうなので
入りませんでしたが。



んー「世界遺産」ね……

正直。建築好きで……本当に好きな人間で
喜んでいる人っているのかしら? ね?

そりゃーいい建築ですけど。

コルビュジエ コルビュジエ と コルブの名前ばっかり叫んで

お弟子・共作者の
前川國男先生の名前が全然聞こえてこないんですが??

「東京文化会館」―「国立西洋美術館」
この師弟共作セットで 世界遺産っていうなら、感動しますけどね。





んー いろいろ釈然としない感じがする。

だって……
ぜんぶオリンピックがらみ
でしょう??

そう考えるとトーハクのへんな入口もそうだし。

あの醜悪な東京駅を ピカピカの新品みたいにしたり、さ。

「世界遺産」っていうなら
「上野恩賜公園」を全部世界遺産にしろよ。

あー役人のやってることって全部ピントはずれだ……

「学生ロマンス 若き日」(1929)感想 その5

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①「若き日」=ぐるぐる映画
という公式が確認できましたので、
つづきまして、

②小津映画おきまりのヴォキャブラリー

これをみていこうとおもいます。
現存最古の作品においても、小津は小津であった。
おっそろしいほど首尾一貫した男であった、ことがわかるとおもいます。

〇カフェの窓際

が、まず出てきます。
あと、鳥籠というのもおなじみのモチーフ。


カフェの窓際というと……

「麦秋」(1951)の原節ちゃんと二本柳寛 ですかねー
あとは……

「淑女は何を忘れたか」(1937)の
桑野通子&佐野周二も忘れちゃいけない。↓↓

「若き日」(1929)から10年も経っていないのですが、
トーキョーのカフェはここまで進化したわけです。

テーブルも椅子もクローム鋼管でおしゃれ。
(ただ、戦前のこの手の家具はすぐ壊れたらしい、ときく)
ヒロインも桑野ミッチーなので、
「若き日」のアレの数千倍美しい。




〇引っ越し

というのもよくでてくるモチーフ・テーマ。
いちいち例はあげませんが。



そして
〇「玄関」
あるいは
〇「日本建築の空間の特殊性」
と呼び換えてもいいか??

「若き日」では
ヒロインの部屋を訪ねていった結城一郎が、
ヒロインが留守だと分かった瞬間、
脱ぎかけていた靴を また履きなおすというシーンがそれ。↓↓




ハリウッド映画に学んだ小津安二郎がまずぶちあたったのが、
西洋の空間構成と 日本の空間構成の違いであったようです。

具体的にいや、「畳の上の生活をどう描くか?」
「靴の脱ぎ履きをどう処理するか? あるいは無視するか?」
といったもの。

ハリウッド作品をいくら目を凝らして見ても、
この問題の答えは得られない。
自分で考えるより他ない。

で。どうするか?

色々な方法があるかとおもいますが、
小津安っさんが得た結論というのは――

「玄関でなにかが起こる」
という方法のような気がします。

一番分かりやすいのは「東京暮色」(1957)
原節子&山田五十鈴の母子対決シーンですかね。↓↓

あと「早春」(1956)
淡島千景がダンナの浮気相手の岸恵子と対決(?)するところ、とか。

「晩春」(1949)
原節子が愛する父の再婚相手(と周囲が騒いでいる)三宅邦子と対決(?)するところ、とか。

とにかく小津作品は「玄関でなにかが起こる」のです。




つづいて
〇お着替えシーン

んー、というか、昔の靴下、
めんどうくさそうだ……


お着替えシーンは小津作品に山ほど出てきますが、

「戸田家の兄妹」(1941)
の佐分利信&高峰三枝子といい……




「晩春」(1949)
の笠智衆&原節子といい……

のちのちの小津作品では
近親相姦的な やばい二人を表現するのに用いられるシーンとなります。




〇電車・汽車 

これは説明の必要はないでしょう。
ヴィム・ベンダースは「東京画」で
電車・汽車の登場しない小津映画は存在しない、と語っています。




〇パイプ

というのもよく出てくる小道具。

後年の「麦秋」(1951) 「秋日和」(1960)で話題に出てきます。





〇「ドンキホーテ」
というと……



「淑女は何を忘れたか」(1937)
ではセルバンテスというバーが登場します。↓↓




〇ビール瓶
というのも良く登場する小道具。




あまりに多く登場しますので……
とりあえず「麦秋」(1951)の画像をば。↓↓

ここではキリンビール。とくにメーカーのこだわりはないような気がする。

そういや「出来ごころ」(1933)の喜八さんは
ビール工場勤務でしたな。



〇「いいお天気」

これまた頻出するセリフ。
ヒロインが空を見上げると――「まあ、いいお天気」
というに決まっています。

この伝統は「若き日」からすでに始まっている。



〇お見合いの写真

というのも良く出てくる。




なんつっても「麦秋」(1951)の
「ナベ」さんですかね。40歳のイケメンビジネスマン。

一度も画面上に登場しませんが。ね。



えー、さいご……
これはおもしろいモチーフです。

〇ストーブ&やかん




↓↓まん中に写ってるのは 笠智衆ですが……



非常に興味深い……

というか、不思議なのは、

「やかん」&「ストーブ」とくると、
かならず悪女が登場する。
という点です。

まずは「東京の女」(1933)↓↓

江川宇礼雄&田中絹代のかたわらに
やかん&ストーブ



「東京暮色」(1957)
山田五十鈴&有馬稲子のかたわらに
やかん&ストーブ



はい。で、おわかりのように

「若き日」(1929)
→ブスいヒロインが結城一郎&斎藤達雄をたぶらかす。

「東京の女」(1933)
→岡田嘉子がアカの売春婦だとわかり、弟の江川宇礼雄が自殺する。

「東京暮色」(1957)
→山田五十鈴が家族(笠智衆、原節子、有馬稲子)を捨てて、失踪する。

というおはなしなわけです。

んーしかし、こうやって比較してみても……

山田五十鈴……岡田嘉子……

あのブスいヒロインはどうにかならなかったものか??
と悔やまれます。
小津安っさんは美女しか撮ってはならんのです。

野毛山動物園 その1

野毛山動物園 その1

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さいきん
鉛筆デッサン風の画像処理に熱中(?)しているので……






今回の記事は鉛筆デッサン風で押し切ってみようか、と。



□□□□□□□□

で、レッサーパンダに会いに
野毛山動物園に行った、というはなし。

京急で、
幻の「平沼駅」の脇を通り過ぎまして……

トンネル、またトンネル
という大友克洋っぽい世界を通り過ぎまして……

というか空襲の遺跡(平沼駅)というのも
大友克洋っぽいが。

横浜住んでた頃はそんなに意識してなかったが、

京急の 「横浜」~「日ノ出町」間のすさまじさは
ちと異常な気がする。


トンネルまたトンネル
カーブまたカーブ 
という中をハイスピードでぶっ飛ばす、という……

鉄道に詳しくないのですが、
こんな路線、他にあるのかね?

意外と観光名所になるのではなかろうか?

もとい、
日ノ出町駅に着きました。

横浜在住の頃は
図書館通い&伊勢佐木町の古本屋めぐり
で、何度も利用しておりました。



なのだが、
すぐ近くの動物園には一度も行ったことがなかった、という……

なので、初・野毛山動物園 です。

わーい わーい。
レッサーパンダに会えるぞ。

と、期待しておったのですが、

どうぶつたちのお食事タイム
本日おやすみ……

……というか、



お姿も拝められず……



レッサーパンダの手の構造がわかったのはよかったが。

撮れた写真はうすぼんやりしたコレだけ↓↓
(あ、ようやく普通の画像が)

空調のかかった部屋にずっとおられたので
こんな様子しかみれなかった。



けっこうがっかりしたのですが、
そんなわたくしを天空から見守る やさしい瞳が……


アミメキリンのそら君。






はい。
これが、元の画像。

というか、鉛筆デッサンはもうやめにします。



キリンというのが
こうも 人懐っこい生きものだとは知りませんでした。






なんとまあ、優美な生きものか。





そら君以外にもいろいろ撮りましたので
次回以降 載せていきます。


野毛山動物園 その2

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ブログの内容と全く関係ないですが――

腱鞘炎で、キーボードがなんとなく打ちにくいトマス・ピンコです。
理由はたぶん……筋トレのやりすぎ……

お医者に行ったところ、
「できるだけ使わないこと」
といって消炎剤のクリームをもらったのですが、

手だもんね……
使わなきゃ生きていけないわな……

もとい、



キリンのそら君です。
なんでも上野動物園の「ひなた」君の兄弟らしいんだが……

すみません。
レッサーパンダとハシビロコウに夢中で……

ひなた君見てませんでした。
今度会いに行きます。



↑こういう風に 住宅街が背景に写るという……
すごいところに住んでいらっしゃいます。


とにかくお茶目です。
ファンサービスを心得ていらっしゃる。




健康にいいのかどうかわからんが、
近くの草を食べておられた。

(もちろん、きちんとエサ用の草も用意されているのだが)




おとなりのシマウマ(モモタロウ君という由)と、
仲睦まじい様子でした。

シマウマというのは、あれで
けっこう気性の荒い生きものだと聞いたことがあるが、

さすがに相手がこうもデカいと
ケンカも売れない? ということか???

それともほんとに仲がいいのか??




地面に赤い土だか砂だか、
あるいはなにか特殊な物質なのか(?)

敷いてありまして、

で、それのおかげでそら君が歩きまわるごとに
ギュッギュ……
と心地いい音が鳴ります。



おつぎ。

アムールトラの「メイメイ」

メイメイって……「妹妹」?? 




今度10月がくれば20歳というから
けっこうなお婆ちゃん虎、ということでしょう。

が、パッと見 毛並みも艶々されているようで。

チラッとのぞいた歯もまだ丈夫そうです。



にしても デカい。

暑くてうだっていらっしゃいます。

ま、バリバリの浜っ子でいらっしゃいますが。


この一枚だけ、どういうわけか、網目無しで撮れた。↓↓

絞りを開放近くにすればいい、という理屈なのだが、
他の写真もだいたい絞り開放で撮っているのに、
こうはならない。




例によって、いじります。
上、油絵風。
下、鉛筆デッサン風。



ライオンは偶然にも ごはんタイムに遭遇することができました。



名前は「ラージャー」君。












一瞬
「キリッ☆」
とするラージャー君。




なんのお肉なんでしょうか?
ビーフでしょうか?





お肉を舐りすぎて……

ポロッ……



あ。おっこっちゃった。







マクロプラナーで横浜撮影

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野毛山動物園へ行った日。

お昼は 野毛のセンターグリルへ。

オムライスをいただきました。

となりのテーブルの女子二人組が
「ここはナポリタンの元祖だ」
とかいっていたので(ほんと?)

次はナポリタンを食べてみたいです。

↓この控えめな感じがよい。



野毛を歩きます。

ふーむ……
たまらん味わいです。↓↓

「青」を基調に、
ところどころ「赤」のアクセントが入っているのがよい。
……のか?

そういやセンターグリルの色づかいもそうだった。
ひょっとしてマネ??

道路標識も効いてます。



この古本屋も野毛。

堂々たる書体。堂々たる錆っぷり。





つづきまして伊勢佐木モールを歩きます。
伊勢佐木モールはところどころ時間が止まっている感じがいいです。




伊勢佐木モールは
なぜかこの手の↓↓

縦長の窓が多いような気がする。

モールの発足時になにか示し合わせていたりしたのか??
おなじ建設会社の手によるものか?



「トレビ」の字体がたまらんです。




カバンの中山&ギフトショップヤマザキ、は、




去年の11月に撮ったほうが
うまく撮れている。↓↓

レンズは同じマクロプラナー50mm

夜、というのがよかったか。
陰影がたまらんね(自画自賛)



いせ一さん。

この周辺、関内駅近く、ということもあり、
けっこう変化が大きいのだが、
このお店だけ時間が止まっている。

「世界のお菓子」
――なんて、今のお店だったら
英語だのおフランス語だの書いてすませてしまうところ……

バリバリ日本語で
「世界のお菓子」だぜ。

でもなぜかオサレだぜ。





でも、ま
伊勢佐木モールの帝王は、
不二家横浜センタービル(1937)でしょう。↓↓

30年代だぜ。
設計、アントニン・レーモンドだぜ。

ガラスブロックだぜ。
モダニズムだぜ。

「白」だぜ。「白」


「帝王」などと書いたが、
この清楚さは「姫」だな。 姫。





あと、伊勢佐木モールではないのだが、
関内駅近くのエリアで……

この建物は一体何なのだ?――↓↓





googleマップでみると、
「NTT労働組合神奈川総支部」
というらしいのだが……

検索してみてもなにもわからない。

年代等、まったくわからず。

ただひとつ言えるのは――
すごく良い仕上げをしているということ。

ディテールがなんの破綻もなく、きっちりおさまっている。

ソ連の構成主義あたりにかぶれたヤツが作ったのだろうか?
とか、知ったかぶりを書いておく。

入口のあたり、モザイク仕上げにしても良かったような気がするが……
(ダークブラウンとかが良さげ)
まったく無装飾に仕上げてしまったあたり、
ファシスト建築の影響もあるか??



謎の建築のそばで撮った写真。↓↓

ガイジンが喜びそうな構図だな。




これまた、そのそばの酒屋さん。

↓これは明らかに(??)
なんらかの芸術的な意図のある色づかい、とみた。




ので、
モダンアート風にいじってやりました。




馬車道もうろうろしますよ。

このなんとなくライト風の建物は、
「横浜手形交換所」

六角形の窓は、ライトがよくやる「ひし形」のパロディだろうか?

外観は初期ライトみたいだな。




でも、品のいいマネだな。

設計者、大熊喜邦、林豪蔵、というのだが、まったく知らず。

なんか字面だけみると、ケンカに強そうなペアだな。







↓横浜市開港記念会館

いわゆる「ジャック」ですが、
こういうレンガのゴテゴテ系は苦手。
東京駅も好きじゃない。



↓三井住友銀行。




↓これは……忘れました。
馬車道のあたりです。


以下二枚も馬車道。



そういや映画館の「東宝会館」
この近くでしたな……

いやー
なくなっちゃったの、だいぶ前か……









ジョーイ・ロガーノ(Joey Logano)のミニカー 2台目......

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酒もたばこも縁がない、このオレが……

なぜおカネが貯まらないか?

――今はっきりわかった!!

こんなくだらないミニカーを買ってしまうからだっ!!!




NASCAR専門店Charlotte さんで 半額セールとかやってるから、
つい買ってしまった。

正式名称
Joey Logano #22 Shell Pennzoil Daytona500 Win 2015 Fusion

あちらでは「ミニカー」とは呼ばず、
Die-Cast ダイキャストと呼ぶそうな。

みんなの嫌われ者 ロガーノ君が
2015年デイトナに勝った時のクルマです。

なんか色とりどりのキラキラがくっついているのですが↓↓




↓この……

表彰台の
「わーいわーい」「やんややんや」
というのを再現したかったのでしょう。




なので?……

ミニカーと一緒に、赤、青、白とかの色紙が付属するのですが……↓↓
(赤丸で囲んだもの)

これの使用方法がさっぱりわからない。

こまかく刻んで、それをミニカーにふりかけて
「わーいわーい」「やんややんや」
とやれ。

というのだろうか??
アメリカ人の感覚よくわかりません。

この色紙の使い方おしえてください。

それともあれか?
洋服の裾上げすると、余った布地がついてくる。
あの感覚なのか??



以下、べたべた、画像を貼っていきます。

2台一緒に……




たとえ、当ブログのような零細ブログであっても……

NASCAR関連の情報を発信するのは
非常に大事なことではあるまいか、などと
勝手に思いまして、

はい。

ただ単にミニカーを買った、というだけのことですけど。

だって。
日テレG+ NASCAR放送しなくなったりしたら
絶望だもんね。




こういうかっこいいクルマが
時速200マイルで ガンガンぶつりかりあいながら戦う……

そういうF1よりも500倍くらい楽しいモータースポーツが
アメリカ合衆国にあるわけですよ。

そこんとこを世界の片隅で主張しておきたい。

ま、来週末ですか?
F1 鈴鹿ですけど。




↑↑ロガーノ君といや、コカコーラなので 一緒に撮ってみた。

優勝すりゃブーブー
ブーイングのロガーノ君。
今年チャンピオンにならねえかな??

どんだけブーイング湧き起るかな??
たいへん楽しみです。





以上2台とも 2015年のクルマですが、

今年のクルマで気になるのは……

ダニカたんのシカゴランドのクルマですかね……↓↓

このミニカー 欲しい……かも……



ロガーノとは打って変わって
みんな大好き ダニカ・パトリック嬢。

ミュータントタートルズと一緒に写ってますが。



この「紅一点」ってのも

なんかアメリカっぽくて好きだな。




□□□□□□□□

さいごに……


ゆり坊がめでたく5歳をむかえました。

はやいものです。

REDWING 8002 感想

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6月ごろ買って、
ひと夏履いたので感想を書きます。

レッドウィングの「靴」です。
「ブーツ」じゃなく。

そもそも 「夏も RedWing 履きたい!」
というヨコシマな理由で購入したのですが……



――正解でした。

ものすごく履き心地がよかったです。
真夏でもいけます、レッドウィング。

自分は、ベックマンブーツ(9011および9022)
それとアイリッシュセッター(9870)では
サイズ「7D」を履いているんですが、

今回の8002では6.5Dを購入。

アメ横・イケダヤさんで「7D」と「6.5D」
さんざん履き比べまして、
……正直、あんまし違いはないような感じだったのですが、

7D、かかとが若干浮くかな?? 
という理由で、6.5D購入。




「靴」なので、「ブーツ」に比べりゃ、使っている革の大きさは小さい。
それなのに、値段がほとんど変わらない。
はっきりいや、高い。
なぜか?

というのは、実物をみてわかりました。
いろいろ凝りに凝っています。

ドッグテール。
なるほどワンちゃんの尾っぽのようです。↓↓



↓↓内側も凝ってる。

レザーライニングですよ。

見た目すずしげですが……ほんとに涼しい。



あと、この なんていうんです、
コバまわりの異様なまでのヴォリューム感……

がっちがちに縫ってあります。
意地でも壊れませんよ、という……




アイリッシュセッター9870と並べてみました。

おんなじ木型(8番ラスト)らしいです。

やっぱり革の色合いが全然違うのがわかります。

9870のほうは「セミグロスブラック」
8002は、完全に「つや消し黒」
といった感じです。




□□□□□□□□

はい。で、以下、ひと夏履いたあとの画像です。

いい感じのシワがつきました。

5,6回、モゥブレイのクリームで磨いてあります。

かかと、結構すり減ってしまった。




繰り返しになりますが、
履き心地は最高でした。

初日から足にしっくりきました。

ただ――……

ただですね……

他人様のレッドウィング関連のブログをみると

「靴擦れ」「足から出血」「ようやく足になじんできた」……
「ブーツが足になじむのではない。足をブーツになじませるのだ」……

うんぬんの

「オメーら、マゾか??」的な文言ばっかり並んでいるんですよね。

んんーー……

なので、レッドウィング4足購入して、
まったく「靴擦れ」「足から出血」云々の経験をしたことのない
わたくしのいうことですので、

あんまし参考にはならないかもしれません。



ま。
そろそろブーツの季節到来ですので、

8002君は、来年夏までお休みをとることになりそうです。
ご苦労様。

明治村 帝国ホテル(フランク・ロイド・ライト)その1

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犬山市の明治村まで 帝国ホテルを見に行きました。

日本に現存するフランク・ロイド・ライト作品は
・帝国ホテル(東京・日比谷→犬山市)
・自由学園(東京・池袋)
・山邑邸(芦屋)

この3作品。
個人的には、これで3作品全部見ることができたので、めでたい限りです。

えー以下、
あとあと参考になるかもしれんので
明治村までの所要時間と運賃も書いていきます。

□□□□□□□□

4:00 起床。
5:00 自宅より出発。

ゆり坊が見送ってくれました。
駅までは徒歩(0円)



常磐線のぼり始発電車に乗ります。

5:34(牛久駅)→6:27(上野駅)
運賃972円+グリーン券980円



東京駅から東海道新幹線。
のぞみ9号 
7:10(東京駅)→8:49(名古屋)
指定席の運賃は総額で11090円

名古屋駅、「名鉄バスセンター」なるところで
明治村行きの高速バスに乗ります。

バスは
9:40(名鉄バスセンター)→10:57(明治村)
運賃960円

……ということですが、じっさい明治村に着いたのは11:10頃でした。

なので、
トータルの所要時間は6時間10分(自宅より)
トータルの運賃は、14162円(上野→東京を160円とすると)
――でした。

名古屋から明治村の高速バスですが、
ふつうのバスのように降りる時に料金を払う仕組みですので、
あらかじめ電子マネーをチャージしておいた方がよいです。
じぶんはSuicaを使いました。


↓↓ちなみに……巨大なマネキンのようなものは
「ナナちゃん人形」といって名古屋駅名物である由。



たどり着いた明治村は――

山あり谷あり、けっこうハードな地形でした。

自分は勝手に、
小金井の「江戸東京たてもの園」あれに似たものを想像しておったのですが……

まったく違いました。



山登りです。登山です。

入口から、わき目もふらず帝国ホテルをめざします。

ものすごく景色がいいところなのですが、
無視して、帝国ホテルをめざします。



よりによって一番奥に鎮座しておられます。

↓↓たまたま人が写っていませんが、
僕がたどり着いたころは、小中高校生の団体がうようよいて

かなりわずらわしかった……失礼、けっこうにぎわっていました。




1916-20
FRANK LLOYD WRIGHT
The Imperial Hotel
Tokyo,Japan




初印象は……

「あ、呆れた……」「ま、まさか……」
という感じでした。

書物のなかだけの存在かとおもっていたのですが
なかばフィクションの存在かとおもっていたのですが

実際に存在していました。




中に入る勇気が出ないので……
(大げさでなく。建築好きな人ならこの感覚わかるはず)

しばらくまわりをうろうろしました。





建物の西側にまわりこみます。

以下、
・婦人用ラウンジ
・西ギャラリー
の外観です。




西側立面の全体。




で、建物の裏側にまわりこむと……

「――…………」

そうです。
けっきょく「レプリカ」だ。
というのがバレる瞬間。

明治村にあるのは帝国ホテルの「玄関」だけなのです。


婦人用ラウンジの正面。

カップルがみているオレンジ色の看板は
「帝国ホテル支配人の華麗なる推理」
とかいうイベントの説明。





取り壊される前は……

この池を、玄関、東西の客室棟で「コ」の字形に囲んでいました。





なので……日比谷に存在していた頃は
↓↓ 左側の林の部分は客室棟だったわけです。




写真撮りまくりましたので……
しばらく帝国ホテルの記事が続きます。

明治村 帝国ホテル(フランク・ロイド・ライト)その2

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帝国ホテルその2 です。
記憶が薄れないうちにはやく書いておこう。

□□□□□□□□

わたくし、勘違いしていたことがひとつありまして……

明治村の帝国ホテルって
オリジナルのパーツを……部材をそのまんま使って作った、
かぎりなくホンモノに近いレプリカだ、とおもっていたのです。

というのは、
建築資料研究社刊
「フランク・ロイド・ライトの帝国ホテル」という本に……
著者の明石信道先生の日記の引用で……

(1967年)12月6日 明治村移築のためロビーの実測図を鹿島建設の石井重役より求められる。

12月29日 明治村移築用として山野企画部長にロビー詳細図3通渡す。

(1968年)2月21日 もうホテルには建物は残っていない。梱包された明治村行きの荷もない。


(以上、「フランク・ロイド・ライトの帝国ホテル」160~161ページより)

こんな風に書いてあるから、
「ああ。ほぼオリジナルなのだな」
とおもっていたわけ。
「解体現場から100%近くパーツを持っていって組み立てたんだな」
と。

が――……

実際に行ってみると、
建物の脇に、オリジナルパーツが展示されている。↓↓




こ、これが、
かの有名なポルト・コシェのつぼか!!

キャ――!! すてき!!

と感慨深いものがあるわけですが……





というと、これは
オリジナルのつぼではない、ということになる。↓↓

レプリカなわけです。





この「オリジナル」「レプリカ」問題はすごく気になったので、
ガイドのおじさんに確認してみましたところ、

このポルト・コシェのあたりだと
オリジナルのパーツは↓↓ この2本の柱だけだそうです。


というのは、タイルの厚みがけっこうあるらしくて、
で、鉄筋を通すことができないらしい。

なのでホンモノの、荷重がかかっている方の柱は(両脇の太い柱)
レプリカのタイルが貼ってある。とのこと。

(わからない方のために補足すると、赤丸で囲んだ柱は荷重がかかっていない。飾りの柱のようです)

あと、「つぼ」も大谷石製ではなく、コンクリート製だそうです。



うーむ。オリジナルの柱を撮ってみます。

ほぼ100年前のタイルです。




このオリジナル、レプリカ問題についてですが、
帰宅後読み返しました……赤瀬川原平&山下裕二「日本美術観光団」に……

山下 明治村がなかったら、フランク・ロイド・ライトの帝国ホテルだって跡形もなくなっているわけです。きょう案内してくださった建造物担当部長の西尾さん、「内装とかは写真から私が復元しました」って。あとで照明の本物が出てきて、「実物はもうちょっと大きかったけど、私はこれがちょうどいいと思います」って。
赤瀬川 あれ、いいね。信念があって。

(朝日新聞社「日本美術観光団」54ページより)

などとありまして、
どうも当事者はそのあたりアバウト、というか、
「オリジナルに忠実に作るぞ」とは別におもっていない、らしいな。と。



ま、いいや。
今回は外観のディテールの写真をべたべた貼っていきます。



ライトの建築って、自由学園もそうなのだが、
なんと呼んでいいのかわからんディテールが満載です。

↑これは……庇? ルーバー?
にしては自己主張しすぎでしょう。

↓ルーフガーデンの「つぼ」ですが、

なんで「つぼ」ばっかりごろごろ置いてあるのか?



↓ポルト・コシェの柱。

はい。やりすぎです。

どうも、明石先生の「フランク・ロイド・ライトの帝国ホテル」を読みますと、

施工当時。
ライトのデザインの意図が石工にうまく伝わらず、
で、何度もやり直しがあった結果、
手間賃が膨大になり、
で、予算超過。

ということがあったらしい。

そうだよな。
今の目で見たって、完全SFの世界の柱だもんな。

大正時代の職人さんに理解できる世界とは思えんな。


はい。これもやりすぎ。
でもこの触感が快感になってくると、

もうフランク・ロイド・ライト・ファンになっているという……


大学の建築学科に入ると、最初の方に
部材のテクスチャーうんぬん、ということを言われたりするんですが、

もう、みるだけで、
テクスチャー……触感が伝わってくる。

木材のぬくもり、石の冷たさ、タイルのざらざらした感触等々。

こうやって書くと誰にでも出来そうですが、
テクスチャーを感じさせつつ、幾何学的にも力学的にも美しく構成する、
というのはとんでもない難行です。




クロースアップしてみると、
けっこうかわいかったりします。↓↓




↓これは北東の隅です。

明石先生が
「ロビーのおしゃべりコーナー」と書いているのはこのあたりか?



東側立面のディテールです。

この、なんていうんです?
正方形のプチ・ステンドグラスみたいのがやはりかわいい。

それとも、
隅から隅までデザインしてやる、という執念をみるべきなのか?



次回以降、ようやく建物の中に入ります。
まだまだ続きます。

明治村 帝国ホテル(フランク・ロイド・ライト)その3

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その3です。

いよいよ建物の中に入ります。

と――……

まず見えてくるのはロビーホールのこんな光景なのですが、




カーテンには正直がっかりします。
はい。

かつては……日比谷時代は……
上の赤丸部分からは「図書室」が……

そして下の赤丸部分からは壮大な「メインダイニングルーム」が……

姿をみせたはずなのですが。
いや、もちろんその光景をみたことはないんですが。

ここ。ですが、
カーテンのかわりにスクリーンにして、
かつての様子をCGで再現して投影する? とかムリですかね??




もとい、ロビーホールからエントランスをふりかえると
こんな感じ↓↓

自由学園にしろ、山邑邸にしろ、同じですが……
扉は薄っぺらですね。

今だと、普通の民家のドアでもこれの倍の厚さはありそうだ。


エントランスから入ってすぐ、
フロントの様子はこんな感じ。

しょっぱなカーテンをけなしましたが……

良い……

この雰囲気たまりません。
と、泊まりてぇ……



えー以下3枚、↓↓
いずれもロビーホールからエントランスを狙いました。

1枚目 ホールの床面から
2、3枚目 バルコニーから

エントランスの上の部分ですが、
明石先生の「フランク・ロイド・ライトの帝国ホテル」によると
「設計図にはティー・バルコニーと記されてあったが、サロンという愛称で親しまれたスペース」
とあります。

現在は設計図に忠実に(?) ということなのか??
「帝国ホテル喫茶室」というものになっています。

そうそう、喫茶室の下は、現在売店。
これはかつてのフロントです。
(エントランスはいって両サイドともにフロントだったらしい)



以下2枚↓↓

バルコニーから売店の方角を狙います。

バルコニーからホールを見るのは飽きません。

なんかヒッチコック「裏窓」みたいな感じ? とでもいうのか?

いろいろな人の行動がみれます。
それが実に絵画的な舞台でみれる。

今でもそうなのだから
ホテルとして現役であった頃はどれほど楽しかったことか?
国籍も過去も目的も……おっそろしく多様な人たちが
このフロントロビーを行き来していたわけで……

あーあ、タイムマシンがあれば行ってみたいものです。




バルコニーからロビーホールに降りまして

↓↓ 1枚目、東を 2枚目 西を向いています。

午後ですので 西向きの写真 日光が入りこんで窓が明るいです。




えー「西」とか「東」とか書いてますが、

かつて日比谷にあった時からは方角は90度ずれています。

んー文章では説明しづらいなー

でも説明しますと……

今、明治村のこの建物は南向きに建っています。
(さらに正確にいうと「南西」のようだ)

しかし、かつての帝国ホテルは日比谷公園(ひいては皇居)を正面にしていますので
西向き正面でした。

なので(だいたい)90度ずれている。

帝国ホテル、日比谷公園、あのあたりご存じの方だと
すぐわかるかとおもうんですが、




だから……明石先生の「フランク・ロイド・ライトの帝国ホテル」で
「西」と書いてあるところは

じっさい、明治村では「南」と翻訳しないといけない。
ややこしい限りです。




さらにいうと……

このロビーホール。
窓から射しこむ日光の輝きの鮮やかさ。
光と影がおりなす無限の形態の変化、等々に心打たれ……

「やっぱ、ライトだね~」
「天才だね~」

などとおもうのですが、

フランク・ロイド・ライト御大が想定していた太陽の動きは
もちろん、明治村とは90度ずれていた。
ということです。

んんー
「レプリカ」とか――
「あのカーテンはなんだ」とか――
「方角が違う」とか――

なんかいちゃもんばっかりつけているようですが、

素晴らしいです。
ほんとすばらしいです。ありがとうございます。保存していただいて。






個人的にロビーで一番気に入ったのは
売店の裏側の
この椅子ですかね。↓↓

椅子三兄弟。
今にも喋りだしそうです。




ふたたびバルコニーから
ガシガシ シャッターを切ります。




まー上野の博物館でも同様の現象が起きますが、

午後2時くらいには 修学旅行のガキ……
いえ、生徒のみなさんはお帰りになります。

それからはすこぶる撮影しやすくなりました。



あ。そうそう照明のことも書いておこう。

柱がビルトインの照明になっているというのは
写真で見て知ってはいたのですが、

実物をみてたまげました。

「光の柱」
とでもいいましょうか?

これほど幻想的な効果を示すシロモノだとは……

これは実物を見に行った方がいいです。
写真ではわかりません。




その、ビルトインの照明のアップ。

今はLEDとかかもしれんけど……

電球とかどうやって交換するの??

たぶん、はずせるんですよね? 四角いパーツ。
たぶん……




んー……ガイドさんにそこを聞いとくべきでした。

この柱の中身はどうなっているのか??

ご存じの方、ご教授願います。

えー……まだまだ帝国ホテル続きます。
これだけじゃないんです。


明治村 帝国ホテル(フランク・ロイド・ライト)その4

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今回はラウンジをみていきます。

建物正面、むかって右側――紳士用ラウンジ。
(現在は東側。かつては南側)

建物正面、むかって左側――婦人用ラウンジ。
(現在は西側。かつては北側)

↓↓赤丸で囲んだ部分となります。

なぜ男女で別れているのか? よくわかりません。
昔は、映画館は男の席、女の席、とわかれていたようですから、

建築法規で、そうなっていたのか?




まずは紳士用ラウンジから。
ここはなにも展示品がなにもおかれていないので、
来る人があまりいませんでした。

こんな、最高の建築空間なのに……

ま、撮影する僕からすると、人が来ない方がいいのですが。

ロビーホールからのぞいたところです。↓↓

そうです。のぞけるんです。
こういうように、空間をチラ見せする、というのをライトはよくやります。





明石信道先生が
「ラウンジの窓は、外側から見れば窓だが内側から見るとガラス壁のようでもあった」
(建築資料研究社「フランク・ロイド・ライトの帝国ホテル」51ページより)

と書いているのはまったくその通り。




で、ロビーホールから階段をのぼりますと、




こんな空間があらわれます。

船底天井で
デザインは山邑邸に似ています。

この空間の複雑さ。

図面でいうと。「中2階」というような中途半端な位置になります。
「1.5階」というのがわかりやすか??

ロビーホール(1階)とティーバルコニー(2階)をつなぐ位置にあり、

ロビーやバルコニーとも空間的にはつながっている。

こういうの、どういう脳みその構造の持ち主が考えられるのか?
イメージできるのか?

少なくとも僕にはできません。



窓を撮ってみます。

アールデコデザイン。

これの廉価バージョン(失礼)が
自由学園のあの美しいホールなのでしょう。


ティーバルコニー(帝国ホテル喫茶室)へ抜ける階段

こうやってトンネルみたいに狭い通路を作っておいて、
で、そのトンネルを抜けると、
「わーっ!」
と広い空間。

ライトのよくやる手です。
でも、誰にもマネができない。




で、↑↑階段の裏側の装飾。
やりすぎですよ。やりすぎ。
しかもゴールドに塗っちゃって。

でもライトがやると悪趣味にならない。なぜ??




この棚↑↑

と……


この穴ぼこの存在価値がよくわからない。↑↑

ネコがよろこびそうなくぼみですが??

花を生けるのなら床面はおかしいだろう。



戸棚は↑↑かなり高い所にあって、
身長2メートルくらいあっても使いこなすのは難しそうです。

脚立かなにか使うのか??

謎がいっぱいです。



下の窓はこんな風に開きます。

上の大きな窓は開くのかな?
もっとよく見てくれば良かった……

これは自由学園、山邑邸にも共通しますが、
やはり、ウィスコンシン州出身のライトは
台風が定期的に来襲する環境というのをあんまし理解できていない感じです。

雨仕舞ということを考えると、
開口の数が多すぎ、あと、窓の構造も華奢すぎる……

ま、今の目からみると、そうおもえる、ということですけど。


□□□□□□□□

つづいて、婦人用ラウンジ。

基本、デザインは紳士用と一緒ですが、
木の床むきだし。
それと展示品が飾ってあるのでだいぶ雰囲気が違います。

木の床なので 自由学園のメインホールにかなり似てます。
雰囲気が。



当時使われていたもののようです。


いいな。こんな空間で食事できたらな……

ま。食事用のスペースではないんですが。


要所要所にこの「光の柱」モチーフを繰り返します。↓↓

そういえば入口、ポルト・コシェにもありましたよね。

明石信道先生は「光の籠」と書いてますな。
その表現もいいな。



南側の窓(かつて西側)からは日比谷公園。
西側の窓(かつて北側)からは客室棟がみえたはずです。



↓↓左側の階段を降りるとロビーホール。

↓↓右側の階段を登るとティーバルコニー。


西側ギャラリーからのぞきこんだところ。↓↓



次回で帝国ホテル 終わりにしようと思います。

明治村 帝国ホテル(フランク・ロイド・ライト)その5

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その5
帝国ホテル、残りの部分の写真をのせていきます。
あと、えらい先生方の帝国ホテル評価を引用しておこうかとおもいます。

まず、バルコニーの写真。
ロビーホールを見おろすバルコニーなんですが、




かつてはロビーを見おろすと同時に、
メインダイニングルームも見おろせたわけで、

たぶん、空中に浮かぶ廊下みたいな効果があったとおもうのですが、
今はまったくそういう印象はないです。




 成果は比類ない幻想的な作品で、よろこばしい、魅力的でちょっと信じられないほど見事なできばえであった。
 帝国ホテルは外装が、それまでのライトの作品の中では一番「日本的」でない建物であった。なぜそうなのかということを説明するのはむずかしいけれども、おそらくライトは、だれか(きっと自分自身)に日本的な伝統から全然影響をうけてはいないことを証明したかったのである。
(中略)
 しかし、その尺度や人を驚かせる要素の演出といった面では、帝国ホテルはまったく日本的であった。ライトは日本のものが小づくりであることに非常に強い印象をうけていたので、帝国ホテルではすべてのものを小さめにした。
(中略)
 テラスや中庭も小じんまりとしていて、非常に狭い廊下が不意に3階の高さの吹抜けに開けたりする。

(彰国社、ペーター・ブレイク著「現代建築の巨匠」323ページより)

ブレイク先生。
日本的だけど日本的じゃない。
日本的じゃないけど、やっぱり日本っぽい。
微妙さをうまく表現しています。

いっぽう、ケネス・フランプトン先生はわけのわからんことを書いてます。

 とはいうものの、ライトは、プレイリー・スタイル(特にロビー部を参照してほしい)の層状の構成を変形し、日本の中世建築における重量感ある石積の伝統、すなわち、16世紀の日本の城郭の傾斜した堡塁を結びつけた。
(A.D.A.EDITA Tokyo、「MA①1851-1919」212ページより)

お城の石垣に影響をうけた、とかいってる。
どうかね??

えー つづいて ティーバルコニー……

帝国ホテル喫茶室。ですが、↓↓


他のお客さんへの遠慮もあってあんまり写真も撮れず。

でも。まー悪口をいうのもなんだが、
椅子・テーブルも そんなに良いものではないので
ま。いいかな。

でも。居心地のいい場所でしたよ。

喫茶室から外をみたところ↓↓


つづいて、西側のギャラリー。

ポーツマス条約の時つかわれた机、とかいうもの(たしか)
があったが興味がなかった。

横須賀の三笠の中にあるのならわかるが。
なぜここに?




藤森照信先生の帝国ホテル評価を引用しておきます。

 完成した帝国ホテルは、平面の連続性や立面の水平性の強調もさりながら、見なれぬ装飾で東京市民の目をうばった。目立つところには幾何学紋様を細かく刻んだ大谷石が張られ、ふつうの壁面には、表面を竹櫛で引っ掻いたスクラッチタイルが張られる。これほど毛深いモダンデザインも珍しい。
 (中略)
 ライトは北アメリカ以外には仕事がなく、日本の作品は例外といっていいが、作品だけなく人脈も例外的に強く残る。
 大正六年、帝国ホテルの準備のため来日したライトのところに押しかけて弟子入りした遠藤新をはじめ、ライトに従って来日したスタッフのアントニン・レーモンド……
(あとは省略します)
(岩波新書、藤森照信著「日本の近代建築(下)」180ページより)

「東京市民」の反応を描くところ、
それから「毛深い」とか書いちゃうところ、さすが藤森先生。

あと「人脈」も書いています。
この文章のあとでは「教団」とさえ、いっちゃってます。

ライト教団。

その……遠藤新を代表とするお弟子、あるいは孫弟子たちが
日本国中に スクラッチタイルやら 幾何学模様を彫った大谷石やらを
ひろめていくわけで……
(以前の首相官邸を思い出していただければ手っ取り早い)

ま。とんでもない影響力のあった建築であったわけです。はい。




ポーツマスには興味がないが、

ライトデザインのお皿にはおおいに興味があるトマス・ピンコであった。




オールドノリタケ。

今、復刻版がでてますが、この味わいはないなー

これ、欲しいな……




しかし楽しかった帝国ホテルも……

15:30 明治村発のバスに乗られねばならず。

例の山あり谷ありの地形を考えて
はやめに帝国ホテルとさよならすることに……

14:50くらいまでいたかな。

3時間くらい、帝国ホテルで過ごしたことになります。




明治村。
他にも アレを見よう、これを見ようとかおもっていたのですが、
まったく見れず。

食事さえもとる時間がなかった。

唯一撮ったのはこれ↓↓

赤坂離宮の入口の……なんだ? 番人小屋みたいの。



そうそう、小津安二郎先生の「お茶漬けの味」の アレ。



しかし。
昼飯ぬきはさすがにつらい。

そこでバス待ちの時間、入口近くの売店で
エビだったかカニだったかのコロッケを購入。

ほお張っていたところ……




黒猫くんがおずおずと登場。

あんまり物欲しげな顔をしているので――

半分コロッケをあげました。




コロッケの衣まで 全部食べちゃいました。



明治村、帝国ホテル以外まったく見れませんでしたが、

さいごのさいごビッグイベントがありました。

伊勢神宮・外宮

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愛知に行くのなら、三重も近いだろう、
などとイバラキ人は考えまして、

明治村の次はお伊勢参りということになりました。

犬山城も見ず、名古屋市内も見ず、一気に伊勢・松阪をめざします。

時間と運賃をメモ代わりに書いていきますと、

15:30 明治村発。名鉄高速バス
16:41 名鉄バスセンター(名古屋駅)着
料金960円
じっさいに着いたのは16:50ごろだったとおもう。

17:10 名古屋駅発。近鉄特急、伊勢志摩ライナー
18:17 松阪駅着。
料金2580円

たどりついた松阪は――けっこうイナカでした。

大都会を勝手にイメージしておったので、驚きました。



泊まったホテルの棚のなかは
聖書じゃなくて「古事記」




5:00 起床
6:00 チェックアウト
6:22 松阪駅発。近鉄山田線
6:47 伊勢市駅着。
運賃400円

1日で外宮、内宮、そして別宮の瀧原宮をめぐって
で、その日のうちにイバラキに帰る。
という計画をたてましたので、
けっこうな早起きになりました。

でも結果からすると、
外宮、内宮ともに空いている時間に参拝できたので
早起きは正解でした。



松阪は「小津家」のルーツの土地で、
(本居宣長も小津家の人らしい)

小津安二郎が十代を過ごした土地。
んで、「小津安二郎青春館」とかいうものが
松阪にあるようなのですが、

今回はパス。
上述のようにタイトな計画をたてたのでどうしても組み込めませんでした。





近鉄山田線。
のどかな田園風景の中を通りまして伊勢市駅へ。

南口から「外宮参道」という立派な道がはしっています。

ちなみに小津安二郎の通った
旧制宇治山田中学校は 北口からちょっと歩いたところにあったそうな。




しかし、この外宮参道というのが
けっこうすさまじかった。

足早に通り過ぎてしまったので……

写真の枚数も少ないですが……





早朝の人っ子ひとりいない時に来たもので……



昼の時間帯にじっくり見てみたいものです。

やっぱしお伊勢参りは何日かかけて行くべきですな~




この山田館さんには
完全にやられてしまった……




次回のお伊勢参りはココ泊まりたいな。

あと「ブラタモリ」でやってた

古市 麻吉旅館さんね。

で、締めはゴージャスに鳥羽国際ホテルという――

ああ、脳内お伊勢参りが どんどん広がります……




ま。こういうわざとらしい「レトロ」もあります。↓↓

ベンチはもっとボロくないとダメでしょう。
「オロナミンC」とか「明治牛乳」とかロゴ入りのヤツ。



□□□□□□□□

もとい。
外宮です。



そもそも 伊勢神宮、
なぜ「外宮(げくう)」「内宮(ないくう)」に分かれているか?

なんかいろいろ説があるようですが――

私は伊勢の本来の神を現在の「外宮」に祀られている神と思う。つまり、「外宮」の「豊受大神」を伊勢の産土神と考える。そして「天照大神」を祀る「内宮」は、この時、つまり持統によって創られたのではないかと考える。
(新潮文庫、梅原猛著「海人と天皇(上)」259ページより)

梅原猛先生はこう書かれています。

あとは「西本願寺」「東本願寺」みたいに
権力者側が伊勢神宮を二つに分裂させたのだ、という説など
読みましたが……
その説はなんだか説得力がないような気がします。


ま。学問的なことはおいておいて……

このシンプル・イズ・ザ・ベストの入口にやられました……

王者の風格。

「第一鳥居」です。



ばりばりイバラキ人の自分にとって
「神社」といや、鹿島神宮。

あと、大きい神社というとイメージするのは
靖国神社とか鶴岡八幡宮とか。

どれも金属とかコンクリ製の馬鹿でかい鳥居で
入口を飾っているわけ。

それが……
神社の中の神社。
伊勢神宮は、これですよ。

白木の……なんのかざりもない、
たいして大きくもない鳥居ですよ。




平日の午前7時です。

↓↓「第二鳥居」



「授与所」↓↓




ここからまっすぐ進むと「御正宮(ごしょうぐう)」なのですが、
「御厩(みうまや)」が見たかったので

道を右に折れます。

「北御門口鳥居」↓↓




でも「御厩」には
お馬さんはいませんでした。
残念。




「御正宮」への道の途中に
「三つ石」というのがあります。

パワースポットとか
スピリチュアルななんとか とかに興味がある人には
たまらんスポットのようですが……

さいわい、早朝のせいか、そっち系の人もおらず――




「御正宮」です。↓↓








外宮で一番衝撃を受けたのは、「御正宮」そのものではなく……

かつての「御正宮」――

この広大ななんにもない空っぽのスペースです。↓↓

つぎの遷宮の時はこっちが「御正宮」になるわけですけど……

これって
ミース・ファン・デル・ローエじゃん!!


と感動してしまいました。



ミース・ファン・デル・ローエに関しては説明する能力がないので、
藤森照信先生の文章を引用しますが、

 物質の究極が原子にあるように、建築の究極は均質空間にある。戦後、モダニズムが世界を席捲する過程で、どこにでも現れたのはコルビュジエでもライトでもなくミースの影響だった。二〇世紀を象徴する戦後の超高層ビルは、例外なくミースの均質で透明な表現の延長上にある。
 建築の究極の単位である均質空間の力を解き放ったという意味で、ミースの作品は建築史上の原子爆弾である。

(岩波新書、藤森照信著「日本の近代建築(下)」164ページより)

7世紀おわりにできた「均質空間」
「less is more」空間。

20世紀になって、ミースのやったことを
日本人の誰やらは7世紀おわりにもうやっていた。

「なにをお前は言ってるんだ?」
という感じだと思いますが……

でも、ミースがこれ見たら、感動したとおもいますよ。きっと。




7世紀のユニヴァーサル・スペース(均質空間)に感動したわたくしは……



別宮の「風宮」をお参りしまして




いやしかし……
フランク・ロイド・ライトの帝国ホテルをみた翌日に

ミース・ファン・デル・ローエをみることができるとは……
感慨深いものがあります。

(違うって)



そうそうご存じかと思いますが念のため、

「外宮先祭」というそうですが、
お参りの順序は「外宮」が先なのです。

次は内宮だ。




内宮行きのバスに乗ります。

8:06 外宮発のバスに乗りました。

伊勢神宮・内宮 その1

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内宮に着きました。

8:06 外宮発。三重交通バス
8:30ごろ 内宮着。
運賃430円。

バス停を降りるとすぐ――

うわ! 「ブラタモリ」でやってた
「終点」だ! ↓↓

(なんでも昔は国道1号の終点だったそうですぞ)



というか、タモさん歩いてたのこのあたりか!↓↓



うわ。かっこええ交番だ!↓↓


うわ! あの名高き宇治橋かっ!! ↓↓


……―― 等々、
到着直後はもりあがっていたのですが、

たいへん申し訳ありません……

僕には
内宮はそれほどおもしろくありませんでした。

たぶん
理由としては……

理由①情報を仕入れすぎた。

旅行に先立ちまして、
みらい出版、「いま行く! 伊勢神宮 お参りパーフェクトブック最新版」
朝日新聞社、赤瀬川原平、山下裕二共著「日本美術観光団」
講談社学術文庫、筑紫申真著「アマテラスの誕生」

この3冊読みまして、
加えて、「ブラタモリ」の伊勢神宮の回を見直しまして――

頭でっかちで行ったのは失敗でした。


この説明をみても↓↓

「2000年はおかしい」とかおもったりする。
イヤなヤツ。

皇大神宮のできた年は、意外にあたらしいのです。そして、日付までわかっているのです。文武天皇の二年(六九八)十二月二十九日に成立しました。それは、七世紀もぎりぎり終りのことです。せいぜい、いまから一二七〇年ばかり前にできあたったのです。
(講談社学術文庫、筑紫申真著「アマテラスの誕生」18ページより)

あと、倭姫命ファンなので、
倭姫命さんのことも説明に入れて欲しいとおもいます。



すばらしい景色――↓↓

なんですが、「ブラタモリ」を2回も見ちゃったのはまずかった。

なんかテレビでみたそのまんまのような気がして……

感動が薄れる……



荒俣宏先生がどこかで書いていたが、
「観光とはすでに知っていることを見に行くことである」
(正確な引用ではないとおもいますが)

うーん……
知識をいれすぎた……

失敗でした。



あと、
いまいちだった理由として……

理由②そのあとの瀧原宮がすばらしすぎた。

というのがあります。

10月中旬ごろのことを記憶に従って書いているのですが、
瀧原宮の印象があまりに鮮烈すぎて――

内宮はなんかぼんやりしています。

んーというか、単に天邪鬼なだけのような気もする……

ナンバー1(皇大神宮、つまり内宮)よりも
ナンバー3(瀧原宮、つまり別宮の筆頭)が好き、という。

ま、ナンバー1、ナンバー3ともに
お祀りしているのは天照大御神なので、

アマテラスさんには失礼がないはずです。(??)


宇治橋を通り過ぎますと、
「神苑」です。 ↓↓

ここもなんか「ブラタモリ」の印象が濃い……


奉納されているお酒の量……

さすが、神社の中の神社は違います。




「るみ子の酒」というのが目立ってる気がする。

ああ、そうか宣伝にもなるのか。



神苑の奥、小さな橋を渡ったところに
「第一鳥居」↓↓




「第一鳥居」の近くに「手水舎」があるのですが、
それを完全に無視して

「五十鈴川御手洗場」にむかうのは――

これまた「ブラタモリ」のマネ。です。





来ました。五十鈴川です。
禊ぎの川です。





「アマテラスの誕生」の筑紫先生は
皇大神宮のもとの姿は 川のカミであった、と書かれています。




ま。
そんな理屈はどうでもいいか。
この澄んだ水……

↑↑お魚が泳いでいるのがわかりますかね??



紅葉の季節来たら最高だろうな……

行く余裕がないけど……

などとたいへん悔しくなりましたので……





デジタル処理で紅葉させてしまうという……
おそるべし、デジタル技術。


とにかく心地よかったです。
もっと朝早くくれば さらによかったかも。

夏の朝とか、きっとたまらんとおもいます。



またやってる。
デジタル紅葉。

もっと近けりゃ撮りに行くんですけど……
なんせ地の果てイバラキからだと……



おおむね曇りの天気でしたが、
たまに雲の隙間から
サァーッと日が射すのが美しかったです。

太陽の女神アマテラスに関しては、
ジョゼフ・キャンベル先生の「千の顔をもつ英雄」が
けっこうかっこいいことを書いてます。

太陽の女神、というのは世界的に珍しいものだ、というのです。

(天の岩屋戸の神話に関して)
 男性の神ではなく女神としての太陽というモティーフは稀有で貴重な遺物であり、それはかつてあきらかに広範囲にわたって伝播していたアルカイックな神話的文脈に内在していたものであった。アラビア南部の太母神は女性名詞の太陽、イラトである。ドイツ語の太陽(ディー・ゾンネ)は女性名詞である。
(中略)
 だがかつての雄大な神話が、文明世界においていまなお効力を発揮しているのは日本だけである。というのはミカドはアマテラスの直系子孫とされ、また皇室の祖先とされているアマテラスは、神道の国家主義的伝統のうえで至高神の一柱としてあがめられているからである。女神にして太陽神であるアマテラスの冒険においては、現在ひろく流布されている男性神としての太陽神神話と異質な世界感情に触れる思いがする。そこにあるのは光という立派な自然の贈り物にたいするある種のやさしさであり、目にみえるようになったさまざまな事物にたいする感謝の念である。こうした感情こそ、かつて多くの民俗の宗教感情を特徴づけていたものにちがいない。
(人文書院、ジョゼフ・キャンベル著「千の顔をもつ英雄」下巻27~28ページより)



光という立派な自然の贈り物にたいするある種のやさしさ……


御手洗場から……



「第二鳥居」へ。

その2につづきます。

伊勢神宮・内宮 その2

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その2です。

いよいよ御正宮にお参りです。

神楽殿という立派な建物の脇を通り過ぎまして――





森の一番奥まったところ――



「これより先は撮影禁止」



正殿にむかって手をあわせます。




古殿地――例の「ミース・ファン・デル・ローエ空間」
空っぽ空間は見せてくれません。
外宮も瀧原宮も 堂々とみせてくれる「アソコ」
を、皇大神宮(内宮)は見せてくれません。

僕の、「なんか内宮はいまいちだった」という
失礼千万な
感想もそこらへんに由来するのかもしれません。

総理大臣とか、
「ブラタモリ」のタモリさん御一行とか
「日本美術観光団」の赤瀬川原平先生御一行とか
――VIPにはみせてくれるようなんですが……

山下 何もなさでいうと、式年遷宮で空っぽになった古殿地、僕はあの何もなさにしびれましたね。真ん中に心の御柱を覆ってある覆屋が見えて、あそこに入れてもらえたのが、すごく嬉しかった。
赤瀬川 うん、ぐっときましたねえ。
山下 正宮で、中重(なかのえ……四つある垣根のうち、二つ目の内側)に入れてもらってお祓いをうけたときは、「えっ、これで終わり?」って思ったけれども、そのあとの古殿地は本当に良かったです。すごーい特別扱いしてくれたんだと思いますよ、きっと。
赤瀬川 総理大臣でもほぼ同じコースって、言ってたね。

(朝日新聞社、赤瀬川原平、山下裕二共著「日本美術観光団」174ページより)

ただ……
ただ、この「差別」……「庶民には見せない」ってのも
大事なことだ、とおもっている自分もいる。

けっきょく皇大神宮というところは
天武帝―持統帝―藤原不比等といった日本国のルーツを作った人たちが
オフィシャルな場、として作った場所だから。

はっきりいや、中国(当時のことばでいや、モロコシか)の
視線を意識して作った施設だから。


□□□□□□□□

御正宮のそば、
「御贄調舎」(みにえちょうしゃ)というのがあります↓↓

ま。アマテラスさん専用のキッチンか。


も一度神楽殿の脇をとおりすぎ、




その脇の授与所へ。
お守りやお札をいただきました。

この頃が9時すこし過ぎで、
写真のとおりだんだん人が増えてきました。

やっぱし静かにお参りしたいのなら、8時より前がいいようです。



御厩で 神馬に会うことができました。
外宮では会えなかったので、こちらで会えてよかったです。

「空勇号」



きちんとカメラを意識してくださって
いい子です。



巫女さんが、


見事なフォーメーションで歩いていらっしゃるのをみて
おもわず、パチリ。

これは……
「こうやって歩くのですよ」
というきまりがあるのでしょうなぁ……きっと。

さすが伊勢神宮……(ため息)
とおもった瞬間でした。



別宮の「風日祈宮」(かぜひのみのみや)
をお参りしました。

その他にも別宮があるのですが……
瀧原宮メインでタイトな行程を組んだため、お参りできませんでした。


ご覧になればわかるように↓↓

プチ宇治橋のようなところを渡ります。

「風日祈宮橋」



またやってます。
デジタル紅葉。

しかし……12月ごろ来たらたまらんでしょうなぁ。


「プチ宇治橋」などと書きましたが、

伊勢神宮が「2」という数に支配されているというのは
とても気になるところです。

つまり……
・「内宮」―「外宮」
・「内宮」―「瀧原宮」
・「2」0年に一度の遷宮
といった構造。

それぞれ境内の中には
「第一鳥居」―「第二鳥居」
と2つの鳥居があり、
正宮は、
「旧宮」―「新宮」
の二重構造になっている。

さらに
・宇治橋―風日祈宮橋
なんていう姉妹のような構造も見え隠れする。

二拝二拍手一拝――というお作法も「2」が強調されるし……

さらに伊勢神宮(日の出)―出雲大社(日の入り)という関係も……



梅原猛先生によると

日本の神道において、二つの神の崇拝が特に重要なのである。一つは自家の祖先、もう一つは自家が権力を持つ過程において、犠牲にした前代の支配者。日本の神道では、前者よりむしろ後者の崇拝のほうが大事なのである。前者は祀らなくても祟りをしないが、後者は祀らなければむしろ大きな祟りをするのである。それで、前者を代表する大神宮、伊勢神宮が成立すれば、後者を統べる大社が必要である。私は、それが出雲大社であると思う。
(新潮社、「日本名建築写真選集 第十四巻 伊勢神宮・出雲大社」86~87ページより)

とのことなんですが……


僕としては
「2」が女性の数……陰(イン)の数だということも注目したい。

天照大御神を最高神にするにあたって、
そこまで考え抜いたんじゃなかろうか……

あえて個人名を出させていただくと……

藤原不比等は。



もとい、

風日祈宮です。

なんかあまりに厳かで オフィシャルな雰囲気の御正宮からくると
ここは落ちつきます。

「空っぽ空間」「ミース・ファン・デル・ローエ空間」もあるしね。



お宮のすぐそばに
青い実をつけた野草が。

「クサギ」というそうな。



またプチ宇治橋を渡り……



お札をいただいた授与所の前に出て、



また宇治橋を通って、


皇大神宮をあとにします。


10:20ごろです。
なんのかの、2時間近く内宮にいたことになります。

内宮からバスで宇治山田駅に向かいます。
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