「全日記小津安二郎」を読んでいろいろと妄想している今日この頃。
やっぱり「巨匠」「大家」になってからのものよりも
悩める二十代三十代の頃のほうがおもしろい。
たとえば…
1933年夏…小津安二郎青年29歳の記述。
どうやら小っちゃんは恋をしているらしいのである。
8月7日(月)
▲暮方の夕照の空に高島屋のネオン・ランプを車の中からとても美しいものに見る
▲恋とは人生を極めて小さく区切るファインダーだ シャッターをさう簡単に切ることをやめたまへ
(フィルムアート社「全日記小津安二郎」49ページより)
9月。
15日間召集された兵舎の中でも小っちゃんは
憧れのあの子のことを思い浮かべるのであった。
9月20日(水)
昨夜 さむざむとした藁ぶとんの寝台で夢をみた
服部の大時計の見える銀座の二階で 僕がビールをのんで
グリーンのアフタヌンの下であの子はすんなりと脚を重ねてゐた夢だ
(同書50ページより)
短期の召集(…帝国陸軍のことはよくわからんのですが訓練みたいなものでしょう)
が、終ってからもぐずぐず「あの子」のことを考える小っちゃんであります。
10月28日(土)
▲女の中にも馴れる女と反対に馴れない女がゐる
惚れるのなら僕の趣味から云って馴れない女の方が好きだ
いたずらに親しまないで馴染もうとしない女の方がある程度までたしかにその欠点をかくしてくれて それだけに僕が善意に解釈する余地をのこしてくれる
結局はどちらも同じことになるのだらうけれど
(同書53ページより)
んで12月…満30歳の誕生日が近づくにつれてこんな記述が…
12月6日(水)
三十の誕生日の近けれバ
▲わが恋もしのぶるまゝに老ひにけり
わが恋
▲しのぶればしのぶるまゝに老ひにけり
(同書59ページより)
小っちゃん。
オッサン臭い五・七・五でうじうじと悩んでおります。
ちなみに小津安二郎青年、前年の1932年に
傑作「生まれてはみたけれど」を撮っちゃっております。
プライベートはなんかうじうじしてますが
キャリアは充実している松竹の若きエース、といったところ。
…じゃ、この恋の相手は誰だったのか?
「服部の大時計の見える銀座の二階で」
すんなりと脚を重ねていた「あの子」とはいったい誰なのか?
ご存知のように(?)小っちゃん、
あまりといえばあまりなほどにシャイな男であったため、
その名前を記述してはおりません。
そこでこの謎をオレ様が解いてやろうというのが
今回の記事のテーマであるわけ。
①田中絹代説。
ご存知絹代たんである。
この頃「非常線の女」を撮っていることもあり
田中絹代に関する記述はけっこう多い。
2月18日(土)
▲絹代 逢初と大木に非常線の女のドレス注文に行く
(同書34ページより)
2月22日(水)
▲大木にdressの仮縫ひ
オリンピックにて絹代さんとコーヒーをのみ 東京屋に行く
(同書34ページより)
4月26日(水)
▲絹代さんが丸髷で綺麗だつた
(同書40ページより)
田中絹代説にとって決定的とおもわれるのは
翌年1934年の記述。
10月17日(水)
あけ方夢をみた 絹代さんとお茶をのんでゐるまことにつゝましい夢だ
(同書97ページより)
んー…どうなんすかね。
あやしいといえば限りなくあやしい。
すこぶるかわいいもんな、この頃の絹代たんは。
だが、ま、戦後の小津と田中絹代の
なんかしっくりこない関係を我々は知っているわけですよ。
ミゾグチ映画の田中絹代は輝いていたが
オヅ映画の田中絹代はなんかイマイチであった…
いや…昔惚れた女だからこそ?なの?
だからこそ逆にギクシャクしてた??
――んでも僕は「田中絹代説」は違う気がするね。
あの小っちゃんが本気で好きな人のことを名指しで
「綺麗だつた」
とか書くかね?
あと夢の記述だって…
「なんであの子じゃねえんだよ??」
という苛立ちがそこにあるんじゃないのかね?
はっきりいっちゃうと…
「なんで絹代なんだよ?」という…
んで浮かび上がってくるのが
「水久保澄子説」なのである。
というか、この記事のタイトルからしてそうなんですが…
その2につづくのであった。