―承前―…
というようなわけで、憎っくきワイセツ絵描き会田誠とわたくしの関係を振り返りますと…
・西暦2000年
トマス・ピンコ、水戸芸術館「日本ゼロ年」展において会田誠の作品と出会う。
トマス・ピンコ、同所にて会田誠著「ミュータント花子」を購入する。
・西暦2003~4年
トマス・ピンコ、「ミュータント花子」のおかげでアヤちゃん(仮名)とエッ○をし損なう。
に続きまして、
・西暦2007年
トマス・ピンコ、上野の森美術館「アートで候」展において、ナマ会田誠を目撃する。
という事件が起こります。
「アートで候」ってのは
会田誠・山口晃二人まとめての展示…
同世代ではあるが、なんか方向性はまるで逆。
でもテクニック重視なところ、具象的なところは似ている。
そんな二人が同じ展覧会に同居しているという、
なかなか贅沢な企画でありました。
今、調べてみたら…
会期は2007年5月20日~6月19日。
もう6年近く前になるかぁーーー………
上野という場所柄からか、美術系の学生みたいのが
けっこうウジャウジャしていた記憶があります。
ここで…展覧会の主役、
会田誠、山口晃両氏の講演ってのがあって、
美大の学生でもなんでもないのに、トマス・ピンコは両方とも律儀に聴きにいっております。なんつっても…
「ヤロー、会田誠!
テメーのおかげでオレは…オレは、あの子と…」
という純情極まりない憤りのためです。
山口晃先生は、会田誠みたんだからついでに見ておこう、という感じです。
はい。会田誠の講演は…
↑↑上の…有名な(?)…「滝の絵」のかたわらで行われました。
この絵…439×272cm…ものすごくデカいです。
あと、2010年完成だそうなので、
上野の森のときは未完成でところどころ
色が塗ってないところがありました。
あらわれた憎っくき会田誠はひどくシャイそうで、
うつむき加減で、「おいおい、コイツだいじょぶか?」という感じでしたが、
話しはじめるとやはりグダグダで、
やっぱりだいじょぶじゃなかった印象があります。
とにかくイメージ通りのダメなヤツでした。
具体的な内容は…ほとんど忘れました。
ただ「滝の絵」に関して…
「まともじゃないですね…」みたいなことを開口一番にいっていた気がします。
(↑ただ、このセリフが正確かどうか自信はない)
あと「南アルプス天然水のCM、あれのイメージです」
といってました。(↑これは確実です)
あと…なにいってたかな…忘れました。
カーゴパンツにTシャツっていういかにもガテン系なカッコしてました。
これは対する山口晃先生がハンサムでおしゃれで
講演もうまくて、サービス精神旺盛なのに比べると…
(お侍となにかの人物がスケートをしている絵を即興で描いてくれた)
好対照を示しておりました。
□□□□□□□□
はい。
というようなわけで、ようやく西暦2013年がやってまいりました。
以下、まじめな批評をちょっとだけ書きます。
あー…「憎っくき」とかもちろんウソです。
大好きです。
ダメなところとかも大好きです。
あ、アヤちゃん(仮名)エピソードはホントです…………
会田誠ってのは
「あえてメジャーであることを選んでしまった」
そんな画家なんじゃなかろうか。
だから↓
このふざけた
「わだばバルチュスになる」
は、実はホンキの宣言のような気がしてならないわけです。
会田誠がバルテュスに関して、
「スイスの山奥で、13,14歳の美少女がモデルに毎日通ってくるなんて生活、超うらやましいっす」みたいなことをいってたのを読んだのは、あれはどこだろう?
「芸術新潮」のような記憶があるので、
いろいろ手持ちの雑誌類をひっくり返してみたのだが、見当たらなかった。
あるいは2007年の上野の森美術館で
直接彼の口から聞いたのかもしれない。
バルテュス…表面上の見かけから彼に対して
「耽美」とか「退廃」「デカダンス」なんてレッテルを貼りたがる人がいるが、
このポーランド貴族の末裔の中心、根っこにあるのは
そんなことじゃない。
彼の根っこはあくまで…
「ピエロ・デッラ・フランチェスカ直系のクラシックな画家である」
ここである。
ロリータがどうこういうのは、それは見かけにすぎない。
それは有名な「テレーズ」(1938)を一目見ればわかることだろう。
彼は確かにロリコンなのだろうが、
露わになった少女の両脚は、椅子や背後のテーブル、スカートの襞と
同価である。だいじなのは「ピエロ直系の冷たいヨーロッパ美術の目」
――ここである。
はいはい。会田誠のはなしでした。
上野の森ではまだ未完成だった「滝の絵」が
この展覧会では完成していた。
完成していて一番驚いたのは…
額に刻まれた
「奉納」
…このコトバである。
「わだばバルチュスになる」
にしろ、この
「奉納」
にしろ…
たぶんジョークとして受け取るのが一番クールなやり方なのだろう。
だが、あえてカッコ悪く生真面目にホットに僕は受け取ることにする。
会田誠は本気なのだ、と。
日本美術の王道を彼は歩む気なのだ、と。
「メジャーであること」――…
20世紀のはじめ、
バルテュスの時代からしてすでにそうだったのだが、
21世紀でこんなことを考えるのは、それだけで狂気に近い。
なんつっても、サブカルがかっこよく、
サブカル的なテーマ、モチーフがかっこよい…
そういうことになっているんだな。
「本気で王道を歩む」
というと、
「王道ってなによ?」
「そんなもん、とっくの昔に消えてるぜ」
こういう反応が返ってくることになっている。
「クラシックであること」
この行為自体が帝国主義的だのファシズムだのと安易に結び付けられ
弾劾される世の中なんだね、いやいや、この国だけじゃなくって、
どこへ行ったところでそうなんだろうなぁ。
「わだばバルチュスになる」
この棟方志功のパロディ&落書きじみた美少女の絵でしか本音を語れない事。
「奉納」…ま、実際に見ていただきたいんですが…
ふざけたフォントでしか書けない本音…
こういうことを書くと…
「つまりあれだな、ロリータとか、オタクとか、サブカル的なモチーフというのは彼の仮の姿であって、ただのエサにすぎないのだな」
「おまえのいいたいことはつまり…全部会田誠の戦略ってこと?」
ということになるんだろうが、そういうことでも、また、ない。
バルテュスが本気の本気で
10~14歳の女の子が一番美しいとおもっていたように、また、
会田誠その人も
おのれが「ロリータとか、オタクとか、サブカル的なモチーフ」
これしか描けないという、妙な哀しみを…
…つまりクラシックな技法と方法論を徹底的に学び取りながら、
そこから逸脱したテーマにしか共感を抱けないという矛盾を抱え込んでいる。
たぶん…
この「哀しみ」「矛盾」を感じとりに行くのが
彼に対して一番礼儀正しいやり方なんじゃなかろうか…
…などと僕は思うわけです。
↓はい。こんなカタログでした。
会期は3月31日(日)まで。
これはあなた、見とくべきでしょう。