ここ最近のわたくしの読書のテーマは…
『「全日記小津安二郎」を解読する』
ということになっております。
ようするに昭和はじめ頃…戦前の日本を扱った本ばっか読んでます。
「全日記小津安二郎」に
「フレーデルマウス」
…という銀座の飲み屋だかバーだかが
よくでてくる。
ちょっと前、小津安二郎は水久保澄子に惚れてたんじゃねえの?
という推測を繰り広げた際、引用したところだが…
一九三四年五月三十日(水)
会社に行かず 八時筈見と帝劇に会ふ 水久保澄子と会ふ
フレーデルマウスにて一問一答 のちルパン
(フィルムアート社「全日記小津安二郎」82ページより)
この他、山中貞雄だったり江川ウレオあたりだったりと
一緒にこの「フレーデルマウス」に飲みに行っている。
さあ、そこで…
「フレーデルマウス」というのは一体どういう場所であったのか?
それが知りたくてロバート・ワイマント著「ゾルゲ 引き裂かれたスパイ」
文庫本で上下巻読んでみました。
…ま、ゾルゲその人にも興味はあったわけだが。
これはとてもおもしろかった。
オープニングがこんな。
昭和十三年(一九三八年)五月十三日(金)の午前三時近く、東京の中心街虎の門一帯を包む静寂は、雷鳴のような轟音に打ち破られた。一台の大型オートバイが、南満州鉄道ビルの角を曲り駐日アメリカ大使館へ向かう道路を、唸りをあげて疾走してきたのだ。突き当りは高台になっており、そこで道路は左右に分かれている。エンジン音をいっそう高め、オートバイはまっ暗な小道を左へ折れた。小道は大使館南側の石垣に沿って急坂をなしていた。
(新潮文庫「ゾルゲ 引き裂かれたスパイ」上巻11ページより)
うーん…好きですね、この雰囲気。
着々と大陸進出をすすめつつある大日本帝国の中心地で
ナチス党員リヒャルト・ゾルゲ(じつはボルシェビキのスパイ)が、
でかいバイクで疾走している。
BMWの750ccかな、それともアメリカ製かな…とか色々想像させます。
なんかSFっぽい雰囲気すら漂わせます。
えーこの本に何か所か「フレーデルマウス」が登場します。
ゾルゲは才気煥発な座談家であり、胸のすく毒舌家だった。こういう人間は、この種のパーティでは人気者となる。祖国を離れたドイツ人の間で、彼は、変わり者、大酒飲み、女に目がない好き者として知られていた。また銀座の歓楽街の常連でもあった。その一つにフロリダ・ダンスホールがある。そこで、粋な夜会服を着た女の子とタンゴを踊った。さらに、シルバー・スリッパ―、ラインゴールド、フリーダーマウスといったバーにもよく顔を出した。大酒飲みは、ジャーナリストの習性である。だが、ゾルゲの場合は度を越していた。
(同書136ページより)
この「フリーダーマウス」ってのが、そうでしょう。
「ラインゴールド」はドイツ語読みだと「ラインゴルト」かな?
スパイ・ゾルゲがナチの将校だのと一緒にガァガァ騒ぎまくってるその姿を…
若き小津安二郎青年は、不良仲間の江川ウレオあたりと一緒に
ドイツビールのジョッキ片手に見たことがあるかもしれません。
ゾルゲと小っちゃん…
お互いにぎこちない英語で会話をしたことだってあるかもしれぬ。
そう考えるとなんかゾクゾクしてくるな。
さて、ゾルゲは、同僚のソ連の女スパイをこの「フレーデルマウス」に
案内したことがあったようです。
彼女はこれにひどく憤慨した。こんなドイツ風の最低のパブは、レディを招待する場所ではない。だがゾルゲは、そんな文句は気にもしなかった。
(同書152ページより)
「ドイツ風の最低のパブ」…
これに関しては「ラインゴールド」の詳しい描写があるので
それを参考にしてみたいところ…
ラインゴールドの持ち味は、気のおけない(ゲミュートリヒカイト)ことだった。そこにいると、何千マイルも離れた日本とドイツが、たちまち一つの音と香りの中に溶け合ってしまう。そして店内には、客を迎えるやり手の主人の快活な声が響き渡る。この店は、ハンブルクやブレーメンの居酒屋仕立てとなっていたが、大きく異なっているのは、ここには日本人ウェイトレスがいたことだ。彼女たちはディアンドルやピナフォアドレスに身を包み、祖国を遠く離れた男たちを、笑顔をあやしげな発音の片言ドイツ語で慰めた。
(同書172~173ページより)
どうやら「フレーデルマウス」は、
この「ラインゴールド」よりさらにレベルの低い店だったらしい。
レストラン兼バーのラインゴールドには、かなりいかがわしい店ではあるが、ライバル店があった。フリーダーマウスという狭くて陰気なドイツ風バーで、ゾルゲはときどきそこへ顔を出した。彼の友人の記者フリードリッヒ・シーブルクは、ゾルゲに付き合ってそこへ行ったことがあるが、あまりよい印象は受けなかった。
(トマス注:以下シーブルクの証言)
そこには、日本らしさのかけらもなかった。ただ、下層階級の出と思われる日本人ウェイトレスが一人か二人いて、客が来ると横に坐り、腕を首にまわして下品に笑いかけるのだった。
(同書224~225ページより)
もう、さんざんです。
「かなりいかがわしい」「狭くて陰気」「あまりよい印象は受けなかった」
「下品に笑いかけるのだった」…
こんなひどい場所に愛しの澄子たんを連れていったのだな、小っちゃん。
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いやいや…「フレーデルマウス」関連しか紹介しませんでしたが、
おもしろい本でした。
ゾルゲだの戦前の日本だのに関心なくても、
ふつーにサスペンスものとして楽しめるかもしれないです。