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亀城公園 つづき

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亀城公園に桜を見に行ったと書いて

それきりだったのでつづきを書きます。


今月はじめにカメのことを書いたときの繰り返しになりますが、

茨城県土浦市にある公園です。


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わたくし……


なんか亀城公園というところにははじめて来たような気がしていたんだが…


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この空っぽの檻(?)をみて、

パァーーッと記憶がよみがえってきた。

↓↓


幼稚園生の頃、ひいお祖母さんに連れられて

ここにはなんどか来たことがある。


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今は空っぽだけど、昔はここにたしか…タヌキがいたはず。

で、近くにおでん屋の屋台が出ていて、

そのおでんを買って、祖母ちゃんと一緒にタヌキにあげた。


けっこうみんなにおでんをもらっているらしく、

おデブなたぬきだった記憶が何となくある。


その頃はたしか近くに弓道場があったような気がする。

が公園内に今は弓道場はない。


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僕は今のところ、幸いなことに

風邪ひとつひかない健康な人間なんであるが、

幼稚園の頃は体が弱く、一年の半分いじょう

病気でうちで寝っころがっているような子どもでした。


で、きまって通う病院が土浦のK病院。

今でこそ、僕の住んでいる牛久というところは

発展してそこそこ便利な街になってはおりますが、


僕が幼稚園の頃はそうでもなく、空っぽの街でして、

買物にしろなんにしろ、となりの土浦へ行くというのが

日常であったわけで、病院でもやっぱりとなり町へ

行かないとならなかったわけです。


んで…


僕の母親としては、子供を病院に連れていくのに

うまいことひい祖母ちゃんを利用していたような感があります。

(母からみれば祖母です)


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つまり、診察券をあらかじめひい祖母ちゃんにあずけておいて

朝早く、K病院の受付にいってもらう。

(K病院は今もそうなんですが混雑します)


その後で悠々と隣町から白いスカイラインに乗ってやってきて

(この人は学生の頃からスカイライン乗りなんですな)

待ち時間なしで息子を診察してもらう。

そのあと、その病気の息子をひい祖母ちゃんに預けて

自分は買物するなり、習い事するなり、

友達と会ったりするなり、

ま、息抜きをして、

夕方に息子を回収して家に帰る、と。

そんなことをやっていたわけです。


しかし、ひい祖母ちゃんにしてみても

かわいい、ものすごくかわいい、おっそろしくかわいい

とんでもなくかわいいひ孫と遊べるわけですから、

まあ、双方利益がある取引であったといえるでしょう。

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ぼくの曾祖母、ひい祖母ちゃんという人は、

海軍の軍人の未亡人です。


海軍の軍人であった曾祖父は、

海軍の航空隊の草創期の頃からの飛行機乗りであったらしく、


元海軍のパイロットで、直木賞作家の豊田穣って人がいるんですが、

(あまり大した作家ではない気がする)

その人の本の中で僕の曾祖父がぽつりと出てきたのを見たことがあります。

が、あんまり詳しいことはよく知りません。

調べてみたい調べてみたいとおもっていながら、

なんか今のところそれきりになっている感じです。


昭和二十年七月二十八日戦死。


ひとり残された曾祖母ですが、

母に言わせると、けっこうな額の恩給が出て

悠々自適だ、とかいうことになるわけですが、


戦後社会をひとりで生きてきたというのは

相当の苦労もあっただろうとおもいます。

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そんなひい祖母ちゃんですが、

もう十数年前に亡くなり、


霞ヶ浦の湖畔のお寺で、曾祖父と一緒に眠っています。



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うー、いちおう花見に来たんですが

たぬきの檻なんかみたせいで、

しんみりしてしまった。


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↑公園内にあった石碑。


「忠魂」「陸軍大臣山梨半造」

とあります。


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「大正十一年五月建之」


年代からみるに……

シベリア出兵関連の石碑?

でしょうか?


ひい祖母ちゃんに聞けば由来とかわかったと思うんですが、

とてもそれはかないません。


まあ聞いたところで

「はぁ、陸軍のことはバァちゃん、わがんねえなぁー」

とイバラキ弁で言われたかもしれないわけですが。



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どっちにしろ、

なんかいわくありげな気合の入った石碑なんだが、

「解説」もなにもなく、由来がさっぱりわからない。


あのたぬきの檻にしたところで、

今の子供たちがみればなんのための檻だかわからないことでしょう。

弓道場があったことだって、同じ。


「記憶」にしたところで同じ。

ひい祖母ちゃんの記憶。ひい祖母ちゃんから聞いたひい祖父さんのはなし。

つまり九州の鹿屋で戦死した飛行機乗りのはなし。


なんか突然強引に結論に持っていってしまうと、


こういう「忘却」「エントロピーの増大」ってやつに

精いっぱい抵抗するのが、もの書きとしての使命なんじゃなかろうか、

とそんなことになります。


まあ、そんな四月です。


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