池袋、
自由学園明日館つづき。
ちなみに「明日館」は「みょうにちかん」と呼ぶ。
たぶんキリスト教系の学校だからだろうとおもいます。
「関西学院大学」の「かんせい」…のように、
キリスト教系はいわゆる「坊主読み」というのを嫌います。
んで、「みょうにち」…だとおもう。
辞書はみていないんで推測ですが。
え。さて食堂。
その1でご紹介したホールが南向き。
で、こっちは北向きの部屋になります。
なので昼間でも若干暗い。
んで、この食堂には悪名高い「箱」があります。
上下の写真…ちとわかりづらいかともおもうんですが、
部屋のコーナー、四隅にヘンな箱型の構造物がくっついてる。
わかりますかね。何の役にも立たない箱が
天井からぶら下がっているような構造になっている。
この意味不明な箱を根拠に、口悪い人は……
「あ。自由学園っすか? ヘヘヘ。あれはライトの作品じゃないっす。(助手の)遠藤新の作品でしょ。(知らないんですか、お可哀そうに)」
などというのだが、そういうヤツは安藤忠雄がどうたらこうたら言うくせに
ルイス・バラガンがどうたらこうたら言うくせに
この自由学園はみていない。
ほぼ100パー実物を見ていない。
いや、僕だって、この箱はあるいは
遠藤先生のミスかな、ともおもうんだが…
んだが、僕はやっぱし、ライト本人のこの作品への思い入れの深さを買いたい。
TASCHENのFrank Lloyd Wright …という気軽な写真集があるが、
そこにライトの文章が引用されているんで、
それをちと孫引きすることにする。
まあ、なんつーかフランク・ロイド・ライトなる建築家の
妙に元気な、ハイな、躁病的な性格が出ているんで、
原文を書いておきます。
あと適当に翻訳しておきます。
Dear Madame Honor Hani was an inspiration to us all!
With Endo San I was building in Tokyo the little School of the Free Spirit
for the Hanis while we were building the Imperial Hotel for the Mikado.
親愛なるマダム羽仁は我々全員のインスピレーションの源であった。
ミカドのための帝国ホテルを建造すると同時に、われわれは遠藤サンと一緒に羽仁夫妻のための小さな学校、自由学園を建造したのである。
(↓えー照明のディテール。凝ってます。おっそろしく凝ってます)
ようするに、ライト本人の中では
「ミカドのための帝国ホテル」
「羽仁夫妻のための小さな学校」
これがどうも対になっていたようなのである。
まあ、なんというか自身も小説のような生涯を送ったライトである。
(奥さん、子供を殺されて、家も焼かれて…みたいな凄まじい体験もしている)
愛する大日本帝国の首都に、(彼は日本建築、浮世絵の大ファンだった)
贅沢な権威の象徴のような大ホテルを建造すると同時に、
Free Spirit なる名前のローコストの小さな学校を建造する。
こういう物語じみたことを
おもしろがっていたのではあるまいか。
え、さて食堂から
南にむかって、階段を上ると、
2階ギャラリーへ。
ここから中央棟ホールを見下ろすことができます。
修復前は、ここ、入れなくて、
謎の…なんか闇にみちた空間だった。
ホールから上を見上げるとなにやら薄暗い妙な空間がある……
はっきりいって不気味だったのを覚えてます。
ほんとなんか怖かったんだよ。ホールがやけに明るいだけに。
それが…今、
階段をあがるだけで簡単に見学できる。
こんな、
ライトデザインの照明器具が飾られていたり、
「ライト図書室」なる
学級文庫みたいのがあったり、
まー、あの謎の空間があっけらかんとした空間に生まれ変わっている。
この謎の空間を見ることが出来てうれしがっている自分もいるけれど、
それをちょっと残念がっている自分もいたりする。
食堂を出ます。
教室をつなぐ廊下は、石で出来ています。
んで、例のペラペラのドアを通って、
再び外へ。
その3につづく。