どうも。
アメフト…NFL…
ブロンコスが、ペイトン・マニングが調子よく勝ち続けてるのは
めでたい限りなんだが……
「プロボウル」というオールスター戦と
二月第一日曜の「スーパーボウル」
(ブロンコス対シーホークス、ま、下馬評通りですか)
残り二試合になってしまった。
さみしい……
なんかアメフトの試合って
古き良き西部劇を思い起こさせる、のだな。
ジョン・フォードとかハワード・ホークスとか、の映画。
正義の味方と、いやらしい悪役がいて、
相手の弱点をとことん攻めまくる。
おっそろしく知的でありながら肉体要素も強い。
クールなヤツ、おバカキャラ、生真面目君、等々キャラもいろいろあって、
残り試合時間ゼロ秒での逆転なんてのがざらにあったりする。
(試合終了と同時にFG決めて逆転ってのは珍しくない)
アメフトみちゃうと、サッカーってのは
原始人が生首蹴り合って遊んでいるようにしかもはや見えん。
野球はあまりにもダラダラしすぎです。
いやはや
毎晩毎晩アメフトの試合がみれたあの頃が、
はやくも懐かしい。
なわけで……
そういや、マルクス兄弟の映画でアメフトを扱った作品があった、な、
と思い出して、早速みることにしたのです。
邦題「御冗談でショ ~華麗なるドタバタ~」
原題 HORSE FEATHERS
horse(馬)+ feather(鳥の羽)
ということで「ナンセンス」とかそういう意味らしい。
ま。忠実な邦題というべきか?
以前にも何度かみていたが、
アメフトがどんなものか知ってからみると、また違った味わいがあった。
マルクス兄弟に関しては、↑のボックスに入った三作品しかみてないもんで、
大きなことは言えないんだが、
大まかに言ってしまうと
世間一般で生真面目なテーマ…
NHKのニュースなんぞでとりあげられるべき(と世間一般で思いこんでいる)テーマを
肉体動作に還元してひっくり返す。
これが基本パターンのようです。
「我輩はカモである」では政治、そして戦争
「けだもの組合」では美術、それから上流階級の生活、
を見事にナンセンスにまで還元してみせてくれる――
とかいうと、全然伝わらない気がするなぁ…
とにかく見ていただくより他ないな。
「御冗談でショ」では
アメフトのカッコイイ部分はまるで扱われない。
ダークサイドの部分のみが扱われる。
「カネ」「女」「暴力」「権力」
それから「大学の宣伝のため」という大人の事情ばかりが描かれます。
ハクスレイ大学対ダーウィン大学
この試合が中心になるわけだが、
物語の終盤は、ハクスレイ大学長のグルーチョが、
チコ、ハーポに敵ダーウィン大のキープレイヤー二人を誘拐しろ、と指示を出す。
そこからはじまるんですけど…
(そこで「未来世紀ブラジル」で、天井がのこぎりで円型に切り抜かれて、悪者が侵入してくる、というアレの元ネタが登場したりする)
これね。つい数年前のNFLのスキャンダル……
ニューオーリンズ・セインツというチームが
敵チームの選手を負傷させた選手に報奨金を出していた、っていうことなんか考えると……なんかおもしろかったり、怖かったりする。
えー…さいごに
山口昌男先生がマルクス兄弟について、なんか書いてたな、
と思っていろいろみてみたんだが、断片しか見つからなかった。
なんかまとまった論考はなかったっけ?
どなたかご存知でしたら教えてください。
講談社学術文庫「仕掛けとしての文化」404ページより
『マルクス兄弟のおかしな世界』の書評がのっているが、
これはたった三ページ。
あとはクロード・レヴィ・ストロース御大との対談しかみつからなかった。
山口:ところで、作品の内外のグルーチョ・マルクスは本当によい言語学者であるとは思いませんか。
レヴィ・ストロース:そうです、尊敬おくあたわざる言語学者です。
山口:それにある種の哲学者です。
レヴィ・ストロース:言語のね、そう、言語のです。
(岩波書店「二十世紀の知的冒険」87~88ページより)
たぶん、ウディ・アレンが引用してた(「アニー・ホール」だっけ?)
「わたしを加入させるようなクラブに、わたしは加入したくない」
とかそういうのをいってるんだろ。
ちなみにグルーチョは、
「グラウチョ」と発音するのが正しいらしい。
以上、わき道にそれてばかりの感想でございました。