これといってなんということもないが、
意外とファンが多い作品。
(という気がします??)
――というか小津ファンならみんなこの作品は好きな気がします。
よね?
感想書いていきます。
あ。はじめに書いておきますと、
「晩春」「麦秋」みたいなすさまじい「暗号」は出てきません。
あ。ちょっとは出てくるかな。
□□□□□□□□
①木暮美千代
戦前、検閲でボツになったシナリオ「お茶漬けの味」
そいつを何が何でも作品化したかった、その執念をみるより、
たんに木暮美千代が撮りたかったのだ、と考える方がおもしろい。
(クロサワの「酔いどれ天使」もそんな感じ)
前作「麦秋」のクレーン撮影で
ミゾグチごっこをしてみたらけっこう楽しかったので、
じゃ、こんどの溝さんごっこは木暮美千代。
となったのではあるまいか。(と、勝手なことを……)
んだが、小津―木暮の関係は最悪であったらしい。
ひとの悪口めいたことは一切いわない小津安っさん、ですので、
直接の事情は伝わってきませんが、
カメラマンの厚田さん……
で、『お茶漬けの味』は女優が木暮美千代、木暮が小津さんに出たのは、後にも先にもこれっきりでしょう。いまだからいえるけど、これは撮影中にいろいろあったんです。スキャンダルめいたことはいいたくありませんけど、小津さんに内緒で所長試写というかたちでラッシュをみてたんです。木暮美千代が、自分がどんなふうに写ってるか、山本(トマス注:プロデューサー)と渋谷組のキャメラ助手とで見てたっていうんです。ぼくは、大変無礼なことだと思いましたね。で、木暮は自分のアップが少ないから不満だっていってるんだってことがあとでぼくの耳に入ったんです。
(筑摩書房「小津安二郎物語」170ページより)
他の監督ならいざ知らず……
俳優の一挙手一投足、まばたきひとつまで指示する小津安二郎相手に
これは、やっちゃいけない……
「反射してください」「反射してますか」の溝口相手では相性がよくて、
数々の名作を作り上げた木暮美千代も、
小津相手ではどうも逆鱗に触れたようです。
ん――……でも、いい。
木暮美千代。
とくにラストのお茶漬け作るあたりの大人な雰囲気は、もう、
木暮美千代以外誰がいるの?
という感じ。
津島恵子もかわいい。
この、
シンプルなセーター姿が一番かわいい気がする。
淡島千景も登場。
でも……この人。
「有閑マダム」みたいな役柄、どうなんでしょう?
似合ってない気が。
個人的に、
「早春」の疲れ切った主婦役が印象に残っているせいか?
「麦秋」の素直なアヤちゃんとのギャップが大きすぎるせいか??
↓↓ウルグアイに行っちゃった佐分利信の机で――
(直後、飛行機のエンジントラブルで帰ってくるのだが)
こんなシーンがあるから、
「麦秋」、間宮家2階の謎のテーブル、
あれは間宮省二の使っていたものなんじゃないか?
とかおもいたくなるのであった。
↑電気スタンドはおなじみ
「戸田家」の戸田昌二郎仕様モデルに似ている。
サイズがデカいか。
②暗号「○」と「6」
「麦秋」につづいて「○」の映画です。
(パチンコ、野球、競輪…ぜんぶ○)
しかし……
「麦秋」のあの運動、躍動感は、ない。
あと……冒頭、なぜか「6」が強調されるのだが……
正直、なんだかわかりません。
というか、
たぶん意味はない、気がします。
えーいつもならシナリオひっぱりだしてきて、
「6」探すんですが、
僕の持っている「小津安二郎作品集Ⅰ~Ⅳ」には
ざんねんながら「お茶漬けの味」入っていませんので、
すみません。
えーダジャレ好きの小津安っさんですから……
木暮美千代にあんまり頭にきたので、
ムカついちゃったので、
もうイヤになってしまったので、
大嫌いなので、
で、
「六つかしい……」
「むつかしい……」なるダジャレだったのか?
とか考えたくなりますが。
あんがい、当ってたりして。
おなじみ(?)カロリー軒と
「甘辛人生教室 パチンコ」
これが「○」が「6」つ。
んだが、特に6人の人物がなにかをするわけでもないし。
なんでしょうね?
「○」は一貫して登場しつづけます。
↓右端、マネキンのおっぱい。
↓真珠のネックレス。○だらけ。
↓この○の照明は……
「麦秋」の銀座のカフェに酷似。
しかしあのときも「おっぱい」=「○」使ってたし。
新鮮味がない。
次、佐竹家。
↓ラジオはなんかおしゃれで、「舶来品」っぽい気がする。
英国製、とか?
ラジオ、もちろん「○」
室内インテリアは、曾宮家、間宮家、の豪華バージョンといったところ。
けど間取りは案外似ています。
もちろん「お茶漬け」の佐竹家には女中さんたちのスペースも付属するわけですが。
えー……平面図は書く気になれません。
パチンコ屋の店主は笠智衆。
パチンコの流行について、
「こんなものが流行っている間は世の中は良くならない」
といいます。
これも、「○」の一種でしょうねー
「麦秋」
勇ちゃんの「大好き」「大嫌い」
専務の、小切手をわたしながら「不渡りでも知らないよ」
を、思い出しましょう。
ああ、もちろん、パチンコ玉は「○」です。
「競輪」も「○」
鶴田浩二が、パチンコの玉が自転車に乗って……みたいな表現をします。
二重に「○」
しかし、「東京画」のヴェンダースは、
なんであんなにパチンコ屋さんが気に入ったのか?
というかもともと「お茶漬けの味」ファンだったのか?
津島恵子がグル―ッと「○」を描きます。
③真の暗号「敗者の物語」そして「うずまき」
えーここからちょいと小難しいことを書きます。
ですが、ここが「お茶漬けの味」の最大のポイントのような気がします。
田中眞澄という人が「小津安二郎周游」という本を書いていて
(以下……気づかれるだろうとおもうのですが、僕の田中眞澄評価は高くないです。むしろ低いです)
で、その中で「お茶漬けの味」の封切りの年1952年が
サンフランシスコ講和条約発効の年であることに注目しています。
前にも指摘しておいたが、ひとたび書き上げたシナリオに対する小津の執着は非常に強い。『お茶漬けの味』のシナリオも、それが優れた出来栄えであったればこそ、諦め切れなかったものか。彼に怨念という言葉は似つかわしくない気もするが、戦時体制下に映画法の検閲で葬り去られた企画を、戦争・敗戦・占領と連続した非常態の日々をあたため抜いて、その終結の日を待っていたかのように宿望を果たして溜飲を下げたとさえ、傍目には見えるのである。
十二年の歳月は何としても短いものではない。その執念は、封建時代の仇討選手ならば強いられた美談になるのかもしれない。だが、『お茶漬けの味』の場合には、小津の並外れた愛着、執拗さ、持続のエネルギーに驚くばかりである。そしてその復活、実現が、日本の国家主権の回復、常態への復帰と軌を一にするところに、歴史に於ける彼の運命的な位置、役割があった。それを彼の才能と言い換えてみたい誘惑に、敢えて囚われたくもなるのである。
(岩波現代文庫「小津安二郎周游」下巻146~147ページより)
↑長々引用しましたが……
だいたい当ってる、とおもいます。
あくまでリベンジしたかった小津安二郎。
そして日本独立の1952年にそれをやった小津安二郎。
ただ、田中眞澄という人の悪い癖は、
当時の小津安二郎の周囲のデータを集めるのに熱心なのに……
小津作品そのものをみないという点で――
(「小津安二郎周游」全体がそんな本です)
すこぶる具体的でない。
なので、僕がかわりにやってみますが、
空港のシーン。
手前側が、「麦秋」でおなじみ――
ボーイング377ストラトクルーザー。
B29の旅客機バージョンです。
尾翼に「ストラトクリッパー」と書いてあるので
ボーイング307か? と勘違いする人もいるでしょうが、
この尾翼はどうみても B29。
このストラトクルーザーで、佐分利信はウルグアイに出張に行くわけ。
だが、問題はもうひとつあって……
奥にあるのが……
B17爆撃機。(なぜ羽田にいる??)
「メンフィス・ベル」とかご覧になった方ならおわかりでしょう。
独逸全土を焼き払った爆撃機です。
つまり
日本を焼き払ったB29
独逸を焼き払ったB17
まー敵国の人間とはいえ、
これらの飛行機が
どれだけの民間人を傷つけたことか。
この勝者の象徴を――
はっきりいってネガティブなシンボルを空港のシーンに配置したわけ。
ここまでみないと……
「小津作品」そのものをみないと、
小津安っさんの意図というのは伝わってこない。
それと田中さんへの悪口ついでにかきますと……
1940年のシナリオは本来「彼氏南京へ行く」という題であった。中国と国交が絶たれた戦後に、その題は意味を持たない。……(中略)……小津と野田が考えた行き先は地球の反対側のウルグァイだったが、遠隔の地という以上の必然性を持たず、また「彼氏ウルグァイに行く」では、40年の南京のような一般性がなく、映画の題名にはなりそうにない。やはり次善の案だったはずの「お茶漬けの味」で行くしかなかったのだろう。
(同書145ページより)
でたーーっ!!
「遠隔の地という以上の必然性を持たず」
きた――っ!!
……今まで当ブログをご覧の方ならお気づきでしょう。
ウルグアイという地名、地球の反対側を出してきた、というのが、
「地球」=「○」
という壮大な「○」の提示だということに……
必然性はあるんです。
ものすごくあるんです。
えー実は、
「○」だけじゃないんです。
というのは……
佐分利信が口にするのがただの「ウルグアイ」ではないことに注目。
「ウルグアイ、モンテビデオ」
というのです。
モンテビデオというと――
……
海軍マニア、歴史マニアは
一瞬でおわかりかとおもうのですが……
――1939年12月17日
独逸海軍のポケット戦艦
「アトミラル・グラーフ・シュペー」が自爆、沈没した場所。
田中眞澄さん、
小津安二郎&野田高梧コンビを甘くみてたね……
佐竹茂吉(佐分利信)という敗けた軍隊の元下士官が、
B29という屈辱的な飛行機に乗って、
で、独逸海軍の軍艦が沈む港におもむく。
そんな「敗者の物語」が裏には隠されているんです。
えー「グラーフ・シュペー」に関しては
「戦艦シュペー号の最後」(1956)という映画があります。
だいたいのあらましを書きますと、
1939年12月13日
独逸戦艦「グラーフ・シュペー」と英国の巡洋艦艦隊とのあいだに
「ラプラタ川冲海戦」なるものが起きます。
これで損傷した「グラーフ・シュペー」は、
中立国ウルグアイのモンテビデオに逃げ込む。
ここからドイツとイギリスの外交合戦になりまして、
けっきょくウルグアイ側は
「シュペー」のラングスドルフ艦長に72時間の停泊を許可することになる。
つまりイギリスの外交が勝って、
「3日経ったら出て行け」ということです。
「グラーフ・シュペー」は3日間の間に戦死者の葬儀、艦の修理をすませて
出港。
ですが、港の外に待ち受ける艦隊との戦いを避けて自沈。
(乗組員はあらかじめ避難しています)
ラングスドルフ艦長はその後、自殺します。
↑↓カラー画像4枚、「戦艦シュペー号の最後」より。
ラングスドルフ艦長(ピーター・フィンチ)↓
いわゆる「ナチの軍人」ではなくて
ひとりの苦悩する人間として描かれています。
自沈を選んだことで、乗組員の命を救ったわけです。
まー、そんなに大した映画ではないですけど。
英国軍艦は、第二次大戦当時のモノが登場しますんで、
歴史資料価値は高い、かと。
↓えー、戦艦シュペーが港にいた3日間。
どうやらラジオで世界中に中継されたらしいので、
当然、新聞その他も含めて、
小津安っさんも知っていたはず。読んだり聞いたりしたはず。
とうぜん、独逸人、ヴェンダースは
「モンテビデオ」→「戦艦シュペー」
と、連想するでしょう。
とうぜん、田中なんとかは気づきもしなかった
B17爆撃機に気づくだろうし。
「東京画」であれほど熱心にパチンコを撮った彼には、
小津安っさんのメッセージが伝わっていたはず、です。
敗者同志にしか伝わらない、暗号が。
……………………
えー……
あともうひとつ暗号が。
うずまきです。
ラストの「うずまき」が気になる。
これ、なんですが、ね。
↓↓「雷紋」というやつなんですが、
クラシック建築によくつかわれるモチーフなんですが、
この「うずまき」――
……これが次回作「東京物語」を支配する図形、運動、なわけです。
(頻出する蚊取り線香をおもいだしてください)
もう、完全に小津安っさんの意識は「東京物語」に行っちゃってたのでしょう。
えー、あともう1回、「お茶漬け」の感想を書いて、それから
『「東京物語」のすべて』を書く予定でおります。
暇がありましたら、読んでくださいませ。