えー……
①「若き日」はぐるぐる映画である。
という考察のつづき。
斎藤達雄のお財布ぐるぐる
これは小津の全作品を通じてあらわれる
「おカネがない」テーマの嚆矢ではあるまいか?
ということですが……
そうそう。
「風の中の牝雞」(1948)を忘れてました。
「おカネがない」田中絹代が身体を売ってしまうはなし。
小津安二郎最大の失敗作は
最強の「おカネがない」作品でもあった、わけで……
小津安っさんがおもしろいのは……
というか、
完全狂っているのは……
次回作の「晩春」(1949)では
「おカネがない」テーマを全部消してしまっているところです。
笠智衆だろうが、原節子だろうが、杉村春子だろうが……
作品中のどの人物も「おカネがない」とはおもっていない。
ほんと、至福の作品です。
至福状態を描いてしまった小津安っさんが
次にやったのは「麦秋」(1951)
S135の紀子のセリフ――
「それに、あたしのんきなのかしら、お金のないことだって、人が言うほど苦労にはならないと思うの。平気なのよ」
つまり、間宮紀子の結婚は
「おカネがある」から
「おカネがない」への状態の移行として描かれる、わけです。
で。ご存じのように
「東京物語」は 皆が皆、「おカネがない」状態の人たち。
ま。「貧乏」というのではないですが、
なにをするにしても金勘定が先に立つ、
ごく当たり前の庶民たちです。
もとい、
「若き日」(1929)に戻りますと――
窓の外をながめる結城一郎&斎藤達雄……
「山は雪だな」とかいってます。
二人ともいい表情だな。
風車がぐるぐる……
外は風が吹いてます。
という描写ですが。
これは「ぐるぐる」である。
というのが小津マニアの見方。
通風塔(?) とでもいうのか?
風力で動く換気装置ですな。
これもぐるぐる。
そして絶頂期小津作品の「ぐるぐる」を
思い出しておくのも礼儀でしょう。
これは「麦秋」(1951)のぐるぐる……↓↓
通風塔は いろんな作品に登場しますけど。
「秋刀魚の味」(1962)が印象深い。
S88
路子(万感をこめて)「お父さん……」
平山(路子の手を持添えて)「アア、わかってる……しっかりおやり……」
路子、黙って、頷く。
娘の岩下志摩を送り出す
笠智衆の背後に……
例の「ぐるぐる」が。↓↓(ちとわかりにくいですが)
現存最古の作品と 小津安二郎ラストの作品の さいごのさいごのシーンが
通じ合っているという――
なんともいえん……すさまじさ。おそろしさ。
(ついでにいや、「若き日」にも笠智衆はチョイ役で出演してます)
はい。何度も何度も脱線しまして。
「若き日」に戻ります。
結城一郎がヒロインの部屋に行きますが、
ヒロインは留守。
教科書を「ぐるぐる」します。
斎藤達雄が例の「ぐるぐる」していた財布をなくしまして。
で電車から降ろされてしまいます。
その時のブレーキが↓↓
「ぐるぐる」
ブラタモリとかに出てきそうな装置。
斎藤達雄が財布をなくす。
結城一郎は実家からの仕送りが来ない。
「おカネがない」
というわけで、結城一郎が蓄音機を質屋においてきて
現金を獲得します。
↓「ぐるぐる」
このあたりで「質屋」=「第七天国」という……
例の、いまいちしっくりこないギャグが登場するわけです。
お金持ちのボンボン 小津安二郎には
いまいち「おカネがない」という心境が理解できなかったのではあるまいか。
まー「若き日」の「おカネがない」は
ようは「遊ぶカネがない」ってことで 切実さには欠けますから、
このつまらないギャグでいいのか??
現金獲得した二人。雪国へ汽車で向かいます。
弁当のおかずを争奪しあう二人。
これも「ぐるぐる」とみてよいでしょう。
ここなんかは「麦秋」のS16
横須賀線の車内での笠智衆・宮口精二の新聞交換のショットを
思い出させます。↓↓
どっちも移動中だな。おそろしく首尾一貫している小津安二郎。
で。雪国につきました。
またまた反時計回りのパン。
「ぐるぐる」です。
で、「パン」しながら、「ディゾルヴ」という……
初期小津にしかありえないテクニック。
ディゾルヴってのは同時にフェードイン、フェードアウトを進めることですが……
以下小津安二郎の言葉。
そうです。フェイド・インとかフェイド・アウトは演出者が考えた技法でなしに、キャメラに付属したシャッターの開閉を調節する一つの機械的の装置であって、そういうものを劇の中に持込むということは非常につまらぬという風に若い頃思ったことがあったのです。
(田中真澄編、泰流社「小津安二郎全発言(1933~1945)」236ページより)
というように、フェードイン、フェードアウトは否定してるんですな。
で、あのぶつ切りの「カット」「カット」「カット」で
シーンをつなぐ方法が確立していく、と。
で。例のかっこいい
―SMACK FRONT ONLY―
斎藤達雄のジャンパーの背中に
「殴るんなら前からにしろ(うしろから殴らないで)」
と書く。
これも「前」と「うしろ」の「ぐるぐる」と僕は解釈したいわけです。
となると、結城一郎のセーターのひっくりかえった「R」も……
return とか reverse とかいうコトバを思い出させるんですよね。
これも「ぐるぐる」だとおもうのですが、
深読みかな???
ひっくりかえって起きられなくなった斎藤達雄が
ストックを「ぐるぐる」
このストック「ぐるぐる」は何度も繰り返されます。
あきらかに意識的です。
ブスいヒロインにフラれた斎藤達雄が踊ります。
輪になって踊る。「ぐるぐる」です。
ここにブスいヒロインとうまくいきそうな結城一郎も加わるのですが、
ご存じのように、彼もフラれるわけです。
で、傷心の二人。
ですが、また女の子をひっかけるために
「二階貸間」作戦を 再実行。
「ぐるぐる」してます。
で、ラストです。
ずっと反時計回りだった「パン」が、
ラストは時計回りの「パン」です。
はい。結論。
◎「若き日」=「ぐるぐる映画」
納得していただけましたでしょうか?
いやあ。
最初みた時はヒロインのブスさにひたすらがっかりしたんですが……
これは見るたびに発見がある作品です。
①「若き日」はぐるぐる映画である。
という考察のつづき。
斎藤達雄のお財布ぐるぐる
これは小津の全作品を通じてあらわれる
「おカネがない」テーマの嚆矢ではあるまいか?
ということですが……
そうそう。
「風の中の牝雞」(1948)を忘れてました。
「おカネがない」田中絹代が身体を売ってしまうはなし。
小津安二郎最大の失敗作は
最強の「おカネがない」作品でもあった、わけで……
小津安っさんがおもしろいのは……
というか、
完全狂っているのは……
次回作の「晩春」(1949)では
「おカネがない」テーマを全部消してしまっているところです。
笠智衆だろうが、原節子だろうが、杉村春子だろうが……
作品中のどの人物も「おカネがない」とはおもっていない。
ほんと、至福の作品です。
至福状態を描いてしまった小津安っさんが
次にやったのは「麦秋」(1951)
S135の紀子のセリフ――
「それに、あたしのんきなのかしら、お金のないことだって、人が言うほど苦労にはならないと思うの。平気なのよ」
つまり、間宮紀子の結婚は
「おカネがある」から
「おカネがない」への状態の移行として描かれる、わけです。
で。ご存じのように
「東京物語」は 皆が皆、「おカネがない」状態の人たち。
ま。「貧乏」というのではないですが、
なにをするにしても金勘定が先に立つ、
ごく当たり前の庶民たちです。
もとい、
「若き日」(1929)に戻りますと――
窓の外をながめる結城一郎&斎藤達雄……
「山は雪だな」とかいってます。
二人ともいい表情だな。
風車がぐるぐる……
外は風が吹いてます。
という描写ですが。
これは「ぐるぐる」である。
というのが小津マニアの見方。
通風塔(?) とでもいうのか?
風力で動く換気装置ですな。
これもぐるぐる。
そして絶頂期小津作品の「ぐるぐる」を
思い出しておくのも礼儀でしょう。
これは「麦秋」(1951)のぐるぐる……↓↓
通風塔は いろんな作品に登場しますけど。
「秋刀魚の味」(1962)が印象深い。
S88
路子(万感をこめて)「お父さん……」
平山(路子の手を持添えて)「アア、わかってる……しっかりおやり……」
路子、黙って、頷く。
娘の岩下志摩を送り出す
笠智衆の背後に……
例の「ぐるぐる」が。↓↓(ちとわかりにくいですが)
現存最古の作品と 小津安二郎ラストの作品の さいごのさいごのシーンが
通じ合っているという――
なんともいえん……すさまじさ。おそろしさ。
(ついでにいや、「若き日」にも笠智衆はチョイ役で出演してます)
はい。何度も何度も脱線しまして。
「若き日」に戻ります。
結城一郎がヒロインの部屋に行きますが、
ヒロインは留守。
教科書を「ぐるぐる」します。
斎藤達雄が例の「ぐるぐる」していた財布をなくしまして。
で電車から降ろされてしまいます。
その時のブレーキが↓↓
「ぐるぐる」
ブラタモリとかに出てきそうな装置。
斎藤達雄が財布をなくす。
結城一郎は実家からの仕送りが来ない。
「おカネがない」
というわけで、結城一郎が蓄音機を質屋においてきて
現金を獲得します。
↓「ぐるぐる」
このあたりで「質屋」=「第七天国」という……
例の、いまいちしっくりこないギャグが登場するわけです。
お金持ちのボンボン 小津安二郎には
いまいち「おカネがない」という心境が理解できなかったのではあるまいか。
まー「若き日」の「おカネがない」は
ようは「遊ぶカネがない」ってことで 切実さには欠けますから、
このつまらないギャグでいいのか??
現金獲得した二人。雪国へ汽車で向かいます。
弁当のおかずを争奪しあう二人。
これも「ぐるぐる」とみてよいでしょう。
ここなんかは「麦秋」のS16
横須賀線の車内での笠智衆・宮口精二の新聞交換のショットを
思い出させます。↓↓
どっちも移動中だな。おそろしく首尾一貫している小津安二郎。
で。雪国につきました。
またまた反時計回りのパン。
「ぐるぐる」です。
で、「パン」しながら、「ディゾルヴ」という……
初期小津にしかありえないテクニック。
ディゾルヴってのは同時にフェードイン、フェードアウトを進めることですが……
以下小津安二郎の言葉。
そうです。フェイド・インとかフェイド・アウトは演出者が考えた技法でなしに、キャメラに付属したシャッターの開閉を調節する一つの機械的の装置であって、そういうものを劇の中に持込むということは非常につまらぬという風に若い頃思ったことがあったのです。
(田中真澄編、泰流社「小津安二郎全発言(1933~1945)」236ページより)
というように、フェードイン、フェードアウトは否定してるんですな。
で、あのぶつ切りの「カット」「カット」「カット」で
シーンをつなぐ方法が確立していく、と。
で。例のかっこいい
―SMACK FRONT ONLY―
斎藤達雄のジャンパーの背中に
「殴るんなら前からにしろ(うしろから殴らないで)」
と書く。
これも「前」と「うしろ」の「ぐるぐる」と僕は解釈したいわけです。
となると、結城一郎のセーターのひっくりかえった「R」も……
return とか reverse とかいうコトバを思い出させるんですよね。
これも「ぐるぐる」だとおもうのですが、
深読みかな???
ひっくりかえって起きられなくなった斎藤達雄が
ストックを「ぐるぐる」
このストック「ぐるぐる」は何度も繰り返されます。
あきらかに意識的です。
ブスいヒロインにフラれた斎藤達雄が踊ります。
輪になって踊る。「ぐるぐる」です。
ここにブスいヒロインとうまくいきそうな結城一郎も加わるのですが、
ご存じのように、彼もフラれるわけです。
で、傷心の二人。
ですが、また女の子をひっかけるために
「二階貸間」作戦を 再実行。
「ぐるぐる」してます。
で、ラストです。
ずっと反時計回りだった「パン」が、
ラストは時計回りの「パン」です。
はい。結論。
◎「若き日」=「ぐるぐる映画」
納得していただけましたでしょうか?
いやあ。
最初みた時はヒロインのブスさにひたすらがっかりしたんですが……
これは見るたびに発見がある作品です。