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「異人論」と小津安二郎の諸作品 その1

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最近、「経済の誕生」という

小松和彦先生と栗本慎一郎先生の対談本を読んで以来、

小松和彦と栗本慎一郎にはまっております。

 

かたや「妖怪」研究の第一人者で

かたや国会議員もやってた経済人類学の先生なんですが――

 

お二方とも、人類学や山口昌男やらがルーツにある点、共通している。

 

 

で、小松和彦の代表作「異人論」を読みまして、

……

どんな本かというのは一言では書けないのですが、

あえて書くと、

「日本の民話・伝説、そして日本文化の構造の中心には、

異人・ストレンジャーというものがあるんじゃなかろうか?」

というような感じですかねぇ。

究極的には、たぶん、「天皇」という名のストレンジャーが位置しているのだと

おもうのですけど。

 

もとい、「異人論」を読みながら、

「これって小津安っさんの作品も同じなんじゃあるまいか?」

とおもったわけです。はい。

 

つまり、

「小津安二郎の諸作品の構造の中心には

異人・ストレンジャーがいる」

ということです。

 

異人、ちょっと変わった服装・キャラクターの人物が登場して

作品全体を動かしている、ということです。

 

□□□□□□□□

のっけから結論を書いてしまいますと、

小津安二郎の諸作品を「異人」を軸に分類しますと――

 

パターン① 集団全員が異人

パターン② 個人が異人(脇役)

パターン③ 個人が異人(主人公)

 

この3パターンがあるのではあるまいか? とおもいます。

まあ、理屈ばかり言ってもわかりづらいので、

以下、具体的に見ていきます。

□□□□□□□□

パターン① 集団全員が異人

 

現存最古の「若き日」(1929)はまさしくこのパターンです。

主人公たちは

日常→異世界(雪国)→日常

という移行を経験するわけですが、

 

異世界においては皆が皆、黒っぽいスキーウェアを身にまといます。

異装をします。異人になるわけです。

 

 

「浮草物語」(1934) 「浮草」(1959)もこのパターンです。

 

坂本武たち旅役者(異人たち)が、日常世界に侵入してくる、という構造。

 

しかし、ラストは「異人」であることをやめてしまいます。

 

 

当然、リメイク版の「浮草」も同じ。

ただ

異人性はさらに強調されているようにおもいます。

 

異装の集団が街に侵入して――

 

で、普段着で(つまり異装を脱ぎ捨て)

街を去ってゆく、という……

 

 

以上、

「集団全員が異人」というパターン。

 

おもしろいのは……そして小津作品の独特なところは、

「異人たち」が日常に戻ってしまうこと。

「異人であること」を捨ててしまう、という点です。

 

たとえば……

わたくし、最近はじめて鈴木清順作品をみたのですが、

(日本映画専門チャンネルでやってた)

彼の作品においては

原田芳雄にしろ大楠道代にしろ松田優作にしろ

はじめから終わりまで 「異人」でありつづけるわけです。

異世界が日常を飲み込んでしまう構造がある。

 

異人たちばっかり出現する鈴木清順パターンは多いような気がするんですけど、

日常→異世界→日常

という小津パターンは、ちょっとほかに思いつかない。

 

ではお次。

パターン② 個人が異人(脇役)

です。

 

これは小津作品に限らず、映画にはよくあるパターンのような気がする。

ヒッチコックとかがこの手をよく使いますが……

 

「その夜の妻」(1930)

不気味な山本冬郷がそうです。

この人は刑事で 銀行強盗を犯した岡田時彦を追っています。

 

 

 「東京暮色」(1957)の宮口精二は 文字通りの異装……

この人もやっぱり刑事。

 

などとみていきますと、

「なんだ、よくあるパターンじゃないか」

という感じがしますが、

 

小津作品が独特なのは、

プロットとは直接関係がない「異人」が登場する。という点。

 

たとえば「東京物語」(1953)の艶歌師たち……

熱海の旅館に登場するんですけど。

 

 この人たちはセリフがあるわけでもなく、

プロットとまったく関係がない。

極端な話、歌声だけ聞かせて、このショットなんかカットしちゃってもいいように

おもえるんですけど、

 

でもこの翌朝、東山千栄子が海岸でクラクラっとよろめく、あのシーンが……

「死」に関連するシーンがあるわけです。

 

さらにいうと、小松和彦「異人論」によれば

「異人」は「冥界」「死」といった負のイメージを背負わされているという……

 

そう考えると、この3人の異人たちのショットは深い意味がありそうなのです。

ついでにいえば真ん中でアコーディオンを弾いてるのは当時の小津安っさんのガールフレンド。

「性」と「死」との関係……

 

「小早川家の秋」(1961)の団令子も「異人」だとおもいます。

この人もプロットとは直接かかわりがない。

ただ単にかわいいスター女優を登場させたかっただけ、という気もするのですが……

 

このやけに目立つ服装。とか

(背景が純和風建築なのでことさら目立つ)

 

外国人(文字通りの異人さん)のボーイフレンドがいる。とかいう設定は

もろに異人です。

 

このかわいい異人も中村鴈治郎の「死」に深くかかわっている点、強調しておきたいところ。

別に……

彼女が殺した、とか、彼女の存在が死の原因になったとか、ではなく、

 

この異人さんは「お父ちゃん」の「死」にまったく悲しみを覚えないという

異様さ、意味の分からなさ、が、われわれの印象に残る。

という点です。

 

↑↓ いやしかし……おんなじ姿勢を律儀に繰り返す。

さすが小津作品。 

 

 

 

「秋刀魚の味」(1962)の岸田今日子も

やっぱり強烈な「異人」でしょう。

 

この人もやっぱり中心プロットと直接かかわりがない。

 

(今初めて気づいたが……↓電話機の色がすごいな!)

 

ですが、

「東京物語」の艶歌師たち、

「小早川家の秋」の団令子同様、

 

強烈に「死」のにおいをぷんぷんさせているわけです。

ようするに、

笠智衆はこの人に亡き妻のおもかげをみるわけです。

 

さらにいうとこのシーンのBGMが「軍艦マーチ」

滅んでしまった帝国海軍の象徴です。(この作品の笠智衆は元海軍軍人という設定)

 

以上。

パターン②はこんな感じです。

一見、必要がなさそうな脇役たちが、

実は「死」のイメージ(それは性のイメージでもある)の担い手でもある、ということです。

 

その2につづく。

パターン③をみてみようとおもいます。


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