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「異人論」と小津安二郎の諸作品 その2

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その2です。

前回のつづきなんですが――

冒頭、かいておきたいのは――

というか 主張しておきたいのは、

 

◎小津安二郎、その人も異人・ストレンジャーであった。

 

ということです。

それも……何重の意味においてそうであったということ。

まず彼が、「小津家」という伊勢松阪の名家の出身であったこと。

豪商・大ブルジョワの家の出身であったこと、です。

 

 商人とは、交易を行なうもののうち、利潤動機を以ってそれを推進する人々の定義であり、これは、ポランニーが「交易者と交易」で述べたことである。つまり、商人とはストレンジャーなのである。

(中略)

 商業は、決して共同体内部からの発展や、肥大化からの転化という性格を持たない。そして、その商業をになう者は、共同体内部からしるしつきとして排除されたスケープゴートではなくして、もともと外部から共同体を訪れたマレビトであり、グロテスクなストレンジャーなのである。

(栗本慎一郎著、青土社「光の都市 闇の都市」53~55ページより)

 

小津安二郎のお父さんというのは、いわば

松阪の「小津グループ」の 江戸出張所の支配人というような立ち場であったそうです。

つまり、栗本先生のコトバでいうと

「松阪から江戸に訪れたストレンジャー」ということになる。

小津安二郎という人は生まれた瞬間から「異人」であったのです。

 

さらに……

彼が当時の日本人としては「異常」なほど体が大きかったこと、

も付け加えるべきでしょう。

出身階層も異人、体格も異人。

 

そして映画製作においてたぐいまれな才能を示したこと……

才能においても異人。

 

もうおわかりでしょう。小津安二郎はどこからどうみても「異人」だったのです。

 

□□□□□□□□

 

では、前回のつづき……

 

パターン③ 個人が異人(主人公)

つまり主人公そのものが「異人」であるということなのですが、

 

このパターンもやっぱり3つに分類できちゃったりします。

・パターン③-A 男性主人公が異人

・パターン③-B 女性主人公が異人

・パターン③-C 女性主人公の親友(分身)が異人

 

□□□□□□□□

ひとつひとつみていきましょう。

・パターン③-A 男性主人公が異人

 

「朗らかに歩め」(1930)のヤクザな主人公がまさしくそうです。

高田稔は白いかっこいいスーツ。 めちゃくちゃ高価なスポーツカーを乗り回す。

「異人」です。

 

しかしそんなヤクザな「異人」が更生して

ふつうのプロレタリアートに。

 

 

「淑女と髭」(1931)は もう誰がみたって「異人」

この岡田時彦も 高田稔同様、

社会に認められるために 「異人」であることを捨てます。

 

この「異人」ヒーローですが、

40年代の作品になると――

あくまで自分の「異人性」にこだわるようになる……

 

「異人」である自分を捨てないようになってくるのはおもしろい。

ここらへん小津安二郎自身の心境の変化があったのだろうか?

 

つまり「俺はけっきょく異人として生きていくより仕方ない」

というあきらめがあるのだろうか??

 

たとえば「戸田家の兄妹」(1941)

冒頭、

佐分利信は 家族の記念撮影に遅れて登場する 「異人」で……

 

作品の終盤になっても

 

中国大陸 という異国から

国民服 という異装を身にまとって出現し、

で、家族相手に ぶん殴ったり、暴言を吐いたり、異常な行動をとる。

(まあ 彼が「親孝行」という正論を言っているわけですが)

 

ようするに異人として登場し、異人としておわる。

あくまで異人にこだわるのです。

 

 という感じなのですが、

「・パターン③-A 男性主人公が異人」

これはおもしろいことに 戦後影をひそめてしまいます。

 
たとえば「風の中の牝雞」(1948)
戦場から帰ってきた佐野周二は 「異人」といや「異人」なのですが、
 
作品の中心はどうみたって 異人にいじめられる田中絹代の方にあるわけで……
 
深読みしてしまえば
欲求不満でMっ気いっぱいの田中絹代が
わざといじめられて快楽に浸っているストーリーとおもえなくもない。
 
じっさいわたくしの記憶も
「ひたすら田中絹代がエロい映画」ということでしかないわけです。はい。
 

晩年の2作品

「浮草」

「小早川家の秋」

の中村鴈治郎はなるほど「異人」してますが……

 

しかし

「淑女と髭」の岡田時彦 あるいは 「戸田家の兄妹」の佐分利信が

あくまで作品の中心に位置していたのと ちょっと違う気がする。

 

「異人」は「異人」なのだが、

どこか京マチ子、若尾文子

あるいは新珠美千代、原節子、司葉子

彼女たちの掌の上で踊っている感がある。

 

「あらあら お爺ちゃん しょうがないわね」というところがある。

 

 

じゃ、ヒロインが「異人」な場合はあるんでしょうか?

ええ。ありますとも。

 

 ・パターン③-B 女性主人公が異人

このパターンのはじまりはおそらく
「その夜の妻」(1930) の八雲恵美子でしょう。
 
和服姿で両手に拳銃。
背景は洋画のポスターという異人です。
 
 
それが「淑女は何を忘れたか」(1937)の 桑野通子に進化します。
 
というか、
「美女」というのは 存在そのものが「異人」なのか??
 
さらにモダンそのものの服装
そして「関西弁」という異国のコトバ
――が、桑野通子の「異人」性を高めるわけです。
 
さらに桑野通子という人の伝説的な生涯もわれわれの心に響いてしまったりするわけですが。
 

「お茶漬けの味」(1952)の木暮実千代もわかりやすい「異人」です。

 

 

「お茶漬けの味」= 美しき「異人」が暴れまわる。

といっても過言ではない。

 

 

――のですが、

「淑女は何を忘れたか」にしろ

「お茶漬けの味」にしろ

 

なーんか ヒロイン=「異人」の作品は おもしくない。

おもしろいことはおもしろいのだけど……

何かが足らない。

 

ということで開発されたのが

・パターン③-C 女性主人公の親友(分身)が異人

なのではあるまいかと、僕は考えます。

 

ヒロインの一種「分身」のようなキャラクターを設定して、

で、その「分身」に「異人」性をかぶせる、という高等テクニックとなります。

 

このパターンの嚆矢はなんつっても

「晩春」(1949)

つくづくこの作品はすさまじいな、と感心します。

 

原節子の親友 月丘夢路は

・お金持ち

・バツイチ独身

・職業婦人

・そしてもちろん美貌

 

といろいろな「異人」要素があるわけです。

 

どことなく原節子に対して「母親」のようにふるまうのも気になるところ。

 

あとラスト近く 笠智衆にキスする という突飛な行動をとったりします。

 

「麦秋」(1951)の淡島千景は 月丘夢路の正当な後継者です。

 

というか宝塚出身という点も同じ。

 

 

淡島千景は 原節子の死んだお兄さんの記憶と結びついているような、

そんなセリフがあります。

 

「麦秋」S130

アヤ 「ああそうか――(話題を替えて)ねえ、ホラ、いつかお宅の省二さんまだスマトラへ行く前、みんなで城ケ島へ行ったことあったでしょ。--あの時の人?」

紀子 「一緒だったかしら、あの時……」

 

あと、佐野周二からちょっとセクハラめいたコトバをいわれたりします。

 

「麦秋」S110

佐竹 「少し教えてやれよ」

アヤ 「なに?」

佐竹 「いろんなこと」

アヤ 「いろんなことって?」

 

この「異人」さんは「性」=「死」のイメージを帯びているようなのです。

 

このパターンの究極の完成形が

「彼岸花」(1958)の山本富士子なのでしょう。

 

京都弁という「異国のコトバ」をあやつる

彼女はいわば……

月丘夢路+淡島千景+桑野通子

といった感じでしょうか。

 

桑野通子……といえば、

この作品、有馬稲子の妹役で 桑野みゆき(桑野通子の遺児)が登場するという――

 

もちろん山本富士子は 有馬稲子の結婚のために

佐分利信にむかってトリックをしかける、

トリックスターでもあるわけです。

 

「彼岸花」S70

幸子 「小父さま――」

平山 「ウム?」

幸子 「今の話、みんな嘘どすのや。トリックどすのや」

平山 「トリック?」

幸子 「へえ、お芝居どすのや」


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