久方ぶりの 八犬伝ネタ。
書いてる本人もほとんど忘れつつあった……
えー、
ようするに、ですね。
「南総里見八犬伝」の八犬士たちは
「易経」の八卦の化身なのではあるまいか?
という仮説であります。
かつて易者志望であった曲亭馬琴にとって
「八」といや、
まず思い浮かべるのは「八卦」――そう考えるのが、ごく自然ではあるまいか?
で、以下の表のような結論を得たわけです。
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もとい、最後の二人の証明です。
土気二人組は奇しくも 体育会系の二人であった。
⑦坤・☷=二黒土気=犬飼現八
(坤→「こん」と読みます)
例によって田中胎東先生の「気学密意」にしたがって見ていきます。
二黒を地役となす。
地役とは、地球の動いて止まらざるがごとくその身を労するをさす。すなわち、自ら身体を使役して人のために尽くすをいう。
勤勉、誠実、犠牲の志は二黒土気の祐気にして、怠惰、弛慢、背信の懈はこれが剋気たり。
(香草社、田中胎東編「気学密意」56ページより)
二黒を柔順となす。
体、静にしてその用流なるを柔順という。すなわち、柔順とは自ら主動せず、必ず上長を得てその命に従うをいう。
(同書58ページより)
前もどこかで書きましたが、
八犬士それぞれ 各人の物語があるのですが……
現八だけ 「現八の物語」というのがない。
ない、というとかわいそうなのですが、
芳流閣における登場シーン、あれは「信乃の物語」だし、
行徳における、信乃、現八、小文吾、そして赤ちゃんの親兵衛の合流も 現八は脇役です。
それからのち……
庚申山の冒険というのがありますが、
これはこれで「大角の物語」になってしまうので、
あくまで脇役に徹する現八なのでありました……
二黒を遅鈍となす。
犬飼、和殿の胆勇は、今に剏ぬ事ながら、約四万の大敵なるに、身は只一騎、隊の兵三十、一呼吸の間にして、言下に大敵を威し退けたる、其勢を推量るに、全身都て胆にあらずは、何人か能せんや。実に我邦の張飛なる哉。戌孝が及ぶ所にあらず。然はさりながら惜むべし、和殿の思慮足らざりき。
本命二黒土性の人は、すべて自ら独立独行せず、必ず上長の人を得てこれとことをともになすべし。すなわち自ら上長に立って指揮下命するよりも、その次位に留って補佐援助するをその天賦となす。
されば大臣になるよりも次官となり、社長となるよりも副社長となって、名を棄てて実をとるを賢となすべし。
(香草社、田中胎東編「気学密意」76ページより)
はい。このあたり、現八君はよくわかっていらっしゃるようで、
決してリーダーになろうとはしてません。
あくまで凄腕のグリーンベレーみたいな地味な仕事に徹します。
あと、これはものすごくこまかいのですが、
というか深読みなのですが……
二黒を粉末となす。
小さく細く砕別するを二黒とす。
(同書71ページより)
現八の実の父は「糠助」というへんな名前の人なのですが、
(信乃が幼少期お世話になったこともある、近所のおっさんである)
このへんな名前はこれに由来しているのではあるまいか??
「糠」=「粉末」……
おつぎ、
⑧艮・☶=八白土気=犬田小文吾
(艮→「ごん」と読みます)
八白の「白」なんですが……
小文吾は登場時点からすでに「白」を強調されております。
当下信乃・見八は、目を斜にしてこれを見るに、肥膏づきたる肌膚の、白きは雪をも欺くべし。
(いわなみ文庫「南総里見八犬伝(二)」237ページより)
信乃、現八、小文吾
この三人がそれぞれ 字の書かれた不思議な珠をもち、
なおかつ、体の一部に牡丹型のアザがある、という描写。
小文吾のお肌がピチピチして雪のように白い、というアヤシゲな一文です。
(白雪姫かよ!)
八白を継目となす。
(香草社、田中胎東編「気学密意」203ページより)
以前も書きましたが、
八犬士が連名になるとき、
最初は「親兵衛」
最後は「小文吾」になるパターンが多いのです。
小文吾=継目です。
八白を止まるとなす。
森羅万象止まる作用を、八白という。汽車、電車の停車、銀行、会社、商店の営業停止みなこれを八白とす。
(同書205ページより)
ここは例の暴れ牛のエピソードを思い出したくなるところ。
犬田小文吾悌順は、那竜種なる暴牛の、突もて来ぬる勢ひ猛く、当るべうもあらざりしを、些も騒ぐ気色なく、閃りと反して左右の手に、角を楚と捕駐たり。
(岩波文庫「南総里見八犬伝(四)」261ページより)
暴れ牛の角をガッと捕まえてしまう、という……
ついでにいえば、
「艮」(ごん)とは「山」の意味です。
そういわれてみると、
小文吾の行動パターンというのは
どこかに軟禁されてしまったり、
のっぴきならない状況に追い込まれて どうしましょう?? と考え込んでしまったり、
「止まる」パターンが多いように思います。
八白を少男となす。
無邪気年少の男子を、総称して八白という。
(香草社、田中胎東編「気学密意」212ページより)
相撲取りだった彼が、ずっと童形だったこと――前髪を剃らなかったことを思い出しましょう。
はい。
以上、八犬士全員の証明が終わりました。
次回以降は、この
八犬士=八卦
が、どのように応用できるのか、
どのように「南総里見八犬伝」の解読に役立つのか、みていきたいとおもいます。