クルマは、「マニア」というには程遠いけど、
好きです。
なんといってもちょっとした暇つぶし、休憩にはもってこいなので、
たまにクルマ関係の雑誌やら本やらを買ってきてはパラパラめくっています。
これもまあ、そのうちの一冊。(↓右側の本です)
暇つぶし、というのもあるんですが、
「戦前の日本(東京)では一体どんなクルマが走っていたのだろう?」
という興味もあります。
サイレント時代の小津安二郎作品にはまってみたり、
平凡社の「モダン都市文学全集」を読んでみたり、
いろいろと昭和初期の東京について学んでいるんですが、
その…小津映画に登場するクルマの車種がなんだかよくわからない。
あと小説なんかだと車種は明示されずただ「自動車」と書かれる場合が多い。
こんな――
ずいぶん金も使ったけれども、僅か一と月ほどの練習で、彼は首尾よく運転手の免状を手に入れることができた。同時に、彼は自動車学校の世話で、箱型フォードの中古品を買い入れた。やくざなフォードを選んだのは、費用を省く意味もあったが、当時東京市中のタクシーには、大部分フォードが使用されていたので、その中に立ちまじって、目立たぬという点が、主たる理由であった。
(平凡社モダン都市文学Ⅴ「観光と乗物」340ページより、江戸川乱歩「虫」)
きちんと「フォード」と書いてくれた上に
東京市中のタクシーはフォードが多いなんていう情報をくれるのは
乱歩先生くらいなものなのです。
で、さて本の中身の紹介。
いろいろ見どころがありますが、一番すごいのは、
1930年代の東京を歩き回って、ナンバープレート「1」~「100」までの
クルマをライカ片手に撮影してまわっていた高校生がいた、というお話。
で、その写真が全部のっています。
ライカですからね、お金持ちのお坊ちゃんですよ。
あと、当時のナンバー…クルマの所有者ごとに割り当てられていたらしい。
なのでナンバー「1」のクルマをみれば、「あ。明治屋だ」とわかり、
(↑上の画像がその明治屋のトラック)
ナンバー「3」は三越のクルマだと誰もがわかったのだそうである。
当時東京には35000台のクルマがあったというが、
この「1」~「100」というのは羨望のナンバーであったらしく、
その権利をめぐって売買も行われていたとか。
(イギリスでは現在でもそんなことがある、と林望先生のエッセイで読んだ)
「1」~「100」は実際、上流階級の高級車がうようよしているんだが、
当時の東京では「999」までの3桁ナンバーは
皇族とか華族とかの持ち物である場合もあるので
お巡りさんは敬遠して近寄らなかったらしいです。
さて文章を引用。
当時のベンツは珍車であった。ディーラーは六本木の黒崎内燃機であったと思うが、ほとんど売れていないのだから、現在と比較すると隔世の感が強い。このモデルはSV6気筒3444㏄のエンジンで、スタイルのバランスは良かったが、平凡な実用車で特に言うこともない車である。
(別冊CG「昭和の東京 カーウォッチング」51ページより)
昭和ひと桁時代、フォードとGMの上陸が成功して、日本にも自動車普及時代が訪れた。同時に街は完全にアメリカ車に占領され、シトロエン5CVをはじめとするヨーロッパ勢は急速に衰退していった。それはコスト・パフォーマンス、サービス性、価格と金融のどれをとってもアメリカ車の実際主義に太刀打ちできなかったからであろう。
(同書38ページより)
メルセデスベンツ大嫌い人間としてはまことにうれしい情報いただきました!!
「ほとんど売れていない」…「特に言うこともない」!!
(――というかポルシェ911以外のドイツ車は全部対戦車ヘリで破壊すべきだとおもう……メルセデス、アウディ、BMW……あ。オペルは許してあげる)
あとこの本にのってる写真をみれば
一目瞭然なんですが、
とにかくアメ車ばっかりというのがよくわかります。
とくに「パッカード」が一番の人気だったらしい。
当時は宮内省が供奉車をパッカードで統一したこともあって、街にパッカードが多かったが…
(同書35ページより)
ここにもパッカードが。ほんとうに日本人はパッカードが好きであった。
(同書51ページより)
パッカードはかなりの高価格にもかかわらず、戦前の日本には多数輸入され、宮内庁や宮家、上流階級で使用された。アメリカ車としては控え目で上品なスタイルが日本人の趣味に合ったからだろう。
(同書66ページより)
パッカード…パッカード…
アメ車アメ車…
日本車かドイツ車ばかりの現代日本から考えると、
時代の流れは恐ろしいです。
…以下、たまに考えるんですが、
日・独は戦争には負けたけど…
クルマ作りでは米・英に勝ったよね?
これってなんなのかね??