「晩春」の分析が終わっていないのですが、
とつぜんチンチン電車が気になってしまいまして――こんな記事。
別冊太陽「気ままに絵のみち 熊谷守一」
を読んでいたら 守一のこんなエピソードがありまして……
一九一五(大正四)年、守一は再び上京した。頭もヒゲもぼうぼうで、春だというのにあかぎれだらけの手を見て、市電の車掌が「この切符は帰りも使えるからね」と親切に教えてくれたというから、相当ないで立ちだったのだろう。
(別冊太陽「気ままに絵のみち 熊谷守一」106ページより)
これで「市電」が気になってしまい、
「そういや小津のサイレント作品に市電が出てきたっけ」という流れです。
(注:「東京都」ではなく「東京市」だったので 都電ではなく市営電車、市電なのです)
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現存最古の作品「若き日」(1929)にチンチン電車が登場します。
なので守一のエピソードのはるか14年後になりますが……
静止画なのでわかりにくいですが、
・疾走感がものすごい。
です。
オンボロ電車が猛スピードで疾走してます。
あと、以下に紹介する静止画でもよくわかるかとおもうのですが
・小津はマシーンとしての市電に興味ある。
のだということがよくわかります。
こまかくいいますと、
電気は電線からとっていて、車輪はこんな風で、ブレーキはこんな風で……
という正直どうでもいいようなオタク向けショットが山のようにあります。
小津にとって 電車というのはただの背景ではなく、
もうほんっとに大好きな被写体だったのだ、ということがよくわかります。
つづいて
・小津は市電を動かすシステムにも興味がある。
ということもわかります。
車掌さんの改札のシーンがあるのですが、
正直、こんなのいらないです。
フィルムの無駄です。
要領のいい監督ならはじめから撮らないでしょう。
でも、システム大好きな電車オタク・小津安二郎には必要だったのです。
で、マニアックな小津のおかげで、後世のわれわれは当時の市電のシステムがよくわかる、というわけです。
「大東京寫眞案内」という1933年の本がありまして――
その中で「市電」と「省電」をこのように比べています。
ちなみに「省電」は路面電車ではない電車。山手線や横須賀線をそういったようです。
鋼鉄の広い車体、風をつんざくスピード、近代的な感触、鞄をかけないシツクな車掌さん、ドアエンヂンのユーモレスク、都心にあつて感ずる旅行感、不在市民の増加、かうした様々な明朗な理由から、市電の衰微にひきかへて、昨今の省線電車の発展は目醒ましいものがある。
(博文館版復刻「大東京寫眞案内」30ページより)
1933年当時の人にとって 「省線」=「オサレ」、「市電」=「ダサい」というのがあったようです。
「ドアエンヂンのユーモレスク」の意味はさっぱりわかりませんが、(誰か教えて)
「鞄をかけないシツクな車掌さん」の意味は
小津の「若き日」をみてはじめてわかりました。
ようするに
「鞄をかけてるダサい車掌さん」がいたわけです。チンチン電車には。↓↓
ちなみに運賃は
片道7銭 往復14銭。
軍人は割引で往復9銭だったそうです。
1920年からこの値段らしいので、熊谷守一の買った往復切符はもっと安かったかもしれません。
「若き日」の斎藤達雄は スキー道具を買ったあと、財布をなくしてしまって 運賃を払えません。
ちなみにこのシーン。
なにか切符めいたものを出すお客さんが多いので、みんな回数券を使っているのだろうとおもいます。
1933年の「大東京寫眞案内」によりますと、回数券の料金は
60銭→9回
1円→15回
3円→45回
とぶっきらぼうに書いてあります。(往復の回数かな?)
また、早朝割引とかもあるようです。ラッシュ緩和対策なのでしょう。
えー、もとい、
斎藤達雄がおカネがないので、電車から降ろされてしまいます。
車掌さんがベルを鳴らします。↓↓
「チンチン」というのは、いうまでもなく天井に這わせた紐を車掌が引っ張って鳴らすベルの音のことで、二つ鳴らせば発車または通過、一つで停車することを意味した。
(学研「帝都東京を歩く地図」27ページより)
これも当時の人にとってはあたりまえすぎるほどあたりまえのことなので
いらないショットでしょう。
でも、後世のわれわれにとっては マニアの小津安っさんのおかげで
「チンチン」の仕組みがよくわかる、というわけです。
で、運転手さんがブレーキをかける。
ブレーキの仕組みまでよくわかります。
降ろされるみじめな斎藤達雄。
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「東京の合唱」(1931年)でもチンチン電車、市電が大活躍します。
しょっぱながこんなマニアックな――
はっきりいや必要のないショット……↓↓
しかし、後世の我々は、1930年の東京が電線だらけだったことがよくわかります。
あらすじをざざっと書いちゃいますと、
岡田時彦(岡田茉莉子のパパ)と八雲恵美子の夫婦がおりまして
岡田時彦は失業しちゃうんですわ。
で、失業した岡田時彦は学生時代の恩師がカレー屋さんをやっている、その手伝いで ビラまきをするんですが
その様子を電車の中にいた奥さん・子供にみられてしまう。
で、奥さんの八雲恵美子は 大学出のエリートのダンナがそんな仕事をしていることに失望する……
という流れ。
男の人はみんな帽子をかぶってるというのがおもしろい。
子供たちが ビラまきをしているパパ(岡田時彦)を発見しますが――
後世のわれわれにとってはそんなことはどうでもよくて……
ショートカットの女の子はのちの
大スタア・デコちゃん
高峰秀子、という……
ま、子役時代からスタアだったらしいですが。↓↓
八雲恵美子、美人……
この赤ちゃん、ご存命でも80代後半かな……
パパだ、パパだ、と騒ぐガキども。
赤ちゃんをみているデコちゃん。↓↓
町ゆく人も皆 帽子をかぶってます。
途端に不機嫌になる八雲恵美子。
「でも、パパだったよね~」とかいってるガキども。
おもしろいのは
「若き日」にしろ「東京の合唱」にしろ、
チンチン電車が登場するのは
どこかみじめったらしいシーンである。
ということです。
これは当時の……1930年代の人の 市電に対する感覚とパラレルなのではあるまいか? とおもわれます。
が、市電の所帯は大きい、従業人員の賃銀以外に、全市を蜘蛛の巣の如く葡ひ廻る軌道網の維持費、車輛の修繕購買費等を合すると、一日この収入では大きな赤字が生れて来る。加へて大正の震災以来、圓タクの跋扈、バスの跳躍、更に省線電車の軽快なるスピードと安易さは、市電の恐るべき敵となつて、昨今は日に月に減収の傾にあり、横綱老いたり矣の感深きものがある。
(博文館版復刻「大東京寫眞案内」30ページより)
ようするにボロくて、のろくて、ダサい。おまけに赤字。
バスや省線のほうがかっこいい。速い。ということであったようなのです。
ま、そのせいか、
中~上流階級を描くようになる、小津の中期作品以降、
市電、チンチン電車は パタッと登場しなくなってしまうわけです。
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小津作品から離れまして……
野村浩将監督「女医絹代先生」(1937)には
市電のライバル・青バスが登場します。
東京を走るバスには
・市営バス
・青バス
の二種類があったようで、青バスは民間の会社の経営だったようです。
停留所に
「スハ靑」
と書いてありますな。↓↓
ともにワンマン運転だったが、昭和に入って五年(一九三〇)十月、青バスに初めて女性車掌が登場すると、市バスも追随した。青バスの車掌は、制服が白襟だったことから、「白襟嬢」と呼ばれ、対するに市バスは赤襟だったので「赤襟嬢」と呼ばれた。
(学研「帝都東京を歩く地図」31ページより)
入口に立っているのが、その「白襟嬢」だろうか?
ちなみにバスでなくて 市電・チンチン電車にも 赤襟の女性車掌さんがいたらしい。
つまり、
ひたすらかわいい 医学生の田中絹代が
通学に使うのはバスだったということなのですが……
のちに開業医として成功して
自家用車……ダットサンを買います。
戦後のマイカーブームを先取りしているわけですな。
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はい。これでいいかげんやめにしときます。
となると、島津保次郎監督「隣の八重ちゃん」(1934)のひたすらかわいい
戦前女学生たちは
いったいどうやって学校に通っていたのか??
逢初夢子&高杉早苗ですが――
答え:わからない。
です。
おそらく……
郊外の住宅街から私鉄で都心に入って、
そこから省線、もしくは市電、でしょうか??
吉屋信子の少女小説でも読めば、書いてあるかもしれないですな。
とにかく今は――
とつぜん路面電車に興味を持ってしまいまして……
・市電・都電・チンチン電車・路面電車関係の本が欲しい。
・都電荒川線に乗ってみたい。
・そのほか、路面電車に乗ってみたい。
という現状です。
広島行った時、そういや乗ったな……