その2です。
小津安二郎の初期作品を 「モダンガール」中心にみていくと……
①モダンガール=悪役時代(1929~1933)
②井上雪子(ハーフ美少女)時代(1931~1932)
③モダンガール追放時代(1933~1936)
④モダンガール受容時代(1937~)
というように時代分けできるのではないか? という論考です。
①②は前回見ましたので……
③モダンガール追放時代(1933~1936)
「非常線の女」(1933)で モダンガールと大和撫子の融和を描いた……にみえた小津安二郎ですが
一転しまして
次作「出来ごころ」(1933)以降、
モダンガールをまったく描かなくなってきます。
いわゆる「喜八もの」の時代です。
たとえば
「浮草物語」(1934)
の八雲理恵子(恵美子)&坪内美子なんかはその代表格です。
というか、美子さん、あんた、タバコのくわえ方 エロすぎでしょ……
この「日本回帰」時代
頭の悪い評論家とかは 「ファシズムの影響である」「軍靴の足音が……」とか例によって例の如く、安易なことをいうのですが、
そうなると後年の「淑女は何を忘れたか」(1937)のばりばりモダン臭がまったく説明がつかなくなります。
すると、何故なのか??
わたくしは
「小津安二郎の日本回帰は
モダンガアル・水久保澄子にフラれた腹いせだ」
とみたい。いや、絶対にそうだ!!
一九三三年九月二十日(水)
昨夜 さむざむとした藁ぶとんの寝台で夢をみた
服部の大時計の見える銀座の二階で 僕がビールをのんで
グリーンのアフタヌンの下であの子はすんなりと脚を重ねてゐた夢だ
(フィルムアート社「全日記 小津安二郎」50ページより)
兵営でみた夢とか言ってますが、たぶん実際にあったことのような気がする。
澄子たんとの仲がどの程度のものだったか、 それはわからんのですが、
おデートの時は洋装だったのでしょう。ばりばりのモダンガールだったのでしょう。
んで、フラれてしまって……
もう洋装の女がイヤになってしまった小津安っさんは
洋装の女を自分の作品から追放したわけです。
(勝手なこといってる……)
となると……
④モダンガール受容時代(1937~)
申すまでもなく 「淑女は何を忘れたか」(1937)の 桑野ミッチーのことなんですが……
「全日記 小津安二郎」を読むと……
「桑野通子を見舞」
(199ページ)
「桑野を見舞ふ」
(202ページ)
「桑野具合悪き由」
(204ページ)
つまり、ですな。
「桑野通子関連の記事が多いこと」
と、
「小津作品にモダンガールが帰ってきたこと」
これは無関係ではない気がどうしてもするわけです。はい。
いや、絶対に関係があるのです。(断言)
「淑女は何を忘れたか」の節ちゃん。
どんなモダンガールかといいますと、
自働車の運転をなさって、タバコもお酒もたしなみ、
ガウンを着て、ベッドでお休みになる。
さらに英語の雑誌もお読みになる。
というこれ以上ないほどのモダンガアル様であるわけです。
街行く姿も決まっております。
田中絹代だとこうはならなかった。
面白い点は 女性陣二人の対立関係が
①モダンガール=悪役時代 と正反対になっている点です。
・モダンガール→純真な良い子
・和装・日本髪→口うるさいオバサン
という対立です。
御存じない方も多かろうとおもいますので
解説しておきますと、
この着物のオバサン。栗島すみ子といいまして
松竹蒲田の女王。日本最初のスタア女優。そんなお方。
□□□□□□□□
えーようするに、
小津作品にモダンガールが帰ってきた理由は、
桑野通子にホレてしまったからだ。
ということをトマス・ピンコはいいたいらしいのですが……
清水宏 「信子」(1940)の
かっこいい高峰三枝子とかみてしまいますと……
1940年前後になると
ようやく日本にも 洋服を着こなせる女優さんたちが出現してきた。
ということがわかります。
小津安っさんが 桑野ミッチーにホレたとかなんとかではなく……
単に、桑野通子、高峰三枝子といった世代の 新しい女優さんたちの出現が
モダンガール受容時代を生んだのかもしれないです。
あ。ちなみに「信子」のキャメラマンは 「淑女は何を忘れたか」以降の 小津作品キャメラマン厚田雄春さんだったりする……
(なんか端正なんだよな~)