ようするに……
昔の人にとって
「足の爪切り」は
一大イベント・楽しい娯楽だったのではないか?
という考察をいたします。
まあ、結局
吉永小百合&古手川祐子の
このとんでもなく美しいシーンに落ち着くわけですが……
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そもそものはじまりは ドナルド・リチー先生の
「小津安二郎の美学 映画のなかの日本」で……
家族(そしてその延長の会社員たち)はゲームを好み(『浮草物語』や『浮草』の碁、『風の中の牝雞』や『早春」の麻雀)、なぞなぞを好み(『生まれてはみたけれど』『出来ごころ』)、判じものや洒落を好む。
このほかに、小津作品の家族が好んで行う気晴らしは足の爪切りであり、
この行為は日本人の実生活よりも小津作品ではよけいに出てくるようなので、特記しておこう。
(教養文庫、ドナルド・リチー著、山本喜久男訳「小津安二郎の美学 映画のなかの日本」36ページより)
これを読んだことにはじまります。
文脈的にコメディタッチなのですが……
(このちょっと前に「小津作品の娘たちの得意な仕事はタオルを干すことだ」というような文章もある)
なるほど外国人らしいおもしろい視点だとおもいました。
ただ……
自分の記憶にある 小津作品における「足の爪切り」は……
「晩春」(1949) の S55
縁側で、湯上りの周吉が爪を切っている。
紀子が黙って部屋へ這入って来る。
周吉「あ、お帰り。どうだったい、叔母さんんとこ?」
紀子(冷たく)「別に……」
というのと、
「麦秋」のS19
周吉が、勇の爪を切ってやっている。
周吉「ホラ、よし。綺麗になっただろう?」
勇「うん」
この二つくらいなのですが……
あと、なにかありましたっけね?
カラー作品の鴈治郎さんが主役の作品に「足の爪切りシーン」ありそうな気もしますが、
調べるのはめんどうくさいので
どなたか教えてください。
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以上、ドナルド・リチー先生の
「足の爪切り=気晴らし」
というのは、外国人らしいおもしろい視点だ。
とおもったわけなのですが……
中村正常「日曜日のホテルの電話」という戯曲を読みまして……
考えがかわりました。
「足の爪切り=気晴らし」どころではなく、
昔の人にとって
「足の爪切り」は
一大イベント・楽しい娯楽だったのではないか?
と、おもうようになったわけです。
で、「日曜日のホテルの電話」を紹介しますが、
1930年の作品。中村正常という人はどうやら中村メイコさんのお父さんらしいです。
ペイ吉くんとプイコさんというカップルの電話での会話に
交換嬢がわりこんでくる というコメディなのですが、
「電話交換手」「交換嬢」というのがわからない方は ググってください。
ペイ吉くんは英語の先生で 生徒のプイコさんとつきあっているっぽいやばい設定です。
ペイ吉くんがプイコさんの家に電話をかけますと……
ペイ吉 おそれ入りますが、どなたか代表者をお一方、電話口までどうぞ。なるたけいま御機嫌がもっともよさそうなのを。
電話の声が変る―― (若い声)センセイ。
ペイ吉 センセイだい。
若い声 いま足の爪きってたのよ。
ペイ吉 近所にまだお母さんいるのか。
若い声 母さまは、いま、私のおしり抓ったわ。足の爪きってるなんて云っちゃいけないって。
ペイ吉 僕もそう思う。
若い声 いま、五人姉妹がみんな揃って、足の爪きってたとこよ。
ペイ吉 どういう工合にきるんだ。
若い声 じゃん拳して敗けたものが勝った人の爪をきってやるのよ。
ペイ吉 それは面白そうだ、もうすんだか。
若い声 まだすまない。
ペイ吉 これから行ったら仲間に入れてくれるか。
若い声 あげても、別にわるかないわ。
ペイ吉 それじゃ、プイコ姉さまの足の爪はもう切っちまったのか。
若い声 どうだったかしら、きいてみましょうか。
ペイ吉 きいて来てくれ。
(平凡社、モダン都市文学Ⅱ「モダンガールの誘惑」77~78ページより)
はい。
こんなわけで非常に楽しそうなのです。足の爪切り。
もちろん、どの家庭でもこんなことをやっていた、というわけではないとおもいますが……
そこで思い出すのはどうしても「細雪」なわけです。はい。
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市川崑の「細雪」(1983)を
去年、日本映画専門チャンネルというやつではじめてみまして、まず思ったのは――
こんな「足の爪切りシーン」 原作にあったっけ?
ということでした。
市川崑バージョンの足の爪切りシーンの メインの見どころは
義妹の雪子(吉永小百合)に 淡い恋心みたいなものを抱いちゃってる貞之助(石坂浩二)が
雪子の足をみてしまって どぎまぎする。
というあたりにあるわけですが、
谷崎潤一郎の原作では 貞之助はまったく雪子に興味をもっていないわけです。
まったくというのはいいすぎですが、あくまで「義妹」としてしか扱っていないわけです。
だから、これは市川崑のオリジナル。
ひょっとして小津作品へのオマージュ??
とかおもったのですが……
「日曜日のホテルの電話」を読んで以来、
「足の爪切り」問題がとても気になり始め……
読んでしまいました 高校生以来……
谷崎潤一郎先生 「細雪」
新潮文庫 上・中・下……3巻……
さて、原作にあるのか? 足の爪切り……
すると……
なんと原作にもありました!!
それにしても、今度ばかりは妙子と二人の姉との間に感情の疎隔が生じはしまいか、殊に雪子との間がどうであろうかと、内々貞之助は案じていたが、或る日、夕方帰宅した彼は、幸子が見えなかったので、捜すつもりで浴室の前の六畳の部屋の襖を開けると、雪子が縁側に立て膝をして、妙子に足の爪を剪って貰っていた。
「幸子は」
と云うと、
「中姉ちゃん桑山さんまで行かはりました。もう直ぐ帰らはりますやろ」
と、妙子が云う暇に、雪子はそっと足の甲を裾の中に入れて居ずまいを直した。貞之助は、そこらに散らばっているキラキラ光る爪の屑を、妙子がスカートの膝をつきながら一つ一つ掌の中に拾い集めている有様をちらと見ただけで、又襖を締めたが、その一瞬間の、姉と妹の美しい情景が長く印象に残っていた。
(新潮文庫、谷崎潤一郎「細雪(中)」237ページより)
まあ、メインは「姉と妹の美しい情景」なのですが……
なので、原作の貞之助兄さんはこんな顔をしない↓↓ だろう……
この足の爪切りシーンのあと、
市川崑の映画では 雪子(吉永小百合)が 妙子(古手川祐子)を 奥畑の啓坊の件で責める……
というくだりになるのですが、
これは谷崎の原作では爪切りシーンのかなり後、
新潮文庫でいうと下巻の240ページぐらいになります。
このくだりに限らず、もう一遍 谷崎「細雪」読み返してみて分かるのは
市川「細雪」は原作を相当に うまく改変してある、ということです。
あの長~い「細雪」を 2時間かそこらの映画にしないといけないわけですから……
けっこう頑張ってます。
あと 谷崎「細雪」を読み返しておもいましたのは
けっきょく足の爪きりシーンって
足フェチ・谷崎潤一郎がどうしても書きたかったシーンなのだろう という推察で、
もうひとつ 足フェチシーンを紹介しますと、
これは幸子の娘・悦子のエピソード。隣人のシュルツ家がドイツに引き返すというシーン……
亜米利加を通る時に何かエツコさんに買って送って上げたいから、欲しい物があったら云ってください、と云うことだったので、悦子は母と相談して、靴を送ってくれるように頼んだ。するとペータアは、そんならエツコさんの靴をちょっと貸して下さいと云って、借りて帰ったが、直ぐ又紙と鉛筆と巻尺を持って戻って来、ママに話したら、靴を借りるよりもエツコさんの足の大きさを測って来た方がよいと云われたので、測りに来たと云い、自分で紙をひろげて悦子の足をその上に載せ、ママに云い付けられた通りに型と寸法を取って帰った。
(同書105ページより)
ペータア・シュルツ君が 憧れの東洋の美少女エツコさんの足のサイズを測りに来ます。
なんとなく読み過ごしてしまいそうなシーンなのですが……
子供同士の ほほえましい情景を思い浮かべる方も多いかとおもうのですが……
「瘋癲老人日記」にもこんなのあったよね。
とか思い出すとこれは相当に ド変態シーン ロリコン兼足フェチシーンとみえてくるから不思議。
えー 論旨がぐずぐずになりつつありますが……
グズグズついでに書いてしまいますと……
横溝正史ものでも そうおもいましたが……
市川崑作品って 男女のラブシーンは存在せず、
かわりに
女・女のラブシーンばかり、ですね。
セリフ無しで ショットだけ抜いてみると、
これってまるっきり 吉永小百合×古手川祐子のラブシーンですよ。ねえ。
ええと、なんでしたっけ。
そうそう「足の爪切り」問題。
「麦秋」「日曜日のホテルの電話」「細雪」…… とみてくると、
昔の人にとって
「足の爪切り」は
一大イベント・楽しい娯楽だったのではないか?
こう思えてきませんか?
昭和初年代の 文学作品・映画等で 「足の爪切り」問題を扱ったもの 他に何かありますかね??