正式な日本語版タイトルは
『戦略・戦術分析[詳解]独ソ戦全史 「地上最大の地上戦」の実像』
という長ったらしいもので、
「学研M文庫」なる、軍記物だの時代小説だのばかりが
はいっている物騒な文庫本シリーズの中の一冊。
…であるからして、
平和主義者でおしゃれな方々
村上春樹大好き♡みたいな方々
にはまず縁がない一冊であります。
デビッド・M・グランツなる人と、ジョナサン・M・ハウスなる人の共著。
原題ははなはだわかりやすいもので
WHEN TITANS CLASHED
…うーん、「巨人たちの衝突」ですか。
こっちの方がゴテゴテした邦題よりもはるかに良く
この本の内容をあらわしているように思います。
そもそもP・K・ディックの「ヴァリス」を読んだのが、間違いだった気がします。
「ヴァリス」にはT-34マニアのシェリーという人物が登場するのです。
(T-34というのは第二次大戦当時、ソ連軍の主力戦車です)
ちょっと引用してみます。
ファットになされた提案のうち、もっとも有望であると思われたのは、緩解期にあってまだわたしたちのところにいたシェリーが持ちだしたものだった。「あなたがやらなければならないことはね」ファットがめいっているときにシェリーがいった。「T34の特性を調べることよ」
ファットは何のことだとたずねた。シェリーが第二次大戦中のロシアの機甲部隊に関する本を読んでいることが判明した。T34戦車はロシアの救済者で、それゆえ連合諸国の救世主でもあった。…(中略)…
シェリーの考えは、基本的に、ファットの精神を宇宙的・抽象的なものから、特定のものへひきさげることに関係していた。シェリーの抱いている実際的な考えは、第二次大戦中のソヴィエトの大戦車ほど現実的なものはないということだった。
(創元SF文庫「ヴァリス」49-50ページより)
「ヴァリス」というのは、ディック最晩年のわけのわからん作品で、
ドラッグカルチャー、ロック、それとグノーシス主義に関する知識を
ごたごたと放り込んで作った…
なんというかSF風味の宗教書という感じの本です。
(ディック先生、ヤク中でヘロヘロだったのではないかと想像します。じっさいヘロイン中毒で死んだんじゃなかったっけ??)
そのわけのわからん文章の中にあってもこの
「T34の特性を調べることよ」
というセリフは唐突で、それだけ印象に残ります。
独ソ戦に関する本をいろいろ読んじまったのは、
この「ヴァリス」というわけのわからんが…だが、妙に魅かれる小説を
どうやって解読するのか??…その無謀な試みの一環なのかもしれないです。
で、ようやく「独ソ戦全史」の紹介にうつるわけですが、
ある意味、これまたわけのわからん本です。
というか、「独ソ戦」という…
「巨人たちの衝突」
「ヒトラーVSスターリン」
「20世紀最強の2大全体主義国家ガチンコバトル」
この現象があまりにすさまじすぎて、頭の中で整理するのに時間がかかりそうなのです。
とりあえず引用してみます。
ソビエト連邦とその軍隊は、戦争第Ⅰ期として知られる一八か月間で、破滅的な敗北を被った。たとえ奇襲を受けなかったとしても、国家とその軍事機構の双方ともが戦争への備えができていなかったからである。…(中略)…結果として、戦争の最初の六か月間に、赤軍は当初の動員兵力三一三万七六七三人の三分の二が死ぬか捕えられ、基幹となるはずの指揮官団もかなり大きな割合で失われた。これ以外に負傷した者が一三三万六一四六人いる。一九四二年末までに、犠牲者の総数は一一○○万人以上というぞっとするような数に上った。
(学研M文庫「独ソ戦全史」261ページより)
ある独軍の老兵が観察しているように、西方での戦争は礼儀正しいスポーツで、東方での戦争はただの恐怖でしかなかった。この恐怖のうち一番最後にやってきたものが、まだ残存していた二○○万人のドイツ国防軍の殲滅であり、これによってドイツは灰燼に帰した。
(同書561ページより)
ドイツ国防軍全体の損失は、一九四五年四月三○日までに総計で一一一三万五五○○人に達し、そのうち負傷者は六○三万五○○○人であった。さらにこのうち約九○○万人は東部戦線でのものであった。終戦までのドイツ軍全体の損失は[この場合は降伏による捕虜を含む]一三四八万八○○○人を数えた。(全動員兵力の七五パーセントで、一九三九年のドイツ男性人口の四六パーセント)。このうち一○七五万八○○○人が東部で戦死するか捕虜になった。(同書578ページより)
数字…数字…
そして無味乾燥な文章が続きます。
どの戦闘で何万人が死んだ。何万人が捕虜となった…
繰り返し、繰り返し…
なんでも第二次大戦でのソビエト連邦の死者数は
最低に見積もって2900万人である由。
一説によると5000万に達するだろう、ともいう。
ちなみに太平洋戦争で日本の軍人の死者数は
230万人であるという。
数字の大きさで比べるのもなんだが、
あまりに桁が違いすぎる。
全体主義国家同士の衝突がいかにすさまじいものであるのか、
よくわかります。
結果。
2900万もの死者を出して、国内はボロボロに荒廃してしまったソ連は、
「戦争はんたーい!!」
「平和憲法を守れー!!」
などと叫ぶ、どこかの島国みたいな精神的余裕はとてもあるはずがなく…
「どんなヤツだろうと
オレの領土に侵入する奴はただじゃおかねぇ」
――というマッチョ思想で国を運営していくことになります。
それもまあムリはないです。
もっと一般的に言って、独軍の侵攻は伝統的なロシア人の侵略への恐怖心を増幅し、正当化した。「大祖国戦争」による荒廃と被害が、すべての世代のソ連指導者の思考を戦略一色に塗りつぶしてしまった。…(中略)…
勝利の果実を守り、将来もあらゆる攻撃を未然に排除しようとの決意こそが、逆にモスクワ政府にとっては実に厄介な重荷となった。この決意と膨大な軍事支出と拙劣な対外干渉とが一つになって、ソ連経済、ひいてはソビエト国家に悲運をもたらすことになる恒久的な障害になったのである。
(同書591ページより)
で、最終的には…
レーガン大統領率いる、金持ちアメリカ帝国との軍拡競争にずるずる
まきこまれ…あとは、ま、ご存知の通り崩壊してゆくわけです。
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で、感想。(え?今までのは感想じゃなかったの??)
「独ソ戦全史」
これは「ヨハネの黙示録」に非常によく似ていると思いました。
第三の天使がラッパを吹いた。すると、松明のように燃えている大きな星が、天から落ちて来て、川という川の三分の一と、その水源の上に落ちた。この星の名は「苦よもぎ」といい、水の三分の一が苦よもぎのように苦くなって、そのために多くの人が死んだ。
(ヨハネの黙示録8章10-11節)
妙に数字好きなところと、人がばたばた死んでいくところ、
ひたすら破壊シーンが続くところが似ています。
そういえばタルコフスキーの「僕の村は戦場だった」のなかでは
(独ソ戦時代のパルチザンの少年が主人公の映画)
主人公が、アルブレヒト・デューラーが黙示録につけた挿絵をみるシーンが
たしかあったような気がします。(たぶん、たしか…)
フランシス・コッポラがApocalypse Now という映画を
ベトナム戦争を題材に作るわけですが、
もっと壮大なApocalypse…
――黙示録が三十年前のロシアの大地で繰り広げられていたわけです。
P・K・ディックが「ヴァリス」で
ソ連の戦車「T-34」にこめた意味…
それはこんがらがった毛糸玉をほどくのに等しい作業のような気がしますが…
このあたりから解いていくより他ないのでしょう。
黙示録的背景の中で
驚くほどに実際的に作られた戦車T34、
その単純なリアリズム……
希望がもはや、殺人機械のなかにしかない、そういう世界……