その2
今回はロビーの写真をべたべた貼ります。
まず2階から見下ろした様子。
剣持勇のラウンジチェアがつくづくかわいい。
日経BPの「菊竹清訓巡礼」をみると、
佐渡グランドホテルにもこの椅子が置いてある。
ということは、もともと剣持勇の椅子を置くこと前提でデザインされたということなのか?
そのあたりよくわからんのですが……
ラウンジチェアのクッションの色の配置とか どうなのか?
テキトーに並べてるとか?
でもなにかいい感じに並んでるのですが。
なにか並びかたに決まりがあるのか?
ひょっとして、菊竹清訓指定の並べ方があるとか??
まさか??……
しかし色の組み合わせの法則性がよくわからん。
掃除のおばさんの趣味だったりして。
紫のカーペット ↑↑ところどころ 色あせているのがおわかりいただけるかとおもいます。
グーグルとかじゃらんとかで 東光園の評価、どうも高くないのですが……
たしかに一般の――建築にたいして興味のない人から見ると
「ボロい……」
とおもえるだろう部分、たくさんありました。
そのあたりが低評価につながっているのだとおもいます。
前回紹介した窓枠の錆とか――客室の廊下のカーペットもけっこうボロかったな。
しかし、建築好きにとっては
初期菊竹作品に泊まれる、というそれだけでご褒美なわけでして――
2階のロビー上の廊下……
どういうわけか、
フランク・ロイド・ライトの帝国ホテル、
ロビー上の通路を思い出してしまいました。
帝国ホテルのロビーは、なんか洞窟みたいに暗くて
東光園みたいに明るくないのですがね。
↑↑ まあ、僕が知っているのは「実物」ではなくて
明治村のレプリカですけど……
歩いた感覚がものすごく似ていたのですよね。
なぜなんだろう。
ただ単に「ホテル」「ロビーの上」というだけで思い出しただけなのか?
それとも深い理由があるのか?
なんにせよ、東光園が竣工した1964年には まだ日比谷の帝国ホテルは生き残ってましたし、
菊竹先生としても ライトの化け物建築は意識せざるを得なかっただろうとおもいます。たぶん。
特徴的な照明のクロースアップです↓↓
かっこいいな。
でも電球の交換、大変そうだな。
今はLEDだからいいけど。
かつては大仕事だったに違いありません。
1階におりてきました。
↑↑奥に見えるのは別館の売店。
↑↑奥に見える ガラスの塔は 非常階段。
「菊竹清訓巡礼」 イラストの宮沢洋さんの文章 引用しておくか。
打ち放しの組み柱。紫色のじゅうたん。
剣持勇デザインのラウンジチェア…。
ロビーも“高級煮込み”。
(日経BP「菊竹清訓巡礼」39ページより)
で、「菊竹清訓巡礼」 掲載されている東光園の写真もピカピカなんですが、
取材されたのは2005年。
(ちょうどリフォームでもしたのかな?)
それから13年分ボロくなっているわけだ。
天井、ところどころ塗装が剥げてたりしたな。
白のI型鋼というと ミース・ファン・デル・ローエの引用だろうか?
ロビーより入口をみる↓↓
水平方向の強調というのは、
初期ライトの邸宅っぽい。
さっき帝国ホテルをなんとなく感じたのはそのせいか??
で、組み柱のコンクリート打ち放しは どうみてもル・コルビュジエだな。
三大巨匠揃い踏み。
宮沢洋さんのいう
「高級煮込み」はこのあたりにも出ているのか?
しかし、落ち着きます……
静かだし。
でも飛行機の時間がせまっている……
台風もせまっている……
えんえんロビーにいたもので
フロントの方の電話がちょいちょい聞こえたのですが……
どうも台風のせいでキャンセルの連絡が多いようでした。
ホテル・旅館って商売も大変ですね。
「建築」のなんたるか知らない・わからない客が
「なんだ、このボロい建物は!」
なんて無理解なことを言うだろうし。
え、さて。
ロビー観察をはじめてから何分たっただろうか?
んー……
――
ある
「違和感」
を感じ始めます。
なんか変なところ……
あきらかにこれはおかしい……
このI型鋼
根元を
斜めに切ってある……
↓↓
一本だけじゃない――
全部切ってある……
これってよく知られたことなのかな?
少なくとも「菊竹清訓巡礼」では触れられていないのだが……
これはあれですね、
トマス・ピンコの勝手な推理によると――
ミース・ファン・デル・ローエのIIT同窓会館と同じテクニックなんじゃあるまいか? と……
これってミースを扱った本に必ず出てくるディテールなのですが……
構造部材ではない鉄骨を
わざと見せびらかすというテクニック
なんですわ。
↑↑
彰国社・田中純著「ミース・ファン・デル・ローエの戦場」 p219
鹿島出版会・フランツ・シュルツ著「評伝ミース・ファン・デル・ローエ」p245
↓↓
シュルツ先生の文章を引用しますと。
言わば、同窓会館の本当の構造は隠されながらも表現されているのである。判るのは見えるものではなく、見えるものによって明らかにされるものなのだ。ミースの論法は回りくどいが、まさに彼のものである。鉄の支持骨組が建物の基本ないし本質であることを誇示するために、外見上見せるよりもむしろ示している。さらに、見せているものが真実ではなく真実の象徴であると判らせるために、柱を覆う鉄板と皮のI型鋼は地面の手前で終っている。
(鹿島出版会・フランツ・シュルツ著・澤村明訳「評伝ミース・ファン・デル・ローエ」245ページより)
つまり、ですね。
隅を切られたI型鋼は、構造部材……このロビーを支えているわけではない。ただの装飾です。
(支えているのはあくまでSRC造の組み柱)
この「装飾」――
東光園のI型鋼は、
SRC造の……コンクリートの奥にある鉄骨を表現しているのではないか??
シュルツ先生の表現を借りますと……
「東光園の本当の構造は隠されながらも表現されている」
「見せているものが真実ではなく真実の象徴であると判らせるために、柱の端部は切り取られている」
のではあるまいか??
さらに……
「重厚極まりない組み柱」
VS
「軽やかなI形鋼」(隅を切り取られている)
この鮮やかな対比が
東光園のロビーをかくも素晴らしい空間にしているのではないか?
どうなんでしょうねぇ……
これって菊竹建築ファンには
「今さら何言ってんの?」
「そんなこと常識」
なのかもしれんですが。
にしても……錆がこわい……
錆が……
東光園未見の建築ファンのあなた。
急いだほうがいいかも?? ですよ。
――その3につづく。