小津安二郎 トーキー第一作
「一人息子」の分析、2回目です。
S32 夜学の教室
黒板に幾何の説明が書いてある(たとえばシムソンの定理)。やがて一生徒が質問を発する。
良助はこれに明快に答える。
生徒は鉛筆を走らせる。
良助はぼんやり一隅に立つ。フト、思い当った感じで教室を出て行く。
シナリオの指定通り、シムソンの定理の証明です↓↓
小津安っさん、
この「〇」と「△」の組み合わせには妙にこだわっていて、
「父ありき」S6に登場するのも……
これはシムソンの定理ではないが↓↓
やっぱり「〇」と「△」
「一人息子」に戻りまして――
教師の日守新一に質問する、この子……
なんか見覚えが……↓↓
た、たぶん……
「生れてはみたけれど」の いじめっ子・亀吉君では??
飯島善太郎君。
一番大柄の、長靴の子ね↓↓
脱線ついでに 「飯島善太郎」でググってみると
清水宏の「按摩と女」に出ている、という……
みてみると――
徳大寺伸と高峰三枝子様が 無言で追いかけっこをする、
日本映画史上最も美しいかもしれんシーンで……
(以下、2枚 清水宏「按摩と女」 小津と清水のカメラの高さの違いなどみるとおもしろい。
小津は人間中心なのだが、
清水はあくまで「自然」や「街」があって、その中に人間がいるというアプローチの仕方なのだろう)
高峰三枝子様……↓↓
ちらっと登場する、
左端の↓↓ この按摩さんがそうかな。
「按摩・亀吉」という役名で 飯島善太郎君 きちんとクレジットされているんだけど、
あんまし目立ってはいない感じ。
あ。亀吉という名前は「生れてはみたけれど」と同じですね。
本名が亀吉だったりするのか?? 「生れてはみたけれど」由来なのか?
このあと俳優としては活躍されていなさそうですが、どうされたのかな?
年齢的にこの後 徴兵されたりしそうな気もするけれども……その点が、ちと不安。
(ついでに書くと、「有りがたうさん」にも、飯島善太郎君登場してます)
あ。そうそう。真ん中は日守新一ですね。(やっぱり按摩さんの役)
やっぱり日守新一というと、小津作品より 清水作品の印象が強いな。
えー わき道にそれました。
もとい、
S34 学校事務室
良助、入って来て、同僚Aに、
良助「すまないけど十円貸してくれないか」
A 「十円――十円もって行かれると困るな――」
背景に暗号の「〇」を隠しています↓↓
しかも十円だの五円だの 「円」という話題です(笑)
おつぎ。暗号「〇」が続きます。
S40 居間
良助「行ってみましょ。先生きっと驚くだろうなあ――どうです、もっと、あ、これアンコが違うんですよ」
と、アンパンをすすめる。
おつね「ほう――」
大久保先生(笠智衆)の家へ行ってみようというはなしをしています。
カメラのレンズはひたすら坪内美子の様子をとらえているのだが
(シナリオによると 箱枕に枕紙を結びつけている、らしいです。いにしえの枕カバーか)
音声は 日守新一&飯田蝶子の会話、というトーキーならではのことをやっています。
ただ、ごく初期をのぞいてこういうことはやらなくなった印象があります。
↑↓画面左端 踏台の「〇」
あとジョーン・クロフォードが相変わらず目立ってます。
それから目ざといあなたならば、「アンパン」なる聖なる食べ物に注目するでしょう。
暗号「〇」であり、
「麦秋」の杉村春子の名ゼリフ 「紀子さん、パン食べない? アンパン」
のあのアンパンです。
S42 ガスタンクの見える情景
貧相な家々の並ぶ遠景に、大きなガスタンクが二つ並んでいる。
というのですが、「東京の宿」にもでてきましたね↓↓ こういうの。
もちろん 暗号「〇」
毎度おなじみガスタンク。
こんなに好きだった被写体にもかかわらず
「晩春」以降はまったく見向きもしなくなりますが……
(この男、こういう薄情さがある)
たしかに原節子&ガスタンクというのは見たくないけど。
ドカンドカンドカン……土管の大群が「〇」ですね。
最近 今和次郎先生の「新版大東京案内」を チラッと読み返しましたところ、
ガスタンクの写真がでてきたので
ついでに紹介します。
(今回はわき道が多い)
写真の解説↓↓
砂町に新設された東京ガスの大タンク。将来の空中戦を予想し投下爆弾に対する安全装置が施されてゐる。
他のタンクもすべてかく改造される筈である。
(ちくま学芸文庫、今和次郎編纂「新版大東京案内・下」359ページより)
というのですが……
設計者の「予想」は、第一次世界大戦レベルの爆撃なんじゃなかろうか?
第二次世界大戦レベルに耐えられたのか? 疑わしい気もする……
S43 トンカツやの店先
おつね、良助、連れ立ってくる。
良助「ねえ、此処なんですよ」
と、店に入る。
三輪車が3つの「〇」です。
「三輪車」は小津安っさんお気に入りのモチーフでして……
おそらく「3」という数字も好きだし
「〇」も好きだし、
というところなのでしょう――
たとえば、
「東京物語」S67 紀子のアパートの廊下↓↓
あと、「麦秋」 二本柳寛の家が写るシーンで三輪車が出てきたような気がするんだが、
見つからなかった。気のせいかな?
今回は脱線が多いですな。
もとい、
「とんかつ」の旗がひるがえっております。
この「とんかつ」は何度か登場しますが、
いつもひっくり返っています。
裏側から撮られています。
このあたり大久保先生(笠智衆)の人物像と深く関わってくるわけですな。
S46 台所
先生、手を洗いながら、
先生「しかしお母さん、よくいらっしゃいましたなあ、ずいぶん暫くでした。いつお出掛けになりました?」
出征する兵士のように華々しく信州から東京へ出て行った大久保先生が――
(↑松竹の自己検閲でカットされたシーンだが)
割烹着を着て、トンカツを揚げているという……
まあ、残酷極まりないシーンですが、
笠智衆はすこぶる明るく、なんの屈託もないわけで――
そういわれると、「一人息子」から数年後 清水宏「簪」では 傷痍軍人を演じた笠智衆。
清水もやっぱり 傷痍軍人のリハビリを残酷に見つめるんだが、
笠智衆はあくまで明るい。
「東京物語」の平山周吉老人へのレールは、この頃からもう敷かれていたわけですな。
S49 附近の情景
寒々としている。
またガスタンク(塔)
この大久保先生は山中貞雄もお気に入りだったのか??
「全日記小津安二郎」には……
1937年1月3日(日)
山中貞雄より来信
これからの人間 矢張東京に出ないと駄目だと一人息子の先生の気持です
PCLでとんかつ作るかも知れませんが兎に角江戸へでたくてたまりません 云々
(フィルムアート社、田中眞澄編纂「全日記小津安二郎」200ページより)
とあります。
S50 トンカツやの旗
翻っている。
裏返しの「とんかつ」
電柱(塔)
シナリオの構造としては 「母を恋はずや」の S79 S85にとても似ております。
S79 窓の外
気象台の旗が見える。翩翻。
S85 窓の外
気象台の旗、翩翻。
どちらとも 家出をした大日方伝が
チャブ屋の女(逢初夢子)の部屋の窓から気象台の旗を見る。というシーン。
「翻る」「翩翻」という 一般的には勇ましいイメージを、
両方とも失意のシーンに使っております。
S52 座敷
先生「そうそう(と立ち上り)この間話した夜泣きのおまじないだがね――」
と、箪笥の上から御札を取って良助に見せる。
良助(覗きこみ)「ほう、これですか」
先生(うなずいて)「これをね、逆さまに貼るんですな」
と、逆様にして見せる。
また、まったく屈託のない笑顔の笠智衆。
こうして……
「裏側(とんかつの旗)」「逆さま(鬼のお札)」のイメージを
大久保先生(負け組)に貼り付けていく小津安二郎です。
ついでに書いておきますと、このシーン、
良助「運動場のポプラん所に、上海事変の忠魂碑が建ったそうですよ」
このセリフが、松竹の自己検閲でカットされています。
S53 トンカツやの旗
へんぽんと翻る。
またでました。「翩翻」「翻る」
そしてあくまで裏側から「とんかつ」を撮ります。
で、「逆さま」イメージにつなげます。
じつに丁寧な仕事です。
S54 良助の家
襖に『鬼の念仏』が逆さに貼ってある。
赤ン坊が寝ている傍で杉子が針仕事している。
おつねも良助も留守らしい。
坪内美子たん。
好きな横顔ショット。
また、右端、へんな前ボケしちゃってる物体が気になる↓↓
前回触れましたが、
このあたりがこの作品のカメラワークの特徴――、というか欠点。
おそらく火鉢なのでしょう。
前のショットの関連からこの場所になくちゃいけない、という「理屈」なのでしょうが、
本来の小津であれば そんな「理屈」なんぞは無視して
火鉢はどけたはずです。
「理屈」なんぞよりも 一ショットの美を追求するところです。
ただトーキー第一作で そこまで目が回らなかったか??
またまたジョーン・クロフォード。
S56 客席
良助とおつねが見ている。良助が説明する。
良助「これがトーキーっていうんですよ」
おつね、少し眠そうである。
親子は映画館におります。
まずおもうのは、右側に座っている女の子のおでこの形がすごくいいな、ということ↓↓
とにかく女の子の横顔を撮りたがるという「癖」はここでも姿を見せております。
あとは後年の岩下志麻じゃないけど、チラッと姿をみせるだけの役に
やけにかわいい女の子を使ったりするという「癖」があるな。
あとは――「全日記小津安二郎」
1933年1月17日(火)
とく母と邦楽座に行く ブロンド・ビーナスと極楽特急
母 始めから終りまでねむりたる由
孫がいなくてとても安心してゐねむりが出来たとのこと
(同書30ページより)
飯田蝶子の居眠りは 小津安っさんのお母さんのエピソードであったようです。
「ブロンド・ビーナス」「極楽特急」というのは
どんな映画なのか? 気になりますが。
二人がみているのは
ウイリー・ホルスト「未完成交響楽」という映画だそうです。
シューベルトのおはなしなんですかね?
S57 スクリーン
(麦畑のラヴシーン)
というんですが――
どうしても「麦秋」のラストを思い出します。
「麦秋」の麦畑にはいろいろな意味があるんでしょうが
(田中眞澄は……正直好きな批評家ではないが、徐州戦の麦畑……鎮魂の意味だろうと、
珍しく鋭いことをいっている)
「一人息子」の引用 (引用の引用??)でもあるわけですな。
S60 良助の家(夜)
良助「なあ、明日からどうしようかなあ――借りた金もあらかた使っちゃったし、月給日までにまだ間があるしなあ」
杉子(暗くうなずく)「そうねえ――」
二人、黙然。
ここで、「カネがない」「逆さま(の鬼)」……
と、良助=負け組 というイメージ操作が完成します。
余計なセリフとか余計なエピソードとかなく、
じつにスマートに観客にイメージを植え付けていきます。
ほんとうに丁寧に作りこまれた作品です。
おカネがないのに
徹底的に親孝行をしようとする。
おカネがあるけど、
両親を熱海に追い出しちゃう「東京物語」の子供達とは真逆です。
戦前の悪しき封建制イデオロギーなんじゃあるまいか?
といういじわるな見方もあるでしょうけど。
に、してもかわいい坪内美子たん。
こんな奥さんがいるんだから、勝ち組だよ、良助君。
おつね(快さそうに)
「今日はお蔭であっちこっち見せて貰いやした。浅草へ行って、上野へ行って、九段へおめいりして――」
良助「おッ母さん、支那ソバ食べたことありますか。ちょっと変っていいもんですよ」
これは戦後の「お茶漬けの味」 S86
鶴田浩二と津島恵子のラーメン屋のシーンに受け継がれるわけでしょう。
杉子「あたし致しましょう」
と、おつねの肩をもむ。
おつね(ニコニコと)「浅草の観音さん、でっけえなあ――」
ここは、
・坪内美子のセリフが、「東京物語」S28 原節子の「お母さま、致しましょう」というセリフに……
・嫁が義母の肩たたきをするというシチュエーションが、「東京物語」S103……
原節子×東山千栄子の、
この美しいシーンに引き継がれるわけです。
で、全員でeat
一緒に「食べる」という行為、小津作品においては
家族、もしくは将来結ばれるカップルの象徴的行為です。
つまり、この瞬間、坪内美子は飯田蝶子の「家族」となったわけです。
S65 洲崎の埋立地
遥かに東京市の塵芥焼却場が見える。
雑草が風に靡いている。
↑この煙突(塔)は……
↓「東京物語」S7に受け継がれるのでしょう。
迫力が全然違いますが。
「塔」……そして
二人の人物が真逆の方向を向いて坐る。
小津の小津による小津でしかない構図(笑)
良助「よく雲雀が鳴いてますねえ」
と、おつねを見ずにいう。
おつね、不安な心で、しかし空を見る。
サイレント時代の主人公たちは よく「塔」(煙突、時計台、などなど)を見上げていたのですが、
とうとう、彼らはなにもない空をみつめるに至ります。
というか、トーキーになって初めて空を見つめるわけです。
そう。雲雀が鳴く声がしているわけです、このシーンは↓↓
逆に言うと、サイレントでは 小津は主人公たちに空を見上げさせなかった、
ということです。
「音」があってはじめて、彼らは空を見上げることを許されたわけです。
その理由は何なのか?
その謎の解明のカギは
これまたとんでもなく美しい「麦秋」のS75 トーハクの庭のシーンに隠されているのかもしれません。
(「紀子三部作」は、どこを切り取ってもとんでもなく美しいので
こんな形容詞は無駄なんですけど……)
黒いシミのようなゴム風船――
これはどうも紀子の死んだ兄・省二と関係があるような気がする。
……などということはどうでもよく、
小津は「雲雀の声」「ゴム風船」といった「何か」がない空を……なにもない空を……
「無」を恐怖しているのではないか?
だから、彼はセットの舞台から 実に注意深く「空」を追い出すのではないか??
小津の意志とは無関係だったといいますが、
彼の墓石に刻まれた文字 「無」――と合わせて考えたくなるところです。
S69 四本の煙突
煙が風に靡いている。
小津の「塔」へのこだわり。
高くそびえ立つもの。あるいは風の中に翻る物へのこだわり。
これはどうも「無」への恐怖と関係があるのかもしれない……
しかし――
この当時はこんな小さな施設で 「東京市」のゴミの処理は間に合っていたんですかねえ??
このサイズでは今だと、地方都市クラスでもパンクしそうな気がしますけど。
もとい、
S71 夜学の教室
窓際で良助が悲しげに立って、窓から外を見ている。
S73 良助の家
逆さまの鬼……大久保先生、敗北者、脱落者、負け組のイメージです。
「大久保先生」という役名は
小津自身の師匠 「大久保忠素」に由来しているんでしょう。
S74 教室
良助、沈んだ顔で、涙ぐましく窓外の夜景をみつめている。
S75 窓外
神田裏通りの夜景。
「クラブ白粉」のネオン。
「非常線の女」「出来ごころ」に登場したのは 「クラブ歯磨」でした。
これも広義の「塔」でしょう。
おや。窓の近くには通風器ですねえ。
これは遺作「秋刀魚の味」までずっと一貫して登場しますね。
以上の陰気臭いシークエンスが
「東京物語」ラスト近くの 陽光あふれるシーンに受け継がれるのでしょう。
・夜→昼
・男性教師(日守新一)→女性教師(香川京子)
・東京→地方(尾道)
と、まったくベクトルが真逆なわけですが。
「一人息子」の分析、まだ続きます。
うーん、次回1回で終るかな……