まず……
前回「その1」の記事の補足です。
銀座八丁目の……今、天國ビルのある場所にあった、この「なんとかオクション」↓↓に関しまして。
プランタンの前にある靴屋のミクラはレディメイドの安い靴を売る店だ。サラリーマンには断然都合のいい店である。
二軒置いた隣りの銀座オクションは震災後に出来たのだが、今では銀座の名物になってしまった。外国向きのいろいろな雑貨を糶って(せって)売るので、面白くもあり、都合のいい店である。
(安藤更生著、中公文庫「銀座細見」220ページより)
「オクション」はやはり「オークション」だったことがわかります。
また人だかりしている理由もわかりました。(サクラもいるんじゃないか? という気もするが)
ただ、「二軒置いた隣り」の意味はよくわからない。
プランタンの「二軒置いた隣り」にしても・・三倉靴店の「二軒置いた隣り」にしても・・・
このアサヒグラフの写真とは食い違います。
また……同「銀座細見」付録の、銀座通りの店名調査表に「銀座オクション」の名はないんですよね……
なんだかよくわかりません。
おそらく「銀座細見」の時代には、銀座通りからは移転していたのでしょう。おそらく。
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□□□□□□□□
えー、
その2です。
昭和3年(1928)の銀座通り(東側)を見て行きます。
今回は大百貨店……松坂屋が登場しますのでようやく銀座らしくなってきます。
そもそも当時のアサヒグラフとしても……
松坂屋・三越・松屋の建ち並ぶ「東側」を
「銀座」のメイン……主役と考えてゐたんでしょう。
ちなみに銀座通り「西側」というとまず思いつく――服部時計店の時計塔(渡辺仁設計)が竣工したのは
昭和7年6月だそうですので、この当時はまだ存在しません。
もとい、
写真④ 銀座七丁目(竹川町)
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番号をふっていきます。
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22……〇信盛堂
確定です。洋品店、らしいです。
「銀座細見」によると大正10・14年 昭和5年 一貫してこの地に君臨しています。
「銀座 信盛堂」でググったところ
島根県の可部屋集成館という施設のHPに行き当たりまして、
その某お屋敷のかつての主人が 銀座信盛堂で購入した帽子、なんてものの画像が出てきます。
(いま見てもカッコイイ)
輸入物の服飾品を扱っていたようです。
あとで触れますが、「銀座細見」によれば・・・大衆向けの店で高級店ではなかった由。
23……〇シネマ銀座
草思社の「銀座 歴史散歩地図」p71によると
震災後にできた映画館。当初は松竹系の封切りを上映したが、
のちに外国の名画を上映し、活況を呈した。
とあります。
「銀座細見」は、この映画館の評価が低く
中公文庫p222
「銀座シネマ」は、バラック時代のはじめごろ出来たので、今は銀座第一の大アーチを正面に作って、
外観は甚だ目立つが内容は一向振わない。
とあります。
たぶん……数寄屋橋方面にちょっと歩けば
当時「邦楽座」という有名な映画館があったので、
それもあって評価が低いのかもしれないです。
インテリの安藤更生先生(銀座細見の著者)は、
ここに行くくらいなら邦楽座に行ったのかもしれないです。(勝手な推測)
信盛堂、シネマ銀座↓↓
どちらもアクが強い……
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24……〇三幸大阪すし店
店名は写真から読み取れないのですが、
のれんに「大阪壽し」とありますので、これは確定でしょう。
「銀座細見」によればこの場所は移り変わりが激しく
大正10年→アンドリウスジョジコンパニー(機械商、とのこと)
大正14年→三幸大阪すし店
昭和5年→空地
「銀座細見」中公文庫の192-194ページにかけて 銀座の寿司屋さんについて書いてますが
その中に「三幸大阪すし店」の記述はありません。
これまた勝手な推測ですが……
・関東大震災でアンドリウスジョジコンバニーが撤退
・その空地に大阪から三幸大阪すし店が進出
・だが、たいして流行らず、早々に撤退
というストーリーが思い浮かびます。
25……〇聖公会新生館
写真から「新生館」と読めますので確定。
これは、お店じゃなくて教会だとおもいます。
「銀座細見」「銀座 歴史散歩地図」によると
震災以前は「新橋教会」という、この写真より大きな教会があったようです。
名前が変わったのはなぜだろうか??
26……〇森田洋品店
写真からは、なんとなく MORITA? かなぁ……
と判別が難しいのですが、
「銀座細見」「銀座 歴史散歩地図」から、
震災前、震災後、一貫して「森田洋品店」と記述がありますので、確定。
「22」信盛堂
「26」森田洋品店、に関して 「銀座細見」の記述を引用します。
洋雑貨では本木、森田など第一流の店である。本木はネクタイに豊富で、派手好みの佐藤春夫氏など大いにこの店を推賞している。森田は英国風の上品な店である。赤塗りで有名な七丁目の信盛堂は大衆向な洋雑貨店である。売物の種類によっては極めて便利な、格好な店だ。
(同書220ページより)
辛口の安藤更生が言うのだから、上品な高級店だったのでしょう。
アクの強い信盛堂は「赤塗り」だったこともわかりました。
27……×松屋呉服店
ここは不明です。
「森田洋品店」と「松喜牛鳥料理店」の間のこのスペースは
「銀座細見」によると
大正10年→松屋呉服店
大正14年→松屋呉服店
昭和5年→バー朱雀、太平楽(何の店かわからない)
――となっておりますので、
おそらく写真に写っているのは「松屋呉服店」なのだろう、とおもいますが、
決定的な決め手には欠けます。
今はこのあたりは 坂茂先生設計の ニコラス・G・ハイエックセンターですかね?
スウォッチグループのビルね。
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お次。
写真⑤ 銀座七丁目(竹川町)・銀座六丁目(尾張町二丁目)
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大きな間口の建物が3つ並んでおります。
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28……〇松喜牛鳥料理店
写真から「牛鳥松喜」と読み取れますので確定。
震災前から営業している店のようです。
しかし――「牛鳥料理」という言い方は今はしませんな。
どうせなら「豚」もやればいいのに。
29……〇銀座ビヤホール
「銀座細見」によれば
大正10・14年、昭和5年・・・一貫してここは「銀座ビヤホール」です。
そして、現在は「ライオン銀座七丁目ビル」ですね。
今あるビルヂングは 昭和9年(1934)竣工とのこと。
日本最古のビアホールだそうです。
その前身がこのバラック建築です。
30……△東京貯蓄銀行
写真からはまったく手掛かりなし。わかりません。
あまりと言えばあまりにテキトーに作ったバラック建築です。
(関東大震災後ほんの数年しか経っていない、ということは頭に入れておきましょう)
しかし――
「銀座細見」によれば
大正10年→東京貯蓄銀行
大正14年→株式会社東京貯蓄銀行京橋支店
昭和5年→東京貯蓄支店
……というので、東京貯蓄銀行、というものなのでしょう。
が。あまりにも……銀行らしくないんだよな。
なんか西部劇に出て来る酒場みたいな建物です。
「モデルノロヂオ」から推測するに、この建物は昭和6年にはなくなっていたようです。
さすがにチープすぎるから建て替えたんでしょう。
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次の写真にうつります。
写真⑥ 尾張町二丁目(銀座六丁目)
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番号をふります。
「31」の建物。
「30」と同じ建物のような感じもするんですが、
「銀座細見」および「銀座 歴史散歩地図」の記述から別の店だろうと判断しました。
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31……△サンデン電気
「30」と繋がっているような、西部劇風バラック建築。
写真からはまったく手掛かりがないですが、
大正10年→サンデン電気商会
大正14年→サンデン電気株式会社
昭和5年→サンデン電気
と、「銀座細見」に記述がありますので、サンデン電気なのでしょう。
(電機関係、でしょうねえ)
「モデルノロヂオ」によれば、やはり昭和6年には建て替えられています。
昭和3年時点では関東大震災の爪痕が残っていたが、
昭和6年には一掃されていたのかもしれません。少なくとも銀座通りに関しては。
32……〇警醒社書店
「銀座細見」によれば
大正10年→警醒社書店
大正14年→警醒社書店
昭和5年→書籍 紀伊国屋
となっており、昭和3年当時のことが分からないのですが――
草思社の「銀座 歴史散歩地図」を読むと
この「警醒社書店」→「紀伊国屋」のバトンタッチの経緯が書いてあります。
銀座通り六丁目東側、天賞堂の隣に「警醒社」がある。キリスト教関係の出版社で書店も営業していた。ある日、新宿紀伊國屋書店の田辺茂一に、ここに銀座支店を出さないかという話があった。申し入れを引き受けた田辺は、昭和五年(一九三〇)に書店を開業。階上を「B・G・C」(ボーイス・アンド・ガールズ・クラブ)というサロン(のちギャラリー)にしている。
(草思社、赤岩州五編著、原田弘、井口悦男監修「銀座 歴史散歩地図 明治・大正・昭和」70ページより)
……ということは、写真の建物は「警醒社書店」で確定でしょう。
33……〇天賞堂
銀座のお店のビッグネーム中のビッグネームでしょう。
写真からも TENSHODO HONTEN とはっきり読み取れます↓↓
間口も広い。建物も立派。
ショーウィンドウにどんなものが陳列されていたんでしょうか。
とても気になります。
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34……〇森永キャンデーストア
ずいぶんおしゃれな雰囲気のファサードです。
まさかキャンディだけを売っていたわけではないでしょう(?)
二階で食事できたりしたのかな??
35……△宮沢家具店
このあたり……天賞堂と松坂屋に挟まれたエリアは、変化が激しいらしく、
「銀座細見」「銀座 歴史散歩地図」をみてもなにがなんだかよくわかりません。
ただ、写真から……「宮澤」と書いてあるようにおもえますので(確信はできない)
「銀座細見」の昭和5年12月20日調査に書いてある「宮沢家具店」なのでしょう。
ただ、この昭和5年の記録では
「本木(洋品)」「バーファースト」「宮沢(家具)」という並びになっているのが
この写真と食い違います。
この昭和3年のこの写真では「本木」と「宮沢」が隣り合っていて
「バーファースト」は入る余地はないわけです。
「モデルノロヂオ」をみると、このあたり一帯建て替えたことがわかりますが……
「モデルノロヂオ」の昭和6年の図は店名の記載がまったくないので・・・
これまた、なにがなんだかわかりません。
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次。
写真⑦ 銀座六丁目(尾張町二丁目)
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番号をふります。
壮麗な松坂屋の建築(39番)が他を圧倒しております。
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36……〇本木支店
写真からはっきり「本木支店」と読めます。
あとの文字は推定ですが……「直輸入洋品雑貨」でしょうか。
「シャツ」のあとは何と書いてあるのか??
これが安藤更生が一流の洋品店という「本木」なのでしょう。
ネクタイが豊富とのこと。
本店はどこにあったのか?
「モデルノロヂオ」から判断するに昭和6年には新しい建物に建て替わってます。
37……〇かごや
38……〇村松時計店
「かごや」は、写真から店名がはっきり読めるので確定。ただ何の店か、わからず。
「村松時計店」は、「銀座細見」の大正10・14年、昭和5年の記述にありますので確定としました。
「本木」と「松坂屋」の間のこの二店舗。
「モデルノロヂオ」から判断するに、昭和6年の段階でもこの建物のままのようです。
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39……〇松坂屋
「銀座 歴史散歩地図」の記述を引用しますと、
松坂屋 大正13年10月1日、二丁目に支店を開店。11月に尾張町二丁目に竣工した国光ビルを借り受け、12月1日松坂屋銀座支店を開店。送迎自動車や屋上に動物園を設ける。
(同書56ページより)
この動物園は……「銀座細見」によりますと、ライオンがいたようです。
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↑↑なんとものどかな昭和3年の光景です。
ショーウィンドウに人だかりがしていますが、何をみているのかな??
(人だかり、と言ったって、十人かそこらしかいない……)
その3につづく。