ひきつづき、岩波文庫「紅楼夢」一巻の中身を見てみます。
第五回以降、物語はエロ要素がどんどん増加していきます。
わくわく。
・第五回
前回紹介した薛宝釵(せつ・ほうさ)の登場に続いて、
賈宝玉(か・ほうぎょく)がみる夢の描写があります。
警幻のその言葉がまだ終わらぬうちに、迷津の水が雷のように轟きわたったかと思うと、無数の夜叉や海鬼の群れが現われて、やにわに宝玉を水の中に引きずりこもうとする。宝玉はあっと驚いて、汗が雨のように流れ出るとともに、思わず声を放って叫んだ。
「可卿(かけい)!助けてーー」
その声に襲人ら腰元たちはびっくりして、急ぎかけつけて宝玉を抱きおこし…
(岩波文庫「紅楼夢」一、165ページより)
水イメージ、怪物たち、流れる汗、悲鳴…
勘のいい読者は、もうこのあたりで、
「これ、夢精じゃね?――宝玉ちゃん、精通じゃね?」
…などとおもうわけですが、
そのあたりは第六回で詳しく語られます。
・第六回
前回の夢の描写の直後です。
そのとき宝玉は、ぼんやりと腑抜けのようになっていた。女中たちがさっそく桂円湯を運んできたので、それを二口か三口飲むと、やおら起きあがって着物をつくらおうとした。襲人が手をのばして宝玉にズボンの帯を締めてやるとき、ふと手がのびて太股のあたりに触れた拍子に、思わず冷やりと、なにかべとべとしたものを感じたので、はっとして、急に手をひっこめ、
「どうなすったの?」
ときいた。宝玉はぱっと顔を赤らめて、彼女の手をぎゅっと捻じた。襲人はもとより至ってりこうな娘である。それに年も宝玉より二つか上で、ようやく物を知りそめた年頃ではあり、いま宝玉のそうした様子を見ると、さてはと心中に半分方それと察して、思わず自分もはずかしさに面を赤らめ、それ以上はきかなかった。
(同書167ページより)
べとべと、ですって…
やっぱりそうであったことがわかります。
顔を赤らめた宝玉ちゃんの様子などがかわいいです。
ま。このへんのくだりは「紅楼夢」のなかで
僕が三番目に好きだったりするので
(一番はやっぱり晴雯ちゃんの死、二番は尤三姐の死、です)
ひととおり引用してしまおうとおもいます。
以下、上の文章のつづき…
そしてそのまま服をたたみ、宝玉についてご隠居さまのところへまいり、夕ごはんもそこそこにすませてこちらへ帰ると、乳母や腰元などがそこらにいないときをうかがって、別にズボンを一枚取りだして、宝玉に換えてやった。宝玉ははずかしげに、
「ねえ、いい子だから、けっして人には言っちゃだめだよ」
といって頼んだ。襲人の方でもはずかしさをこらえて笑いながら、
「若さま、どんなことを夢でごらんになりましたの?どこからあんなきたならしいものが……」
ときくと、宝玉は
「ちょっと一口には言えないよ」
といって、夢でみたことを詳しく襲人に話してきかせた。そして話が警幻仙女から男女の道を授けられるくだりまでくると、襲人ははずかしさに面を掩い、(おもてをおおい)、身をうつ伏せにして笑うのであった。宝玉も日頃から襲人の物腰やさしく、なまめかしい様子を憎からず思っていたので、ついに襲人にせがんでともどもにかの警幻仙女に授けられた男女の事を味わった。
(同書167-168ページより)
…というように、主人公・賈宝玉が
「男女の道」「雲雨の情」とやらに目覚めるところが描かれます。
「どこからあんなきたならしいものが…」
襲人姉さんの、なんかSっ気のあるセリフがたまりません。
えー…
と、ここまでくると、
「ハハァーン、なるほど、『紅楼夢』というのは、こういう小説なのか」
…とおもわれた方も多いのではあるまいか。
「つまり、あれでしょ、こんな調子でわがまま坊ちゃん賈宝玉の女遍歴が描かれるエロ小説、なわけでしょ?え?」
…そう、おもわれたんじゃないですか?え?
というか、僕はそこを期待いたしました。
だって…ローティーンでさっさとやることをやってしまった
金持ち女好き坊ちゃんが…
「晴雯」ちゃん、だの「麝月」ちゃん、だの…
名前からしてもうたまらない美人の侍女にかしづかれて
日夜生きているわけですよ、これはなにも起こらないほうが
逆に不思議。
ところがなにも起こらない。
「紅楼夢」全12巻、
いろいろな人物のいろいろなエッチシーンが登場しますが、
(男-女、男-男、女-女…いろいろあります)
肝心の賈宝玉の行為はたった二度、
上に紹介した襲人ちゃん相手のものと、
11巻だったか、12巻だったか、忘れましたが、
嫁さんの薛宝釵相手のもの…このたった二回だけなのです。
最愛の女性・林黛玉とはなにもなくして終わるし、
侍女の中で一番の美人の晴雯ともまたなにもなく終わります。
このあたり訳者の松枝茂夫先生は以下のように解説しておられます。
ただ宝玉にしても宝釵にしても、狎褻(こうせつ)するにはあまりにもたがいに敬愛し合っていた。宝玉は晴雯とあれだけ狎れ昵み(なれなじみ)ながら、晴雯を処女として死なせた。黛玉との場合は一層そうであった。愛すればこそである。真に愛すればこそ彼女らを「清浄女児」のままで死なせねばならなかった。
宝玉は幼くしてすでに何人かの女の肌を知っていた。秦可卿や襲人、あるいは香菱も?あるいは……?のつく女性がまだ外にも何人かいたはずである。だが彼は、第五回、警幻が保証しているように、決して「皮膚濫淫」の徒ではなかった。晴雯と黛玉の清浄な死に直面して、宝玉は何か悟るところがあったのではあるまいか。
(岩波文庫「紅楼夢」八、407ページより)
なるほど…
ま、このあたり…
賈宝玉という人のけっこう複雑なメンタリティに関しては
色々書きたいことがあるんですが、今日のところはこれまで。