目下カウボーイビバップの世界にひたっております。
抜け出せるものかどうかわからないです。
引き続き「カウボーイビバップ」見たことない人には
まるで意味をなさない記事を書き続けます。
川元利浩「カウボーイビバップ イラストレーションズ ~The Wind~」
なる本を買った。画集ですね。
以下の画像はその本から。
しかし「かっこええかっこええ」いってるだけでは
何の収穫もないので、とりあえずこの世界を分析してみようとおもいます。
まあ、こないだ買った
「トーク・アバウト・カウボーイビバップ」の批評が
なんともかったるいものであった、というのも理由の一つではあります。
しかし…まー…以下、
アニメもマンガもあんまし触れたことのない人間の批評なんで…
どうなのかな??
□□□□□□□□
①セック○なき世界
まずこれから分析しようという世界がどのような世界であるのか?
と考えた上で最初に出てくるのは、ですね、
「いかにもセック○してそうなカップルが一切登場しない世界」
ということになるかとおもいます。
その点でいうとSession#1「アステロイド・ブルース」
に登場するアシモフ&カテリーナというカップルは興味深い。
この二人が酒場にフラッとはいってくる登場シーン…
これが長髪のイケメン&妊婦さんという
「いかにもセック○してそうなカップル」
なんで、
おいおいトマス先生なにいってんの?という感じがするんだが
あにはからんや
我々観客は、このイケメンが完全なジャンキーであること、
妊婦さんとおもいきや、その膨らんだお腹の中身は
ドラッグであること、
それとこのカップルの関係は完全に破たんしていること等々を
おもいしらされるのである。
ようするに「カウボーイビバップ」という作品はそのしょっぱな第1話から
「セック○」は描きませんよ。
ということを宣言してしまっているわけであります。
そのことは主人公たちも同様で、
スパイク・スピーゲル&フェイ・バレンタイン
なんていうのは若いヤリたい盛りの年代の男女が
狭い宇宙船の中で年じゅう顔を突き合わせているわけで
これはどうにかなるより他ないとおもわれるのだが…
スパイクは「ジュリア」という過去の女のことしか考えてないし…
フェイは記憶喪失&莫大な借金かかえている、で
自分のことに手いっぱいな女であったりする。
で、けっきょく最終話Session#26で、
フェイはなんとなくスパイクが好きらしいな…という感じで終わっちゃう。
おそらくBoy meets Girl 物語にすることは非常に容易だったろうと
推測されるのではあるが
(たとえば…スパイクは最終的に死なずにビバップ号に戻り、いがみあっていたスパイク&フェイが結ばれる、ジュリアも死んだことだし…というような結末)
実際に我々の目の前に存在する「カウボーイビバップ」には
セック○のセの字もないわけである。
とにかくこの「カウボーイビバップ」は
「セック○」から逃げ続けるのである。
全26話の中でたった一度だけ
具体的な性行為が描かれるのは
Session#8「ワルツ・フォー・ヴィーナス」
の同性愛カップルの男臭いセック○であることは
興味深い。
(回想シーンでジュリア&ビシャス、ジュリア&スパイク、のなんかそれっぽいシーンがでてくることはでてきますが、それは「具体的」ではないでしょう)
…それとその男二人が裸で抱き合っている現場にふみこんだフェイの
あまりにそっけない態度…
(フェイは二人にピストルをつきつけて情報を求める、無感動に)
この第8話に登場するのは
ロコ・ボナーロというチンピラとその妹ステラであるのだが…
この二人を「兄妹」という関係にする必要性が僕にはまったく感じられない。
(これは見たことのない人に説明すると…チャップリンの「街の灯」みたいな盲目の少女をめぐるストーリーなんである)
ようするにこれは「兄妹」ということにしないと
ロコ&盲目の少女ステラは
「いかにもセック○してそうなカップル」でしかないからだと
おもう、というかそれ以外の理由はない。
さらにこのSession#8が金星=ヴィーナスという
セック○をつかさどる女神の惑星で行われていることを考えるのは
深読みしすぎなんでしょうか??
あと、ですね…
ここらでSession#18に登場するビデオマニアがみていた大昔のドラマがやっぱり「兄妹」モノであったことを思い出してもよいだろう。
(これだって普通のラブストーリーがでてきても良かったはずである)
「カウボーイビバップ」はとにかくディテールからして
セック○を注意深く排除しているのである。
②流浪する王子=スパイク
主人公スパイクという人は、
かっこいいながら間の抜けた感じのほんわかしたヤツなんですが
昔の女の「ジュリア」のことになると…とたんにマジになる。
全26話中、Session#5,#12,#13,#25#26
この5話においてスパイクはマジになってしまう。
んで、ジュリアをめぐるライバル(であるらしい)
ビシャスと最後決闘になり、でスパイクは死んでいくのであります。
スパイク・ビシャス・ジュリア…この三角関係が
「トーク・アバウト・カウボーイビバップ」のマヌケな批評家たちには
どうも分析不可能であったらしいのだが…
これはわかってみればホントに簡単なことである。
というか、我々観客はこの関係がわかっているからこそ
「カウボーイビバップ」に感動するのである。
中途半端なインテリ野郎はこのあたりの機微がつかめずに終わってしまう。
ま、ともかく答えあわせの前に
岡島正晃とかいう人の分析をみてみることにします。
(別にオカジマさんに恨みがあるわけじゃないんですが、ごめんね)
なぜビシャスは、あそこまでスパイクを憎むのだろうか?
二人の過去が明確に語られることはないが、断片的に挿入される回想シーンから推察することはできるだろう。それは、同じ臭いと実力を持つ者同士の共感と、ジュリアを巡るスパイクの裏切りに端を発しているように思える。
ビシャスがジュリアに対してどれほどの想いを抱いていたのかは判らない。だが、彼女の存在は恐らくきっかけに過ぎなかったのだろう。ビシャスにとって本当に辛かったのは女を奪われたことではなく、レッドドラゴンの権力中枢――あるいはそこに至るための、ともに生きた闘争の日々という「天国」を捨て、スパイクが生きる道をほかに見いだしてしまったことだ。言うなればビシャスは、スパイクに「置いてきぼり」を食らった格好なのである。
(太田出版「トーク・アバウト・カウボーイビバップ」117ページより)
はい。三流批評家のいつものパターンです。
勝手に登場人物の心理を推測、描写して…
つまりありもしない「空中楼閣」からすべての結論を導き出すわけです。
「ジュリアを巡るスパイクの裏切り」
「ともに生きた闘争の日々」
まー…たしかに2,3秒それを示唆するシーンはありますが、ね…
あのね…
きちんとビシャス&スパイクの関係をとらえたいのなら…
二人の決闘がなぜ「儀式」めいた舞台で行われるのか?
それを考えないと、だめ。
Session#5のゴシック聖堂
そしてラストSession#26…レッドドラゴンの本部の「儀式の間」
のことを僕はいっている。
「儀式」…つまり、二人の関係は三角関係だの
「生きる道」がなんだのという…個人の心理とは関係がない。
これは「神話レベル」の闘争以外なにものでもない。
これは「王位継承」を巡る神話なのである。
フレイザー「金枝篇」
コッポラ「地獄の黙示録」
…そして「ハムレット」
あるいはギリシア神話をはじめとする世界中の神話群。
「まず王位の簒奪者があらわれる。
簒奪者は正統な王位継承者をあの手この手で虐待する。
だが最後、王位継承者は簒奪者を倒す。
(もしくは暗殺に失敗して死ぬ)」
この定型。
「地獄の黙示録」の
マーロン・ブランド(簒奪者)&マーティン・シーン(王子)
は、わかりやすいところだろう。
「ハムレット」は、
クローディアス(簒奪者)&ハムレット(王子)
この二人は共倒れになってフォーティンブラスというのが
王位をさらってしまうわけですが…
わが国の神話をみてもよろしい。
「古事記」にあらわれるスサノオ、オオクニヌシ…
どちらも流浪する王子、です。
ふたりが幾多の困難を背負わされることも同様。
歴史上の出来事だってこの定型がみえます。
源頼朝(簒奪者)&源義経(王子)
スターリン(簒奪者)&トロツキー(王子)
これは二つとも「簒奪者」が勝利するパターン。
義経にしろ、レフ・トロツキーにしろ、革命戦の主役、
気高くルックスのよい「王子」であったわけです。
それが「簒奪者」の…理解不能なほどの憎悪を浴びて
「王子」は逃走…
さいご殺されるわけです。
「なぜビシャスは、あそこまでスパイクを憎むのだろうか?」
それは…
――ビシャスは王位の簒奪者であり、
スパイクは正統な王位相続者であるからです。
それ以外に、ない。
スパイク・ビシャス・ジュリア――…
この三人の関係に「なんとなく」我々が納得させられてしまうのは、
この「王位継承神話」があるからです。
おそらく「ジュリア」という謎の女の正体は
「ハムレット」のガートルード王妃…
王妃であり、母であり、貞淑な妻であり、娼婦であり、
恋人であり、殺人者であり…
そんな女なのでしょう。
はい。
以上…「セック○が存在しない」
「王位継承神話」
この二つについて語ってまいりました。
そうそう、前回…
「なぜエドはビバップ号を降りてしまったのか?」
この大問題を提示しましたが、
このことについては全然書けませんでしたので、次回書こうと思います。
というかこんな記事、誰か読んでくれるのかね?
定型ほど強いものはない。