「カウボーイビバップ」、26話全部みた。
あと映画「天国の扉」もみた。
映画は…途中からダレる気がします。
後半は予定調和です。
「ビバップ」のいいところは、
「好きなヤツだけついてこい」
「わからねーヤツはあっちいけ」
というところだとおもうんだが…
映画は万人向けに「説明」しすぎだとおもう。
(見始まって1,2週間でよく言うよ、この人)
5点満点だと「☆☆☆」というところだろうか。
やっぱりあの4人は25分で再び暴れてほしいものです。
ま映画はともかく、
関連書籍を何冊か買っております。
太田出版「トーク・アバウト・カウボーイビバップ」なる本。
↓↓
アマゾンの評価にそんなことが書いてあったような気がするが、
けっこうお得な本ではなかろうか。
全26話のおはなしの解説。批評。
それから↓…のような、2071年の世界を彩る
小道具、武器、乗物等々の解説なんかもついている。
ただ…――
この「批評」のところがかったるい気がする。
なんつってもわたくし、アニメにはあんまし縁がない生活を送ってきたもので
アニメ作品に対して通常どのような批評が行われているのか
よくわからないのだが…
あと…たまたま低レベルの批評にぶつかってしまっただけなのかもしれないのだが…
「カウボーイビバップ」ははっきりいって
こんな低レベルの批評家・ライターどもに任せておいてよいシロモノではない、
とおもうので、いちおう僕がやれるだけやってみようとおもう。
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おそらく「カウボーイビバップ」における最大の問題は
「なぜエドはビバップ号を降りてしまったのか?」
ここにつきる。
Session#24「ハード・ラック・ウーマン」で
エド、ことエドワード・ウォン・ハウ・ペペル・チブルスキー4世が、
BYE BYE とでっかくビバップ号の甲板に書き殴って
コーギー犬のアインと一緒にいなくなってしまう、そのことをいっている。
そしてこのエピソードのあと、
Session#25「ザ・リアル・フォーク・ブルース(前編)」
Session#26「ザ・リアル・フォーク・ブルース(後編)」
この2話で、「カウボーイビバップ」は終焉にむかう。
ようするにビシャスと斬りあって
主人公スパイク・スピーゲルは死んでいくのである。
物語全体のターニングポイントである
「なぜエドはビバップ号を降りてしまったのか?」
…
このことに関して、エド役の多田葵さんは以下のようなことをいっている。
エドは、みんなのことをお見通しなんです。あの4人の中で、誰よりも客観的に人を見ているのはエドなんですよ。フェイフェイがスパイクのことを好きなことも知っているし、ジェットも慕っているふりをして、実は自分で使っているじゃないかな。スパイクとはあまり絡まないけど、フェイフェイには賞金の話をすれば喜んでくれるのも全部わかってる。あの中では一番無垢だし、人のことを疑ったりしないじゃないですか。ただ、わからないふりをしてるんじゃないかと。映画でも言ってましたよね。ジェットが、スパイクとフェイから連絡がなくて、ふて腐れてるときに「電話待ってるんじゃないのー」っていうシーンがあって。ああいうことを言えるのはエドだけの特権なんですよね。だから、全部わかっていたからこそ、ビバップ号を降りたんだと思います。
(「トーク・アバウト・カウボーイビバップ」299ページより)
あるいは…同じ本の中で
岡島正晃とかいう人はこう書いている。
(トマス注:フェイ・バレンタインとは反対に…)
反対に、エドはこの物語の中で自分本来の居場所――不器用な大人の集合体であるビバップ家族の一員ではなく、フェイが失った「実感を伴う過去の絆」の中へ戻って行く。もちろん彼女の中では「仲間」であるビバップ・ファミリーの存在は「本物の家族」と同じく大事だったに違いない。しかし、そこには未来に繋がる延長線はなかった。物語の構造から読み解けば、それは「前途ある」少女がもう一度本来の人生を生きはじめるコトで、過去に縛られたスパイクのドラマから脱出することを意味していたのではなかろうか?
(同書240ページより)
以上が「エドはなぜビバップ号を降りてしまったのか?」
という疑問に対する「トーク・アバウト・カウボーイビバップ」の解答である。
多田葵さんのはなしは女性らしく鋭くて、僕、好きです。
一方の岡島とかいうのは多田さんのいってることを
「集合体」とか「延長線」とかインテリ臭い用語で繰り返しただけの
悪文でしかない。
ま、どっちにしろエドの心理、内面を勝手に推測して
それで「エドはなぜビバップ号を降りてしまったのか?」
この問題に対する答えにしている。
それならばAさんにはAさんの答えがあり、
BさんにはBさんの答えがある…とそういうことになるだろう。
そもそも「エドはなぜビバップ号を降りてしまったのか?」 この問題は僕がおもうに 「物語とは何なのか?」という実に大きな問題にもかかわってくるのだが… (ビバップ家族…「家族」というのもまた「物語」に過ぎない…) ま、つづきは次回書いていこうと思います。 というか、「カウボーイビバップ」見てない人には わけのわからん記事になってますね。
それはマジメな批評家としてとるべき態度ではない。