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「色の道商売往来」「ラブ・ヴァージョン365日」感想

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ちくま文庫、というやつは

巨匠先生の全集をばっちり安価に揃えていたりして、

あるいは毛唐先生のけっこうマイナーな作品も網羅していたりして、

「オホホ、わたくしインテリ御用達でございますのよ」

というような顔をしていながら、じつはエロ本の宝庫であったりする。



今回…わたくしがブックオフの100円コーナーで購入いたしました

3冊のちくま文庫

・小沢昭一・永六輔「色の道商売往来」

・小沢昭一・永六輔「遊びの道巡礼」

・ペギー&イヴァン・バーク「ラブ・ヴァージョン365日」


これは3冊とも見事にエロ本であった。

こんな汚らわしいものは上品な当ブログで紹介すべきではないのだが、

たまたま「男のエロ」と「女のエロ」との違いを

この3冊が如実に表していたので、ここに紹介することとする。


ちなみに、結論を先に言ってしまうと

「男のエロはマクロを志向する」

「女のエロはミクロを志向する」

と、こうなります。


この違いをよく噛みしめてから以下の文章は読むべし。


トトやんのすべて


まず、「色の道商売往来」…

小沢昭一先生は、今でも元気にエロ話やらかしているからわかるが、

永六輔、ねえ…

でもあのヨボヨボ爺さんにも若いころがあったのだな、

ということがよくわかります。


僕は高校時代に身売りをすすめられたことがある。

アルバイトに通信社の原稿とりをしていた時、さる著名な画家のところで、「だまっていうことを聞けばパリへ連れていくという紳士がいるが、どうだろう」と、その旦那にひきあわされ、パリと肛門をはかりにかけて、肛門の方を守ったのである。

(ちくま文庫「色の道商売往来」118ページより)


どんどん引用してみよう。

以下、小沢先生とマッサージ嬢の会話。

太田:アラ、全盲の男性は、女の客にもてるんですよ。顔を見られないから、相当に恥ずかしいことも頼んじゃうんですって……

小沢:わかるね。有名な女優さんで、そういう人がいたよ。男の全盲のあんまさんにいろいろ大切なところをもんでもらうんだ。だれだかわからないから、平気でもだえたりできるわけだ。

太田:ちょっといいわね。美女とあんまがウヒヒヒヒ……。

(同書193ページより)


え~、小沢先生とおかまのおとき姐さん。

(トマス注:初体験について)

おとき:年がわかっちゃう。軍隊よ。わたし、終戦まぎわに行ったんです。高射砲隊よ。

小沢:高射砲…ちょっと似てるね(笑)。軍隊というのは、特殊なところでね、そのケのない人でも、あのあいだじゅうは、まったく代用品として、一時しのぎにその道に入る人が多いんですね。

おとき:将校の人には、好きでない人に無理にやられたこともある。でも、それは本式じゃない。スマタって、またを使ってやられたのね。

(同書226-227ページより)


これで最後にしておきます。

小沢先生とアジアを股にかけた娼婦お照さん。

(トマス注:中国人のセック○)

小沢:まず、どうします。

お照:女の子をまっ裸にして、すっかり見るわけです。それこそ、写真とったみたいに見ちゃうんです。

小沢:なでまわすようにして見る。

お照:こんどは、パッと開かせるんです。そして眺めて、それから舌を使ったり、手を使ったりする。手でも、ガタガタやりやしません。

小沢:日本人は性急でしょう。ただ輪転機みたいに、ガッチャンガッチャンやりゃいいと思っているやつが多いんだな。

お照:あれは、合わせようがない(笑)。

(同書267ページより)


一見…ただのエロ話の羅列のようにおもえてしまいますが、

そうおもってしまったあなたは、

甘い。


実は小沢昭一、かなりクールである。醒めている。

実は…実は…この男、

「エロ業界の文化人類学」

を作ろうとしているのではあるまいか、と僕はみました。

じっさい、ですね、

このたった3カ所の引用からでも

「全盲の男の場合」「軍隊の場合」「中国人の場合」

と3通りのセック○がはやくも分類できてしまっている。

永六輔の「芸能界の場合」というのをいれると4種類。

さらに細かく言えば…

おかまのおときさんの場合「将校の場合」「下士官の場合」

「好きな人の場合」「好きではない人の場合」

それぞれのセック○が分類されてゆく。

この調子で風俗業界関係者へのインタビューが

350ページ続きますので…

まあ、単純に考えて1000種類強のエロが分類されることになる。


□□□□□□□□


つづいて「ラブ・ヴァージョン365日」の感想

…なんですが、内容が

はっきりいって気持ち悪い

ので、ほとんど飛ばし読みです。


引用…の前に

この本のシステムを解説しておくと…

「一年365日。毎日毎日どのようなセック○テクニックを

駆使すれば、素敵な彼氏を籠絡しつづけることができるのか」

という素敵なガイドブックです。


1月28日 グラビア少女

グラビア少女になりましょう!

友人(もちろん、女の)に頼んでポラロイドカメラで、あなたの写真をたくさん撮ってもらいます。できるだけセクシーな写真にしましょう。そして、彼が好きな男性誌の最新号のグラビアページに貼っておくのです。

あとはくつろいで、彼がそれを見つけた時の反応を待つとしましょう。

(ちくま文庫「ラブ・ヴァージョン365日」31ページより)

つっこみどころがたくさんある。

①まず、ある程度スタイルの良い女でないとムリ。大惨事になる恐れが大。

②「彼」が好きな雑誌が「週刊プレイボーイ」「週刊ポスト」だったりしたらいいだろうが、

もっと硬派な野郎だったら、どうするのか?

オタクな彼のお気に入りの二次元キャラの上に「あなた」の

ブサイクな裸像を貼ったりしたら一体どんな惨事が招来されることか?


5月10日 肺炎

肺炎にかかったふりをしましょう!

ひどい肺炎にかかり、胸が締めつけられるようだ、と彼に訴えましょう。胸をさすってくれるように頼み、ローションを渡しましょう。あなたの胸に塗ってもらうのです。そして、ちょっと微笑んだら、嘘をついていたと告白します。

 お返しに、彼はあなたに健康的な愛撫を与えるはずです。

(同書136ページより)

↑と、いうか、ここまでしなけりゃならない仲、ってことは

…もうあんたら終わってる気がするが?


5月16日 トップレスでボトムレス

仕事中の彼に電話をしてみましょう。ちょうど今、フロントレスでバックレス、トップレス、そしてボトムレス、しかもストラップレスのガウンを買ってきた、と言うのです。彼は、そんな服はどう考えても存在しないはずだ、と主張するでしょう。でも、ちゃんとここにある、と言います。彼はそれがどんなものなのか、その日一日中、気になって仕方ないはず。

(同書143ページより)

↑これもまた、つっこみどころが満載。

①そうとうに暇な「仕事」をしている彼らしい。

②誰でも「ようするにスッポンポンなんだろ」とわかるとおもうのだが??

「彼」は相当にマヌケらしい。

③というか、セック○テクニックを磨くくらいしか頭にない

アホ彼女と付き合っておいて、そんなことも頭に浮かばない程度の

阿呆だから、お前、暇な仕事しているんだよね、当然だよね。


と、まあ、こんな本です。というかかなり穏やかな部分を引用してますので、

この場所以外は「フェラチ○」とか「クン○リングス」とか

そのものずばり「膣」「恥丘」「乳首」「ペニ○」とか

ばっかりでてきます。


まあ、どうなんでしょう?おもしろいの?こういうの?

僕はおなごではないのでよくわかりません。


□□□□□□□□


そんなわけで、一番初めに書いた結論に戻ります。

「男のエロはマクロを志向する」

「女のエロはミクロを志向する」


小沢昭一は一見ただのスケベ親父とみえて、

じつは「エロ業界の文化人類学」を志向していた。

エロ、を扱いながら実はその視線の先には

「世界」が…そして「抽象」が横たわっていたのである。


いっぽう

「ラブ・ヴァージョン365日」は、おしゃれ本を装いながら…

ひたすらに「具体的な」「エロ・テクニック」を追及していた。

この本に登場する

「女」も「男」も、「世界」を志向することは一切ない。

彼等は二人ですべて。二人がすべて。

そうして…(おそらく)…子供を作り、育ててゆくのだろう。


僕がおもわず気持ち悪くなってしまったエロ・テクニックの

おそるべき羅列は、放っておくと「世界」を志向して

「女」のもとから(保護下から)飛び立ってしまう「男」を

いかに籠絡し、あくまで「ミクロの世界」に閉じこめておくか…

その結晶に他ならないのであろう。


――――

えー…などといって、「ラブ・ヴァージョン365日」

フォローしましたが、

やっぱり気持ち悪いな。女のエロは気持ち悪い。


セルバンテス著「ペルシーレス」感想

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正式なタイトルは

「ペルシーレスとシヒスムンダの物語」

ちくま文庫で上下巻。

この前、バルザックの「セラフィタ」の感想を書いたときに

ちょっと触れたミゲル・デ・セルバンテスの失敗作です。


なんかもう一度読みたくなって読んでしまった。

そしたら、素直におもしろかった。

なんつっても「ドン・キホーテ」のセルバンテス先生である。


…う~ん、というか、月末までに会社の報告書を書かねばならない、

というシチュエーションの中で読んだから…

余計におもしろかったのかもしれません。

休日一日で上下巻読み終わってしまった…


トトやんのすべて


あらすじ

ヨーロッパのはずれ(バルト海?)のある島から

超絶美女&超絶美男の兄妹がローマ巡礼の旅に出発する。

彼らの名前が「ペルシーレスとシヒスムンダ」…なわけだが、

どういうわけだか「ペリアンドロ」「アウリステラ」と名のって旅をしている。

(偽名を名乗る理由は2回読んでみた今でもよくわからない)

ともかく、兄妹はものすごくかわゆくて性格がいいので

あらゆるところで彼らを恋人にしたい人たち

…一発ヤリたい人たちがあらわれ、トラブルを巻き起こす。

まあ、最後はめでたく(貞操を守り通し)ローマに着いて

兄妹は実は恋人同士だと明らかになって、結婚する。


感想①かっこいいアフォリズム

バルザックの「セラフィタ」は、ロマンチックな口説き文句の宝庫であったが、

こちらはかっこいいアフォリズム(箴言・警句)の宝庫でありました。

以下引用。


「災難というやつはどこまでも執念深くて、厄介払いがきかないようだ。地の果てまでも親友づらをさげて付きまとい、こっちがくたばるまでは、離れようとしないのだから」

(ちくま文庫「ペルシーレス」上巻96ページより)

話というやつは陰口という塩をきかせると興味は倍増するが、後味はにがくなる。

(同書115ページより)

恋は王杖と牧人の杖を結び、貧富貴賤を平にし、不可能を可能にし、死神もどきの能力さえ持っている。

(同書165ページより)

恋い悩む者は自分などに愛の見返りを受ける値打ちはない、と思うものである。愛は不安と切れない仲にあり、いつでもどこでも二人連れだ。

(同書216ページより)


だが詩とは素晴らしいものである。澄明の清流のごとく不浄を寄せつけない。ありとあらゆる猥雑物の中をぬけながら、太陽のごとく何ものにも染まらない。見る目に応じて評価の変る技であり、密閉されたところから射出する光線であり、ものをこそ焦がさないが目を眩ます。それはよく調律された楽器でもあって、感覚を甘くやさしくたのしませ、たのしませるとともに節度をそなえた有益なものである。

(ちくま文庫「ペルシーレス」下巻22ページより)


かっこいいです。

ただ考えてみると「ドン・キホーテ」のおもしろさというのは、

「騎士」の格好をした頭のおかしなおっさんが

たまにものすごくかっこいい警句を吐く――という基本構図にあったことを

考えると、セルバンテス先生のお得意パターンなのでしょう。


感想②ノスタルジーゆえの失敗。


文学史的にいうと、セルバンテスが生きていた時代

(つまりはシェークスピアの時代、でもありますが)

というのは、重大転機の時代にあたっております。


というのもグーテンベルクの印刷術が、「文学」――つまりは

「コトバ」というものに対する人びとの意識を完全に変えてしまった…

まさしくその時代にあたっていたから、です。


そのあたりの歴史を僕なりにひどく簡潔に説明してしまうと…


古代(シャーマンのマジカルなコトバ)→ルネサンス以前(写本による手で書かれたコトバ)→ルネサンス以降(グーテンベルクの活字によるコトバ)


というような構図になります。

この図をざっと敷衍しますと、ですね…


古代、コトバは書かれるものはなく、もっぱら発音されるものであったわけです。その時代は「コトバ=魔法」であった。パワーがあった。

文学的に見てみると、ホメロスの「イーリアス」だの旧約聖書だのがわかりやすい。神様が直接に人間に関わり「○○しろ!」「○○はするな!」と呼びかける。

これが…新約の時代になって…

つまりイエスの時代になると神は直接人々に生活に関わることをやめます。

(ま、イエス=神なんでしょうが、でも旧約のヤーウェとは明らかに違う)

「○○しろ!」「○○するな!」と圧力をかけるのはやめ、

たとえ話をつかってやさしく語るようになります。

これはコトバが、そのマジカルな性格をいくぶん弱めてしまった――つまり、写本の普及により、コトバが「書かれるもの」になってしまったことと強いつながりがあるでしょう。

今でも死海のほとりからなんとかいう写本がみつかったとかいうニュースがたまにあります。イエスの時代は写本の時代でもありました。


そして「写本」につづいて

「コトバのマジカルな性格」を決定的に破壊してしまったのが

グーテンベルクの印刷術で…

(ま、このあたりの詳細はマーシャル・マクルーハン「グーテンベルクの銀河系」を読んでいただくより他ないですが)

その結果出現した人類文学史上最大の傑作が

かの「ドン・キホーテ」であったわけです。

(やれやれ、やっとセルバンテスに戻ってきた)


このあたりの経緯はマクルーハンにいわせればこうです。

活版印刷の論理は<アウトサイダー>、つまり疎外された人間を創造した。彼は欠けるところのない人間、つまり直観的で<非理性的な>人間の典型として創造されたものである。

(みすず書房「グーテンベルクの銀河系」323ページより)


――つまりですね、「ドン・キホーテ」の基本構造をおさらいすると、

物語から完全にマジカルな要素を抜き去り、

下層階級…および中流階級の登場人物が

あくまで唯物的に物語を展開していく…という

ま、今から見ればあたりまえすぎるほどにあたりまえな構造を、

セルバンテスは発明してしまったわけです。


文句なしにおもしろい「ペルシーレス」ですが、

それでもやはり失敗作であるのは、このあたりでしょう。

セルバンテス自身はおのれの最大の発明…

つまり近代小説というシステムをこの小説で採用しなかった。


「グーテンベルク以降」の、

コトバが100%マジカルな要素を失ってしまった時代、

その無味乾燥な時代にふさわしい文学形式を

セルバンテスは最後の作品で使用しなかった。


ノスタルジーがあったんでしょうねぇ、おそらく。

コトバが神であった時代…人間が神であった時代へのノスタルジーが…

そして自分がそののどかな時代を破壊した張本人であることもまた

よくわかっていたのかもしれません。

ゆりたんのすべて。その47

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今日は

ゆりの特徴をかいていこうと思います。


特徴①やはり足は短い。


こうやって毛づくろいしているところをみると

やっぱり足が短いのがバレます。


他のネコがこういう姿勢をとると

どこか柔軟体操をするバレリーナみたいな構図になりますが、


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ま。毛づくろいに他ならない、ですな。


あと気づくのは…

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特徴②舌は長い。


舌が異様に長いです。

人間どもの手足にガブッと噛みついて、

怒られるとぺロぺロなめます。

いい気なものです。

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え~、お次。は。


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特徴③手毛…


↓下の画像をご覧あれ。

指(?)の隙間に毛が生えてるのよ、この子は。

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千葉県某所では

「Tシャツの胸元から胸毛がみえてるみたい」

などといわれている由。

あれだな、

長嶋さんとか加山雄三とかのイメージだな。


茨城県某所では

「外出しないからこんな毛が生えるんだぁ~」

といわれている。


どうかね?そんなものかねぇ?

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だがまあ、すこぶる元気ですよ。

来月末で満一歳になります。


はやいものですねぇ~

8月のおわり トーハクへいった その1

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8月最後の日、上野へ行きました。

とにかく上野が好きなのだから仕方がないです。

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こんな、すさまじい雲が浮かんでいました。

本当に明日から9月がくるのだろうか、心配になりました。


実は8月がもう一回繰り返されるのではないでしょうか。

井田寛子おねえさん!(NHK・9時40分)

ぼくたちは巨大な陰謀のただ中にいるのではないでしょうか?


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上野駅そば、こんなハイカラな…

ちょっとレンゾ・ピアノと坂茂の近親相姦っぽい建築が出来ておりました。


ちなみに大学の設計の授業で直接教わったんですが(数えるほど…)

坂先生ってけっこうおっかない人です。

今から思えば貴重な体験でしたが。



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上野へ行けば、

けっきょくトーハクへ行ってしまうわけです。


これもまた仕方がない。

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そういや

トーハク(東京国立博物館)の建物について書いてなかったので

書いてみようと思います。

竣工時の正式名称は

「東京帝室博物館」(昭和12年・渡辺仁)


というか、こうしてあらためて写真を撮ってみると、

かなり妙な建物です。

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日本を(いちおう)代表する博物館の屋根に

瓦ってのは、わかりますが…

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とにかく大理石、大理石、大理石…


時計まで、ねえ…


というか中身の機械を一度見てみたいな。

実は、カシオの電波時計だったりして…


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ステンドグラス。

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天井。ちと汚れてます。

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そういや藤森照信先生の

「日本の近代建築(下)」(岩波新書)に

トーハクのことが出ていたな、と思い出しました。


藤森先生によると、このトーハクみたいな

「伝統の形を組積造―鉄筋コンクリート造を含む―で作るという形と技術の和洋折衷」(同書19ページより)

…は、伊東忠太の「進化主義」というものに由来しているらしいです。


それじゃ、その「進化主義」というのはどのようなものかというと、


「日本の木造建築も、材料を変へ形式を変へて進化し得る余地は十分にあります。希臘の木造建築がドーリア式に進化したと同じやうな条件で、日本の木造が日本の石造のオーダーになり得る」

(同書12ページより)


ようするに

「日本の木造建築を、そのまま石造で作ってもよし!」

ということを主張したようなのです。

そのあたりが昭和はじめのナショナリズムの高まりとうまく重なりあった…

そう解釈して良さそうです。


ちなみに伊東忠太先生は、かの「築地本願寺」を作った偉いお方です。

アジア建築の権威。

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平常展をみました。

ちと用事があったので1時間くらいしかいられませんでしたが。


その2、につづく。

8月のおわり トーハクへ行った その2

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以下、トーハク平常展の感想


…というほど熱心には見てませんでしたが、


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雪舟の「破墨山水図」が今、見られます。

平日に行きゃ、国宝を独り占めできます。


僕は十分かそこら見てたが、飽きないな、これは。


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フラッシュたかなければ撮ってもよろしいとのことだったので、

撮ってみたが、ま、全然よくないですね。

ググっていただいた方がはやいか、と。


↑この画像の上には雪舟先生ご自身が書かれた文章が

ゴニョゴニョ書かれている。


いわく、

「余かつて大宋国に入り、北は大江をわたり、斉魯の郊を経て…」

ようするに中国にまで行って

絵のお師匠さんを探したが、大した奴はあんまりいないね。と。


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こういう…ガラクタみたいな絵を何百年も保存し続けてきた日本人は

けっこう偉いとおもう。

しかも、実物をみてもらえばわかるが、新品同様である。

ものすごく大事にされてきたらしい。


しかし…こんな墨をグリグリぬりたくった絹地が…

なぜこうも感動的になるのでしょうか?


ロールシャッハの模様に似てる…

などというのは、う~ん、安易な気がする。

ジャック・ラカンのいわゆる「現実界」とか、ね。

全然理解もしていないくせに。



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「このリズムがいい」とか「ライブ感がある」とかいうのも安易な気がする。

それは所詮、

音楽雑誌から借りてきたボキャブラリーに過ぎない。


サッカー選手の身体能力にたとえてみる…という

村上龍みたいな方法も考えてみた。

メッシだのクリスチャーノ・ロナウドだののゴール前の絶妙な動き…

だがそれは単に僕が最近

リーガ・エスパニョーラばっかりみている、ということを証拠立てるにすぎない。


トトやんのすべて

……などということをくどくど考えているうちに十分くらいは

あっという間に過ぎてしまいます。

駄菓子菓子

けっきょく、さいごは小津安二郎にもどってきてしまうのが

トマス・ピンコの思考システムの常でありまして…

ようするになにがいいたいかというと


小津の「一人息子」(1936年)にでてくる

「とんかつ」の旗のルーツって

じつは雪舟の「破墨山水図」なんじゃねえのか?


ということなのです。


これです。

↓↓ここですよ。ここ。


トトやんのすべて


えー以下、わかる人だけわかればよろしい。

笠智衆の学校教師が東京へ出て一旗揚げるとかいって

けっきょくうだつがあがらず

とんかつ屋さんやってるでしょ。

で「とんかつ」という旗がクロースアップされる。

あのシーンですよ。あの美しいシーン。

ね?――そんな気、しない?……


(「とんかつ」画像も載せられればよいのだが、

やり方がよくわからないし、著作権とかももっとわからない)

トトやんのすべて


だがここでもっともな疑問が浮かび上がる。

「そもそも雪舟が描いたのは『旗』であったのだろうか?」と…


それについては帰ってから読んでみた

赤瀬川原平・山下裕二共著「雪舟応援団」に

きちんと答えが書いてあった。


右下の濃い墨が、屋根と塀だろう、ぐらいは想像がつくが、そこからピュッと突き出した線が、旗であることがわかるのは、相当な玄人だけだ。

上の方は、岩なのか樹なのか、影なのか、私もあらためて考えると、よくわからなくなってくる。

(中央公論新社「雪舟応援団」95ページより)


ううむ、そうか。

僕は「相当な玄人」の域にはやくも達してしまったか…


いやいや「一人息子」をみていたからわかったんだな…


いやいやそもそも小津は…トーハク好きだった小津は

雪舟からあのイメージをパクったに相違ないわけだから…


ああ、もうなにがなんだかわからない。

無限のスパイラル…


トトやんのすべて

そうそう、飛行船(?)みたいのが

飛んでいた。

トトやんのすべて


スヌーピーを一番愛している国民って

じつは日本人ではあるまいか?


PR: 「     」は待ち時間1秒減で売上8億増

柏水堂のプードルちゃん

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ホホホ。本日はスイーツのご紹介ですのよ、奥さま。


こないだトーハクへ行った日、

締めくくりは神保町でございましたもので…


最近気になっていた洋菓子店「柏水堂」へ行ってみましたの。


そこで「プードル」を買いましたの。

可愛いのよ。

おもわず写真を撮ってしまいましたわ↓↓


トトやんのすべて


お味は、あたくし、見た目から濃厚なのを想像しておりましたが

けっこうあっさりしてすこぶる良かった。

奥の「ガトーショコラ」(たしかそんな名前)もまた、甘すぎず、

あぶらっこくもなく、派手すぎず、(良い意味で)古風なお味でございました。

値段はどちらも400円前後だったとおもいます。


□□□□□□□□


などと…いいながら、

けっきょくはなしは小津安二郎に落ち着いてしまうのが

当ブログの最大の特徴であった。


貴田庄という人の「小津安二郎をたどる東京・鎌倉散歩」

の九章「神田界隈を歩く」の中で柏水堂が紹介されていたのあります。


 しかし、小津が彼の「グルメ手帖」に載せた神田界隈にある店で、今も健在で、コーヒーや紅茶を飲める店は、ただ一軒しかない。それは洋菓子の店で、奥でコーヒーを飲み、洋菓子を食べることのできる「柏水堂」である。場所は、神田神保町の交差点から靖国通りを、少し駿河台下方向へ行ったところにある。

 柏水堂は、昭和四(一九二九)年にレストランとして創業したとき、神田神保町の交差点から水道橋方面に少し行った南側にあった。小津監督が図入りで手帖に書いた、昭和三十(一九五五)年ころも、まだそこにあった。

(青春出版社「小津安二郎をたどる東京・鎌倉散歩」148ページより)


この本にはいちおう簡単な地図も載っているんだが、

神保町あたりは入り浸っているので、この文章だけで

「ああ、ひょっとして、あそこかな」とわかった。

とくに調べることもなく行ってみると、はたしてその通りであった。


でも…

このプードルちゃんは驚愕でした。

本にはそんなこと書いてなかった。


この白いプードルちゃんが

陳列棚のなかに二、三十匹ぞろぞろ並んでいる様は

それはもう悶絶するようなかわいさで…


…で思わずおみやげに買ったというおはなし、でした。

ゆりたんのすべて。その48

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あんがい、ゆりは

もの持ちがよいというおはなし。


↓これは、

ゆりがうちに来た翌日あたりに撮った画像ですが…


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このピンク色の…ぬいぐるみですね、


職場の美しいお姉さま方にいただいた

ヤギだかヒツジだかラマだかアルパカだか

なんだかよくわからないぬいぐるみ

なんですが…


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まだまだ大事に使ってますよ。


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いじめてる、ともいいますが…

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もの持ちがよいのです。


きっと。


兵頭二十八著「たんたんたたた」感想

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歴史を描写するのにはいろんな方法があります。


司馬遼太郎先生のようにあくまで「人間」――

坂本竜馬なり秋元真之なり…それぞれの人が歴史を動かしたのだ、

と見る方法もあるだろうし、


経済中心の見方もあるでしょう。

それはマルクス主義の階級闘争の見方をとってみたり、

(「カムイ伝」がわかりやすい例だな)

ポール・ケネディ先生の「大国の興亡」みたいな

ブルジョワ経済学のやり方をつかってみたりするやり方もあるでしょう。


さて、

本書「たんたんたたた――機関銃と近代日本」

が、選んだやり方はそのどちらでもなくて、

これは「メディア中心の歴史学」とでもいうものです。

 

ずばり要約していうと

「銃」というメディア(媒体)

(そして精密機械工業)

をめぐって人がいかに戦い、死んでいったか、

その物語なのだ、ということができるでしょう。



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感想①日露戦争に関して


――な、わけなので、

本書「たんたんたたた」の描く日露戦争は「坂の上の雲」とは

まるで違います。

司馬先生によれば、

「陸軍の大山・児玉コンビ、海軍の東郷・秋山コンビ、

この四人でロシアに勝ったのだ!」ということになりますが…


兵頭二十八先生にいわせれば、

それはただ単に…

日本の機関砲製造能力がロシアの能力を上回ったからだ、

ということになってきます。


…奉天会戦までには、すでに味方の保式機関砲(トマス注:ホチキス機関砲)の射撃音は、日本軍の志気喚起の上で不可欠の存在となっていました。

 東京砲兵工廠は、戦役を通じて保式機関銃を増産し続け、奉天ではついにロシア軍の機関砲を量の上で5倍近く上回るまでに日本軍は補強されました。日本はまず小銃の質でもちこたえ、最後は機関砲の量でロシアを圧倒したといえるでしょう。

(四谷ラウンド「たんたんたたた」83ページより)


5倍の量の機関砲を持っていたから勝った。

誰にでもわかる単純なはなしです。



感想②雇用問題に関して


ただ…そうやってたくさん作った機関砲も、

戦争が終われば生産しつづける必要がなくなります。

そうなると砲兵工廠には仕事がなくなり、

工廠で働く熟練プロレタリアートをむだに遊ばせてしまう結果となります。


 当然、大勢いる職工の月収も急に落ち込みます。彼らは工廠で身につけた熟練技能を、他の民間工場に売り込もうと離職してしまいます。当時は年金も保険も退職金もない時代でしたから、それは当たり前のことでした。

 しかし工廠にとって、せっかく育てた熟練工に出て行かれることは痛手でした。というのは、戦前の工廠は、安い万能工作機械を使って精密な軍用銃を仕上げる関係から、職工の熟練に非常に頼っていたからです。

(同書94ページより)


そこで
がんばった(?)のが当時の工廠のボス南部麒次郎で

(南部14年式ピストルとかニューナンブとかの南部さんです)

自転車をつくってみたりなんだりして

この雇用問題に対処したらしいですが…


 新しい機械の減価償却はしなければならないし、増やした職工もなんとか確保したい――。

 南部はいよいよそこで、自分の考える解決法を開陳します。

「…欧州強国の有様はどうであるかというと、皆自国の兵器をドンドン売って、其れで益々強くなって居る」

(同書98ページより)


けっきょくピストルを作って輸出しよう、というはなしになってきます。


たぶん…このあたりの経済上の問題が

20世紀前半の大日本帝国の骨格に横たわっていたのではなかろうか、

と思わせます。

一度、戦争をやってしまうと、その勝利を知ってしまうと…

あとからあとから兵器を製造しつづけねばならない。

製造しつづけ、工場を、機械を動かし続け、予算を確保せねばならない。

さもないと深刻な雇用問題、失業問題、に直面せねばならない。

だが、そうなると絶えず他国にケンカをふっかけねばならず……

悪循環悪循環……


この不毛、かつ血なまぐさいスパイラルが発生したのは

単に我が日本国が後進工業国家だったから、というわけではないのは

第二次大戦直後のこのハリウッド映画をみれば明らかでしょう。


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もちろんラスト近く、主人公が
荒野に一面にほうり出された爆撃機の墓場を歩き回る

あのシーンのことです…

主人公自身、戦争の英雄でありながら、

帰国してみれば失業者というありさま。

そしてかつての栄光の職場は(爆撃機)誰にも顧みられず

荒野で錆びてスクラップになる日を待っている。


映画には描かれませんが

とうぜんその膨大な量の爆撃機を製造した工場、

そして無名のプロレタリアートが多数いたはず。

そして工場、熟練工を維持し続けるために

アメリカ合衆国は朝鮮、そしてベトナムを闘い続け、


そして20世紀おわりからこのかた中東でドンパチやり続けているわけです。


□□□□□□□□


あなたがもし、本気でこの地球上から戦争をなくしたいとおもっているのなら、

「戦争反対!」とか叫んでいるだけでは全然だめです。


戦争はイデオロギーの問題ではなく

雇用の問題だからです。

(トマス・ピンチョンいわく、「戦争はマーケットの祭典である」)


新しい産業を起こして、何億人かの雇用を生まないといけません。

はなしはそれからです。

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「勧進帳」(昭和18年11月歌舞伎座)感想

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川端康成の「山の音」というのを読んでると

映画の「勧進帳」を見た、という場面がでてきた。


 その日も、修一は信吾といっしょに早く帰り、戸じまりをして、一家四人で映画の「勧進帳」を見に出た。

 ワイシャツを脱ぎ、シャツを着換える時、修一の乳の上や腕のつけ根が赤くなっているのを、信吾は見て、嵐のなかで、菊子がつけたのかと思った。

「勧進帳」の幸四郎、羽左衛門、菊五郎、三人とも今は死んでいる。

 その感じようが、信吾と修一や菊子とではちがっていた。

(岩波文庫「山の音」62ページより)



息子夫婦(修一と菊子)の若々しさと

主人公(信吾)の老いや死の予感…そういう対象を描く、ま、道具として


「勧進帳」の幸四郎、羽左衛門、菊五郎、三人とも今は死んでいる。


これが書きたかったのだとおもうんだが、

そういやこの…「山の音」の信吾たちがみたのと同じ

昭和18年11月の伝説の舞台…

七世松本幸四郎、十五世市村羽左衛門、六世尾上菊五郎の、

「勧進帳」のDVDを買ったきり見ていないことに気づいたので
さっそくみてみることにした。


――いったいなんで、今までみていなかったかというと、

それは簡単なことです。


トマス・ピンコという人は

「勧進帳」をみると必ず大泣きしてしまう


…からです。


トトやんのすべて


この…『「勧進帳」を見ると泣く病』、というのは、たぶん

クロサワの「虎の尾を踏む男達」からはじまったのだとおもう。

昭和20年の作品。

大河内伝次郎が弁慶をやって、エノケンがでてくるのもよかった。

後年のクロサワのごちゃごちゃした印象…

(あまりに芝居がかったキャストの演技、意味の不明のパン、等々)

は、全然みられず、すっきりしているのも良い。

やはり昭和20年、モノもフィルムもなんにもなかったのだろう。


それからNHKで放送した

弁慶:中村富十郎、富樫:中村吉右衛門、義経:中村鷹之資

というのを録画してよく見た。見て涙した。

義経は富十郎さんの息子さんが、つまりガキんちょがやったのだが、

この子が、まったく子役らしくなくてはなはだよかった。

富十郎、吉右衛門さんに関してはわざわざいうまでもない。


んで、この昭和18年の舞台のDVDなんだが――ああ、なるほどね。

とんでもなかった。

まず

羽左衛門がとんでもなくかっこいい。

この事に関しては中野翠先生の文章を引用させていただく。


富樫役の羽左衛門にもびっくりだ。この伝説的美男役者の「動いているところ」を見たのは初めて。いやー、かっこいいったらありゃあしない。「白面の貴公子」なあんて言葉が浮かぶ。黒い烏帽子に長い長い裾――富樫のあの衣装をこんなにもノーブルにエレガントに見せた人も珍しいんじゃないか?これがなんと当時六十九歳とは!

(「演劇界」2010年5月号、119ページ、「歌舞伎、のようなもの」より)


69歳…ただ、残念なのはクロースアップがあんまりないところ。

もうちょっと近づいてみてみたいところだが…

たぶん良い性能の望遠レンズがなかったんでしょう。

(舞台を撮るってのは光量が確保できないので大変です)

羽左衛門…ぼくのみるところ

なんかこう、「白面の貴公子」どころではなく

「妖精」とかなんとかいうレベルです。ロード・オブ・ザ・リングにでてくるような。

69歳ねえ……

ちなみにこの舞台の2年後、昭和20年に亡くなってます。


弁慶の七世松本幸四郎、

ラストの「飛び六方」大迫力…このDVD、昭和18年収録なんで

もちろん音質悪いんですが、
ドンガドンガ、バランバラン…大迫力の音がしっかり残されています。

義経の六世尾上菊五郎…

この人だけはあんまり印象に残らなかった。

「六代目」といやこの人を指すくらいのとんでもない名優だということは

知っているし、小津安二郎の「鏡獅子」でそのとんでもなさはよくわかってるつもりだが、富樫と弁慶がすごすぎて、あまり印象に残らない。


ああ、あと蛇足になりますが…

当然ライブ録音ですので

昭和18年当時のガキんちょの泣き声とか、くしゃみとかきこえて

けっこうおもしろいです。今生きてるのだろうか、彼らは。


□□□□□□□□


だが、そもそも

なぜ「勧進帳」は泣けるのか?

ということが自分でもよく分かりません。



なんつっても冒頭の富樫の登場シーンからして

ポロポロ涙をこぼしているような人間であるからして、

もう理性ではないのです。


だがまああえて分析してみると…


・「弱いもの」「滅びゆくもの」への暖かな感情

・強いきずなで結ばれた主従関係


…というような、はっきりいって古臭いノスタルジックな感情を

相当にアヴァンギャルドな方式で描いているところ、なんだろうか。

アヴァンギャルド、というのは、まあわざわざ説明する必要もなかろうが、

①白紙の勧進帳

②ウソだと知っていながら見逃す富樫

③すべてはお芝居だとその視線のみで語ってしまう弁慶


というようなところです。

とくに③…舞台に幕がサッとかかって、それから「飛び六方」に移行する、

あの時間のことです。

あの瞬間…おそらく

白紙の勧進帳=舞台の幕

という、

「歌舞伎」という演劇ジャンルの根本にかかわるかような

いや、ひょっとして日本文化の根本にかかわるかもしれない

宣言が、ほんの数秒の視線だけで語られるのです。

たぶん、僕のみるところ、そんな感じがするわけです。


□□□□□□□□


ああ、そうそう…歌舞伎は何度か見てますが、

「勧進帳」は見に行く勇気がありません。


テレビの画面で見てこうだから…

実際に舞台なんか見たらワンワン号泣ですよ、きっと。

川端康成「山の音」感想

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先週、某所へ出かけようとした矢先、

標準レンズに装着していたフィルターが割れてしまって、

カメラ無しにでかけるのは

僕にとってお侍が刀をなくしてしまったようなものであるので、

ふてくされて家に閉じこもっていた時に読んだのがこの本で、


いやはや、そういうシチュエーションのせいもあるのか、

やけにおもしろかったので感想を書きます。

トトやんのすべて


感想

これは、まるっきり

小説版の小津映画みたいなシロモノなのである。

(以下、太字部分に注目)


主人公の尾形信吾という60過ぎのおじさんは鎌倉在住

横須賀線で東京の会社へ通う。

ま、はっきりとは描かれないがそこそこの会社の会社役員といったところ。

(たぶん丸の内に本社がある)


このおじさんの息子に修一というのがいるんだが

かつて兵隊へ行っていた

最近浮気をしていてあまり家に寄りつかない。

菊子という、きれいな嫁さんがいるんだが、まだ子供もできない。

そんな中で、この嫁の菊子と義父の信吾とのあいだに

ほのかな恋愛感情みたいなものが浮かび上がる……


「いいえ。私でしたら、お父さまにやさしくしていただいて、いっしょにいたいんですの。お父さまのそばを離れるのは、どんなに心細いかしれませんわ。」

「やさしいことを言ってくれるね。」

「あら。私がお父さまにあまえているんですもの。私は末っ子のあまったれで、実家でも父に可愛がられていたせいですか、お父さまといるのが、好きなんですわ。」

(岩波文庫「山の音」168ページより)


「あの桜の枝は、刈りこんだことがないから、わたしは好きなんだ。」

「小枝が多くて、花がいっぱいつきますから……。先月の花盛りに、仏都七百年祭のお寺の鐘を、お父さまと聞きましたわ。」

「そういうこともおぼえていてくれるんだな。」

「あら。私は一生忘れませんわ。鳶の声を聞いたことだって。」

菊子は信吾に寄り添って、欅の大木の下から広い芝生に出た。

(同書229ページより)


どうです?

まるっきりオヅ作品でしょ???

「お父さまといっしょにいたいんですの」

もう、かんぜんに原節子と笠智衆の世界ですね。


…なわけで、

こういうやり方は、あんまり感心したものではないが、

――小津安二郎監督「山の音」(仮)

どの役はどのキャストが演じたらよいのか、

いろいろ考えながら読みました。結果、


・信吾(60過ぎ、会社役員)→笠智衆

・保子(信吾の妻)→東山千栄子

・修一(会社員、信吾の息子)→佐田啓二

・菊子(修一の妻)→原節子

・英子(信吾の秘書…みたいな子)→岡田茉莉子

・絹子(修一の浮気相手)→岸恵子

・池田さん(絹子と同居している戦争未亡人)→久我美子


という結果を得ました。


1926年生まれの佐田啓二と1920年生まれの原節子が夫婦だというのは

小説と矛盾しますが、ま、その他年齢の矛盾がいろいろありますが

そこは責めないようお願いいたします。 

トトやんのすべて


小津安二郎と川端康成…

小津関連本はいままでそこそこ読んできたのだが

この二人が直接交友関係があった、というような話は記憶にない。

(日記を丹念に読めばなんか出てくるかもしれないが…)


小津の好きな作家というのは、

志賀直哉とか里見弴とか…

ちょっと小津自身よりもお兄さん世代の山の手のお坊ちゃん作家であるようで、

(彼らとは実際に交流がありました)

川端康成はその射程圏内からは完全に離れている。


…だが、ちょっと考えてみたいのは、


小津と川端康成…

彼等は戦後まで生き残った

たった二人の真正モダン・ボーイではなかったか?


ということです。

もっとはっきりいっちゃうと、

彼等は同世代の屍体の山を乗り越えて

それぞれの業界のトップに躍り出た巨匠達、であったということ。


小津の場合…

内田吐夢、清水宏、五所平之助、田坂具隆、山中貞雄…

といった面々。

(山中貞雄の場合、あるいは戦死しなければ、オヅもクロサワも完全に食われていたかもしれないが……)


川端康成の場合…

龍膽寺雄(りゅうたんじゆう)、浅原六朗、吉行エイスケといった面々。

後年のノーベル賞作家も

デビュー当時はこういったモダニスト作家とひとくくりに扱われていた。


たぶん、龍膽寺だの浅原だのはご存知の方はまずいないだろう。

吉行は、あの淳之介の親父なのでまあまあ知名度は高いでしょうか。

僕自身は、平凡社の「モダン都市文学全集」で

ようやく彼らの名前を知った、という程度なんですが、

なんにせよ、鳴かず飛ばずにおわった連中。

(じっさい読んでみてもあんまりおもしろくない)

芸の道は厳しい。

勝つのはたった一人、と決まっているのであります。


で、

結局なにがいいたいのかというと。


そんな屍の山を乗り越えてきた別の世界の巨匠二人が、

あの大きな戦争をまた乗り越えて、

それでどうしたわけだか、

横須賀線沿線、鎌倉で…

「お父さまといっしょにいたいんですの」的な世界

で出会ってしまったこの不思議を噛みしめてみたいとおもうわけです。はい。


(…でここから「人間宣言」をやらかしてしまった裕仁天皇(父)と日本国民(娘)の関係のことなんかを考えても見たくなるのだが、いい加減疲れてきたのでやめます)

ゆりたんのすべて。その49

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ゆりが…

トトやんのすべて

退屈まぎれにとうとうやらかしました。


(以下、信心深いあなたはご覧にならないように……)


□□□□□□□□


とうとう神棚にのぼりました。


トトやんのすべて


ほうほう、

これはよい眺めじゃ。


(ゆり~、ゆりちゃ~ん…

そこはダメですよぉ~)


トトやんのすべて

絶景かな

絶景かな…




(さっさとおりろ!こら!)

トトやんのすべて


む。

この白いビラビラが気になる。




(この馬鹿ゆりっ!ばちあたりめっ!)


…とここでネズミのおもちゃをとりだす。


トトやんのすべて


や。やや…

ネズミちゃんだ。

トトやんのすべて


ようやくおりてきました。

田中真澄編「小津安二郎全発言(1933~1945)」感想 その1

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たとえば、

クロサワが自伝を書いてみたり

(「蝦蟇の油」…すこぶるおもしろし)

あるいはNHKによる「影武者」撮影の記録が残っていたり

宮崎駿やら北野武やらといった人たちとの

対談の映像が残っていたりするのに比べると


まあ、テレビ以前という時代の制約というのも大きいけれども

小津という人は

「自分を語る」ということがほとんどない人

であったのだということができます。


そんな中で、戦前、戦中に小津相手に行われた

雑誌の取材、対談を集めたのがこの本。

以下、感想です。


トトやんのすべて


感想①山中貞雄の死。


このことには何度か当ブログで触れていますが、

小津は1937年~1939年、中国大陸で一兵士として従軍しています。


なので、僕のような腐れインテリは

「戦争(日中戦争)は小津安二郎自身および小津安二郎作品をどのように変化させたのであろうか?」ということをどうしても考えたくなるわけですが、

あっさり解答をいってしまうと、

歴戦の下士官、小津安二郎軍曹は

戦争それ自体にはたいして影響を受けなかった。

ということになってきそうです。


というのも、戦争なんぞよりももっと大きな出来事があったから

――それが彼の弟分にして、

日本映画史上最大の天才(そういっていいんじゃないっすか?)

山中貞雄の死、でした。


ちょっと長くなりますが以下引用。

「映画ファン」という雑誌の昭和14年11月号にのったものらしい。


筈見 山中に会った時の話をしてくれませんか。

小津 それは昭和十三年一月十二日だよ。南京を去る九里、句容の砲兵学校だった。骨を持って(トマス注:戦友の遺骨)上海に行った帰りに、その横に森田部隊が一晩泊った。…(中略)…そうすると隣に片桐部隊がいるというので、山中を訪ねた。そうしたら奴は人気者なので直ぐ分った。

筈見 隊では相当人気があったのですね。

小津 それは非常なものらしいね。朝早く、六時半頃に行ったら、向うは朝の点呼が済んだ直ぐ後で、「山中おりますか」と云ったら、いろいろ捜してくれたが、結局便所に行っていた。暫く待つと、便所から来て、「小っちゃん、戦争えらいな」と云った。それが奴の第一声だったな。それで班へはいって行った。…(中略)…吐夢さんに送って貰ったという中村屋の駄菓子を、食え食えと出す。「山中、お前食わないのか」「この頃は何んでも食うや」。僕は朝飯を食ったばかりで、朝っぱらから、駄菓子を食う訳にもいかんので、写真機を持っていたが、班で話も出来ないので外に出た。僕と一緒に出て、兵隊を一人入れて写した。それは現像すれば写るかもしれない。

小倉 どの位一緒におりましたか。

小津 四十分位しかいなかった。

(泰流社「小津安二郎全発言」116-117ページより)


幸運なことに、この時、小津のライカで撮影された写真は残っている。

(山中のコンタックスで撮ったとすると残らなかったかもしれない)

二人とも髯がのびていて、真冬なので寒そうである。

小津はにこやかな微笑を浮かべているが、

山中は…どうしても彼の死を知っているせいだろうか?…

どこか疲労の色が見える。パイプを口にくわえているのが、

なにか虚勢のようにもおもえたりする。

「小っちゃん、戦争えらいな」

――山中貞雄について語られるとき、必ず出現するセリフである。


インタビューは以下のように続きます。


小倉 内地の話なんか出ましたか。

小津 内地の話はいろいろ仲間の話をした。最近お前の所へ誰から手紙が来た。清水はこう云って来た、井上金太郎はこう云って来た、そういう話をひとわたりした。その時の山中の感じは、何と云うか、還ったら現代物を撮りたいという感じが非常にあった。それは云わず語らずのうちに、そういう感じを非常に受けたな。いろいろ話して「小っちゃん、還ったら戦争の写真撮るか」と云うのだ。「戦争の写真は何んにも考えていない、沙堂(山中氏のこと)どうだ?」と訊いたら、撮りたいと云いたかったのだろう。「俺も分らん、がギャグが大分たまった」ということは云っておった。

(同書117ページより)


また引用。昭和14年8月東京朝日新聞。


小津 戦地で山中貞雄を訪れた時、山中は無精髭を伸ばしながらニコニコして出て来ていきなりおっちゃん(小津氏の愛称)戦争てえらいもんやナアといった。僕は山中の遺稿を中央公論で読むまでは、ちっとも戦場で映画の事を考えなかったが、あれを見てからはこれはいかんと思った。

 とにかく山中は向うで会っても映画の事を熱心に考えていたよ。

(同書105ページより)


昭和14年7月31日報知新聞夕刊。


小津の奴帰ったら何か変わったものを作るだろうと思うかもしれないが、現地で少しは苦労して来たから多少は変るだろうが、大体暗いものは止めることにした。同じ暗さの中にも明るさを求め、悲壮の根本にも明るさを是非盛込みたいと思う。現地では肯定の精神の下に立ったレアリズムのみで、実際あるものはあるがままに見て来た。これからはこれを映画的に再検討する。

…(中略)…

陣中で友人山中貞雄の遺書を読んだが、あの戦争の中にも映画に対する烈々たる情熱を持っているのにすっかり打たれた。それから不勉強ではいかんと勉強した。まあこれから遺族の見舞でも済ましてから長期戦で行くことにする。

(同書103ページより)


おそらく、

小津にとっては

約2年続いた従軍生活それ自体よりも

たった40分の山中貞雄との出会いの方が

重要だった

……のです。


そして以降、彼はひたすら「明るさ」を映画の中に求めていくことになります。

昭和16年…太平洋戦争開戦の年の「戸田家の兄妹」以降、

例の紀子三部作を経て、最後の「秋刀魚の味」まで

彼は日本の家族の崩壊を描いていきますが、

表面上は「娘の結婚」を扱い、ひたすらに「明るさ」を盛り込みます。


逆に「不倫」を描けば失敗し(「早春」)

「堕胎」「自殺」を描けば、また失敗します。(「東京暮色」)

彼が若いころに盛んに描いた「犯罪」「犯罪者」は、

小津映画にすっかり登場しなくなります。

当然、国家権力もまた登場しなくなります。


といって小津映画にあるのはただの「安定志向」というようなものではない。


小津の映画ではあらゆるものが崩壊していきますが、

そのあまりの明るさ…悪意のなさというのは、

戦争に似ています。

砲弾や銃弾によって、人が死ぬ。建物が破壊される。

そこにあるのはただの「破壊」「崩壊」でしかない。

人間のちっぽけな「欲望」「悪意」などは差し挟まれないわけです。

人間の「意志」などというちっぽけなものではない、

なにかそれ以上のものが――

なにか「エントロピー」とでもいうより他ないものが

なにもかもを崩壊させていきます。


「小っちゃん、還ったら戦争の写真撮るか」

山中貞雄は、そう小津にききました。

たぶん、小津は戦争映画を作り続けたのです。


「晩春」も「麦秋」も「東京物語」も…

表面上そう見えないだけの話で…

じつは戦争映画なのです。

悪意なしで

物事がひたすら崩壊する映画なのです。


そこには機関銃もタンクも軍艦も爆撃機も登場しませんが…

ある日突然わかい女の子が

(原節子からはじまり岩下志麻まで)

不気味に消えていく物語、なのです。


そして死者…

――原節子の母、兄、そして夫として描かれる死者――

死者に関する映画なのです。

そしてとうぜんそれは、山中貞雄その人に関する映画でもあるわけです。

あるいは、戦死してしまったもう一人の小津安二郎に関する映画なわけです。

田中真澄編「小津安二郎全発言1933~1945」感想 その2

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小津に関して語り始めると止まらないのだから仕方がない。

というわけで感想つづきます。


感想②やはりA日新聞はスゲエ。


A日新聞、あるいは朝H新聞(う~む…ヒワイだな)

というのは、皆さんご存知のことだろうから

簡単に説明しますが、


戦前、戦中は軍部礼賛記事をひたすら書きまくっておいて、

戦後は

「は?なんですか?誰のことですか?え?まさかオレ?」

という調子で、軍部礼賛の過去をなかったことにして

「スターリン万歳」「毛主席万歳」「キム将軍様マンセー」と…

今度は社会主義陣営礼賛記事を書きまくることになった

それはそれはすばらしい新聞なのです。はい。


そんなすんばらしい朝H新聞の記者先生が

「小津安二郎全発言」にもまた華々しく登場するので

そのあまりのかっこよさを紹介したいとおもうのです。

トトやんのすべて


その、かっこいいA日新聞の記者さまは

津村秀夫という人で「Q」なる名前で映画批評をしていたらしい。

この堂々と名前を名乗らないあたりもA日の伝統であろうか。


「新映畫」昭和16年4月号に「『戸田家の兄妹』検討」ということで

里見弴、溝口健二、内田吐夢、

そしてオヅ本人と脚本の池田忠雄をまねいて討論をしています。

そこへA日の津村秀夫先生が登場なさいます。


ところが…里見弴、ミゾグチといった大物をさしおいて…


津村 私は今日時間がないので先に感じた事を喋らして頂いてお先へ失礼したいと思います。

(泰流社「小津安二郎全発言」176ページより)


とかいって、自分だけ喋りたいだけ喋りたおし…この176ページから

え~と…177、178、179、180、181…えんえん一人で喋りまくり

182ページのはじめでようやく終わる。

そしてかっこいい朝H本社へとさっさとお帰りあそばす。

さすが朝Hの記者ともなるとこういうことも許されるのであろう。

さすがです。かっこいいです。


そして発言なさる内容もまた、A日、朝Hの名を辱しめぬ堂々たる内容です。


ただしかし、今度の写真は、そういう手法とか何んとかいう点では、先程申しましたように、非常に癖がなくすらすらと何気なくやっていらっしゃるのは寧ろそれは小津さんの為に結構なことだと私は思います。

(同書176-177ページより)


それからあの三人の女に対しては正直に申しますと、私は怒りを感じました。

(同書177ページより)

とにかく三人の女に対しては見ながら非常に怒りを感じた。…やはりあの男にも怒りを感じた。

(同書177ページより)

たといそういう女がいても批判的に描いてほしい。肯定してはいけない。

(同書179ページより)

坪内美子がおっかさんを迎えて話しているのを見ると、どうしてもひどい出鱈目な軽率なことをする薄情な女だと思われない。それが次の場面では亭主と飯を食っているので、どうも何んとも知れないイヤな気持になるという訳です。

(同書179ページより)

…あれは東京のあの位の中学生としては少し子供臭くやりすぎはしないか。

(同書181ページより)


え~、ようするに、ですね…

あの女ムカつく。

あの女嫌い。

ボクちゃん、

あの女をみるとイヤな気持ちになっちゃう…


これの繰り返しですね。さすがA日。

非理性的な論理展開には定評があります。

ま、映画批評じゃないですね、こんなの。


□□□□□□□□


「戸田家の兄妹」というのは、どういうあらすじかといいますと…


戸田進太郎という、大臣を経験したりしたこともある人物がなくなる。

戸田家の奥さん(葛城文子)と末娘(高峰三枝子)は

お屋敷で何不自由なく暮らしていたのだが、

進太郎の死後、膨大な借金があることがわかり

屋敷を手放さねばならなくなる。

そこで暮らす場所がなくなった母子は

長男の家、長女の家、と点々と移動して生活せねばならなくなる…


朝Hの津村大先生が

「キーーーー!あの三人の女ムカつくぅーーーー!!」

とおっしゃっているのは、

長男の嫁(三宅邦子)、長女(吉川満子)、二女(坪内美子)

母子をいじめるこの三人のことです。

名家の奥方とお嬢様を召使同然にこき使う三人のことです。

んーー、というか、

そういう設定なんですが??


このムカつく三人がいないと物語がはじまらない。

そういう設定なんですが??…

朝H…大丈夫なんでしょうか…


ディズニーのシンデレラをみて、

「あの継母ムカつく」「あの姉さんたちムカつく」

それと同レベルなんですが??……

さらにいうと

…というか、前回なんとなくそんなことを書きましたが、

戦争に行って帰ってきた小津安二郎は、

「日本の家族制度の崩壊」を中心テーマに映画を作っていきます。

(その萌芽は、「東京の合唱」だったり「生れてはみたけれど」だったりに

あらわれてはいるのですが)

つまり、

「戸田家の兄妹」はその「家庭崩壊」テーマの記念すべき最初の作品であるわけで……


ボクちゃん、こんな女いやだ!

ボクちゃん、こんな家族いやだ!

と泣きわめいている津村先生は、非常に模範的な観客であったのだ。

素直な客であったのだ。ということがいえます。


それはそれで素晴らしいことですが、

だったら

「批評家」とか「評論家」とか名乗ったりはしないでいただきたいとおもいます。


□□□□□□□□


えー、以上

かっこいい朝H新聞の宣伝でございました。

なんでも受験にも強いらしいですよ。


ゆりたんのすべて。番外編。ビスマルク猫オスカーのはなし。

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去年の7月ごろ…


「ドイツレベル社製1/350戦艦ビスマルク」のプラモを作るのだ、

と当ブログの書き手がはりきっていたことを

おぼえていらっしゃる方は

もはやほとんどおられないに違いない。

トトやんのすべて


はい。そうです。

当のわたくしも完全に忘れかけておりました。

忘れてしまって、造船所で放ったらかしでございました。


トトやんのすべて


そんなやる気ゼロのトマス・ピンコ海軍に

とうとうゆりたんが襲いかかりましたぞ。

トトやんのすべて

むむ…これは…



トトやんのすべて

おなかにゴツゴツあたって

きもちよいです…

トトやんのすべて

う~ん…あのね……


□□□□□□□□


ただ、

おもしろいのは

戦艦ビスマルクとネコとはけっこう深い縁がある、ということです。


そのあたりはいろいろなサイトで紹介されているようですが

ぼくの見た限りではこのサイトが一番要領がいいようです。


ビスマルク猫オスカーのはなし



まあ、英文をぼくなりに翻訳してみますと、ですね、

冒頭はこんな感じです。


ビスマルク猫オスカーの信じられないような話。

「戦艦ビスマルクの猫オスカーの物語は本当に興味深くまた驚嘆すべきものである。このかわいい黒猫はビスマルクのマスコットであった。ただおもしろいことには、オスカーは乗船した船にはなんらの幸運をもたらさなかった。ただオスカー自身は驚異的なまでにラッキーで何度もあぶないところをいきのこったのだった。」

トトやんのすべて

↑ビスマルク猫オスカー君の写真。ちと不鮮明ですが。


「オスカーは乗船した船にはなんらの幸運をもたらさなかった」

ようするに、ですね、

まず1941年5月27日、乗っていた戦艦ビスマルクが沈みます。

沈んで残骸の上でぷかぷか漂っていたところ

英国海軍の駆逐艦コサックに助けられます。

そこで英国艦のマスコットとしてネズミとりにがんばりますが、

その5か月後、コサックはドイツのUボートに沈められてしまいます。

また、漂流→救助。

で、今度オスカー君を助けたのは英国海軍の空母アークロイヤル。

ついでにいうと、5月27日のビスマルク攻撃に

このアークロイヤルは参加しています。

(あまり活躍はしていないが)

…で、その因縁かなにか知らないが…

そのアークロイヤルもまた3週間後、Uボートに沈められる。


のんきな英国紳士たちもようやく…

このネコを船に乗せると

オレたちの命がヤバイ。

ということに気づき、

オスカー君、今度はジブラルタルの基地で地上勤務を命ぜられます。

オスカー君自身にとってもこれはめでたいことではないでしょうか。


驚異的な強運の持ち主、ビスマルク猫オスカーは

さいごはベルファストの基地で亡くなったらしい。

1955年のこと。すくなくとも14歳以上だったわけだから…

時代を考えると相当長生きだったわけです。


「猫ちゃんを戦争に連れていくなんてとんでもない…」

そう眉をひそめる方も多いことでしょう。


でもですね、

戦争と動物たち、というと悲惨な話が多い中、

このオスカー君は正々堂々と生き残ったわけですからねぇ。


あと、これだけ何度も助けられているところをみると

相当に愛嬌があったのだろうとおもうわけです、はい。




ちなみにうちの戦艦ビスマルクですが、

いろいろ忙しいもので…

当分造船所でホコリをかぶることになりそうです……

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ダンボ(1941年) 感想 その1

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先日、吾輩はディズニーの「ダンボ」を

生れてはじめてみて、何度も号泣してしまったので

感想をば、書いてゆきたいと思うのである。

にしても、なんてかわいいのかしら、ダンボちゃん…

彼はスクリーン上に出現した

もっともかわゆい生物なのではあるまいか。

いや、この吾輩が断言するのだから、まず間違いはないのである。


□□□□□□□□


感想①とある病室にて


登場人物紹介

・女医:ユダヤ系美人精神科医

・患者:さいきん「ダンボ」をみて感動した。


女医はライトグレーのスーツ姿、

ベッドに横たわる患者のすぐわきで

ワインレッド色のストッキングにつつまれた美脚を

これ見よがしにブラブラさせながらメモを取っている。


患者:「ダンボ」を今回はじめてみて、最初に思い出したことはこうです。子供の頃、親戚で集まってディズニーランドへ行ったのですが、そこでのぼくの唯一の目標は

「叔母と空飛ぶダンボに乗る」

というものであったことです。それ以外のことは何も考えませんでした。

他の乗物のことは考えませんでした。とにかく5歳か6歳だったぼくは叔母とダンボに乗りたかったのです。

女医:わかりました。あなたには母親が二人いるのよ。

患者:は?どういうことですか?

女医:正確にいうと…こういうこと、常にあなたは本当の母親から引き離された人生を送っている、と感じてきた。そうではなくって?母親だけじゃない。父親にしろ、友人関係にしろ、学校、職場にせよ、すべてにおいて「ホンモノじゃない」という感覚を抱いてきた。そうではないの?

患者:う~ん、それってメシア願望みたいなものなのかな。

女医:すべては母親が二人いることに起因するの。わかる?あなたは若くて美しい叔母を「本当の母親」だとおもっていた。それで実の母を「まやかしの母親」だとおもっていた。

患者:ひどい奴だ。

女医:ひどいけど、これが真実なのよ。じっさいにこの「二人の母親」という歪みが、トマス、あなたの性格上の歪みの原因なんだし、対人関係、とくに女性との関係の問題もこのあたりに起因している。妙に相手を崇拝してみたかとおもえば、次の瞬間は暴君的にふるまってみたり…

患者:ま、そんなところもあるかもしれません。でもそれが「ダンボ」とどんな関係があるんです?

女医:鈍いわね。「ダンボ」の中心プロットは一体何?それは「引き離された母と子が再び一緒になる」…でしょ?

患者:ジャンボとダンボ、ですね。でも「二人の母親」なんかでてきませんよ。

女医:問題は、子供の頃のあなたが何を考えていたか、です。繰り返しましょうか、あなたは若くて美しい叔母を「本当の母親」だとおもっていた。

患者:認めますよ、認めます。若い女性を見ればすべてを叔母と比較するんです。顔だちや声や話し方…いやそれどころじゃありません。体つき、肌の色、おっぱいの大きさ、形、もうなにもかも、です。すべてを若いころの叔母と比較して…それで…それで…

女医:がっかりする?

患者:そうです。ドクター、あなたがなにをおっしゃりたいのか、だんだんわかってきました。ぼくは、自分自身をダンボに重ねあわせていたわけですね。

女医:そう。ディズニーランドは、5歳のあなたにとっては、不当に引き離されていた「本当の母親」と出会え、抱き合える場所だったの。そこで「本当の母親」と一緒に体験するにふさわしい乗り物は一体なに?――母を失い、また獲得する物語。…「ダンボ」以外にはないのではありませんか?

患者:そう。そういわれると、その頃の将来の夢は「飛行機のパイロット」でした。つまり究極の目標は、叔母を自分の操縦する飛行機にのせて一緒に空を飛ぶこと、でした。

女医:はぁ~、ずばりいうわね。あなたはダンボなのよ。でも空を飛べやしないし、あの親切なネズミ(ティモシーとかいったっけ?)もいやしない。

患者:でもぼくにはあなたがいる。

女医:お大事に。

患者:さよなら。帰ったらまた「ダンボ」みるんだ。



□□□□□□□□



ううーー、なんでこんなひねくれた形でしか

感想を書けないのだろう。


ただ…「大好きな叔母と空飛ぶダンボに乗る」という

願望は本当です。

5歳か6歳か忘れましたが、

ディズニーランドへ行って、それで

なにがなんでも…「叔母と空飛ぶダンボに乗る」んだ、

と言い張っていたのを思い出します。


ただおもしろいのは

じっさいに乗ったのかどうか、さっぱり記憶がないことです。


どうしたわけだか他の乗物でごまかされたような気もするし、

だが、わざわざそんな子供相手に残酷なことをする親戚たちでは

ない気もする。そういえばダンボに乗ったような気もするんだが、

それははたして5歳か6歳のぼくの「願望」を、

じっさいにあったことにして、記憶しているようなそんな気もする。


はっきりいおう。


われわれは皆ダンボなのだ。

母から無残に引き離され、

本来持った能力――隠された能力を

発揮できず、

世間からは誤解され、後ろ指差され、

バカにされ続けている。


「だが、いつかは?」――

という願望がこの「ダンボ」をかくも感動的にさせているのであろう…





ま、まとめるとこんな感じですかね。

次回はもっとすっきりと感想が書けるといいのですが…

「ダンボ」(1941年) 感想 その2

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けっきょく読者を完全に無視した

病んだ感想が前回同様に続くのであった。




感想②とある病室にて、翌日。


登場人物紹介

・女医:ユダヤ系美人精神科医

・患者:ダンボちゃんのぬいぐるみを抱きしめて恍惚としている。


トトやんのすべて


本日のリベカ・アクセルロッド博士の服装はカーキ色のカーゴパンツに迷彩柄のTシャツというなんかアレなもの。ファッションなどというものがもはやどうでもよくなってしまったのか、あるいは今朝は寝坊して単に時間がなかったのか、そのあたりを患者は訊ねてみたいように思うのだが、いざ質問しようとすると彼女の故郷での出来事の数々――メルカバー戦車の主砲のかたわらでながめた沙漠におちる大きな夕陽のことやモサドの凄腕の工作員だった恋人の話やらが飛び出てきそうな気がして怖い。これはひょっとして恋なのだろうか?と患者は思うのであった。


患者:ドクター、あなたにとって「ダンボ」はどんな映画なのですか?

女医:壮大な動物虐待映画?かしら?――そしてマゾヒスト検知器のような映画かも知れないわね。ラスト。ダンボが火が燃え盛るビルの最上階で、嬉々として微笑んでいる。あれをマゾといわずしてなんといえばいいの?そして…

患者:ダンボちゃんと自分自身がごちゃごちゃになっているぼくはうたがいもなくマゾヒストということになりますね。

女医:そう。あなたの崇拝するトマス・ピンチョン氏もこの「マゾヒスト検知器」的な性格に気づいていたのではないかしら?「重力の虹」の中に「ダンボ」はたしか登場するわね。


そういって女医は背後の本棚からペンギンブックスのペーパーバックをとりだして朗読を始めた。ペンギンブックスのGravity's Rainbowの表紙はおしゃれな青で、ナチスドイツのV2A4ロケットの設計図がこまかく描きこまれている。


『ダンボ』は昨夜、オックスフォード通りに見にいった。途中で気がついたのだが、長いまつげの赤ちゃん象の太い鼻にまかれていたのは、魔法の羽根ではなく、ユーモアのかけらもない緑とマゼンタ色のアーネスト・べヴィン氏の顔だったから、そこで中座するのが賢明だと思ったのだ。

(国書刊行会「重力の虹」Ⅰ巻、145ページより)


患者:アーネスト・べヴィンという人はなんでもたいそう立派な外交官らしいですが、ぼくのようなミリ・オタにとっては「バトル・オブ・ブリテン」当時の労働相という認識があります。保守党のチャーチルが戦時体制をつくるために招いた労働党の大物政治家ですね。

女医:ピンチョンがここでべヴィンという人を放り込んだ意味はよくわからないけれども、彼が「ダンボ」のサイケデリックな要素に着目した点はおもしろいわね。

患者:この場面、「ダンボ」をみてサイケデリック体験をしているのは、オズビー・フィールという麻薬中毒者です。この「重力の虹」はご存知のように、ナチのV2ロケットに関する小説ですが、視点をかえてみれば「映画」というメディアに関する小説でもあるわけです。ちょうど「ヴァインランド」がTVに関する小説であったように。

女医:それだけに「ダンボ」の意味は大きいのではないか、ということね。


(といいながら女医はメモを取った。メモ帳には以下のように書かれている。症状:パラノイア(軽症?…))


患者:はい。「ダンボ」に言及されるシーンがピンチョン師によってどのように配置されているかが興味深いところです。まず、ナチの親衛隊将校ブリセロ、美少年ゴットフリート、悪女カティエ・ボルヘシウスがV2ロケットの発射基地で繰り広げるSM遊びの描写があります。それから「戦争」に関するマキャベリ的な記述があります。「ダンボ」のラスト、空を飛びまわり「復讐」をするダンボちゃんにどこか軍事臭をかぎとるのはぼくだけではないはずです。


忘れてもらっては困るが、〈戦争〉のほんとうの仕事は売買だ。殺戮と暴力は治安維持のためであり、専門家でない連中に任せておけばよい。

(同書143ページより)

ほんとうの戦争とは市場の祭典だ。

(同書143ページより)


女医:そしてカティエがロンドンへ来たいきさつ。V2ロケットが落ちる冬のロンドンの描写。〈海賊〉・プレンティスとジャンキー・オズビーの会話の中に「ダンボ」が登場するのね。つづいての場面はカティエの遠いご先祖、フランス・ファン・デル・フローフがドードー鳥を絶滅させる場面。わたしのいった「動物虐待」要素をピンチョンはうまく利用している。

患者:そして〈黒の軍団〉が登場します。これはナチ親衛隊の制服を着た黒人部隊です。ぼくはどうしても「ダンボ」のカラスたちを思い出してしまいます。

女医:わたしはアメリカ英語の発音にはくわしくないけれど…

患者:ぼくもそうですけど、あのカラスたちはどうみても黒人のジャズメンでしょう?彼等は抑圧された者たち、です。ダンボちゃん、カラスたち、虐げられたものたちが手を結び、そして復讐をするのです。あの魔法の羽根はこの同盟の象徴です。

女医:わたしは「ダンボ」のアメリカ臭さが気になるの。ネズミのティモシーは「アイデア」ということをしきりに口にする。「きみはスターになるんだ」ということをいったりする。このアメリカ的な楽観主義。それと完全な「父」の欠如…

患者:たしかにダンボちゃんには「父」がいない。ユダヤ教徒らしい反応ですね。

女医:どうかしらね?ともかくわたしにとっては耐え難いほど理想主義的にみえる。でも「ダンボ」は大戦後のアメリカ文化の行方も見据えているわね。「ピンクの象」のくだり。なにかヒッチコックの「めまい」でもみているような気がするわ。

患者:耳の長いダンボちゃんは「フリーク」の象徴ですね。

女医:でも、まあ、完全に体制から外へはみだして放浪しているカラスたちとは違って、ダンボはあくまで体制の中での成功を目指している。このあたりもトマス、あなたの感動したところなんじゃないの?「フリーク・アウト!」のフランク・ザッパみたいな生き方に共鳴しつつも、結局のところ行き着くところは、オヅヤスジロウ的な…ヨコスカ線沿線的なゆるやかな保守主義というところで…

患者:そういやダンボは自由に飛びまわれるのにもかかわらず、レールの上しか移動しませんね。ま、お母さんがいるからだ、といってしまえばそれだけのことかもしれませんが。

女医:線路…強い母…アメリカ文化…なんだ、あなたとはなしていると結局さいごはオヅヤスジロウに落ち着いてしまうのね。

患者:明治生まれにして身長が180cmあった小津は、明らかに化け物、フリークでした。

女医:はたしてオヅは「ダンボ」をみていたのかしらね?




感想その2 おしまい。です。


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