川端康成の「山の音」というのを読んでると
映画の「勧進帳」を見た、という場面がでてきた。
その日も、修一は信吾といっしょに早く帰り、戸じまりをして、一家四人で映画の「勧進帳」を見に出た。
ワイシャツを脱ぎ、シャツを着換える時、修一の乳の上や腕のつけ根が赤くなっているのを、信吾は見て、嵐のなかで、菊子がつけたのかと思った。
「勧進帳」の幸四郎、羽左衛門、菊五郎、三人とも今は死んでいる。
その感じようが、信吾と修一や菊子とではちがっていた。
(岩波文庫「山の音」62ページより)
息子夫婦(修一と菊子)の若々しさと
主人公(信吾)の老いや死の予感…そういう対象を描く、ま、道具として
「勧進帳」の幸四郎、羽左衛門、菊五郎、三人とも今は死んでいる。
これが書きたかったのだとおもうんだが、
そういやこの…「山の音」の信吾たちがみたのと同じ
昭和18年11月の伝説の舞台…
七世松本幸四郎、十五世市村羽左衛門、六世尾上菊五郎の、
「勧進帳」のDVDを買ったきり見ていないことに気づいたので
さっそくみてみることにした。
――いったいなんで、今までみていなかったかというと、
それは簡単なことです。
トマス・ピンコという人は
「勧進帳」をみると必ず大泣きしてしまう
…からです。
この…『「勧進帳」を見ると泣く病』、というのは、たぶん
クロサワの「虎の尾を踏む男達」からはじまったのだとおもう。
昭和20年の作品。
大河内伝次郎が弁慶をやって、エノケンがでてくるのもよかった。
後年のクロサワのごちゃごちゃした印象…
(あまりに芝居がかったキャストの演技、意味の不明のパン、等々)
は、全然みられず、すっきりしているのも良い。
やはり昭和20年、モノもフィルムもなんにもなかったのだろう。
それからNHKで放送した
弁慶:中村富十郎、富樫:中村吉右衛門、義経:中村鷹之資
というのを録画してよく見た。見て涙した。
義経は富十郎さんの息子さんが、つまりガキんちょがやったのだが、
この子が、まったく子役らしくなくてはなはだよかった。
富十郎、吉右衛門さんに関してはわざわざいうまでもない。
んで、この昭和18年の舞台のDVDなんだが――ああ、なるほどね。
とんでもなかった。
まず
羽左衛門がとんでもなくかっこいい。
この事に関しては中野翠先生の文章を引用させていただく。
富樫役の羽左衛門にもびっくりだ。この伝説的美男役者の「動いているところ」を見たのは初めて。いやー、かっこいいったらありゃあしない。「白面の貴公子」なあんて言葉が浮かぶ。黒い烏帽子に長い長い裾――富樫のあの衣装をこんなにもノーブルにエレガントに見せた人も珍しいんじゃないか?これがなんと当時六十九歳とは!
(「演劇界」2010年5月号、119ページ、「歌舞伎、のようなもの」より)
69歳…ただ、残念なのはクロースアップがあんまりないところ。
もうちょっと近づいてみてみたいところだが…
たぶん良い性能の望遠レンズがなかったんでしょう。
(舞台を撮るってのは光量が確保できないので大変です)
羽左衛門…ぼくのみるところ
なんかこう、「白面の貴公子」どころではなく
「妖精」とかなんとかいうレベルです。ロード・オブ・ザ・リングにでてくるような。
69歳ねえ……
ちなみにこの舞台の2年後、昭和20年に亡くなってます。
弁慶の七世松本幸四郎、
ラストの「飛び六方」大迫力…このDVD、昭和18年収録なんで
もちろん音質悪いんですが、
ドンガドンガ、バランバラン…大迫力の音がしっかり残されています。
義経の六世尾上菊五郎…
この人だけはあんまり印象に残らなかった。
「六代目」といやこの人を指すくらいのとんでもない名優だということは
知っているし、小津安二郎の「鏡獅子」でそのとんでもなさはよくわかってるつもりだが、富樫と弁慶がすごすぎて、あまり印象に残らない。
ああ、あと蛇足になりますが…
当然ライブ録音ですので
昭和18年当時のガキんちょの泣き声とか、くしゃみとかきこえて
けっこうおもしろいです。今生きてるのだろうか、彼らは。
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だが、そもそも
なぜ「勧進帳」は泣けるのか?
ということが自分でもよく分かりません。
なんつっても冒頭の富樫の登場シーンからして
ポロポロ涙をこぼしているような人間であるからして、
もう理性ではないのです。
だがまああえて分析してみると…
・「弱いもの」「滅びゆくもの」への暖かな感情
・強いきずなで結ばれた主従関係
…というような、はっきりいって古臭いノスタルジックな感情を
相当にアヴァンギャルドな方式で描いているところ、なんだろうか。
アヴァンギャルド、というのは、まあわざわざ説明する必要もなかろうが、
①白紙の勧進帳
②ウソだと知っていながら見逃す富樫
③すべてはお芝居だとその視線のみで語ってしまう弁慶
というようなところです。
とくに③…舞台に幕がサッとかかって、それから「飛び六方」に移行する、
あの時間のことです。
あの瞬間…おそらく
白紙の勧進帳=舞台の幕
という、
「歌舞伎」という演劇ジャンルの根本にかかわるかような
いや、ひょっとして日本文化の根本にかかわるかもしれない
宣言が、ほんの数秒の視線だけで語られるのです。
たぶん、僕のみるところ、そんな感じがするわけです。
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ああ、そうそう…歌舞伎は何度か見てますが、
「勧進帳」は見に行く勇気がありません。
テレビの画面で見てこうだから…
実際に舞台なんか見たらワンワン号泣ですよ、きっと。