先週、某所へ出かけようとした矢先、
標準レンズに装着していたフィルターが割れてしまって、
カメラ無しにでかけるのは
僕にとってお侍が刀をなくしてしまったようなものであるので、
ふてくされて家に閉じこもっていた時に読んだのがこの本で、
いやはや、そういうシチュエーションのせいもあるのか、
やけにおもしろかったので感想を書きます。
感想
これは、まるっきり
小説版の小津映画みたいなシロモノなのである。
(以下、太字部分に注目)
主人公の尾形信吾という60過ぎのおじさんは鎌倉在住で
横須賀線で東京の会社へ通う。
ま、はっきりとは描かれないがそこそこの会社の会社役員といったところ。
(たぶん丸の内に本社がある)
このおじさんの息子に修一というのがいるんだが
(かつて兵隊へ行っていた)
最近浮気をしていてあまり家に寄りつかない。
菊子という、きれいな嫁さんがいるんだが、まだ子供もできない。
そんな中で、この嫁の菊子と義父の信吾とのあいだに
ほのかな恋愛感情みたいなものが浮かび上がる……
「いいえ。私でしたら、お父さまにやさしくしていただいて、いっしょにいたいんですの。お父さまのそばを離れるのは、どんなに心細いかしれませんわ。」
「やさしいことを言ってくれるね。」
「あら。私がお父さまにあまえているんですもの。私は末っ子のあまったれで、実家でも父に可愛がられていたせいですか、お父さまといるのが、好きなんですわ。」
(岩波文庫「山の音」168ページより)
「あの桜の枝は、刈りこんだことがないから、わたしは好きなんだ。」
「小枝が多くて、花がいっぱいつきますから……。先月の花盛りに、仏都七百年祭のお寺の鐘を、お父さまと聞きましたわ。」
「そういうこともおぼえていてくれるんだな。」
「あら。私は一生忘れませんわ。鳶の声を聞いたことだって。」
菊子は信吾に寄り添って、欅の大木の下から広い芝生に出た。
(同書229ページより)
どうです?
まるっきりオヅ作品でしょ???
「お父さまといっしょにいたいんですの」
もう、かんぜんに原節子と笠智衆の世界ですね。
…なわけで、
こういうやり方は、あんまり感心したものではないが、
――小津安二郎監督「山の音」(仮)
どの役はどのキャストが演じたらよいのか、
いろいろ考えながら読みました。結果、
・信吾(60過ぎ、会社役員)→笠智衆
・保子(信吾の妻)→東山千栄子
・修一(会社員、信吾の息子)→佐田啓二
・菊子(修一の妻)→原節子
・英子(信吾の秘書…みたいな子)→岡田茉莉子
・絹子(修一の浮気相手)→岸恵子
・池田さん(絹子と同居している戦争未亡人)→久我美子
という結果を得ました。
1926年生まれの佐田啓二と1920年生まれの原節子が夫婦だというのは
小説と矛盾しますが、ま、その他年齢の矛盾がいろいろありますが
そこは責めないようお願いいたします。
小津安二郎と川端康成…
小津関連本はいままでそこそこ読んできたのだが
この二人が直接交友関係があった、というような話は記憶にない。
(日記を丹念に読めばなんか出てくるかもしれないが…)
小津の好きな作家というのは、
志賀直哉とか里見弴とか…
ちょっと小津自身よりもお兄さん世代の山の手のお坊ちゃん作家であるようで、
(彼らとは実際に交流がありました)
川端康成はその射程圏内からは完全に離れている。
…だが、ちょっと考えてみたいのは、
小津と川端康成…
彼等は戦後まで生き残った
たった二人の真正モダン・ボーイではなかったか?
ということです。
もっとはっきりいっちゃうと、
彼等は同世代の屍体の山を乗り越えて
それぞれの業界のトップに躍り出た巨匠達、であったということ。
小津の場合…
内田吐夢、清水宏、五所平之助、田坂具隆、山中貞雄…
といった面々。
(山中貞雄の場合、あるいは戦死しなければ、オヅもクロサワも完全に食われていたかもしれないが……)
川端康成の場合…
龍膽寺雄(りゅうたんじゆう)、浅原六朗、吉行エイスケといった面々。
後年のノーベル賞作家も
デビュー当時はこういったモダニスト作家とひとくくりに扱われていた。
たぶん、龍膽寺だの浅原だのはご存知の方はまずいないだろう。
吉行は、あの淳之介の親父なのでまあまあ知名度は高いでしょうか。
僕自身は、平凡社の「モダン都市文学全集」で
ようやく彼らの名前を知った、という程度なんですが、
なんにせよ、鳴かず飛ばずにおわった連中。
(じっさい読んでみてもあんまりおもしろくない)
芸の道は厳しい。
勝つのはたった一人、と決まっているのであります。
で、
結局なにがいいたいのかというと。
そんな屍の山を乗り越えてきた別の世界の巨匠二人が、
あの大きな戦争をまた乗り越えて、
それでどうしたわけだか、
横須賀線沿線、鎌倉で…
「お父さまといっしょにいたいんですの」的な世界
で出会ってしまったこの不思議を噛みしめてみたいとおもうわけです。はい。
(…でここから「人間宣言」をやらかしてしまった裕仁天皇(父)と日本国民(娘)の関係のことなんかを考えても見たくなるのだが、いい加減疲れてきたのでやめます)