石水館、感想です。
石水館ってのは作者の白井晟一(しらいせいいち)がつけた名前で、
いちおう正式名称は
「静岡県立芹沢銈介美術館」となります。
住所:静岡市駿河区登呂5-10-5
あの「登呂」である。登呂遺跡の登呂。
まあ、そのことにはあとで触れます。
しかしこの建築には驚かされました。
なんというか「建築」に関する既成概念を壊された、というか。
はい。
すごいんです。
静岡市はもっとこの建物を宣伝すべきではあるまいかと愚考する次第であります。
はい。以下感想。
(あ。ごめんなさい。肝心の芹沢銈介作品の感想はありません)
感想①これはゼロ建築である。
「門を抜けると、そこにはなにもなかった」
えー
まずビビったのは、というか呆気にとられたのは。
「建築」がどこにも見当たらなかったことです。
ふつー、さ。門を抜けると、さ。
ドォーンと出てくるわけですよ。建築っていうのは。
特にこういう公共の美術館なんてものは
まあ、大抵、大金かけて、
偉い建築家先生に設計お願いして、で出来るものでしょ。
だから、納税者、納得させるために
ドォーンとやるのよ。
それがなんにもなかった。
あるのは「壁」と、「水」、「砂利」
あと「木」
あのー…なんすか?
これ?
戸惑っているうちに入口についた。
(そうそう、五月の連休中にいったので、日の丸の旗がありました)
なんか入口も、「建築」らしくない。
洞窟の入口みたい。
感想②白井晟一というヒト
ここらで白井晟一という建築家について説明しておきたい……
などと書いてみたが、説明する能力があるのかどうなのか、
だって、この建築で白井ワールド初体験なんですもの、わたくし……
「白井晟一(1905-1983)
京都市生まれ。京都高等工芸学校に入学、そのかたわら京都大学哲学科に通いマルクス主義哲学者の戸坂潤らと親交を結ぶ。
1927年ドイツに留学、ベルリン大学、ハイデルベルグ大学でヤスパースらに師事し、かたわらゴシック建築を学ぶ。パリでは、アンドレ・マルロー、イリヤ・エレンブルグ、そして丁度パリ在住の作家林芙美子らと交流した」
(石水館でいただいたパンフレットより)
つーことなんだが、建築業界におけるこの人の位置ってのを説明するのは難しいな。
なんかどの業界にも「異端」っての人っているじゃない?
正統派の、誰もが認めるエリートってのがいるけれど、
その人達もやっぱり一目おかざるを得ない実力のある「異端」が、さ。
白井晟一ってそういう「異端」なのよね。
うまいたとえが思いつかないんだが…
アメリカ文学における、カート・ヴォネガットみたいな?
アメリカ音楽界における、フランク・ザッパみたいな?
日本のブンガクだと誰なんだろうね?
久生十蘭とかかね?
建築の話に戻ると、
戦後建築の正統派モダニズムってのは、
前川國男→タンゲケンゾウ→イソザキ・クロカワらのタンゲチルドレン
って東大卒エリートの流れが中心にある。(と、ひとまずしておく)
それに対して…そいつらバリバリのエリートですら
なんかたじたじしちゃう大物としての二大巨頭「異端」が
「村野藤吾」「白井晟一」
なんだな。
そういう白井晟一なんだな。
感想③つるつるとザラザラ
いやー…しかし…驚いた。白井晟一。
さっき、ちょろっと名前をあげました二大巨頭のうちのもう一人。
村野藤吾。
この人の作品は、ヒロシマの世界平和記念聖堂、これで経験済みだった。
とんでもない建築でありました。
あとファシスト建築の名作、宇部市民館。
これは写真でしかみたことないけど…
対する白井晟一先生は、なんつーか
どの建築も写真写りが悪い。
フォトジェニックじゃないのよね。
この記事をご覧になる方はわかるでしょうが、
「なんだ、壁だけじゃねーか」って。
それで今まで無視してきた。
いやー…すごいわ。
実際に見てみたらすごいわ。
静岡来る前たてた予定では
メイン「タンゲの静岡新聞本社」
ついでに「白井晟一先生をみる」
だったんだが、
結果はタンゲの静岡新聞がクソ作品で
「ついで」の白井晟一先生がとんでもない傑作だった。
んーしかし…説明が出来ているのだろうか。
このゼロ建築のすさまじさが…
そうそう。肝心なことを書くのを忘れていた。
建物内は撮影禁止。
ただ、中庭だけはお願いすると撮影させてくれた。それが上と下の二枚。
ちなみにこの中庭前のスペースは休憩室みたいになっていて
職員の方がおいしいお茶をごちそうしてくださる。
やっぱりお茶は静岡だねぇ~
さっき「エリート」対「非エリート」みたいな書き方をしたが、
もひとつ
「つるつる」対「ザラザラ」
の対決も、建築史においては非常に重要なファクターである。
と、僕は勝手に思っている。
ファクターというかファンクション(関数)と申すべきか?
モダニズム建築の進化の歴史は
「建築」を「機械」にしていく過程であった。
コルビュジエ御大のいう「住むための機械」ってやつである。
そのために建築の各部材は限りなく計量可能な、かつ、大量生産可能なものでなくてはならなくなった。
窓のサッシとかドアノブとか、水まわりの設備とか、照明とか、
ま、なにもかも規格化されていくことになった。
その過程で追放されていったのが「ザラザラ」なんである。
「つるつる」が「ザラザラ」を辺境に追いやったんである。
「ザラザラ」は計量不可能で、大量生産がきかない。
規格化もできないからだ。
このあたりの理屈、わかるよね。
ああ。↑この細長い開口のなまめかしさが伝わるかなー
たまんないエロさだね。ザラザラのエロだね。
照明器具のヘンテコな曲線にもやられるね。
ついでにいうと…曇りガラスの向こうは
ご婦人用のお手洗いだったりする。
うう。ド変態の白井先生(&撮ってる僕も)
えーさっきのエロいトイレを背にして、
石水館の出口を見ると、こんな。
↓えートイレの入口
ってトイレばっかり撮ってるな。
だってエロすぎなんですもの。
↓はい。トイレから見ると、こんなダイナミックなエロ・ザラザラ曲線がみえるわけ。
照明はもうちょっと工夫してほしかった気がするが…
あとトイレのドア。
もうちょっとエロくできたんじゃない?
まーコスト削るとしたらここだよね。
感想④土地の記憶
なんか長くなってきたのでここらへんでやめます。
肝心なことを最後に書くと…
この石水館、登呂公園という
あの登呂遺跡のすぐわきにあるのよ。
数十歩歩くと、
こんなのがゴロゴロあるわけ。↓
これはインパクトデカいよ。
小学生の歴史の教科書だもん。「竪穴式住居」だもん。
だが白井晟一はこのこともきちんと意識していた。
「竪穴? あ? 縄文? はん? オレはもっとすごいぜ」
という感じである。
「オレはな、石器時代やってやるぜ。洞窟だぜ。洞窟にすむんだぜ。バカヤロー」
このあたり、「登呂」という土地を完全に無視して
クソ建築を作ったタンゲケンゾウ御大とは真逆の攻撃精神を感じます。
…なんか収拾がつかなくなったので感想をまとめてみます。
感想①白井晟一は建築をゼロにした。
感想②白井晟一はエリートの中のエリート、タンゲケンゾウにケンカをふっかけて完全に勝った。
感想③白井晟一はゼロ建築をエロいこときわまりないザラザラ官能曲線で構成することに成功した。
感想④白井晟一は登呂遺跡にもケンカをふっかけて勝った。
それでいながら登呂遺跡とみごとに調和することもできた。
(なんてったってゼロだから調和するわな)
はい。そんな感じです。
すごいわ、白井晟一。
エロすぎます、白井晟一。
林芙美子が惚れちまったのも無理はないね。