小津安っさんが「晩春」(1949)でやった「革命」
それは――
ヒッチコック「ロープ」(1948)の真逆をやる。
というものです。
「ワン・カット撮影」じゃなくて、
とにかく「カットしまくり撮影」です。
小津安っさんがはたして「ロープ」を知っていたか?
それは知りません(ははは)
ただ、アルフレッド・ヒッチコックなる存在は……
シンガポール時代に日本軍に接収された「レベッカ」をみていますので
意識していたことは確実です。
――なので、
わたくしとしては
・西の横綱ヒッチコック
・東の横綱小津安二郎
と勝手に思いこんでいますので
「ロープ」の対蹠地点=「晩春」
この構図を声を大にして主張したいところです。
ま、以下に「晩春」のカットしまくり撮影をみていこうとおもいます。
シナリオは立風書房「小津安二郎作品集Ⅲ」を参考にしております。
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カットしまくり、が一番よく分かるのは
原節ちゃんが白ソックスをはいて登場するシーン
(シナリオ上のS32「夕方 鎌倉 曾宮の家の表」からS37「茶の間」まで)
です。
物語としては原節子の紀子と
宇佐美淳の服部さんの自転車おデートがありまして
で、笠智衆、杉村春子兄妹が、
「紀ちゃんの結婚相手、服部さんなんかどうかしら?」
とかはなしあう。その直後です。
ま、前半で一番もりあがるところです。
そのシーンを小津安っさんは
5分47秒あるところを 28ショットで構成しています。
ようするに28回の
「カット」「カット」「カット」「カット」があるわけです。
えーと割り算すると…
1ショット平均、12.4秒…
12.4秒ごとに「カット」がある、と。
猛烈なスピードです。
↑その28ショットのカメラ位置を示したのが上の図。
推定、です。だいたいこの位置だろう、と。
なんの根拠もなし、勘、でございます。
まー僕も50㎜レンズ好きだしー…
当らずとも遠からずなのではあるまいか…??…
(その位置はヘンだろう、という指摘、大歓迎です)
まーとにかく、「推定」カメラ位置。これがA~Mの13箇所となっております。
われわれ観客は、ですね。
原節ちゃんが夕食の支度をしている時間帯に
笠智衆のお父さんが帰ってきて
で、お着替えして、一緒にご飯食べて、
で、「お前、服部さんどう思う?」
なんて笠智衆がいう……
のをポカーンと見るわけですが…
じっさいのスクリーン上の動きというのは、
カメラ位置がA~Mと縦横無尽に動き回り、
そのカメラの視界の中を 原節子、笠智衆が
ものすごいスピードでバタバタ動き回る。
そんな動画を28ショット、
バンバンバンとぶつ切りにされたものを見る、そういうわけです。
具体的に「ショット1」からみていきましょう。
何度も言い訳しますが、カメラ位置はあくまで「推定」です。
・ショット1(カメラ位置A)
原節ちゃん、エプロン、白ソックスで登場。
縁側にいます。
春のうららの隅田川~
と滝廉太郎の「春」をハミングしています。
洗濯物をとりこむ原節子を
カメラは玄関あたりから狙っています。
セリフはなし。
笠智衆の部屋を横切って、茶の間にすわり、
洗濯物をたたむ。
右下に見えるのはお父さんの机なので、
カメラ位置は図面上のBあたりではあるまいかと、と。
ひきつづきセリフなし。ハミングしてます。
つまり観客を完全に逆の方向(通俗ラブストーリーの方向)
に引っ張っているわけです。
「ああ、原節子は宇佐美淳とのデートのあとですこぶる機嫌がいいのだな」
「このおはなしは原節子と宇佐美淳のラブストーリーらしいな」
と……
・ショット3(カメラ位置C)
お父さん帰ってきます。セリフなし。
シナリオの
「S32=夕方 鎌倉 曾宮の家の表 周吉が帰ってくる」
ただ……
この「カメラ位置C」というのはウソです。
A~Mの中で、Cだけはありえない位置です。
だってセット撮影じゃないですもん。ロケですもん。
ただ、この記事では
「5分47秒のなかでこれだけカメラが動き回っているんですよ」
ということが示したかったので便宜的に図上の「C」の位置にしました。
・ショット4(カメラ位置D)
カメラは階段のあたりから玄関を狙っています。
シナリオの「S33=玄関」
原節ちゃんのスケート選手みたいな華麗な動きを楽しみたいところ。
「ただ今――」
「お帰んなさい。お早かったのね」
「うむ」
・ショット5(カメラ位置E)
シナリオ上の「S34=茶の間」がここから。
東端の部屋からカメラは西を向きます。位置E。
前回の記事。「晩春」のすべて その1で…
原節ちゃんは笠智衆の部屋に座らない、と書きましたが、
(佐竹君とのお見合い話が出る場面で、はじめてきちんと腰をおろす)
このシーンは、ちょこんと膝を立てて座ります。
できるだけ接触を避けているかのような座り方です。
原節ちゃんが
「うち、服部さんいらしったのよ」といって、カット。
俄然もりあがってまいります。
・ショット6(カメラ位置F)
笠智衆のクロースアップ
「いつ?」
・ショット7(カメラ位置G)
原節子のクロースアップ
「お昼ちょいと過ぎ――すぐご飯召上る?」
・ショット8(カメラ位置F)
原節ちゃんの方から「服部さん」の話題が出たので
ニヤけてしまいます。
「ああ」
・ショット9(カメラ位置G)
「散歩に行ったのよ、自転車で」
クロースアップの連続で一気にたたみかけます。
トップギアで爆走してます。
・ショット10(カメラ位置B)
「服部とかい?」
「いい気持だったわ、七里ヶ浜――」
と云い捨てて台所の方へ去る。
周吉、何か心たのしく、上衣とズボンをぬいで、台所の方へ出てゆく。
トップギアの爆走が一休み。
このあたり緩急のつけ方が、もう神業です。
笠智衆、左にみえる唐紙のかげにはいってシャツを脱ぎますので…
一瞬、人物がうつらなくなる。
このあたり、「戸田家の兄妹」
佐分利信、高峰三枝子のお着替えシーンそっくりです。
正統な子孫……いや、発展バージョン、といえるでしょう。
佐分利信は和服→スーツでしたが、
笠智衆はスーツ→和服、です。
・ショット11(カメラ位置H)
シナリオ上の「S35=中廊下」
「服部、なんだって?」
「ううん、別に……」
カメラは玄関あたりから台所を狙います。
そういえば、物語冒頭、
メーターをはかる電気屋さんに、服部さんが踏み台をもっていく、
あのショットはこのHから撮られていました。
観客はなんとなくそのことを記憶しているはず……
ここらへんも計算しています。
おっそろしく丹念に作られています。
・ショット12(カメラ位置I)
シナリオ上の「S36=洗面所」
「紀子、タオル――」
「はい」
「自転車、二人で乗っていったのかい?」
「まさか――借りたのよ、清さんとこのを」
「晩春」全編中
洗面所が写るのは…このS36だけだとおもう。たしか……
・ショット13(カメラ位置H)
再びカメラ位置H
・ショット14(カメラ位置E)
カメラ位置E…ショット5の位置に戻ってきます。
シナリオの「S37=茶の間」がはじまります。
長回しのショット。
このショットはもう……笠智衆、原節ちゃんの
絶妙のダンスをみているかのようで……
どれだけリハーサルを繰り返したことか。
勝手にため息がでてしまいます。
左右二枚の唐紙のかげに
笠智衆が隠れ、原節ちゃんが隠れ、
笠智衆があらわれ、原節ちゃんがあらわれ……
「シャボン、もうないぞ――帯……」
「はい」
「今日はよかったろう、七里ヶ浜」
「ええ――茅ヶ崎の方まで行っちゃったのよ」
「そうかい」
交互に出現する原節ちゃんと笠智衆。
これまた「戸田家」のお着替えシーンの発展バージョン。
観客は「いよいよ服部さんとの結婚話がはじまるぞ~」
と期待が高まる……
もちろん、
「衣」「食」「住」全部1ショットに放り込む。
というのはサイレントの「浮草物語」以来の伝統です。
すげーな、小津安っさん。
――で、お食事がはじまります。
・ショット15(カメラ位置J)
カメラ位置J この位置はなんだか新鮮です。
原節ちゃんの横顔が美しい。
なにかというと女優さんの横顔を狙いたがる安っさん。
シナリオは……
紀子はご飯をつけ、周吉もおつゆをよそう。
紀子(ご飯を渡しながら)「なんだか黒いもの……」
周吉「うむ――」
はい、以降、再びトップギアの爆走。猛スピードです。
・ショット16(カメラ位置K)
笠智衆クロースアップ。
「お前、服部さんどう思う?」
「服部さん」はポイントだとおもう。
いつも「服部」と呼び捨てなのに、
ここだけ「さん」です。
みょうにあらたまってます。
・ショット17(カメラ位置L)
原節ちゃんクロースアップ
「どうって?」
にしてもきれいな手……
・ショット18(カメラ位置K)
「服部だよ」
・ショット19(カメラ位置L)
「いい方じゃないの」
・ショット20(カメラ位置M)
カメラ位置M
これまた新鮮な視点です。
女性の足裏が大好き、という安っさんの癖もみえます。
シナリオ…
周吉(黙々として食事をつづけながら)「ああいうのは、亭主としてどうなんだろう?」
紀子「いいでしょう屹度」
周吉「いいかい」
紀子「やさしいし……」
周吉「そうか……そうだね」
紀子「あたし好きよ、ああいう方」
周吉「ふウん――叔母さんがね、どうだろうっていうんだけど……」
・ショット21(カメラ位置L)
またクロースアップ。
紀子「何が?」
個人的には原節ちゃんのこの「何が?」の言い方が大好き。
呆気にとられた雰囲気がよいです。
「晩春」より前は「美人だけど大根」という評判のあったお人。
小津安っさんはその評判をみごとひっくりかえします。
お茶碗にご注目。「福」ですかね?
お茶碗を持つ角度。箸を持つ角度。
はさんでいるのは叔母さん(杉村春子)からもらった奈良漬けでしょうか?
指先まで完璧。
ぜーんぶきっちりきまってます。
この白ソックスシーン(勝手にそう呼んでます)――
「あのな、モノ作りってのはこうやるんだぞ」
と小津安っさんが見本をみせてくれているかのようです。
丹念に、時間をかけて、すべてを計算し、
そしてあくまでオーソドックスなモノ作り。
・ショット22(カメラ位置K)
「お前をさ、服部に」
・ショット23(カメラ位置J)
シナリオみていきます。
紀子、途端に吹き出しそうになり、茶碗と箸を置いて、笑いを忍ぶ。
周吉「なんだい?」
紀子「お茶……お茶頂戴……」
周吉(お茶をついでやりながら)「どうしたんだ」
紀子「だって、服部さん、奥さんお貰いになるのよ、もうとうからきまってるのよ」
周吉「――そうか……」
紀子「とても可愛い綺麗な方――第一あたしより三ッ年下の……」
第一ってのは「第一高女」って学校らしいです。
で、でました!
マジックナンバー「3」……
・ショット24(カメラ位置K)
「そうか……」
・ショット25(カメラ位置L)
・ショット26(カメラ位置K)
「そうか……」
・ショット27(カメラ位置L)
「お祝い何あげようと思ってるんだけど……」
・ショット28(カメラ位置M)
「そうかい……結婚するのかい、服部……」
「ねえ、何がいい?」
「うーむ……きまってたのかい、お嫁さん……」
はい。以上壮絶な28ショット、5分47秒でございました。
結論、めいたことを書きますと、
小津映画って「のろい」「テンポが遅い」「スピード感がない」「動きがない」
などとけなされるわけですが、
この白ソックスシーンなどみると――
そうか???????
小津って猛スピードじゃんか???
とおもわざるをえない。
たぶん、「のろい」とおもっている人って
画面上に発生している出来事をみていないのではあるまいか?
ニセの「物語」に惑わされているだけなのではあるまいか?
たしかに……
上に見た28ショットだって、「物語」でいえば
「父親が娘に『服部さんどう思う』ときく」
という、ただそれだけのことで
わざわざ5分47秒ひっぱるものではない、フツーは。。
それを考えれば「のろい」
でも、スクリーン上に起る出来事というのは……
28回、カメラの位置がびゅんびゅん変わり。
視界の中では笠智衆と原節ちゃんが猛スピードで動き回り、
会話を交わす。
カットカットカットカット。です。
なかには「ショット14」のようなパントマイムめいたすさまじいショットも含まれる。
これがスピードでなくてなんでしょうか?
動きでなくてなんでしょうか?
ピストルをバンバン撃つとか、カーチェイスとか、
そんなのは実は「映画的な動き」では全然なくて、
真の映画の「動き」ってのは
「晩春」のこの28ショットのことをいうんじゃないでしょうか??
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さいごに…「紀子」なる名前。
前回、紀子は「つながる」「接着」に関連させられる、と書きました。
叔母さんに虫の食ったズボンを繕ってくれと頼まれ、
服部さんとのおデートで「つながったお沢庵」の話題がでる。
そしていとこのブーちゃんに「ゴムノリ」といわれる。
これは……
この壮絶な編集術のことをいっているのではないでしょうか??
カットカットカット、短いショットを「つなぐ」「接着する」
この小津による小津のための技法
この方法論のミソになる名前
神聖な名前こそが「ノリコ」=「紀子」なのではないでしょうか?
それを考えると↑にみた白ソックスシーン……
その前後を「つながったお沢庵」なる言葉ではさまれていることは
重大な意味を持つ、とおもいます。
S30
紀子「それじゃお好き、つながったお沢庵――?」
服部「たまにはいいですよ、つながった沢庵も――」
紀子「そう?」(と微笑)
S39
紀子「いやよ」
服部「恨みませんよ」
紀子「でもよしとくわ」
服部(微笑して)「繋がってますね、お沢庵」
紀子(明かるく)「そう、包丁がよく切れないの」
くりかえします。
「ノリコ」=「紀子」
がなぜ小津作品において神聖な名前かというと、
それは「ノリ」だからです。
小津の計算されつくしたショットを接着する「ノリ」だからです。
そして小津作品のすべては
「晩春」にしろ「麦秋」にしろ「東京物語」にしろ、
すべては「つながったお沢庵」なのです。