けっきょく読者を完全に無視した
病んだ感想が前回同様に続くのであった。
感想②とある病室にて、翌日。
登場人物紹介
・女医:ユダヤ系美人精神科医
・患者:ダンボちゃんのぬいぐるみを抱きしめて恍惚としている。
本日のリベカ・アクセルロッド博士の服装はカーキ色のカーゴパンツに迷彩柄のTシャツというなんかアレなもの。ファッションなどというものがもはやどうでもよくなってしまったのか、あるいは今朝は寝坊して単に時間がなかったのか、そのあたりを患者は訊ねてみたいように思うのだが、いざ質問しようとすると彼女の故郷での出来事の数々――メルカバー戦車の主砲のかたわらでながめた沙漠におちる大きな夕陽のことやモサドの凄腕の工作員だった恋人の話やらが飛び出てきそうな気がして怖い。これはひょっとして恋なのだろうか?と患者は思うのであった。
患者:ドクター、あなたにとって「ダンボ」はどんな映画なのですか?
女医:壮大な動物虐待映画?かしら?――そしてマゾヒスト検知器のような映画かも知れないわね。ラスト。ダンボが火が燃え盛るビルの最上階で、嬉々として微笑んでいる。あれをマゾといわずしてなんといえばいいの?そして…
患者:ダンボちゃんと自分自身がごちゃごちゃになっているぼくはうたがいもなくマゾヒストということになりますね。
女医:そう。あなたの崇拝するトマス・ピンチョン氏もこの「マゾヒスト検知器」的な性格に気づいていたのではないかしら?「重力の虹」の中に「ダンボ」はたしか登場するわね。
そういって女医は背後の本棚からペンギンブックスのペーパーバックをとりだして朗読を始めた。ペンギンブックスのGravity's Rainbowの表紙はおしゃれな青で、ナチスドイツのV2A4ロケットの設計図がこまかく描きこまれている。
『ダンボ』は昨夜、オックスフォード通りに見にいった。途中で気がついたのだが、長いまつげの赤ちゃん象の太い鼻にまかれていたのは、魔法の羽根ではなく、ユーモアのかけらもない緑とマゼンタ色のアーネスト・べヴィン氏の顔だったから、そこで中座するのが賢明だと思ったのだ。
(国書刊行会「重力の虹」Ⅰ巻、145ページより)
患者:アーネスト・べヴィンという人はなんでもたいそう立派な外交官らしいですが、ぼくのようなミリ・オタにとっては「バトル・オブ・ブリテン」当時の労働相という認識があります。保守党のチャーチルが戦時体制をつくるために招いた労働党の大物政治家ですね。
女医:ピンチョンがここでべヴィンという人を放り込んだ意味はよくわからないけれども、彼が「ダンボ」のサイケデリックな要素に着目した点はおもしろいわね。
患者:この場面、「ダンボ」をみてサイケデリック体験をしているのは、オズビー・フィールという麻薬中毒者です。この「重力の虹」はご存知のように、ナチのV2ロケットに関する小説ですが、視点をかえてみれば「映画」というメディアに関する小説でもあるわけです。ちょうど「ヴァインランド」がTVに関する小説であったように。
女医:それだけに「ダンボ」の意味は大きいのではないか、ということね。
(といいながら女医はメモを取った。メモ帳には以下のように書かれている。症状:パラノイア(軽症?…))
患者:はい。「ダンボ」に言及されるシーンがピンチョン師によってどのように配置されているかが興味深いところです。まず、ナチの親衛隊将校ブリセロ、美少年ゴットフリート、悪女カティエ・ボルヘシウスがV2ロケットの発射基地で繰り広げるSM遊びの描写があります。それから「戦争」に関するマキャベリ的な記述があります。「ダンボ」のラスト、空を飛びまわり「復讐」をするダンボちゃんにどこか軍事臭をかぎとるのはぼくだけではないはずです。
忘れてもらっては困るが、〈戦争〉のほんとうの仕事は売買だ。殺戮と暴力は治安維持のためであり、専門家でない連中に任せておけばよい。
(同書143ページより)
ほんとうの戦争とは市場の祭典だ。
(同書143ページより)
女医:そしてカティエがロンドンへ来たいきさつ。V2ロケットが落ちる冬のロンドンの描写。〈海賊〉・プレンティスとジャンキー・オズビーの会話の中に「ダンボ」が登場するのね。つづいての場面はカティエの遠いご先祖、フランス・ファン・デル・フローフがドードー鳥を絶滅させる場面。わたしのいった「動物虐待」要素をピンチョンはうまく利用している。
患者:そして〈黒の軍団〉が登場します。これはナチ親衛隊の制服を着た黒人部隊です。ぼくはどうしても「ダンボ」のカラスたちを思い出してしまいます。
女医:わたしはアメリカ英語の発音にはくわしくないけれど…
患者:ぼくもそうですけど、あのカラスたちはどうみても黒人のジャズメンでしょう?彼等は抑圧された者たち、です。ダンボちゃん、カラスたち、虐げられたものたちが手を結び、そして復讐をするのです。あの魔法の羽根はこの同盟の象徴です。
女医:わたしは「ダンボ」のアメリカ臭さが気になるの。ネズミのティモシーは「アイデア」ということをしきりに口にする。「きみはスターになるんだ」ということをいったりする。このアメリカ的な楽観主義。それと完全な「父」の欠如…
患者:たしかにダンボちゃんには「父」がいない。ユダヤ教徒らしい反応ですね。
女医:どうかしらね?ともかくわたしにとっては耐え難いほど理想主義的にみえる。でも「ダンボ」は大戦後のアメリカ文化の行方も見据えているわね。「ピンクの象」のくだり。なにかヒッチコックの「めまい」でもみているような気がするわ。
患者:耳の長いダンボちゃんは「フリーク」の象徴ですね。
女医:でも、まあ、完全に体制から外へはみだして放浪しているカラスたちとは違って、ダンボはあくまで体制の中での成功を目指している。このあたりもトマス、あなたの感動したところなんじゃないの?「フリーク・アウト!」のフランク・ザッパみたいな生き方に共鳴しつつも、結局のところ行き着くところは、オヅヤスジロウ的な…ヨコスカ線沿線的なゆるやかな保守主義というところで…
患者:そういやダンボは自由に飛びまわれるのにもかかわらず、レールの上しか移動しませんね。ま、お母さんがいるからだ、といってしまえばそれだけのことかもしれませんが。
女医:線路…強い母…アメリカ文化…なんだ、あなたとはなしていると結局さいごはオヅヤスジロウに落ち着いてしまうのね。
患者:明治生まれにして身長が180cmあった小津は、明らかに化け物、フリークでした。
女医:はたしてオヅは「ダンボ」をみていたのかしらね?
感想その2 おしまい。です。