その6です。
たぶん次回 その7でようやくラストまで行けそうだ。
「麦秋」1本でここまで文章が書ける、というのは、
これは才能かもしれない……
えー……
S79
原節子の胸ポチショットがありまして
……「○」
S81
矢部謙吉……二本柳寛がめでたくショートケーキ
……「○」にありつきます。
しかし、
暴君、実くんが出現しますので、
みんなでショートケーキを隠します。
このシーンの撮影風景が、
フィルムアート社「小津安二郎戦後語録集成」
100ページあたりに紹介されていて……
実くん(村瀬禅)も苦労したんだな、とわかります。
「ダメだよ、芝居をしちゃ。よろめいて柱にさわるんじゃないんだ。自分の家だから、どこにどんな柱があるかよく知っているんだよ。いつもそこにあるものを何気なくさわりながら歩いてゆく……そういう感じで演るんだ」
これはいい演出であった。それによって、少年が寝ぼけ眼をこすりながら廊下を歩いてゆくという感じだけでなしに「その家で育って生活している子供」の姿が鮮明に表現されたのである。小津さんの製作態度がこのちょっとしたカットでハッキリわかったような気持ち……。
(「小津安二郎戦後語録集成」100~101ページより)
村瀬禅くん、この時の努力が報われたか、
「東京物語」でも平山実役で登場します。
まー、監督、間宮実とちがって、「ただイヤなガキ」という役ですが……
S83
はい。「麦秋」のすべて その1 でご紹介しました……
「パン」と「レール」の取り違えのシーン……
しかし、小津作品を振り返ってみると
「落第はしたけれど」
→影絵で「パン」という文字を作る。(笠智衆がはじめて役がついた作品)
「一人息子」
→日守新一が飯田蝶子にアンパンを買ってくる。
食べ物の方の「パン」はけっこう大事な場面に登場しますね。
撮影方法の「パン」は、嫌いなんですけど。
S85
ムカついている実くんは放っておいて、
専務の縁談のはなしでもりあがります。
康一「坂口の話だと、善通寺でも指折りの名家で(史子に)そこの次男なんだそうだ」
史子「そう」
康一(再び志げに)「紳士録にも出てるんですが、なかなか遣り手な、しっかりした人らしいんですよ」
志げ「あ、そう。結構なお話ね。――お年は?」
康一「明治43年だから……いくつになるかな……42ですか」
志げ「42……?」
康一「満だと40ですかね」
で、女性陣からは「年が離れすぎている」と不満が出ます。
ついでにいっておくと、小津安っさん、
明治36年生まれの次男坊。
むろん名家「小津家」の出身ですなー
女性陣の渋る顔に
機嫌を悪くする笠智衆。
S86
とうとうキレまして……
洗面所に。
手ぬぐいを肩に叩きつける……この仕草……
なんか見覚えが……??
とおもったら。
「生れてはみたけれど」だった。
なつかしい。
不鮮明な画像ですが。
3枚、「生まれてはみたけれど」
上着を脱いで、肩に叩きつけます。
しかし、この笠智衆の手ぬぐいショットの直後、
「生まれてはみたけれど」のガキども同様
怒り狂う実くんが登場するわけですから……
計算されつくしています。
おそろしいほどに。
S91
紀子「お兄さん駄目よ、自分の感情だけでおこるから……。可哀そうよ」
というんですが……
原節ちゃんのスーツ……
「○」が「8」……
深読みしすぎですか??
右そでにもボタンがあるんでしょうが
写ってませんので「8」
原節ちゃんバスト。
んー……
夕方っぽい照明がたまらんです。
西側を背にしてますので、後光が射したようになって。
S102
子どもたちがなかなか帰ってこないので、
原節ちゃん、矢部家へ……
紀子「あ、小母さん、うちの子供たちお邪魔してません?」
といいますが、
手をゴニョゴニョさせながら男性の家を訪問するというのは……
「淑女と髯」の伊達里子
「出来ごころ」の伏見信子
に、似ています。
どちらも押しかけ女房タイプのキャラです。
じっさいに間宮紀子はそういうキャラなんですが。
つづいての杉村春子のセリフ――
たみ「もうこんなに暗いんだからね、八幡前から長谷の方の通り、ズーッと探してごらんよ。ひょいとしたら駅の近所か、待合室なんかよく見てごらん。裏駅の方もね」
八幡……8幡
意図的なのか、たまたまなのか、もうわかりません。
でも「8」のスーツがあるからなーー……
S103
笠智衆は宮口精二の家に逃げています。
康一「――どうもだんだんおれに似てくるよ……悪いとこばかり似てくる……困ったもんだ……」
というのは、気に入らないことがあると、プイと逃げる性格のことです。
ドナルド・リチー先生がそんなこと書いてましたが、
小津映画のキャラクターは概して
自己抑制の出来る人たちなのです。
感情をコントロールできる人たち。
康一も爆発はしますが、自己分析はきちんとできるのです。
S106
笠智衆から秋田行きのはなしを持ちかけられて、
二本柳寛が帰宅します。
で、矢部家の様子が写されますが……
いろいろ興味深い点が。
まず家の外観が写される、というのが珍しい。
「淑女は何を忘れたか」のドクトルの家とか
「戸田家の兄妹」の戸田家とか
立派なお屋敷は外観が写りますが――
「晩春」の曾宮家、「麦秋」間宮家、
庶民の家は、外観がさっぱりわからない。写らない。
あと、小津映画にめずらしく……ちらかっている。
これは意図的に「○」をばらまいたと見ていいでしょう。
あ。三輪車は「東京物語」の平山紀子(もちろん原節ちゃん)のアパートに登場します。
S108
で、二本柳寛が母親の杉村春子に
秋田行きの決意を語ります。
が、矢部家は内部の様子も珍しい。
というのも「神棚」が写ってる。
「父ありき」の不在の仏壇を思い出しましょう。
佐野周二が仏壇に向かって手を合わせるショットはありますが、
仏壇そのものは写されません。
「一人息子」の冒頭近くに……
↓↓こんなショットがありますが……
神棚そのものは、画面のそとに切れて、みえません。
小津作品の住居内で
「お札」が貼ってあるのはよく目にしますが、
「神棚」がずばり登場するのは珍しい。他にあったかな??
とにかく矢部家はとても変わった家なのです。
S110
丸の内のオフィス。
淡島千景と佐野周二の会話。
紀子……原節ちゃんの噂ばなしです。
佐竹「だれかに惚れたことないのかい?」
アヤ「さア、ないでしょ、あの人。――学校時分ヘップバーンが好きで、ブロマイドこんなに集めてたけど……」
もちろん戦前? 戦中? のはなしですから、
オードリーではなく キャサリン・ヘップバーン。
ヘップバーンに関しては――
昭和14年にこんなことをいっています。小津安二郎。
内田岐三雄 外国の俳優では誰が好きだ?
小津 男ではチャールス・ロートン、ゲーリー・クーパー、ライオネル・バリモア。
(中略)
小津 序に嫌いなものも云わして貰おう――グレタ・ガルボにカザリン・ヘップバーン。
(泰流社「小津安二郎全発言(1933~1945)」138ページより)
「晩春」に登場(?)のクーパーは好きな俳優だが、
ヘップバーンは嫌いらしいのである。
たぶん器用に「芝居」しちゃうような人は好きじゃないんだろう。
S112
ニコライ堂そばの喫茶店。
不在の「○」……間宮省二をめぐるシーンです。
謙吉「――昔、学生時分、よく省二君と来たんですよ、ここへ」
紀子「そう」
謙吉「ンで、いつもここにすわったんですよ」
紀子「そう」
謙吉「やっぱりあの額がかかってた……」
小津安っさんお得意の「空間」論、です。
「戸田家の兄妹」の料亭シーンを思い出したい。
佐分利信が父親の死を受け入れる、あのシーン。
このシーンで間宮紀子は
間宮省二を消して……(死を受け入れ)
かわりに矢部謙吉を加えるのだ……
そう見たいところです。
なにしろ「○」は「8」つと決まっていますので。
そうそう原節ちゃんが着ているのは、例の「8」のスーツです。
謙吉「早いもんだなア……」
紀子「そうねえ――よく喧嘩もしたけど、あたし省兄さんとても好きだった……」
謙吉「ああ、省二君の手紙があるんですよ。徐州戦の時、向うから来た軍事郵便で、中に麦の穂が這入ってたんですよ」
紀子「――?」
謙吉「その時分、僕アちょうど『麦と兵隊』を読んでて……」
紀子「その手紙頂けない?」
謙吉「ああ、上げますよ。上げようと思ってたんだ……」
タイトルでもある「麦」がでてきます。
もちろん、「麦秋」――ラストシーンは麦畑、です。
「徐州戦」はもちろん
安っさんの親友であった山中貞雄を思い出させます。
以下、戦場から帰ってきてすぐの小津安二郎の談話……
戦地にいて映画のことは、考えなかった。少しも考えつかないのだ。それほど、兵隊になりきっていたのだと思う。
徐州会戦に参戦して後、病に侵され、不幸中支に戦病死された東宝の山中貞雄君と、昨年中支戦線で、偶然、逢って話し合った時、山中が、戦場でも映画のことを忘れずに、いろいろメモを書いておいたり、帰還したら、エノケンの「孫悟空」映画を撮ろうとか、……(中略)……相変らず映画に対して熱意を持って話すのに驚かされた。
(泰流社「小津安二郎全発言(1933~1945)」113ページより)
もっとも間宮省二の場合、
中国からスマトラに派遣されて、そこで行方不明になったらしいのですが。
S113
矢部家です。
紀子が唐突に結婚を決めるシーン……
ここはもう杉村春子の名演にうっとりするところですが……
セリフも色々おもしろい。
たみ「ええ……うちが鉄道にいたもんだから、宇都宮までは行ったことがあるんですけど……」
旦那さんは国鉄勤務だったらしい。
「レール」が出てきます。
あと……深読み、かもしれんですが。
たみ「いいえね、へへへ、虫のいいお話なんだけど、あんたのような方に、謙吉のお嫁さんになって頂けたらどんなにいいだろうなんて、そんなこと考えたりしてね」
紀子「そう」
この「虫」……
謙吉、二本柳寛がツツガムシの研究をしていることを思い出させる。(S108)
謙吉「それに、秋田へ行きゃアツツガムシもいるし、リケッチヤの研究も出来るんだ」
あと気になるのは……
シナリオで、
「将校用の行李などが出してあって、たみが謙吉の靴下を繕っている。」
この将校用の行李、というのがこれか??↓↓
「矢部」と名札がついている。
そういわれると――個人的な話になりますが、
わたくし、子供時分に
ひい祖母さんにこんな行李をみせてもらったような記憶がある。
もっとも、うちのひい祖父様は海軍士官でしたが……
(「将校」というのは陸軍です。海軍は「士官」)
えー、なにがいいたいのか、というと、
謙吉君も戦争に行っている、ということです。
彼の場合、軍医さんでしょうか。
あ、あと杉村春子のセリフでもうひとつ大事なものを忘れてた。
たみ「よかった。よかった。あたしもうすっかり安心しちゃった。――紀子さん、パン食べない? アンパン」
「アンパン」とはまた……完璧な食材ですね……
小津映画の、細部のそのまた細部までのこだわり……
これはもう……アンパンじゃなきゃいけない。
・「食」=「結婚」の主題
・「○」の食べ物
・「パン」と「レール」
あらゆるテーマを「アンパン」の中につっこんでいます。
S115
えー……結婚する二人が、ただの知合い同士の会話をするシーン。
というか、原節子と二本柳寛が一緒に写る、さいご。
つくづく、凄まじい映画。
シナリオがまた、すさまじく……
紀子「お帰んなさい」
謙吉「ああ、昨日はどうも……」
紀子「明日、何時、上野――?」
謙吉「8時45分の青森行ですよ」
紀子「そう。――じゃ、おやすみ……」
謙吉「やア、おやすみなさい」
これで全部、ですが……
「麦秋」前半しきりに言及されていた「時間」がここでようやく復活します。
「8時45分」……
S48 「時計」と二本柳寛が一緒に写るショット、
これを最後に「時間」「時計」をいったん消して、
で、
このS115で、「8時45分」とじつに久しぶりに「時間」が登場する。
しかも口にするのは二本柳寛。
なにもかも計算しています。
(厳密にいうと、S77、笠智衆の病院の場面で時計が登場しますが、被写界深度の外にあって、焦点があっていません)
S117
たみ「ねえお前、紀子さん来てくれるって! ねえ、うちへ来てくれるってさ!」
全然うれしくなさそうな二本柳寛ですが、
手をゴニョゴニョやっています。
「出来ごころ」の大日方伝そっくりです。
伏見信子を目の前に、
しかめっ面で、手はゴニョゴニョ……
謙吉君、このシーンがさいご。もうスクリーン上には登場しません。
ふつーさ、
原節ちゃんが、秋田へ行く謙吉君へ手を振る、とか撮るよね?
撮りたいよね??
でも、やらない小津安二郎。
S119
康一「紀子が矢部と結婚するって言うんです」
周吉「謙吉君と?」
康一「ええ、いま矢部の小母さんと会って決めて来たって言うんです」
矢部謙吉との結婚を
家族中から反対される紀子。
なんつったって子持ちのやもめ男。お金持ちじゃないし。
↓↓ハァー―……
ため息がでるほど美しいショット。
照明がまたたまらん。
われわれは「わーキレイ」と何となく見てしまいますが……
カメラの厚田さんはいろいろ苦労があったようで……
以下、セット撮影の照明の苦労を語っていらっしゃるところ。
ところが原さんは白いブラウス着ていますね。ご承知のように、小津さんはいろいろ紋様があるものより、単純に白いブラウスのようなものがお好きだ。その白いやつが大変むつかしいんですよ。そっちに合わせたんじゃあ画調がこわれちゃいますから、顔本位でいくわけですが、それには照明を変えなきゃならないんです。
(筑摩書房「小津安二郎物語」214ページより)
↑はブラウスじゃなくてセーターですが、どっちにしろ白系。
カメラやってる方ならおわかりでしょうが、
露出を顔にあわせるか、服に合わせるか、難しい。
それでも今はデジタル処理で、撮影後にいろいろいじれるわけですが……
んーー当時は一発勝負なわけで、
この時代のカメラマンって神さまなんじゃないかとおもいます。
あ。厚田雄春、「麦秋」で
ブルーリボン賞撮影賞受賞してるらしいですが、
当然でしょう。
シナリオとしては
志げ「……だって、そんな大事なお話、あんた、よく考えたの?」
康一「矢部には子供もあるんだぞ」
紀子(頷いて)「…………」
東山千栄子の志げが、反対する所がポイントだとおもいます。
志げ「……だけどあんた、先イ行って後悔しないかい……?」
紀子「しないと思います」
康一「きっとしないな? あとで、しまったと思うようなことないんだな?」
紀子「ありません」
でもここは原節ちゃんのバストショットに酔いましょう。
小津安二郎の完璧な構図。
厚田雄春の職人の技。
そして31歳の原節子。
いじわるな見方をしますと――
「お嫁に行くお嬢さん」役、としてはぎりぎりの最後の年齢なんでしょう。
じっさい「東京物語」以降、未亡人役ばっかりです。
S120
で、東山千栄子がまだブツブツ言っていますが、
志げ「――のんきな子……ひとりで決めちゃって……」
周吉「ウム……」
ここは謙吉君との結婚ではなく、
間宮省二問題を考えたいところ。
おそらく……ですが、家族の中で
間宮省二の生存を信じていたのは
間宮志げ(東山千栄子) 間宮紀子(原節子)
この二人だけだったのです。
東山千栄子はラジオのたずね人を熱心に聞き、
原節子は家の引き戸が開くたびに「省兄さん?」と驚く、
その原節子が、兄の「分身」のような存在の謙吉君と結婚する――
この選択は、間宮省二の死を受け入れたのと同じ。
(ニコライ堂そばのカフェのシーンが効いてきます。麦の穂)
だから東山千栄子は
「ひとりで決めちゃって」と怒っているのです。
同志がいなくなってしまって、寂しいのです。
S124
オフィスの応接室。
紀子「でも、謙吉さん、なんと思ってらっしゃるか……」
たみ「だれ? 謙吉?」
紀子(頷く)「…………」
たみ「もう大へん! あの子だってゆうべよく寝てやしませんよ。夜中にまた一緒にご飯たべちゃったの」
つくづく「結婚」と「食べる」を結び付けたがる安っさんです。
S126
布団に綿を入れています。東山千栄子があいかわらず愚痴……
志げ「いいのかねえ、あんなふうにひとりで決めちゃって……」
史子「そうですねえ……」
布団に綿、というと、「戸田家の兄妹」S45
葛城文子と高峰三枝子が布団に綿を入れていたのを思い出させます。
んーだが、個人的には
三宅邦子のおしりがまんまるなのが気になる……
「○」……
S128
菅井一郎が、踏切でぼんやりしています。
「踏切」もまた小津作品の主要キャラでしょう。
「生まれてはみたけれど」「東京暮色」……
うろこ雲――……
は、小津安っさんの中で
「うつろいやすいもの」「時間の経過」を象徴していたようです。
彼の初期作品「美人哀愁」のオープニングには
「空のうろこ雲/脂粉の女の美しさ/どちらも長くは持ちません/ジャン・コクトオ」
こんなタイトルが出たそうな。
(シナリオしか残っていない)
S130
アヤちゃんちです。
築地の料亭「田むら」
正直、このシーンは長すぎて退屈な気がする。
「麦秋」唯一の弱点。
しかし、このシーンがないと、例の――
後退するカメラを原節子&淡島千景が追いかけるショット。
カメラの向こう側にひそむ何者かを暴こうとするショットが撮れませんから、
必要なんでしょうが、
でもそんな下準備、小津安二郎らしくない。
ちょっと会話は削って欲しい気がする。
紀子「とも言えないんだけど……なんてったらいいのかな……洋裁なんかしてて、ハサミどこかへ置いちゃって、方々探して、なくて、目の前にあるじゃないの」
アヤ「うん、うちのお母さんなんかしょっちゅうよ。眼鏡かけて、眼鏡探してンの」
紀子「つまりあれね」
アヤ「何が?」
紀子「あんまり近すぎて、あの人に気がつかなかったのよ」
ようするに謙吉君との結婚があまりに唐突過ぎて
客が文句を言うかもしれん、とヒヨったような気がする。ここは。
それでいながら、
「ハサミ」「眼鏡」とみごとに「○」なのはさすが。
でも、間宮紀子に
こんな理屈っぽいセリフは言わせたくないな~……
個人的には好きじゃない。
そして原節子&淡島千景の追いかけっこ。
「○」「円運動」
天井の照明も「○」
その7につづく。