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小津安二郎「東京物語」のすべて その3

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その3です。

えー今回はまず。


・「東京物語」のルーツは新約聖書だ!!


というアヤしげな説をとなえてみたい、なー、と。


すみませんね。

伴天連キリシタン嫌いの方は読み飛ばして下すって結構です。


ただ、「東京物語」が妙にガイジン受けがいい理由って

このあたりにあるんじゃないか?

などと考えたわけです。


さっそくはじめます。

まずは福音書の引用。


イエスは賽銭箱の向かいに座って、群衆がそれに金を入れる様子を見ておられた。大勢の金持ちがたくさん入れていた。

ところが、一人の貧しいやもめが来て、レプトン銅貨二枚、すなわち一クァドランスを入れた。

イエスは、弟子たちを呼び寄せて言われた。「はっきり言っておく。この貧しいやもめは、賽銭箱に入れている人の中で、だれよりもたくさん入れた。

皆は有り余る中から入れたが、この人は、乏しい中から自分の持っている物をすべて、生活費を全部入れたからである。」

(マルコによる福音書 12章41節~44節)



イエスがベタニアでらい病の人シモンの家にいて、食事の席に着いておられたとき、一人の女が、純粋で非常に高価なナルドの香油の入った石膏の壺を持って来て、それを壊し、香油をイエスの頭に注ぎかけた。

そこにいた人の何人かが、憤慨して互いに言った。「なぜ、こんなに香油を無駄使いしたのか。

この香油は三百デナリオン以上に売って、貧しい人々に施すことができたのに。」そして、彼女を厳しくとがめた。

イエスは言われた。「するままにさせておきなさい。なぜ、この人を困らせるのか。わたしに良いことをしてくれたのだ。

貧しい人々はいつもあなたがたと一緒にいるから、したいときに良いことをしてやれる。しかし、わたしはいつも一緒にいるわけではない。

この人はできるかぎりのことをした。つまり、前もってわたしの体に香油を注ぎ、埋葬の準備をしてくれた。

はっきり言っておく。世界中どこでも、福音が宣べ伝えられる所では、この人のしたことも記念として語り伝えられるだろう。」

(マルコによる福音書 14章3節~9節)


おなじ話はマタイ伝にもルカ伝にもヨハネ伝にもあるんですが、

個人的な好みで素朴なマルコ伝の記述を選びました。


ナザレのイエスとかいう人が主人公の話ですが、

ようするにこの男がいっているのは

「数量でカウントできるものとか、損得でカウントできるものとか、そんなものは実はたいしたものじゃないよ。だいじなのはまごころなんだよ。フィーリングなのさ!!」

ということのようです。


個人的なはなしを書いてしまいますと……

わたくし、キリスト教系の幼稚園にはいったもので……


「東京物語」の原節ちゃん、

平山紀子をみていると、

子どもの頃きかされたこの「やもめの献金」や「ベタニアの香油」のエピソードをおもいだしてしまう。

(幼稚園だと紙芝居でみせてくれるのだ。幼児にとって髪に油をかけるとなにがいいのかわからなかったが……)


奇しくも……

「やもめの献金」では「未亡人」という「東京物語」要素がでてくるし。

「ベタニアの香油」は

「前もってわたしの体に香油を注ぎ、埋葬の準備をしてくれた」

というあたりイエスの死(処刑)を暗示しているわけで、

これまた、東山千栄子が死ぬことを考えると、なんか似てる。


具体的にみてみましょう。


S67 

紀子のアパートの外景――


古びたアパートである。

もう夕方で、西日があたっている。


というシナリオの記述通り……

ぼろアパート。↓↓


S72


原節ちゃんのうちにはお酒はないので、

おとなりの奥さん(美人ばかり住んでいるへんなアパート……)

に、


お酒、徳利、お猪口を貸してもらう。

あと、

細君「これ持ってく? ピーマンの煮たの。おいしいのよ」

紀子「ありがとう。頂いてくわ」


という会話などあります。


ま、幸一(山村聰)のうちも

志げ(杉村春子)のうちもボロなんですけど。


さらに天丼を出前でとりまして……



紀子「おいしくないでしょうけど、どうぞお母さま――」

とみ「おおけに」

紀子「どうぞ召上って――」

とみ「そう、じゃ頂きます」


という場面。


ついでにいえば原節ちゃんは一緒に食べません。

eatしない。

このあたり、「食べる」はあくまで「血のつながった家族」同士のもの。

というなんか……残酷な小津の法則がみられます。





S73

一方その頃、↓↓



志げ「ねえ兄さん、あたし、考えたんだけど、ちょいと三千円ばかり出してくれない?」

幸一「なんだい」

志げ「ううん、あたしも出すのよ。二千円でいいかな。やっぱし三千円はいるわね」

幸一「どうするんだい」

志げ「ううん、お父さんお母さん、二、三日熱海へやって上げたらどうかと思うのよ」


と兄妹で熱海旅行の算段をしている。


笠智衆、東山千栄子が熱海で団体客に出くわして、さんざんな目にあったことは誰もがご存知。

で、帰ってきての会話。

S93

志げ「混んでませんでした?」

周吉「ウム、少し混んどった」

志げ「ご馳走、どんなもの出ました?」

とみ「おサシミに茶碗むしに……」

志げ「おサシミおいしかったでしょ? あすこ海が近いから……」

とみ「大けな玉子焼も出てのう」



ここらでざざっとまとめてみましょう。


・幸一&志げは、総額6000円というけっこうな出費をしている。

 食事はおサシミ、茶碗蒸し、玉子焼き、であった。

(ついでに……松竹のDVDの副音声によると、この暑い時期にはフツー茶碗蒸しは旅館では出さないらしい。小津&野田コンビの珍しいミス)


・紀子の出費は不明。(ただ、常識的に考えて、幸一&志げからいくらか、出ているのではあるまいか?)

 食事は残り物のお酒、ピーマンの煮もの、天丼、であった。

(ついでのついで……ピーマンの煮ものは、麻素子ちゃん…のちの佐田啓二夫人、中井貴一のお母さんの作ったものらしい)


幸一&志げのほうが、出費の額は大きいのです。

しかも食事も、熱海の方が豪華でした。

ですが、動機が、きわめて打算的、数量的なのです。

「そうよ、この方が安上がりよ。それに温泉にも這入れてさ」

なる杉村春子のセリフがあったりする。

志げとしては講習会だのなんだのがあるので、

ホンネは両親を熱海に追い出したかったわけです。


一方の原節ちゃん、紀子の方は、彼女なりのベストをつくしたことが

われわれにはよくわかる。

賽銭箱に入れている人の中で、だれよりもたくさん入れた。

この人はできるかぎりのことをした。

というわけです。



もとい。


「東京物語」に戻ります。

S111

東山千栄子&原節子が、

「晩春」ごっこをしたあの夜。

「聖婚」シーンの翌朝↓↓







とみ「あんた、お勤めおくれやせんな? まだええの?」

紀子「ええ、まだ大丈夫です――(と棚の上の紙包みを持って来て)ねえお母さま……」

とみ「なんな」

紀子「アノ、お恥ずかしいんですけど、これ――」

とみ「なに?」

紀子(笑って)「お母さまのお小遣い」

とみ「何をあんた」

紀子「いいえ、ほんとに少ないんですけど……」


東山千栄子はなおも「いけんいけん」とかいうのですが、

原節ちゃんは無理やりにでもお小遣いをあげてしまう。

あくまでベストをつくす平山紀子で……

賽銭箱に入れている人の中で、だれよりもたくさん入れた。

この人はできるかぎりのことをした。

なのです。


これはもちろん……1942年の「父ありき」S61


良平「ねえ、お父さん」

堀川「うん?」

良平「お小遣いあげましょうか」


このくだりの再現です。


堀川「いや、ありがとう……これは、持って行って、ご仏壇に上げてお母さんにもお見せしよう」

良平「ええ」

堀川「ありがとう」


それにしても……11年を隔てた「父ありき」「東京物語」ですが


・死者が登場する。(「父ありき」のお母さん、「東京物語」の昌二)

・お小遣いをもらった人物は死ぬ。(「父ありき」の笠智衆、「東京物語」の東山千栄子)


と不気味な符合があります。



符合はまだ続いて……

「父ありき」の良平――佐野周二は、


ふみ子(水戸光子)と結婚するのですが、


これはなんだか死んだ父からの贈り物のようにみえなくもない。

縁談をまとめたのは笠智衆ですので。


映画の……画面上の出来事をおっそろしく単純化しますと、


①佐野周二は笠智衆にお小遣いをあげた。

②笠智衆は死んだ。

③死んだ笠智衆は佐野周二に花嫁をプレゼントした。


と、このような構造になっています。


で、これが「東京物語」にそのままそっくり引き継がれる。


ま、このあたりは前回もご紹介しましたが、


S164

周吉「これァお母さんの時計じゃけどなあ――今じゃこんなもの流行るまいが、お母さんが恰度あんたぐらいの時から持っとったんじゃ。形見に貰うてやっておくれ」

紀子「でも、そんな……」

周吉「ええんじゃよ、貰うといておくれ。(と渡して)あんたに使て貰やあ、お母さんも屹度よろこぶ」

紀子(悲しく顔を伏せて)「……すみません……」



これまた分解しますと――

①原節子は東山千栄子にお小遣いをあげた。

②東山千栄子は死んだ。

③死んだ東山千栄子は原節子に時計をプレゼントした。


と、「父ありき」とまったくおなじ構造をしているわけです。


「時計」が、まー近頃の人が想像するような

電気仕掛けの安物ではないことは明らかでしょう。


あの業つくばりの志げ(杉村春子)ですら遠慮したような高級品なわけです。


打算無しで行った行為が、何倍、何十倍、何百倍?にもなって返ってきたわけです。


どうですかね?

・「東京物語」のルーツは新約聖書だ!!


奇しくも…東山千栄子は「東京物語」についてこんなことを書いています。


 この映画が封切られてから十年あまりのち、昭和三十八年の秋のある日、ソヴィエト・ロシアからヨーロッパのあちらこちらと旅行して来て、ローマのレストランで食事をしておりました折に、五十五、六歳くらいの紳士が通訳の方に言葉をかけて来ました。私を日本の女優ではないか、「東京物語」で記憶しているのだが……ということでした。

 小津先生の作品は、外国人にまで鑑賞されているのだということを、私はたまたま異国にあって知らされ、先生の偉大さを改めて認識するとともに、自分の心もほのぼのと暖かいものにつつまれました。

(蛮友社「小津安二郎・人と仕事」225ページより)


平山紀子、平山とみの物語は世界中で鑑賞されたわけです。

つまり、


はっきり言っておく。世界中どこでも、福音が宣べ伝えられる所では、この人のしたことも記念として語り伝えられるだろう。
というわけです。


……………


んーー


ただ……


さいきんトマス・ピンコ、

源実朝、にはまってまして、

鎌倉幕府三代目の将軍ですが、天才歌人ですが、

その人の歌に

塔をくみ堂をつくるも人の嘆き懺悔にまさる功徳やはある

金槐和歌集・雑・六一六


寺社の塔を組んだりお堂を作ったりすることよりも、人が罪の深さを嘆き、それを懺悔することにまさる功徳があるだろうか。

(笠間書院・三木麻子「源実朝」78ページより)


なんかこういうのをみると、

とくに「キリスト教」「新約聖書」ということもない気がしてきた。

僕がたまたまキリスト教関連の知識があるから、聖書を思い出しただけのことで、


ナザレのイエスだろうがなんだろうが、

「数量でカウントできるものとか、損得でカウントできるものとか、そんなものは実はたいしたものじゃないよ。だいじなのはまごころなんだよ。フィーリングなのさ!!」


こういう考えはたぶん、いろんな宗教、

仏教説話の中にもいくらでも出てくるような気がする。

(ご存知の方、ご教授願いたい)


平山紀子(原節子)の行為はまさしく……

人の嘆き懺悔にまさる功徳やはある

ということですからねぇ……


□□□□□□□□

なんか論旨がグズグズになってきた感がありますが、


では、肝心の小津安っさん自身の「東京物語」評価はどうなのか、

みていきたいとおもいます。

親と子の成長を通じて、日本の家族制度がどう崩壊するかを描いてみたんだ。ぼくの映画の中ではメロドラマの傾向が一番強い作品です。

(フィルムアート社「小津安二郎 戦後語録集成」379ページより)


1960年時点での自己評価。これで、全文です。

はっきりいって、評価は高くない、ようなのです。


ポイントはメロドラマ、でしょう。

安っさんにとって「東京物語」=「メロドラマ」なのです。


では、メロドラマ、とは何なのか??

小津安二郎は日記にこんなことを書いています。


1953年1月4日(日)

暖いいヽ天気だ

ゆつくりおきて年賀状をかく 薪を割る 裏を掃く

誰も来ない静な一日だ 晩 蛤の吸物 鴨なべ 酒二合 陶然となる

早くねる ねながら 夫婦のシナリオをよむ

新聞をみていると人工降雨といふ大見出しの活字がある メロドラマといふルビはどうか

この日午前四時半 秩父宮御死去 御齢五十

(フィルムアート社「全日記小津安二郎」354ページより)


いろいろ書いてあって興味深いですが、

ポイントは「メロドラマ=人口降雨」、これでしょう。


ようはお涙頂戴=メロドラマ、ということらしいのです。


いいかえれば、「東京物語」はお涙頂戴、だ、ということです。


んーーはっきり書いてしまいましょう。


◎まとめ。

「東京物語」は

小津安二郎の最高傑作でもなんでもない。

(「傑作」だとはおもいますけど)


はい。

書いてしまいました。


小津安っさん自身は、純粋な運動だけでシャシンを撮りたかった。

「戸田家の兄妹」「父ありき」「晩春」という△作品。

そしてアヴァンギャルドの極致「麦秋」


これをもう一度やりたかったのですが、

純粋な運動、

うずまき(ぐるぐる)振り子(バタバタ)だけでは作品が作れなかった。


それで、前回その2でみたように神話の構造を導入し、

そして今回その3でみたように 宗教説話の構造を導入した。

というわけ。


「お涙頂戴」の理由はそこらにあります。

そもそも、

こんな教訓めいたお話、はたして今まで小津作品に存在しただろうか?


「親孝行しましょう。そうすればこんないいことがありますよ」

こんな安易なメッセージがあっただろうか。

むしろ……「一人息子」の冒頭に自身、引用したように……


人生の悲劇の第一幕は

親子となったことにはじまっている

――侏儒の言葉――


こんな映画ばっかり作ってきたのだ、この小津安二郎という男は。

一貫して、反・物語 反・教訓 反・宗教説話 でやってきたのだ。


「涙」なんかではなくて

観客をオープニングからポンと突き放すような映画ばっか作ってきたのだ。


それが妥協してしまったわけです。「東京物語」は……

でもそのおかげでわかりやすくなったこともたしかで……


それで、イタリアの紳士がローマのレストランで

東山千栄子にはなしかけるような事態も生まれたわけです。

なんつったって新約聖書じみたおはなしですから、

連中にはこんなにわかりやすいものはないわけです。


だから

「東京物語」=「小津の最高傑作」

というのは、

ただ単にガイジンども(ヨーロッパ人)

の評価をそのままおうむ返しにさえずっているだけだ。


とおもいます。


ただ……


…………


な……

映画の構造とか、なんとかを離れて、

杉村春子の志げ、とか、こういう人物をみると……


たまらんものがあります。


「麦秋」の杉村春子はなんかファンタジーめいた存在感がありましたが、

「東京物語」の杉村春子は、リアルな、われわれの隣人です。



こういうビターなところ、

人生の暗部みたいのをさりげなく描くようになったのは、

「東京物語」以降、なわけで……


はっきり言って――

(ナザレのイエスとかいう人の口癖じゃないですが)


はっきり言って、最高傑作じゃないとおもいますが、

小津安二郎の作品歴の「転回点」であったことは確かだとおもいます。


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