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小津安二郎「東京物語」のすべて その4

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まず――

前回「その3」がちょっと舌たらずだったような気がするので

ちょいと書き足しておきます。


というか、小津安っさん自身の

「ぼくの映画の中ではメロドラマの傾向が一番強い作品です」

というのを引いて、

だから「東京物語」は最高傑作ではない、

というのは……


自分でも

ロジックとしておかしい、とおもいます。

作家の自己評価ほどあてにならないものはないですからね~

(ただ……小津安二郎のような、自分の方法論にたえず厳しい吟味を加えてきた男にこれはあてはまらない、と僕はおもっているんですが、ね。ゆえに僕の前回のロジックもそうはずれではない、とおもっております)


僕がいいたかったことをまとめますと、

①「東京物語」=最高傑作、説。というのは、単にヨーロッパ人(キリスト教圏)の評価に過ぎない。

②「東京物語」の小津の作品群における位置というのは――

富士山のような単独峰ではなくて

「戸田家の兄妹」以降の傑作群――偉大な小津傑作山脈を構成する一つの峰にすぎない。(それだって十分すごいことですが)


ようは、

「東京物語ってすごい作品だけど、あまりに神格化されすぎている」

ということです。

(その代表格が吉田喜重の「小津安二郎の反映画」だとおもいますが……この本についてはそのうちどこかで書こうかとおもいます)


□□□□□□□□


今回から、例によって(?)

シナリオ順に「東京物語」を解剖していきたいとおもいます。

よろしければおつきあいくださいませ。


S1

「尾道 七月初旬の朝」

というのですが、この1ショットはすさまじいです……


この灯籠、なんかDVDの副音声だと「浄土寺」とかいわれてますが、

ネット上では「住吉神社」とか書かれている方もおられて、

なんだかわかりません。


だが、そんなのははっきりいってどうでもよくて、

ポイントはここ……


「砂時計」形のシェイプ。これです。


あるいは、こう言い換えてもよいか。



「コカコーラの瓶」形、と。


これが、まあ。

「東京物語」の原節ちゃん、平山紀子の象徴だということは、


……みなさんもうお気づきでしょうか?



↑「晩春」の曾宮紀子は、お着物姿が多くて、

コカコーラの瓶形ではありません。


あと、もこもこしたセーターとか着ますな。

どっちにしろウエストは強調されません。

↑「麦秋」の間宮紀子も同様。

カーディガンを羽織ったり、エプロンしたり、

あと、

丸の内のOLさんですのでスーツ姿が多かったですな。


……ところが、

「東京物語」の平山紀子は終始「コカコーラ」なのです。

(失礼ながら……同じファッションでも、三宅邦子だと円柱になってしまう……すみません)




↑この名ショットもコカコーラ……



↓香川京子とのショットはコカコーラが2本、といった具合。


原節ちゃんは、京子たんのウエストを整えたりしますので……


あきらかに意識してやってます、小津安二郎。


(というか、平山京子=香川京子という名前の一致。

小津安二郎がシナリオ段階ですでに香川京子を意識していたらしいのは、どうしても2本のコカコーラが撮りたかったからではあるまいか?

この映画の香川京子、もちろん演技もすばらしいですけど、原節ちゃんとの体型の相似というのも注目したい点です。二人ともけっこう背が高いしな)


ですので、「うずまき」「振り子」に注目するのも楽しいですが……


・「東京物語」はコカコーラ映画だ!


という見方もおもしろいです。


先回りして言っちゃうと、

・尾道の平山家の「ひょうたん」

・東京の平山医院の「砂時計型の台」

などがコカコーラしています。


……ね? ひょうたんが。↓↓



ま、もちろん、最大最強のコカコーラは

原節子&香川京子、なわけですが。


というか、「晩春」のコカコーラの看板といい。

「麦秋」のアヤちゃん(淡島千景)の

「タイルの台所に電気冷蔵庫か何か置いちゃって、こうあけるとコカコーラか何か並んじゃって」

というセリフといい。

明らかに暗号を下準備していたあなたが怖い。

小津安二郎……


S2

「山手の町」


「路地の向うの表通りを子供たちが小学校へ通ってゆく」


これが「うずまき」だ、というのは「その1」で触れました。



このショットに関しては今村昌平の証言がおもしろい。

のちの巨匠も当時、助監督です。

「東京物語」の尾道ロケで、土塀の前を小学生が登校する情景を撮った。私は緊張のあまり硬直したように歩くエキストラの子供達に、暑いだろう、暑いんだから、もっとふざけたりダラダラしろと命じてカメラサイドに馳け戻った。テストで動いてみると前よりマシだが、まだダラダラが足りない。とんで行って直そうとすると監督から声が掛かった。「少し行儀が悪すぎるね。今村君。も少しキチンとしようか」

 私はことごとにキチンとする小津さんが分らなかった。

(蛮友社「小津安二郎・人と仕事」236ページより)


ダラダラの今村昌平とキチンキチンの小津安二郎というのがおもしろい。

ただ、いじわるな見方をすると……


今村昌平のいってるのは中・高校生レベルの「素朴リアリズム」というやつで

映画そのものとはまったく関係がない。

だったらドキュメンタリーでも撮っているべきだとおもう。

この人のいっていることは「映画論」ではまったく、ない。


作者の小津安っさんの側からいえば、

このショットでは情景描写に加えて

なにより……

「うずまき」という暗号をさりげなく登場させたいわけですから、

小学生たちに余計な動きをさせては邪魔になるわけです。


S3

「平山家」

「部屋では今、主人の周吉(70)と老妻のとみ(67)が旅行の支度の最中で、とみはいそいそとして荷物を詰め、周吉は汽車の時間表を調べている」


というのですが、



はい。ひょうたん。

コカコーラ瓶形です。


しかし……

「東京物語」って画質が悪い。


松竹純正のDVDでみたって、画質が悪い。

戦後間もなくの「長屋紳士録」より悪い。

戦中の「父ありき」よりいくらかまし、といった感じ。


このあたり、キャメラマンの厚田雄春の証言があります。

なんとオリジナルのネガが焼けてしまったらしいのです。


ところが、一番残念に思うのは、あの『東京物語』、現像場の出火で原版ネガが焼けてなくなってしまったんですよ。これにはガックリきました。さいわい、松竹の撮影所に五、六本ほどポジ・プリントがあったんで助かりました。現在のは、だから、それをもとにして起こしたデュープ・ポジなんですよ。しかも現像場ではただ明るく焼付けるので、フラットな荒びている箇所があってとても見えにくいんです。あのころ、もうそろそろカラーをやろうじゃないかという話が持ち上がっていて、小津さんの黒白映画としては最後のものになるかもしれない。だから、ぼくはね、精魂こめてやったわけです。それが、いま出まわっているデュープのプリントだと、まるっきりだめなんです。

(筑摩書房「小津安二郎物語」213ページより)


しかし……

「その1」で触れましたが、


「東京物語」って予定外のことばかりが起る(=うずまき)わけです。


日曜日出かけようと思えば、急患が出て、出かけられない。

熱海に温泉旅行に行けば、うるさい団体客にかちあって、寝られない。

……

大きなことを言えば

「子供は親のおもうようには育たない」

「人は予定外の時に死ぬ」

とか……


だから、このオリジナルネガが焼けちゃった……

というのも、あるいは??


とか考えてしまいます。


んーー……

まだ「S3」ですが、

キリがいい感じなのでこれでおしまいにしときます。


その5につづく。

先は長そうです。


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