横浜の根岸競馬場跡へ行きました。
正確にいうと、
「根岸森林公園にのこっている、根岸競馬場一等馬見所跡」
ということになるのでしょうか。
しっかし――
トマス・ピンコの野郎、去年の夏みにいったのは、
空襲で焼けてしまった平沼駅の廃墟、であったし……
(2014年8月1日の記事参照。やはり横浜)
廃墟撮影。
これぞ、
ナウなエグゼクティブのサマーバケーションと申すべきか……
もとい、電車で行くなら、
最寄駅は山手駅、となります。
そして、根岸森林公園を目指す。
――んですが、
地図上でみると、500メートルくらいしかないんで、
徒歩10分かそこらかな、などと計算するんですが、
そこは横浜。
山あり、谷あり、壮絶な階段あり。です。
(7年住んでたのでわかる。大学通うのも、友達のうちにいくのも、スーパーに買い物もひたすら山登りであった……)
「地図上500メートル」が大冒険、です。
まず、ハイヒールをはいた女性などは遭難確実。
つーか、おデートで行きたいのなら(行くか???)
車で行くのが無難。
もし電車なら、
横浜、桜木町、関内どこかで降りて、タクシーをひろって、
「根岸森林公園」と告げる。
で、公園内も壮絶な起伏ですので、スニーカーを履いていく。と。
いう感じ。
↑↓えーこんな感じのところ。
とくに写真写りがいい場所を選んだわけじゃなく、全体的にこんな、です。
なんか信州の高原にでもいるみたいです。
えー、で、スマホの地図をちらちらのぞきながら歩いて行くと、
途中アメリカ海軍の施設などをはさみまして……
(これまた横浜なので、あちこちにある)
――……
で、でたっ!!
なんか異様な建築がっ!!
しかも、でたっ!!
「撮影禁止区域」!!
はりきって馬鹿デカキャメラ&馬鹿デカレンズ、
イバラキから持ってきたのに……
と、一瞬目の前が暗くなったのだが、
「個人でお楽しみいただく写真・動画の撮影はご自由におこなっていただけます」
とのこと。
安心しました。
↓建築の全景です。
印象を正直いいますね。
「不気味」「こわい」「ゾッとする」……
「夜みたくない」
「夜は近づきたくない」
「昼間でも、なんかこわい」……
「あくまでコワイ」……
↓水彩画風にしてごまかしてみる。
ヨーロッパのお城のようでもあるな。
(以下、いろいろイジった画像が頻出します。ご容赦願いたい)
以下、いろいろ2回にわたって
わたくしの感想を書いていきますが――
まずは、教科書的な記述をご紹介いたします。
旧根岸競馬場一等馬見所
関東大震災で競馬場のスタンドも被災した。震災復興では横浜に設計事務所を開くJ・H・モーガンに設計を依頼し、一、二等馬見所を新築した。現在、廃墟のように残っているのが、昭和5年竣工の一等馬見所。貴賓室やラウンジを備えた鉄筋コンクリート・鉄骨造・地上7階建て、建物高さ28.77m、延べ面積約7700㎡、天蓋ひさしが張り出した観覧席4500を擁する大スタンドだった。
(草思社、アイランズ編著「東京の戦前 昔恋しい散歩地図2」102ページより)
根岸競馬場
「横浜居留地覚書」に基づき根岸競馬場が開設され第1回競馬が開催されたのは慶応2年(1866)。明治38年には、現在の天皇賞にあたるThe Emperor's Cupが行われた。スタンドからは東京湾と三浦半島が一望できた。しかし、このことが災いする。横須賀軍港の動きが探知できることを理由に海軍に買収され、昭和18年6月閉場した。
(同書103ページより)
えーざっとまとめますと、
設計はモーガンとかいう人(僕が知らないのだから無名の人、ということに)
竣工昭和5年。
で、戦中、帝国海軍のものになった。と。
だから正味、競馬場として存在したのはたったの十数年、ということに。
で、ここに書いていないことをつけ加えますと、
戦後、アメリカ軍の施設になり(海軍かしら、ね?)
で、いつかは知りませんが、返還されて、
今、横浜市が管理している……らしい。
「管理」というか、
なんかほったらかしてる、というか。
建物の半分 植物だ。
なんか宮崎駿先生の「ラピュタ」みたいな……
なぜ、「横浜市民」だったころに見にいかなかったか、というと。
――「知らなかったから」です。
大学の建築学科に入って、
で、建築史の先生に、関内あたりの建築とか
いろいろ教えていただいたのですが……
個人的にも建築史関係の本はいろいろ読んだのですが……
これはまったくひっかかってこなかった。
言及されることが一切なかった。
ふーん……
地上7階建て。
今日日、7階建てのマンションなんて、どんな田舎町にだってありそうだが……
この古さで、しかも廃墟で、7階建てというのは、
――ものすごくでっかく感じる。
「その1」おわりにしときます。
なんか「印象」に終始してしまいました。
「その2」は知的に攻めていこうとおもいます。
その過程で、「なぜ大学ではこの建築を教えないか?」
「横浜市はなぜこの建築をほったらかしているのか?」
という謎が明らかになる!!
……かもしれません。
その2につづく。