その7です。
平山紀子の亡くなった夫――
平山昌二の遺影がでてくるショットからみていきます。
……が、
すみません。
のっけから個人的なことを書きますと――
「戦争未亡人」なる存在に僕は子供のころからよく接しておりまして、
曾祖母のことです。
ひい祖母さんの場合、戦死した夫は職業軍人で
仏壇に飾られた写真は、
バリバリ戦闘モードの飛行服姿でしたし……
(海軍の飛行機乗りだった)
ま、その他いろいろ違いはあるのですが、
平山紀子という「戦争未亡人」が登場する、
しかも、部屋に遺影が飾られている、というシチュエーションには
どうしてもひい祖母さんと重なってみてしまうところがある。
なので――
ドナルド・リチー、佐藤忠男、蓮見重彦といった諸先生方が
小津映画における「死者」の存在を
完全に無視しているのをみると……
なにかと小津映画における
「死者」の存在を強調したがるトマス・ピンコ……
「あれ、オレの見方がおかしいのか?」 と、おもってしまう。
ひい祖母さんの家に行くたびに、
まずは会ったこともない曾祖父(仏壇)にあいさつをした。
そういう育ち方がおかしいのか……?? とおもってしまう。
んー……だが、ですね、
戦地から帰ってまもなくの(1939年)
小津安っさん自身のことばを読んでみると、
「やっぱりオレは正しい」とおもわざるをえない。
(トマス注、田坂具隆の「五人の斥候兵」に関して。田坂にむかって発言)
部隊長の部屋の隣にも戦死者の骨を安置する部屋を作ってほしかった。戦場では大抵部隊長の部屋の隣に安置してあって、隊長は勿論、伝令の兵でも出入する時は先ず、その英霊に向って敬礼している。これが戦地の礼儀なんだ。
(泰流社「小津安二郎全発言(1933~1945)」107ページより)
小津安二郎自身、幾人もの戦友が、
そして親友の山中貞雄が戦死していったことを考えると、
コカコーラ瓶形の原節子の姿は
なにやら「戦死者の骨を安置する部屋」
で祈りをささげる巫女のような印象さえ受ける――
のですが、「東京物語」のストーリーに戻りましょう。
S70
笠智衆&東山千栄子の老夫婦が
原節ちゃんのアパートにやってきました。
原節子がおとなりさんからお酒をもらって
自分の部屋へ帰ってくると――
老夫婦は戦死した息子(昌二)の写真をみている。
周吉「ああ、この昌二の写真、どこで撮ったんじゃろう」
紀子「鎌倉です。お友達が撮って下すって……」
とみ「いつごろ?」
紀子「戦争にいく前の年です」
「鎌倉」―「紀子」といや、
もちろん、「晩春」「麦秋」を思い出すわれわれ。
平山紀子は28歳という設定なので、十代で結婚したのだろう。おそらく。
逆にいうと……
曾宮紀子、間宮紀子、みたいに結婚が遅かったとしたら、
(曾宮紀子は27歳、間宮紀子は28歳という設定)
こんな悲劇には遭遇しなかったかもしれないわけです。
そういう運命の皮肉。
S73
とみ「ほんとうに今日はお蔭さんで……」
紀子「いいえ……お父さまお母さま、却ってお疲れになったでしょう」
周吉「いやァ、思いがけのうあっちこっちィ見せてもらうて……」
「思いがけのう」――いままで、
「うずまき」=「がっかり」みたいな書き方をしてきましたが、
いい意味での「うずまき」もあります。
以前、「その2」で書いたように、
平山紀子は意外なところからあらわれた救いの手、だったわけです。
とみ「ほんまにのう、わたしら離れとったせいか、まだどっかに昌二がおるような気がするんよ。それで時々お父さんにおこられるんじゃあけーど……」
周吉「いやァ、もうとうに死んどるよ。八年にもなるんじゃもの」
もちろん「麦秋」S64のやりとりの引用。
周吉「これ(志げ)は省二がまだどっかで生きてると思ってるようですがね……」
たみ「ご無理もございませんわ、ほんとにねえ奥さま……」
さらに「八年」――の「8」は「麦秋」を支配する数字でした。
あと、平山紀子ですが――
曾宮紀子と間宮紀子との大きな違いは……
彼女の過去に関するデータがほとんど示されない、ということです。
彼女が語る過去、というのは
S70の「鎌倉」に関するはなし、と、
S73の「会社の帰りなんかに何処かで飲んで、おそくなって電車がなくなると、よくここへお友達つれて来たりして……」
というなんかどこにでもありそうなはなし。
ちょうど「晩春」の「お母さん」に関する情報がゼロ、のように。
あるいは「麦秋」の謙吉君(二本柳寛)の
亡くなった奥さんの情報がばっさり消されているように。
平山紀子は「過去をもたない女」なのです。
小津安っさんの残酷。というか、容赦ない、というか、
なんか空恐ろしい面がちょっとみえるような……
小津作品、って嫌いな人はものすごくキライですけど――
なんかわかる気がする。
ちょこちょここの人の作品は、クレバスみたいなおそろしい深淵が口を開けている所があって……
「ヒューマニズム」からこれほど離れた作品というのも他にない、気がします。
僕なんぞは、
だからこそ
曾宮紀子の母親に関して、謙吉君の前妻に関して……
そして平山紀子の生い立ちや平山昌二との出会いやら、いろいろ想像できるからいいな、と単純におもうのですが。
でもなにか気持ち悪さ、居心地の悪さはどこかに残る。
とうぜん、そんな平山紀子にだって両親、実家もあれば、
過去もあるはず。
(戦争をはさんでいますから、実の親が、今生きているかは別として)
しかし、「東京物語」という、うずまき構造は
なにか……
平山紀子の「実家」「過去」というものの存在を許さないような、
そんな容赦ない構造をしているような気がする――
それはちょうど、「東京」という都市が「空虚の中心」(皇居)
を持っているように――
(ロラン・バルトのことばをくりかえせば)
平山紀子の過去、というのもまた、
「神聖なる《無》」「空虚な中心点」でなければならないわけです。
なので……
・東京=うずまき
であると同時に
・平山紀子=うずまき
であるのかもしれません。
まー、原節ちゃんが1959年の「日本誕生」で、皇室のご先祖、天照大神を演じることとか考えると、これまたおもしろいんですけど――
(「日本誕生」みたことなんですけどねー)
はい、で、とうぜん「3」が登場↑
以前どこかで書きましたが、
原節子が、笠智衆&東山千栄子と一緒にeatしないというのも、また、
小津安二郎の残酷なところ。
S74
幸一「おそいねえ」
志げ「もう帰ってくるわよ――お父さんお母さんいつまで東京にいるのかしら」
幸一「ウーム……なんとも云ってないのかい?」
志げ「ウン、別に……」
山村聰、杉村春子の兄妹は、
両親がこんなに東京に長居するとはおもっていなかったようです。
予定外の出来事……「うずまき」
で、二人はお金を出しあって、両親を熱海へとおくりだします。
じっさい、杉村春子の志げは、
講習会があるので両親を家から追い出したかったわけですが。
S75
「熱海の街」「街を囲む山――」「海岸の防波堤――」
はい。奇抜な柄の浴衣は――
「お茶漬けの味」の奥様方の引用。
S76
「海に近い宿屋の一室(二階)」
熱海シーンのはじまりは、
小津による、小津でしかありえないような構図。↓↓
とみ「思いがけのう温泉へもはいらしてもらって……」
周吉「ああ……思わん散財をかけた……」
と、予定外の出来事……「うずまき」
周吉「静かな海じゃのう」
とみ「へえ」
――と昼間は平穏なんですが……
夜は途端に騒がしく、下品になります。
S78
ここは……
さっそく「振り子時計」登場。でっかいの。
女中さんの浴衣の柄が「うずまき」!!
S79
脇役の女中さんの動きを キャメラが丹念に追います。
なぜか――といや、
「うずまき」だから。
で、セリフも
「おい、ソバきたぞ」――ソバも「うずまき」
(シナリオは「おい、来たぞ寿司」となっていますので、うずまきっぽい食品のソバに急遽変えたのでしょう)
S82
とみ「ひどう賑やかですのう」
周吉「ウーム」
とみ「もう何時ころでしょうかのう」
周吉「ウーム……」
がっかりエピソード……「うずまき」
S84
「勢いこんで歌いまくる艶歌師の一団――」
アコーディオン奏者の女性が、当時の小津安っさんのガールフレンド。
ここは松竹のDVD、ブルーレイの副音声解説のやりとりがけっこうおもしろい。
(はは。ブルーレイ買いました……)
当時助監督の斎藤武一、撮影助手の川又昂は
「あ、村上さん」
と思わず口走るのだが……
司会の白井佳夫の「え、どなたですか?」
という質問になんか口ごもってしまう……
このあたりのビミョーな空気は、事情を知らないとわからない。
ご存知なかった方は、も一度聞いてみて。おもしろいです。
S85
「周吉、我慢していたが、いよいよ寝苦しくなって「ウーム」と起き返り、溜息をする」
「とみも起き返って、ガッカリしたように溜息をする」
「がっかり」=うずまき。
もちろんここは
「戸田家の兄妹」S68の引用。
高峰三枝子と葛城文子の母子は、
三宅邦子のピアノの練習がうるさくて、夜眠れない。
S88
「防波堤」
「宿の浴衣を着た周吉をとみが朝風に吹かれながら休んでいる」
――とがっかりだらけの夜が終ると、
こんなとんでもなく美しいショットにつなげる。
なんなんだ、こりゃ……
よく知られた風光明媚な場所、壮大な風景が出てくるわけではなく、
美男美女が出てくるわけでもない。
ただ、ジジイババアが熱海の海岸にたたずんでいるだけなのだが――
泣きたくなるほど美しい。というか、泣いちゃいますね、わたくし。
しかし、小津安二郎という男。
あたかも
愚かな観客どもに美しすぎるショットをみせてしまったことを恥じるかのように……
「俗」なシーンをはさむ。
S89
女中A「ねえ、ゆうべの新婚どお? ガラ悪かったねえ」
女中B「あれほんと新婚かしら。あんなのないよ。今朝なんか旦那さんとうに起きてンのに、いつまでも床ン中でタバコ吸っててさ」
この下品な女中さん二人は――
「風の中の牝雞」の下品な看護婦コンビの引用。
S47(田中絹代をみながら)
B「あの人いくつかしら」
A「二十八よ」
B「地味ね」
A「割と綺麗ね」
B「うん」
A「男好きのする顔よ」
と、セックスをほのめかす会話をしたり、(性病のはなしもでてくる)
掃除をしたり、流行歌を口ずさんでみたり……
で、「俗」なシーンからまた、とんでもなく美しいシーンへとつなげる。
もちろん「老い」「死」を単独では語らず、
「セックス」と結び付けてさらっと表現する、という高等戦術なわけですが。
S90
このシーンで東山千栄子が ふらっと立ち眩みするのが、
彼女の死の伏線となります。
周吉「どうした?」
とみ「なんやら、ふらッとして、イイエ、もうええんです」
周吉「よう寝られなんだからじゃろう――行こう」
このシーンに関して、
東山千栄子の証言。
東山千栄子は高所恐怖症で、防波堤を歩くシーンが怖くて仕方なかった、とのこと。(というか、彼女くらいの年齢のおばあさんなら誰だって怖いだろう……)
すると先生は私のそういう症状をお知りになって、海側の方に丸太で足場を組み、二間ぐらいの距離のところに板を何枚も並べて、波打ち際が直接見えないように、また万一落ちても大丈夫なように用意して下さったのでした。もちろん私は、ご親切にそんなにまでお心づかい下さったことについては心からありがたく感謝いたしましたが、こわいことはやっぱりこわかった……というのが、偽らざる告白です。
なお余談になりますが、笠さんと私とがその防波堤の上に並んで腰をおろし、海を見ながら語り合う場面がありましたが、キャメラの方に向けた私のお尻がとても大きかったといって、あとで映画を見たお友達に大笑いされたものでした。
(蛮友社「小津安二郎・人と仕事」225ページより)
でも、そんな東山千栄子の努力も……
小津組の裏方さんの努力も……
すべてはこのショットのため、でしょう。↓↓
二人は道路を歩いていてはダメなのです。
防波堤の上を歩かなきゃならないのです。
小津流の「美」のために。
わたくしなんぞは、このあたりのシーン……
タルコフスキー「僕の村は戦場だった」(1962)
のラストを思い出してしまうんですが――
正確にいうと
オヅ+ミゾグチ、かしら……
タルコフスキーなんかは
大学の教材で日本映画を見た世代になるのかもしれない。
その8につづく。