その11です。
S136
「周吉、とみの寝顔を見守っている。軽い嘆息が洩れる」
「とみが微かに動く」
今村昌平の証言があります。
撮影中に母が死んで、葬儀のために何日か休んで出てきた時が、ちょうどダビングでした。東山さんが息をひきとるシーンがありまして、私は何回も見ているので嫌になり、小用に立ったんです。母が東山さんと同じ脳溢血で死んだということもあるし。すると、小津さんが追いかけるように部屋を出てきて、「今村くん、脳溢血で死ぬのはあんなもんかい?」と言うんですね。映画作家って相当なもんだぜ、と思いましたよ。
(松竹編、講談社「小津安二郎新発見」176ページより)
はい。
異常です。小津安二郎。
S139
医者「アーデルラッスして、ブルートドルックは下ったんですが、どうもコーマが取れませんので……」
幸一「ああそうですか(と懐中電灯で瞳孔を調べてレアクチオンが弱いですね」
お得意のテクニカルターム。
クロサワなんかだと、
「酔いどれ天使」とか「赤ひげ」とか
医者という職業が妙に神聖視されたりしますが、
(あと、TVドラマとかでよくあるパターンですな)
小津作品における医者は
ただの技術系の職業というだけのことです。
小津作品には英雄も聖者も登場しません。
しっかし……
東山千栄子の枕元に
原節子、杉村春子、山村聰、笠智衆……
とんでもない豪華キャスト。
S140
幸一「ねえお父さん、お母さんどうも具合が悪いんですがね……」
周吉「そうか」
志げ「悪いってどうなの?」
幸一「イヤ、よくないんだよ」
と深刻な場面に「いかにも小津調」の会話。
幸一「では……」
と立って座敷へ戻ってゆく。
山村聰は、笠智衆に対して、
「息子」というより「医者」としてふるまっている。
それが、この「では……」
にこもっていておもしろい。
冷たい、というかドライ、というか……
S141
このテーブルが……↓↓
妙に気になる。
これって「麦秋」のラスト近くになって突然登場した……
コイツではないのか??↓↓
くわしくは『「麦秋」のすべて』をご覧いただきたいですが……
これは、死者・間宮省二と関係があるのでは??
と確か書いたとおもいます。
そのテーブルがよりによって、東山千栄子の死の場面に登場する、という……
S144
「夜明け」「ほのぼのと尾道の夜があける――東の空が明るく輝いて、間もなく陽の昇る時刻である」
有名な船着き場のショットがありまして――
また、例の灯籠が出てくる、と。
コカコーラ瓶形。
S145
「とみの顔に白布がかけてある」
「志げ、幸一、紀子、京子が、いずれも悲しげに項垂れている」
「時々、思い出したように京子が涙を拭いている」
「3」本の平行な直線。
そして……うずまき(蚊取り線香)は、
燃え尽きると「○」になるのだな、などとおもいます。
これって、深い、
かも。
志げ「紀子さん、あんた喪服持って来た?」
紀子「いいえ、アノウ……」
志げ「そう、持ってくりゃよかったのにね。京子、あんた、あるの?」
京子「ううん、ない」
二人の泣きはらした顔が撮りたかったのだろう。
失礼ながら……
かわいい。
S146
大坂志郎が遅れてやってきます。
敬三「どうや?」
京子、胸が迫り、黙って顔を伏せる。
敬三「そうか……間に合わなんだか……そうやと思うたんや……」
もちろん「戸田家の兄妹」S27の引用。
昌二郎「おい、泣くんじゃない、泣くなよ」
と、自分も悲しいのをこらえ、妹の泪をふいてやる。
昌二郎「よしよし、もう、よしよし、しかし、随分急だったんだな」
と、こっちの兄妹はラブラブな感じでしたが。
さっきの幸一の、
他人行儀な「では……」といい、
この敬三の態度といい、
平山家はメンバーが皆、けっこうドライなようです。
肉体的な接触があるのは――といって手を握るぐらいですが――
・とみ(東山千栄子)と紀子(原節子)
・京子(香川京子)と紀子(原節子)
この2パターンしかない。
しかも、紀子は義理の間柄です。
秋日和S85 岡田茉莉子のセリフに――
「そう思わないのアヤだけよ。ウエットよ。最低よ」
というのがありますが、
小津作品において、
ウエットは最低、なのでしょうか?
S147
敬三(幸一に)「生憎くと松坂の方に出張しとりましてな。おくれましてどうもすんません。(志げに)電報貰うた時おらんのや、姉ちゃん」
伊勢松坂、は小津一族のルーツの土地。
そして、小津安二郎が学生時代過ごした土地でもあります。
敬三「ほんまにえらいことやったなァ、いつやったんや」
志げ「――今朝、三時十五分……」
敬三「そうか……八時四十分の鹿児島行やったら間に合うたんやなァ……」
と、電車の時刻の問題になります。
感傷に流されない高度テクニック。
「空間論」の一種、とわたくしはみたいところ。
もちろん、小津安っさんその人も
キャメラの厚田さんも鉄道マニアだったそうですが。
大坂志郎が首を曲げますので、並行直線が4本に。
ここらへん……紀子のアパートで戦死した昌二の写真をみながら……
S70
周吉「ウーム……これも首うまげとるなあ」
とみ「あの子の癖でしたなあ」
というのを思い出します。
兄弟なので癖も似ている、という……
S149
紀子「お父さま――」
周吉「ああ……」
紀子「敬三さんいらっしゃいました」
周吉「アア、そうか……ああ、綺麗な夜明けじゃった」
紀子「……」
周吉「――今日も暑うなるぞ……」
最小限のコトバしか使いません。
尾道ロケです。
早朝の誰もいない境内を想像しますが――
じつは尾道の人総出で、この二人の演技をみつめている、という写真が残ってます。
夏の夜明けなんで、めちゃくちゃ朝早いのですが……
みんな原節子がみたい!! (その気持ちわかる)
つまり……
群衆に囲まれて、この二人は演技してます。
いかにも静かな朝、という演技。
映画ってとことん「うそ」ですなーー
S150
「お寺の境内」
擬宝珠がコカコーラ瓶形。
S151
お葬式のシーンですが……
柱が気になる。
死者・平山昌二
がここにいるのでしょう。
この……なにかモノリス状のモノを画面にさしこむというのは、
「戸田家の兄妹」の頃からやっている↓↓
「秋日和」になると、こんなで↓↓
この迫力……「物自体」(カント)というか……
「現実界」(ラカン)というか……
なにか不気味でしかない……です……
まー僕は、小津安っさんその人の
「無」
一文字のお墓を思い出したりもします。
立方体のお墓です。
S157
「海岸通りの古い料理屋の二階」
提灯の紋(石持ち時抜き結び雁金 とかいうもののようです)
――が、うずまき。
お母さんの思い出話をします。
が、住吉祭といい、大三島といい、
もうひとりの死者、平山昌二の話題は出ません。
そして原節ちゃんもたったひとこと、「ええ」しかセリフがない。
志げ「紀子さんまだいいんでしょ。もう少しお父さんのとこにいてあげてよ」
紀子「ええ」
んー……というか、
この豪華キャスト。凝りに凝ったセット……
経営陣はたまったもんじゃない気がする……
でも、ま、ブルーレイとかいって21世紀まで
ばっちり松竹にお金を稼がせているわけだから、な。
笠智衆が席を立つと……
志げ「――でも、なんだわねえ。そう云っちゃ悪いけど、どっちかと云えば、お父さん先の方がよかったわねえ」
幸一「ウーム」
志げ「これで京子でもお嫁に行ったら、お父さん一人じゃ厄介よ」
「予定外」=「うずまき」でもあるし、
「死」と「生」……「来る」と「行く」のコンビネーションでもあるし、
平山家の親子関係も描いているし、
もちろん、杉村春子の志げの性格もよく出ているし……
なんともため息をつくよりほかない感じ……
ほんとにこのシナリオはすさまじい。
志げ「ねえ、京子、お母さんの夏帯あったわね、ネヅミのさ、露芝の……」
京子「ええ」
志げ「あれあたし、形見にほしいの、いい? 兄さん――」
幸一「ああ、いいだろう」
志げ「それからね、こまかい絣の上布、あれまだある?」
京子「あります」
個人的に好きなのは、
香川京子がごはんをよそう仕草――
↓↓これ。
「戸田家の兄妹」の高峰三枝子もやってた。
引用。
というか、お着物きてこういう作業をすれば、こうなりますわな。
でも、
どっちも「親の死」がからんでいる映画で、
高峰三枝子も、香川京子も、「こきつかわれている末娘」という設定ですので、
やっぱり引用だな。
そうそう、このシーン。
シナリオに「海の反射が襖と天井にキラキラして――」
とありますとおり、終始キラキラしています。
キャメラの厚田雄春の証言。
あの光の反映を撮るには、横長の大きな箱を置いてそこに水を張る。そしてその底にもう小道具で使わなくなった鏡を割って沈めとくんです。水をどのぐらい入れるかってのにも微妙なコツがあるんですが、そこに照明をあてて、うまく水をいごかすんです。
(筑摩書房「小津安二郎物語」235ページより)
S160
「平山家 庭の隅の畑」
おとなりのお寺の塔が、コカコーラ瓶形。
S162
で、二本のコカコーラ瓶形の登場。
原節子&香川京子。
京子「お姉さん、どうしても今日お帰りンなるん?」
紀子「ええ、もう帰らないと」
京子「ううん、お母さんが亡くなるとすぐお形見ほしいなんて、あたしお母さんの気持考えたら、とても悲しうなったわ。他人同士でももっと温いわ。親子ってそんなもんじゃないと思う」
――という、平山京子の理想論は、
「戸田家の兄妹」の戸田昌二郎の理想論の引用。
S83
昌二郎「たとえば食うや食わずの人間だって親と子の仲はもっと暖い筈のものなんだ。どれもこれもみんな、一つ腹から産れながら、そのお母さんの面倒もみられないなんて……それも永い間じゃないんだ。たった一年、経つか経たないかだ。こんなことで何がお父さんの一周忌だ! こんなことで何で仏様がお喜びになるものか! あんまり虫がよすぎやしませんか!」
こうみていくと「東京物語」――
前半は「一人息子」の引用が多く、
後半は「戸田家」の引用が多い、そんな気がします。
しかし、紀子はこの戸田昌二郎理論を否定します。
紀子「だけどねえ、京子さん、あたしもあなたぐらいの時には、そう思ってたのよ。でも子供って、大きくなると、だんだん親から離れていくもんじゃないかしら。お姉さまぐらいになると、もうお父さまやお母さまとは別の、お姉さまだけの生活ってものがあるのよ。お姉さまだって決して悪気であんなことなすったんじゃないと思うの。誰だってみんな自分の生活が一番大事になってくるのよ」
京子「いやァねえ、世の中って……」
紀子「そう、いやなことばっかり……」
という香川京子たんの白ブラウスは……
「麦秋」の原節ちゃんのブラウスと同じもののようにみえます。↓↓
「東京物語」の香川京子が「母の死」をおもい、
「麦秋」の原節子が「兄の死」をおもっていることを考えると……
小津安二郎という人のおそろしさがみえてきます。
んーーそんなことフツーの客は気づきませんからね!!
京子「じゃお姉さん、お大事に」
紀子「ええ、ありがとう。あなたもね」
京子「うん」
紀子「きっといらっしゃいね、夏休み」
京子「うん、じゃ、さよなら」
紀子「さよなら」
京子「行ってまいります」
背後の提灯箱の家紋は――「3」
「戸田家」以来の神聖なる数字「3」
そして
「紀子3部作」の「3」
そう考えると、この別れのシーン……
「紀子」という神聖な名前を
次は香川京子に継がせようとしていたのか?
とか深読みしたくもなる。
ま、じっさいは香川京子は、小津作品とは縁がなく、
「紀子」の名を継いだのは司葉子なのですが。
あと、「紀子3部作」なんてこと、小津安っさんが意識していたかどうかわからないし……
でも「コカコーラ瓶形」といい、
おなじ白ブラウスといい、意識的にやってるとしか思えない……
個人的にも
ミゾグチ作品の香川京子より、クロサワ作品の香川京子より、
断トツに「東京物語」の香川京子が輝いている気がするんだが。
一作ぐらいみたかったなー、香川京子主演作品。
S164
まあこのシーンは、
「その2」で「晩春ごっこ」とか書きました。
「その3」では「宗教説話」とか書きました。
それ以上書くことはとくにないのですが、
「時計」というアイテムが小津安二郎にとっていかに大きかったか、
というのはちょろっと書いておきます。
小学館「いま、小津安二郎」という本に
安っさん愛用のJ・W・ベンソンの懐中時計が出てきます。
あと大映の永田さんから贈られたパテック・フィリップの腕時計。
「全日記小津安二郎」には、ナルダンの腕時計が欲しい、とかいう記述がでてくるし。
「小津安二郎 ―人と仕事―」には
今日出海の「懐中時計の話」というのが載っています。
酔っぱらって例のベンソンをなくしたようなのですが……
どうも今日出海がとったと疑っていたようです。
「おい、今ちゃん、もう時計の話は俺しないよ。あきらめた。そんなことはもう座興にするのもよすよ」
「それはよかった。ありがとう」
「ただあれは非常に大事にしていたもんだから、君も大事に使ってくれよ」
こういうように小津君は恬淡な男じゃない。あれは死ぬまで私を疑っていたに違いない。
(蛮友社「小津安二郎 ―人と仕事―」417ページより)
ベンソンだ、パテックだ、ナルダンだ……
このあたり、ロレックスとかオメガとかが
最高級品だとおもっている人にはまったく理解できないとおもうんですけど。
多分、小津安っさんあたりの明治の男にいわせれば――
「あんなもん、きみ、スイスの新興メーカーですよ」
ということになるとおもいます。
(生意気ながら、トマス・ピンコの野郎もそう思ってます……)
S168
S169
窓から外をみる、というと、
「東京の合唱」の八雲恵美子を思い出しますし、
汽車を見送る、というと、
「青春の夢いまいづこ」
「秋日和」……
で、
S173
高橋とよが登場しまして……
さいごの「うずまき」
オープニングでは、東山千栄子がいましたが、
今は、いない。
ご丁寧に、蚊取り線香まで登場。「うずまき」
で、バタバタとうちわを……
「振り子運動」――
ははぁ……
ようやく終わりました。「東京物語」のすべて。