その2です。
坂倉準三について――すみません。よく知りません。
カマキン以外作品をみてません。
僕としては
「坂倉準三=パリ万国博覧会日本館(1937)」
とかってにおもっている。
丹下健三よりずっと前に、世界デビューしていた建築家、というイメージ。
藤森照信先生の「日本の近代建築(下)」(岩波新書)では、
日本建築のモダニズムの構図を
①アントニン・レーモンド
②前川國男&坂倉準三(ル・コルビュジエの弟子たち)
③丹下健三
この三段階でとらえていらっしゃいます。
はいはい。
カマキン、お師匠のコルブ御大も見に来てたみたいです。↓↓
上の藤森先生の構図で面白いのは……
僕が勝手におもしろがっているだけかもしれんですが……
・坂倉準三(1901年生まれ)
・前川國男(1905年生まれ)
と建築界のモダニスト二人と……
・小津安二郎(1903年生まれ)
・清水宏(1903年生まれ)
彼ら映画界のモダニスト二人の生まれた年が似通っていること。
1900年代生まれだというのはおもしろい。
ついでにいえば、4人とも裕福な家庭の出身。
モダニズムというのはカネがかかるのか??
さらにおもしろいのは、
・丹下健三(1913年生まれ)
・黒澤明(1910年生まれ)
世界のタンゲ、世界のクロサワ
彼等が1910年代生まれだということ。
つまり、1900年代生まれのお兄さんたち、
・コルビュジエの事務所で働いていた坂倉&前川
・松竹蒲田撮影所でばんばんサイレントを撮ってテクニックを磨いていた
小津&清水
――を、尊敬し、かつ嫉妬する立場にあったというのも似ている。
丹下はコルブの直接の弟子ではないし、(前川國男の事務所出身)
黒澤が映画界に入った頃はサイレントの時代は終わっていた。
しかも彼らが建築家・映画監督としてそれぞれ出発したのは
戦時中です。
1910年代生まれ、けっこう大変です。
坂倉準三のはなしに戻ります。
↑はい。中の様子。
たしか、坂倉準三の使っていた机なんじゃないか、とおもうけど……
忘れちゃった。
間違ってたらすみません。
造り酒屋の息子、坂倉準三は東大の文学部出身。(工学部じゃないんだな。美学とかやってたらしいです)
1931年~1936年 コルビュジエの事務所勤務。
官僚の息子、前川國男は、東大の建築出身。
坂倉より年下ですが、
1928年~1930年 コルビュジエの事務所勤務。
と、コルブの事務所にいた時代は重なりません。
でもパリ時代に交流はあったようで、
人間関係という面でパリ在留中のことを補足すると、文学部美学美術史学科出身の坂倉準三が、建築家をめざしたその初期に、そしてル・コルビュジエの門を叩く前に、前川國男とコンペへの応援という形で交流が始まったこともおもしろい……
(宮内嘉久著、晶文社「前川國男 賊軍の将」34ページより)
名古屋市庁舎コンペというのに
前川國男は坂倉準三と一緒に参加しているようです。
建築の知識・経験は
工学部出身でコルブの事務所の所員の前川の方が豊富だったでしょうから
前川國男主導だったのではないかとおもいます。
けっかは落選だったようですが。
しかし、建築学科出ていない坂倉準三。
「おれ、建築家になる」
↓
「よし。コルビュジエの事務所で働くか」
この、決断力はすさまじい。
金持ちだったのでしょう。
あ。今急に思い出したんだけど、
・久生十蘭(1902年生まれ)
の、パリ時代は1929年~1933年。
お金持ちのボンボンのおフランス留学というのは、
そんなに珍しいことではなかったか?
というと、
坂倉準三の決断もそんなにすごい飛躍ではなかったのかもしれない。
んんーしかし、錚々たるメンバーです。
1900年代生まれ。
トマス・ピンコはどうも1900年代生まれに魅かれるようです。
そういえば、ジュゼッペ・テラーニは1904年生まれだったりする……
そうか、坂倉&前川とテラーニは同世代か。
そして小津、久生十蘭も同時代人、と。
↑旧館から新館をのぞむ。
新館はなんだか、震災のダメージがでかかったらしく、
公開していません。
今後みる機会があるのだろうか。
というか、3・11以前に行っておくべきだった、と悔やみます。
こうやって新館の……ちょっとミース・ファン・デル・ローエっぽい外観をみたり、
あるいは前回紹介したテラスの鉄骨部分をみたりすると、
坂倉はどうもコルブのやり方を素直には受け継いでいない気がします。
日本建築の繊細さを重視していたようにおもいます。
その点、コンクリートの量感を重視する前川國男、
コルブにあくまで忠実な愛弟子の前川國男、
彼とは対照的で……
なかなか一筋縄ではいかない二人です。
カマキン、夕方から夜にかけて、とんでもなく美しかったです。
11月はじめ。
まだ寒くなくて、よかったな~
秋の夜というのもいいな~
磯達雄&宮沢洋の「昭和モダン建築巡礼・東日本編」では
坂倉準三=水の建築家
という風に説明していて、なるほど、とおもいました。
坂倉の出身地、
岐阜県羽鳥市は木曽川と長良川に挟まれた
水の豊富な地域だそうです。
それが坂倉=水の建築家
としたのではないか、と磯さんは解説してました。
水ありき、な建築なわけで……
まっくらになって、カマキンの照明が消えるまで、
平家池のそばにいました。
帰り道。
マクロプラナーで鎌倉の街を撮りました。
横浜でもツァイスレンズ使ってみる。
以下3枚、馬車道にて。
伊勢佐木モール。
↓この不二家はたしかアントニン・レーモンドの作品ではなかったっけ?
いいな~
マクロプラナー。
夜の描写がいい感じです。
また、暖かくなったら、
マクロプラナー持って出かけたいと思います。