愛知に行くのなら、三重も近いだろう、
などとイバラキ人は考えまして、
明治村の次はお伊勢参りということになりました。
犬山城も見ず、名古屋市内も見ず、一気に伊勢・松阪をめざします。
時間と運賃をメモ代わりに書いていきますと、
15:30 明治村発。名鉄高速バス
16:41 名鉄バスセンター(名古屋駅)着
料金960円
じっさいに着いたのは16:50ごろだったとおもう。
17:10 名古屋駅発。近鉄特急、伊勢志摩ライナー
18:17 松阪駅着。
料金2580円
たどりついた松阪は――けっこうイナカでした。
大都会を勝手にイメージしておったので、驚きました。
泊まったホテルの棚のなかは
聖書じゃなくて「古事記」
5:00 起床
6:00 チェックアウト
6:22 松阪駅発。近鉄山田線
6:47 伊勢市駅着。
運賃400円
1日で外宮、内宮、そして別宮の瀧原宮をめぐって
で、その日のうちにイバラキに帰る。
という計画をたてましたので、
けっこうな早起きになりました。
でも結果からすると、
外宮、内宮ともに空いている時間に参拝できたので
早起きは正解でした。
松阪は「小津家」のルーツの土地で、
(本居宣長も小津家の人らしい)
小津安二郎が十代を過ごした土地。
んで、「小津安二郎青春館」とかいうものが
松阪にあるようなのですが、
今回はパス。
上述のようにタイトな計画をたてたのでどうしても組み込めませんでした。
近鉄山田線。
のどかな田園風景の中を通りまして伊勢市駅へ。
南口から「外宮参道」という立派な道がはしっています。
ちなみに小津安二郎の通った
旧制宇治山田中学校は 北口からちょっと歩いたところにあったそうな。
しかし、この外宮参道というのが
けっこうすさまじかった。
足早に通り過ぎてしまったので……
写真の枚数も少ないですが……
早朝の人っ子ひとりいない時に来たもので……
昼の時間帯にじっくり見てみたいものです。
やっぱしお伊勢参りは何日かかけて行くべきですな~
この山田館さんには
完全にやられてしまった……
次回のお伊勢参りはココ泊まりたいな。
あと「ブラタモリ」でやってた
古市 麻吉旅館さんね。
で、締めはゴージャスに鳥羽国際ホテルという――
ああ、脳内お伊勢参りが どんどん広がります……
ま。こういうわざとらしい「レトロ」もあります。↓↓
ベンチはもっとボロくないとダメでしょう。
「オロナミンC」とか「明治牛乳」とかロゴ入りのヤツ。
□□□□□□□□
もとい。
外宮です。
そもそも 伊勢神宮、
なぜ「外宮(げくう)」「内宮(ないくう)」に分かれているか?
なんかいろいろ説があるようですが――
私は伊勢の本来の神を現在の「外宮」に祀られている神と思う。つまり、「外宮」の「豊受大神」を伊勢の産土神と考える。そして「天照大神」を祀る「内宮」は、この時、つまり持統によって創られたのではないかと考える。
(新潮文庫、梅原猛著「海人と天皇(上)」259ページより)
梅原猛先生はこう書かれています。
あとは「西本願寺」「東本願寺」みたいに
権力者側が伊勢神宮を二つに分裂させたのだ、という説など
読みましたが……
その説はなんだか説得力がないような気がします。
ま。学問的なことはおいておいて……
このシンプル・イズ・ザ・ベストの入口にやられました……
王者の風格。
「第一鳥居」です。
ばりばりイバラキ人の自分にとって
「神社」といや、鹿島神宮。
あと、大きい神社というとイメージするのは
靖国神社とか鶴岡八幡宮とか。
どれも金属とかコンクリ製の馬鹿でかい鳥居で
入口を飾っているわけ。
それが……
神社の中の神社。
伊勢神宮は、これですよ。
白木の……なんのかざりもない、
たいして大きくもない鳥居ですよ。
平日の午前7時です。
↓↓「第二鳥居」
「授与所」↓↓
ここからまっすぐ進むと「御正宮(ごしょうぐう)」なのですが、
「御厩(みうまや)」が見たかったので
道を右に折れます。
「北御門口鳥居」↓↓
でも「御厩」には
お馬さんはいませんでした。
残念。
「御正宮」への道の途中に
「三つ石」というのがあります。
パワースポットとか
スピリチュアルななんとか とかに興味がある人には
たまらんスポットのようですが……
さいわい、早朝のせいか、そっち系の人もおらず――
「御正宮」です。↓↓
外宮で一番衝撃を受けたのは、「御正宮」そのものではなく……
かつての「御正宮」――
この広大ななんにもない空っぽのスペースです。↓↓
つぎの遷宮の時はこっちが「御正宮」になるわけですけど……
これって
ミース・ファン・デル・ローエじゃん!!
と感動してしまいました。
ミース・ファン・デル・ローエに関しては説明する能力がないので、
藤森照信先生の文章を引用しますが、
物質の究極が原子にあるように、建築の究極は均質空間にある。戦後、モダニズムが世界を席捲する過程で、どこにでも現れたのはコルビュジエでもライトでもなくミースの影響だった。二〇世紀を象徴する戦後の超高層ビルは、例外なくミースの均質で透明な表現の延長上にある。
建築の究極の単位である均質空間の力を解き放ったという意味で、ミースの作品は建築史上の原子爆弾である。
(岩波新書、藤森照信著「日本の近代建築(下)」164ページより)
7世紀おわりにできた「均質空間」
「less is more」空間。
20世紀になって、ミースのやったことを
日本人の誰やらは7世紀おわりにもうやっていた。
「なにをお前は言ってるんだ?」
という感じだと思いますが……
でも、ミースがこれ見たら、感動したとおもいますよ。きっと。
7世紀のユニヴァーサル・スペース(均質空間)に感動したわたくしは……
別宮の「風宮」をお参りしまして
いやしかし……
フランク・ロイド・ライトの帝国ホテルをみた翌日に
ミース・ファン・デル・ローエをみることができるとは……
感慨深いものがあります。
(違うって)
そうそうご存じかと思いますが念のため、
「外宮先祭」というそうですが、
お参りの順序は「外宮」が先なのです。
次は内宮だ。
内宮行きのバスに乗ります。
8:06 外宮発のバスに乗りました。