「あのさ、とにかく塀がかっこいいんだって!」
「へぇぇ……(遠い目をする)」
――という感じなのですが、ほんとうにかっこよかったのだから仕方がない。
正式名称は 「鎌倉市吉屋信子記念館」ということになりそうです。
(いただいたパンフレットにそう書いてあった)
建築学的にいうと、「吉田五十八作 吉屋信子邸」ということになりましょうか。
わたくしが建築を見に行くときって
当然 つくった建築家に興味があって行くわけなのですが、
今回は珍しく 施主(吉屋信子)のほうに興味があって行った。
前回の記事で ちょいと引用したが、最近 吉屋信子作品を読んでおるもので……
だが、まあ、建築家・吉田五十八に興味がまったくない、といえば そうでもない。
ビッグネームなので 当然名前は知ってました。
ただ、今までずっと
「よしだ・いそはち」
だとおもいこんでました……
「よしだ・いそや」
なのね。
その程度の認識。
あと、どうしても 吉田五十八=数寄屋建築 というのがあるので
食わず嫌いというか、なんというか、とっつきにくい感じ。
ご存知の方も多かろうが、
和風建築ってさ、難しいのさ。
この木材は何で……
この部位にはこの木材を使いますが、この木材はアウト……
とか、なんつーか、現場で学ばないとどうにもならん種類の知識が必要とされる分野でして……
読書じゃどうにもなりませんわな。
建築史的にみますと……
(大学でこれをやっておったもので……すみません)
吉田五十八→1894年生まれ。
となると、
同世代の 村野藤吾→1891年生まれ。に目がいってしまうな。
この世代のナンバーワンは村野でしょうか、やっぱし。
藤森照信先生に言わせると「村野藤吾=周回遅れのトップランナー」だそうだが。
前川國男先生は 1905年生まれなので 吉田・村野の1世代あとになるのか。そうか。
で、そのあとの世代にモンスター丹下健三がくる、と。
もとい、塀ですよ。
かっこよすぎでしょう。
こんな強烈な塀、はじめてみました。
どういう形式の塀なんでしょうね……
――さっぱりわからん。
なんすか、このピンク色の壁……
――さっぱりわからん。
あと、この只者ではない感ばっちりな木材は……
――やっぱりわからん。
さすが、鎌倉。
「愛犬のフン」うんぬんの表示も どことなくオサレである。
なんすかね、この抽象芸術みてるみたいな
このまったく見飽きない塀は……
吉田五十八おそるべし……
「愛犬のフン」うんぬんの表示が……
やけにいっぱいある。
「ぬぬ。さては近所に
ワンちゃんのウンコをまきちらす不届きものがおるかっ!」
とかおもったのですが、
このあと、昼食に天ざるを食べながら いただいたパンフレットをみて、理由がわかりました。
「吉屋信子記念館が国の有形文化財に登録されました。
平成二十九年六月二十八日に文化財保護法第五十七条第一項の規定により
文化財登録原簿に登録されました。
登録されたのは、主屋と門及び塀です。」
「今後も適切な維持管理を行い、文化財として保存・活用し、後世に伝えていきます。」
登録されたのは、主屋と門及び塀です。
塀も文化財なので こうして予防線を張っているわけですね。 犬のウンコから……
木目のアップ。
ディテールの処理もばっちりだな。
この板っきれ1枚でたぶん、とんでもない値段しますよ。たぶん。
吉屋邸の塀&門だけの値段で そこらへんの庶民の家数軒は建てられるんじゃ??
とか素人の勝手な計算ですが、
当ってるような気がします。
専門家に聞きたいところです。
塀にばかり見惚れていても仕方ないので……
敷地内に潜入します。
毎日公開してるわけじゃないそうなので、公開日はホームページでご確認ねがいます。
ん――
しかし、ゴツゴツの門柱もこれ、絶対とんでもない値段だぞ。うんうん。。。
よりによってこんな凝った木材を使っちゃって……
「いちばん金がかかるのは数寄屋建築だ」
って、誰から教えてもらったんだっけ?
西洋建築なんか目じゃないそうですよ。
キモノ、もそうだし……
じつは一番贅沢なのは日本文化なのか……
敷石だって凝ってます。
なかなかおうちがみえてきません。
「手をお清めあそばせ」
ということなのか?
打ち水でもするときに使う、とか?
はい、こんなです。
シンプル・イズ・ザ・ベスト。
レス・イズ・モア。
ミース・ファン・デル・ローエが気に入りそうです。
右手に植わっているのは柏の木だそうです。
背後の裏山と一緒に。
はい。一等地です。めちゃくちゃ広いっす。
土地代+吉田五十八の数寄屋建築……えー、何億? 何十億? 計算できませんです。
ただ……なんとなく思いますのは……
塀に比べて、あまりにお屋敷自体が地味……
うむ。
あえて主張してしまおう、
吉屋信子記念館(吉屋信子邸)の主役は、塀なのだ、と。
極端な話、
お屋敷=ゼロ なのだ、と。
吉屋信子自身 吉田五十八に依頼したのは
「奈良の尼寺のように」
ってことだったらしいですが……
それだけで お屋敷の地味さが説明できるだろうか?
塀がすべて。
お屋敷=ゼロ。
で、思うのはですね……
吉屋信子の少女小説もやっぱり中身がゼロ
ということです。
「つまらない」ということをいっているんじゃありません。
「レトリックがすべて」
で
「内容はゼロ」
ということをいっているわけです。
美文がすべて、なんです。
お読みになったことがない方に説明しますと、ですね。
吉屋先生の少女小説ってのは、ですね。
とんでもなく美しく少女たちが
とんでもなく美しい心情ととんでもなく美しいコトバで
とんでもなく美しい友情&愛情をはぐくんでいく物語なのですわ。
で、そこに見事に「男性」は排除されている。
正確にいうと「性的能力のある男性」は排除されている。
吉屋ワールドに生息を許されているのは しょぼくれたおじいさんもしくは幼い男の子のみ、なので……
そこになにか社会的な葛藤、生物学的な葛藤はゼロ、なんですわ。
つまり存在しえない世界を とんでもない美文でつづっていく、
それが吉屋信子の世界なわけです。
となると、ですよ。
「塀がすべての吉屋信子邸」
「レトリックがすべての吉屋信子作品」
この二つは等号(=)で結ばれるのではあるまいか??
これが、はたして吉屋信子の意図するところだったのか?
吉田五十八の意図なのか?
それとも施主の無意識の志向が どうしても自邸に反映してしまったものか??
そこらへんはなんともわかりません。
んー、じつは吉屋信子記念館、日本建築史上に燦然とかがやく
とんでもない傑作なのではなかろーか??