こんばんは。
たまには流行りの話題から。
日大アメフト問題に関しまして
いろいろな人がいろいろなことを言っちゃってますが……
「んー、この人たちの一体何割が アメリカンフットボールの試合最初から最後まで見たことあるのだろ??」
(1割いないとおもう。1パーセントもいないかも)
「そもそもQB QB いってるけど あんたら ペイトン・マニングもトム・ブレイディも アーロン・ロジャースもご存じないよね?」
(いずれも神レベルのクォーターバック様たち)
――とかおもうのですが、
「ニュースキャスター・アナウンサーでなにやら言う資格があるのは有馬隼人先生くらいなのでは?」
とか思うのですが……
……
――何が言いたいのかと申しますと、
わたくしの電車記事。
「うわー、この人なにも知らないね」
「うわー、こんなとこ撮ってる、あちゃー……」
「うわー、そんなとこ注目してるよ、おいおい……」
とか、思われてるんだろうな、という気がすごくします。
まあ、そんな、電車知識ゼロの人間の書く、電車記事です。
1104号車です。
例によって 保存館の解説、書き写します。
1104号車(1100型)
車種(車号):1100型(1100~1104)
車体構造:半鋼低床式ボギー車
最大寸法㎜(長さ×幅×高さ)11400×2400×4200
定員:95人
集電様式:複、前後ポール(ビューゲル改造)
製造年/廃車年:昭和3年/昭和44年
昭和11年(1936年)に新式中型ボギー車として5両購入した1100型の1台。バンパー面から流線型となっている車輛は当局唯一のもの。当初ロマンスシート(対面席)を片面にそれぞれ3脚を設け、その他をロングシートとし、鋼製振止式の吊革を採用する等、モダンな車両は「ロマンスカー」とも呼ばれた。昭和42年(1967年)ワンマン車に改造され、47年(1972年)の市電全廃まで活躍した。
対面座席がある、というだけで
きゃーロマンスだわ!!
とか、おもった戦前の人かわゆし。
市電保存館の記事で毎度引用させてもらってます 「横浜市電が走った街 今昔」でも
なんのことわりもなく 「ロマンスカー」と書いてあるので
戦前の横浜の人にとって「ロマンスカー」といや、この1100型だったのでしょう。
ミラーといい、「ワンマンカー」の表示といい、ウインカーみたいなもの、といい、
見た目が、なんか今のバスに近づいてきましたな。
全部戦後の改造なのかしらね??
しかし、中をのぞくと 「木目」があらわれるというのはいいやね。
このフォントも好きです↓↓
中身です。
↓↓窓の外にちら見えしておる 時計は
なんでも横浜駅にあった大時計とか。
鋼製振止式の吊革
――と、解説にあったが、一体なんのことであろうか?
ちなみに「吊革」というと、ですな。
最近
吉屋信子原作 小沢真理「花物語」 というマンガで――
↓↓こんな吊革を目にしてしまいまして――……
「合歓の花」というおはなし。
順子というヒロインが 電車でよく会う「お姉さま」にあこがれを抱くのですが
そのお姉さまの左手の薬指に指輪が! という絶望のシーンなのですが……
昔の吊革ってこんなだったのかね?
いつまでこんな形だったのかね?
いや、なんかわからないことだらけですわ。
まあ、脱線ついでに「合歓の花」
吉屋信子先生の原作を引用しちまいますと――
病む床にある順子が、和子と幾代に何を物語しか? あわれ、忘れえぬ花とのみ告げて止みしその合歓の花の匂い優しきローマンス!
――順子の家はもと府下の代々木にあった。今の高輪の家に移る前、永いこと幼い頃から住みなれていたのだった。つい去年の春咲きまで――されば言うまでもない順子がそこから学校へ朝な朝な省線で通ったのは。
毎日同じ朝の時刻を争って乗る人達の混む停車場では、いつとはなく同じ頃いっしょに集う人々の姿を見覚えるほどだった。順子はその中に心にかけて見覚えるひとを持ったので……あった。
順子の胸にかくも深く印象づけられし俤は?――かにかくにその美しさ優しさ、そのひとの瞳のあまりに臈たけて忘れがたいものを。
(河出文庫、吉屋信子著「花物語・下」108~109ページより)
この美文の嵐の中で
注目したいのは、ですね。
主人公順子の「合歓の花の匂い優しきローマンス」の舞台が、
代々木駅から乗る「省線」であったこと、です。
けっして「電車」つまり 市電が舞台ではない、ということです。
吉屋信子作品に登場する「電車」って
きまって殺人的に混んでいて、
女子供はとても乗れたもんじゃない、そういう乗物だったりします。
(例「屋根裏の二処女」)
だから、
ローマンス、が生れるのはモダンで高架の上を走る「省線」でなくてはならなかったわけです。
うむ。
となると、上のほうでトマス・ピンコの野郎が……
対面座席がある、というだけで
きゃーロマンスだわ!!
とか、おもった戦前の人かわゆし。
などと書きましたが、
このあたりの戦前の人たちの心境を分析すると……
「市電」→「殺風景で、ロマンスとはほど遠い乗物」→「にもかかわらず、オサレな対面座席が」
→きゃーロマンスだわ!!
と、こういうことだったのか、ともおもえます。
ものすごく勝手な推測ですが。
いやしかし……
アメフトの話題から 戦前少女小説……
この人、ふり幅大きすぎ……
もとい、
↓窓のアップ。
こういう窓、昔常磐線でみたことがあります。
謎なのはこれ↓↓
天井についてたんですが、
ベンチレーター??
↓↓ この写真の注目点は ボタンの形状と
マクロプラナーのボケ味の美しさ……ははは。
点光源の描写も美しいのさ……
メカらしいメカ。
今の機械はなにもかものっぺりしちゃってますね……
このつり銭器とやら、使ってみたい。
.
さいごにまた「今昔」の引用。
1100形(1100~1104)5両
昭和11年に作られた横浜では初の中形ボギー車で、クロスシートとサイドシートの併用ロマンスカーであった。当初の配属は滝頭車庫と生麦車庫は各2両、麦田車庫は1両であった。今までボギー車の配属が無かった麦田車庫には初の配属になった。戦時中は市電の座席が半減されたが、この形式はクロスシートが撤去された。空襲で1100号が阪東橋で焼失し、昭和23年に復旧し1105号になった。昭和28年には1103号が1300形に使用のD14形の台車を付けて5年間走った。全車ワンマンカーに改造され、全廃時まで3両が走った。
(JTBキャンブックス、長谷川弘和著「横浜市電が走った街 今昔」163ページより)