リブログなるものをやってみますが――
なんと‼
4年前の記事では↓↓
・小津安二郎=古典様式(クラシック)、塔がない。
・清水宏=ゴシック、塔がある。
などと書いてますね(笑)
今、
「塔の作家・小津安二郎」
などと主張している真逆のことを――
このことに対する
言い訳・屁理屈(笑)を書きますと……
小津→クラシック的 清水→ゴシック的
というのは間違ってないとおもう。 これは多くの人の賛同が得られるでしょう。
では、小津作品になぜかくも多数の「塔」が出現し、
「塔」を中心に作品が組み立てられているのか?
というと、
おそらくおのれのクラシック的システム クラシック的感性
それではとらえられない「何か」を
「塔」という形で噴出するのかもしれない。
数学・物理学でいう「特異点」が 「塔」なのかもしれない。
例をあげれば
「若き日」の二人の若者の性的な欲求だったり
「非常線の女」の岡譲二&田中絹代のカップルの 新しい生活 新しい生き方への欲求だったりするわけです。
それが「塔」という形で結晶化するわけです。
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まあ、今回は 「非常線の女」が 小津安っさんのまわりにあたえたインパクト・影響を
清水宏「港の日本娘」を中心にみていこうとおもいます。
が、一番有名なのは
山中貞雄へ与えたインパクトでしょう……
以下、評論家の岸松雄の文章ですが、
山中は私と同様、昭和八年池田忠雄の脚本になるメロドラマ「非常線の女」が大好きだった。田中絹代と岡譲二とがいつか悪の世界から足を洗って狭いながらもたのしい愛の生計を夢みる字幕が出る。
「小鳥が鳴いて」「青い芝生があって」「赤いお屋根のお家に住んで」
――山中はこの字幕を愛誦して撮影をつづけた。 「たのしかったで」と私に言った。
同じ「非常線の女」で水久保澄子の姉が不良の群れに投じた三井秀男の弟に、「一緒にご飯たべたことあって?」「一日のこと話し合ったことある?」と意見する、つつましやかな場面がある。山中が昭和十一年に作った「河内山宗俊」で、甘酒を売り、駄菓子を商う原節子の姉が、やくざに足を踏み入れた市川扇升の弟に意見をいう場面は「非常線の女」から糸を引いているとみることができる。
(蛮友社・「小津安二郎・人と仕事」169ページより)
「たのしかったで」
という山中貞雄のコトバの中には
小津と一緒に横浜あたりで遊んだ、その思い出も含まれているでしょう。
しかし、「非常線の女」……「河内山宗俊」……
この……
姉が弟を養うプロット
の、多さはなんだろう?
そもそも、映画界の巨匠 溝口健二その人が
お姉さんが芸者さんになって弟を養ったというエピソードの持ち主であった、
そのあたりに由来するのか?
もともと日本文学に多いテーマだったのか?
小津の一連の「東京の女」「非常線の女」に由来するのか?
戦前の日本にこういう家庭が多かったのか?
変わり種(?)としては――
制服姿の桑野ミッチーがひたすらにかわいい 「新女性問答」(1939)で、
お姉さんの川崎弘子が
妹の桑野通子を育て、
ミッチーは最終的に弁護士になり活躍……というベタなプロットです。
監督:佐々木康
原作・脚色:斎藤良輔
監督の 佐々木康という人は……
今プリントが現存する作品では
「朗らかに歩め」「落第はしたけれど」「その夜の妻」「淑女と髭」
で、助監督をしています。
「小津安二郎―人と仕事―」の証言によれば
「大学は出たけれど」から「美人哀愁」まで
二年半助監督をしていたということです。
厚田雄春によれば
ズーズー弁だったので あだ名は「ズーさん」
斎藤良輔。
この人とは「風の中の牝鶏」で組んでます。
あと、ややこしい話になりますが、
シンガポール時代、一緒に過ごした仲間なので
幻の「遥かなり父母の国」でも一緒に仕事をしていたわけです。
さて「新女性問答」
監督が小津の弟子筋なので このプロットなのか?
それとも他に理由があるのか?
お姉さん(川崎弘子)が滅私奉公で かわいい妹につくす……
「あたしなんかどうなってもいいの!」とかいったりして。
おはなしは作りやすいですよね。
ベタなお話ではありますが。
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さて、本題の「港の日本娘」
「全日記小津安二郎」をのぞいてみると
1933年 4/30(日) 非常線の女 封切り
1933年 5/28(日) 港の日本娘 試写
とあり、
清水宏の作品のほうが 明らかに後発だとわかるのですが、
手持ちの文献では 二つの作品の関係性に触れたものがないので
自分で勝手にいろいろ想像してみたいとおもいます。
・共通点① ヨコハマ
横浜ロケのシーンが多いという共通点があります。
「港の日本娘」冒頭ですが、さっそく山手聖公会が登場します。
もちろん↓↓
「非常線の女」のレズ・キスシーンのあれです。
小津が撮る教会のほうが、なにか「量感」を感じさせてずっしりしています。
なにか得体のしれない巨大な建築という印象。
清水のは全景が写ってますので 「あれ、こんな小さな建築だったのか……」と
がっかりします。
小津がすごいとか 清水がダメだとかいうことではなく
二人の撮影姿勢の違いがよくみえておもしろいです。
そしてヨコハマを山手から見下ろす……
「港の日本娘」↓↓
女の子二人は 及川道子と井上雪子。
「港の日本娘」のほうがプリントの状態がいいようです。
あるいは季節・気候条件によるのか?
しかし背景の木の様子から見ると
どちらも冬に撮影しているような感じ。
この冒頭の 及川道子&井上雪子をみると
「非常線の女」の 田中絹代&水久保澄子が
「港の日本娘」を生んだ!
などと想像したくなります。
あと、
やっぱりあれですね。
「非常線の女」で↓↓
田中絹代のお尻の横あたりに
うっすら写りこんでいたのは 県庁のキングの塔のようですね。
こうしてみるとやっぱり二人の撮影スタイルの違いが明らかで
それはどうも カメラの高さの違いに由来するようです。
清水宏→カメラは肩の高さくらい(推定)→スカッと町全体を見渡すことができる。明るい。
小津安二郎→カメラはローポジション→町全体は写らない。どこか陰鬱。
気象台関係とおもわれる「塔」の登場も共通してます。
以下2枚 「港の日本娘」↓↓
清水はきちんと
「これは外人墓地のとなりにある施設です」
という撮り方をするのですが……
小津安っさんは不親切(笑)で、
どこのどの施設だかわかりません↓↓
というか、初期小津の撮り方は
都市にしても 教会にしても 塔にしても
「断片」しか撮らず
「どこでもない場所」というような提示の仕方をします。
戦後作品では「東京」「鎌倉」「尾道」……とわかりやすくなってくるのですが、
戦前の作品は 「どこでない場所」を撮っているような気がします。
・共通点② 女+銃
両作品とも
女にピストルを持たせたがります。
江川宇礼雄&井上雪子
当時の言い方だと「混血スタアの二人が向かい合い……」といった場面でしょうか。
戦前の不良は本当にピストルなんか持ってたのでしょうか?
それとも 単にハリウッド映画の影響なのでしょうか?
「非常線の女」では 田中絹代が発砲し、
「港の日本娘」では 及川道子が発砲します。
清純派の二人が発砲するわけです。
及川道子は 水久保澄子、逢初夢子あたりと同時代デビューの女優さんですが、
及川道子→第一外語卒、築地小劇場で新劇を学ぶ、松竹蒲田入社。
水久保澄子、逢初夢子→松竹楽劇部を経て、松竹蒲田入社。
というので、なんだか格の違う インテリ女優、お嬢さま女優というような扱いであった由。
若くして亡くなった人ですが。
長生きしていたら東山千栄子(やっぱりお嬢さま、インテリ女優)みたいな大女優になったのかもしれない。
ただ、今みると、
及川道子の演技は 映画俳優としてはなんだか大げさな気がする。
表情とかも大げさすぎる気が。
しかし、この制服はどこの制服なんでしょうかね?
帽子がかわいいですね。
校章のワッペンみたいなものがついているのが手掛かりになるか?
横浜の女子校出身者のそこのあなた(笑) どこの学校かわかりませんか?
・共通点③ 毛糸
編み物・毛糸が両作品とも出て来ます。
が、「港の日本娘」では
小市民のモダンな生活とか 運命の変転とかを描く ちょっとした小道具という印象。
↓↓左側は 人を撃ってしまって売春婦に身を墜とした砂子(及川道子)
右側 ヘンリー(江川宇礼雄)の奥さんになったドラ(井上雪子)
幸せな家庭生活を描く上のシーンでは白い毛糸↑↑
運命の変転を描く下のシーンでは黒い毛糸↓↓
一方、田中絹代の「黒」「白」の毛糸は
BLACK&WHITE
という 小津の生涯追い続けたテーマ。
映画そのものをあらわしているかのような壮大なテーマにつながっているような気がします。
だがまあ、トマス・ピンコという人が 小津崇拝の人なので
そういう風にみえてしまうのかもしれません。
・共通点④ クラブ歯磨
「港の日本娘」
華やかな戦前の伊勢佐木町の様子が映し出されます↓↓
有隣堂の「有」の字をみただけで ヨコハマの人間はここがどこだかわかるという……
で、斎藤達雄は貧乏絵描きの役。
及川道子の召使みたいな なんともいえないおもしろい設定の役。
似顔絵描きという商売は昔からあったのだな。
斎藤達雄が沢蘭子にむかっていうセリフ――
「世の中に人間が多いんですよ」
このセリフ、
「一人息子」(1936)のS79
日守新一が飯田蝶子にむかっていう
「やれるだけのことはやったんです――
でもこの人の多い東京じゃいくらあせったって仕様がないんですよ」
これに影響を与えているのかな??
ちなみに「非常線の女」のクラブ歯磨↓↓
ジャーン! という印象です。
このクラブ歯磨とのタイアップは好評だったのか、
「一人息子」には
クラブ白粉(おしろい)の看板が登場します。
・共通点⑤逢初夢子・通風器
両作品とも
悪い子役で 逢初夢子が登場します。
「有りがたうさん」(1936)の桑野ミッチーみたいに
見所のある新人女優は
とりあえず悪い子役で使ってみる――
そういう伝統が松竹ではあるのかもしれない??
「港の日本娘」ではラスト近くに
通風器が登場。
豪雨の中でガラガラと廻ります↓↓
だが、これまた「毛糸」と同じように
運命の変転をあらわすモチーフという感じがする。
となると、つまり
小津安二郎という人のモチーフ・小道具の使い方というのは
とことん「通俗的な意味」とは別の意味を追求していたのだな、
と、そんなことを思うのでありました。
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2016年1月。
この頃は トトやんがまだまだ元気でした…( ^ω^)……………