大傑作(笑) 「母を恋はずや」(1934)の分析 続きです。
はっきりいってしまいますと、相当な小津ファンでも
ほとんど見ることのない失敗作でしょう。
で、映画史的には――
イ、「母を恋はずや」なるヘンテコなタイトルに関して
「これって文法的にどうなのよ?」という論争が池田忠雄(シナリオ)と伊丹万作の間にくり広げられたらしい。
ロ、「チャブ屋」という戦前の横浜のセックス産業をうかがい知ることができる。
以上2点しか見所がない、とされているわけですが、
いや、実は隠された傑作なんじゃねえの?? とトマス・ピンコが言い張っている、というわけです。
S53 窓ごしに見える港
船が出て行く。
お話の流れとしては――
貞夫くん(大日方伝)が、チャブ屋に入り浸ってしまった端艇部の仲間を
チャブ屋からムリヤリに引っ張ってこよう、ということです。
「塔」のショット、とみていいでしょう↓↓
そして、前回の記事をお読みいただいた方ならおわかりでしょう。
「+」なる暗号を隠しているのですよ↓↓
はなしは変わりますが、小津安二郎、
腕っぷし強いわ、頭脳明晰だわ、
なんか何でもできるスーパーマンの印象がありますが、
泳ぎが出来なかったらしい。
そのせいなのか(?)
どうも「船」というモノには ヨソヨソしい撮り方しかしなかったような気がします。
「戦艦ポチョムキン」とかをわざわざ持ち出さなくても、ですね、
清水宏の「港の日本娘」(1933)の生き生きした船の描写なんかみてしまいますと、
小津の「船」はほんとヨソヨソしいわけです。(清水は泳ぎが得意であった由)
実際、「父ありき」(1942)の笠智衆は 悪ガキがボートで遊んで死んでしまった責任をとって
教職を辞めるわけです。
小津作品において 「船」=「死」とすら見えなくもない感じがします。
チャブ屋の壁に
ジョーン・クロフォード主演「雨」のポスター
(どんな映画だか知らない)
「塔」のショットではないですが、
「母を恋はずや」において ポスターは重要な役割を果たしていますので
画像を載せておきます。
(ただ、個人的には成功しているとはおもえないし、真に映画的な表現だとはおもえない。
実際、後年の小津はポスターを使った表現はあまりやらなくなったようにおもえる)
小津作品に登場するポスターに関しては
フィルムアート社「古きものの美しき復権 小津安二郎を読む」
286~289ページが詳しいです。
というか、ポスター関連の情報はほぼすべてここから得ております。
まあ、そんな本を参照しないでも このポスターは中学生でも読めますわな↓↓
チャブ屋に入り浸ってるのは笠智衆……
前作「出来ごころ」ではラストのちょい役でしたが、
今回はいい役もらってます。
S54 チャブ屋の蘭子の室
貞夫、服部に、
「帰ってくれ」
服部、横を向く。
貞夫、むっとして睨む。
チャブ屋の女・蘭子役は、「若き日」のヒロインだった松井潤子。
ここは洋間ですが、上下方向の視線の交錯があります。
「お前、之れでも端艇の選手だと言えるのか!」
と言い、いきなりハリ倒す。
服部、ふっ飛んで、睨んで立つ。
女、呆れて見る。
笠智衆が立って、視線が水平になります。
笠智衆のほうがいくぶん背が高いのかな。
当時の観客にとっては……
「松竹のスタア・大日方伝」&「笠?なんとかいう坊さんみたいな名前の脇役俳優」
という組み合わせだったのではなかろうか?
まさかこの笠なにがしが
昭和を代表する名優になってしまうとは……
大日方伝は、戦前日本映画マニアしか知らない名前になってしまうとは……
下手くそでも、華がなくても、
地道に一つのことを続けていれば成果はあらわれる、のでしょうか?
それとも運勢の問題なのか?
「頼むから俺と一緒に帰ってくれ」
「お前、俺が癪にさわるんなら
俺を殴ってくれたっていいんだぜ」
「端艇部なる同性愛」を選ぶのか?
「チャブ屋なる異性愛」を選ぶのか?
フロイト的にみればそういう構図。
で、「殴る」という行為は 小津映画においてきわめて同性愛的な行為であります。
(「青春の夢いまいづこ」「非常線の女」を参照のこと)
終始、笠智衆は上を見上げているようにみえる。
おなじみ 「塔」を見上げるショットです。
さっきみたように笠智衆のほうが若干背が高いので
大日方伝をみるときは見上げるようにはならないとおもう。
なので若干高めの位置を見上げるように 小津が指示しているのか?
それともローポジションで撮るとこうみえるのか?
個人的に笠智衆は大好きな俳優さんなのですが、
この作品に関しては 演技力とかなんとかではなく、
「背の高さ」で選ばれたのではなかろうか?
とおもってしまうのは――
この見事な構図のせいで――
松井潤子より頭一つ分 背が高くないと
こういう見事な……見事すぎる構図はどうやってもとれないわけで……
まあ、「雪州する」という手もあるけど、小津安っさんはそういう小細工、やるのかな??
あと「背の高さ」問題をもうひとつ考えますと――
この頃、斎藤達雄がめっきり登場しなくなっていますよね。
背の高さでいえば 斎藤達雄もこのシーンを演じられるわけですが……
いかんせん、おっさんになってしまった。
学生役はキツイ……
それでかつては斎藤達雄が演じていた「背の高い男」を
この頃から笠智衆が演じるようになった。
もうちょっと斎藤達雄が若かったら、あるいは童顔だったら、
この役は斎藤達雄にまわってきていたかも??
笠智衆、ほんとうに運がいい男です。
蘭子、鋭くよび止める。
「誰に断って、この人 連れてくの?」
貞夫、構わず連れ去る。
さいごのさいごまで上下方向の視線の交錯です。
これなんかどこから撮っているのか?↓↓
カメラの高さは
松井潤子の腰? 太もものあたりから?
ふつう肩の上からなめる、ということをやりそうなものですが、
(そっちのほうが松井潤子の視線に近いわけで、リアルである)
こういうへんな撮り方をしてしまうわけです。この人は。
後年、助監督についた今村昌平がうんざりしたのもわかります。
きわめて不自然です(笑)
何度も何度も繰り返しますが
小津安っさんはリアルなどということは考えていません。
あくまで「塔」を見上げるショット、を撮りたいだけなのです。
しかし……笠智衆への照明のあて方とか、
うめぇな……↓↓
これはすごいショットです……
あと……
このあと大日方伝がミイラ取りがミイラになってしまって
チャブ屋へ入り浸ってしまうわけですから、
こういう↓↓ どこか突き放したようなショットのほうがいいわけですね。
大日方伝を真正面からとらえてしまったりしたらいけないわけですね。
カネを払わずに笠智衆をチャブ屋から連れ出してしまったので
おカネがいる。
S56 梶原の家
「困っている友達が居るんで、お金が少し欲しいんですけど……」
母、「まあ、そう」
と、尚も話し、金額などきく。
すぐ金を出して来て渡す。
というのですが、引手が「+」↓↓
……これは深読みなのか?
しかし、
岸松雄:セットについて小津さんは全部自分で図を引きますか。
小津:引きます。ずっと前から自分でしています。
(泰流社、田中眞澄編「小津安二郎全発言(1933~1945)」58ページより)
これは1935年の発言だが、「ずっと前」というから
もちろん1934年の「母を恋はずや」のセットは小津の設計なのだろう。
当然、引手をどういうモノにするか意識しているはず。
で、これは前回の記事でも紹介したショット↓↓
たてつづけに「+」が登場します。
S57 部屋
貞夫、入り来て「あれ?」と思う。
幸作がしょんぼりしている。
つめかけのリュックサックが投げ出してある。
貞夫、不審そうに、
「お前、伊豆へ行くの やめたのか?」
幸作、くさって首をふり、
「おふくろが、いけないっていうんだよ」
と言う。
貞夫、「どうして⁉」と真顔になって訊く。
幸作、声を落して、
「うちの暮し、俺達が思ってるほど楽じゃないらしんだよ」
この重要なシーンに「+」と
すぐ下で紹介しますが 「非常線の女」の白いポットが登場します。
この白い十字架なんですけど――
『東京の女』
暗い背景に白い十字架を大きく描いたドイツの受難劇公演のポスター。姉弟の部屋に。
(フィルムアート社「小津安二郎を読む」287ページより)
とあるのですが、「東京の女」にはそんなポスターは登場しないので
「母を恋はずや」の間違いかとおもわれます。
また「東京の女」の岡田嘉子は共産党シンパと疑われているキャラクターなので
ドイツの宗教劇というのは ??……です。
三井秀夫+白いポット。
そういえば「生れてはみたけれど」のふて腐れたガキどもも
こんな風に父親の斎藤達雄を見上げていましたっけ。
この兄弟(大日方伝&三井秀夫)
「生れてはみたけれど」の兄弟のその後
ともみえなくもない。
母親は吉川満子だし。
話がまたそれますが――
市川崑の「病院坂の首縊りの家」(1979)をさいきんみましたところ――
石坂浩二&草刈正雄が
大けがをした写真館の若主人を見舞いに行くシーンで……
例の白いポットをみつけて
あ⁉
となりました。
似てますよね??……
というか、同じもの??
一瞬チラッと写るだけなんですけど。
まあ、市川崑といえば「細雪」(1983)のラスト近くで
佐久間良子に 「晩春」(1949)の杉村春子のパロディをやらせたりして、
小津へのリスペクトは明らかなんですけど……
佐久間良子のこれ↓↓ は必然性があるわけだが、
(岸恵子たちが大阪から東京へ引っ越すというはなしの流れ)
「病院坂」の白いポットはよくわからない。
看護婦役はほんらいあれかな?
金田一シリーズ常連の坂口良子にやらせるはずだったのかな?
この女優さん、なんとなく坂口良子に雰囲気が似てるから、そう思うだけなのか??
小津を見慣れているので……カメラの位置が高いこと高いこと(笑)↓↓
なんと、畳がみえますよ(笑)
もとい、
S59 息子たちの部屋
幸作、くさっている。
貞夫、考えつつ入って来る。
弟の様子を見たが、手の中の金を幸作に分けてやる。
「おい!」と時計を見て、
「まだ間に合うから、出かけたらどうだい?」
「東京の女」の岡田嘉子以降おなじみの……
時計(塔の代替物)を見上げるショット↓↓
住む家が変わると、時計も変わります。
豪邸に住んでいた時代は 重厚なウェストミンスターチャイムの時計でしたが、
中流の家に落ちぶれた今は 鳩時計。
で、「+」を仕込んでおります。
「+」の意味を考えているのですが……
「-」は横のつながり、大日方伝&三井秀夫の兄弟 そして端艇部の仲間
「 | 」は縦のつながり、親子関係をあらわす、のか??
ふたつ重なって「+」ということなのか?
それとも意味などないのかしら??
上下方向の視線の交錯。
小津作品のシナリオは
「若き日」からずーっと 「間に合う」「間に合わない」だの
時間に関するセリフが多いですね。
母親、吉川満子の登場。
このポーズはなんだかルネッサンス絵画の聖母マリアでもみているかのようです。
あくまでポーズのことをいっています。
「+」&母 という構図。
小津はいろいろ苦労して 「母」なるものを描こうとしているのはわかるのですが、
この作品――
「母を恋はずや」では完全に失敗しているようにおもえます。
われわれが小津作品で「母」といえば、
まっさきに思い出すのは
「麦秋」「東京物語」の東山千栄子であったり
「一人息子」の飯田蝶子であったりするわけです。
おつぎ。
つくづく時計が出て来る作品です。
S62
梶原の家
陽当りのよい軒先に、母が夫の遺品の数々を干している。
老眼鏡をかけて――
礼服、紋付、帽子、外套など。
母、揮発油で古服をふき乍ら、思い出ぶかく遺品を見る。
やがて、貞夫が学校から帰って来る。
「只今!」
これはシナリオにはないアクションなんですけど。
吉川満子が
おそらく夫の愛用品だった懐中時計のゼンマイの音を聞く。
そして見上げる……
はい。毎度おなじみの……
主人公たち、上を見上げる。
→視線の先には巨大構造物(塔)……
という黄金パターン。
です。
「塔」のかわりに夫の遺影ですが。
で、大日方伝が帰宅するんですけど、
このあと大げんかしまして
家を出て行く、という流れです。
小津作品のキャラクターが「塔」を見上げると、
必ず何かが起きるわけです。
当然 この懐中時計のシーンは
「東京物語」(1953) ラストの映画史上屈指の名シーンの直系のご先祖なわけでして。
S172 車内
紀子、やがて亡母の形見の時計を耳にあて、
懐しく思いに耽ける。
汽笛が谺(こだま)する。
シナリオでは「耳にあて」
となっていますが、実際のプリントの原節子は 「耳にあて」ていません。
「東京物語」のこのシーンの成功は
「母を恋はずや」の失敗があったからこそ、なのではなかろうか?
遺影など出す必要はない。
時計を耳に当てる必要もない。
ただ、汽笛が鳴ればそれで十分だ。
凡百の映像作家はここで 回想シーンなんぞさし挿みたくなるところでしょうねえ。
しかし小津の、なにもかも削ぎ落としていったストイックな文体も
若き日の失敗作があってこそ、というわけです。