詰め込み過ぎのタイトルですが……
「母を恋はずや」(1934)は 実はとんでもない傑作――
小津作品史上、いや、
……映画史上に残る傑作ではあるまいか?
という珍説(笑)をこれからくり広げようとしております。
□□□□□□□□
小津安二郎が 「塔」というモチーフをいかに描いてきたのか?
ということを中心に小津作品をみてまいりましたが、
この「母を恋はずや」
完全な失敗作(←言っちゃってる)
&――――
冒頭と結末のプリントが存在しない……
という理由で これはパスしてさっさと「浮草物語」(1934)をみようかと一瞬考えたのですが――
そういや「隣の八重ちゃん」(1934)前夜の逢初夢子たんが出てるんだっけ……
と、逢初夢子めあてで見始めましたところ、
これがまあ、失敗作どころか、とんでもない傑作であることが明らかになったわけです。
□□□□□□□□
もったいぶっていても仕方がないし、
数少ないこの記事の読者をさらに減らしてしまうかとおもわれますので
「母を恋はずや」が傑作である理由
を、はじめに書いてしまおうとおもいます。
傑作である理由①
「暗号」
つねづねわたくしは、小津安っさんは作品中に「暗号」を仕込んでいる、
ということをいっているのですが、
(〇や△ あるいは渦巻を画面中に仕込む。あるいは数字の「3」やら「8」やらをシナリオに仕込む、等々)
それをやりはじめたのはこの「母を恋はずや」
からだったのではあるまいか??
追々みていきますが、「母を恋はずや」に仕込まれた「暗号」は、
+(十字)ですね↓↓
なにかというと「+」が出現する映画なのです。
それと数字の「3」を中心にシナリオを組んでいるような気がする。
こういう「暗号」は、「出来ごころ」以前にはやっていなかったようにおもいます。
(たんに私トマスが気づいていないだけか?)
すべては1934年 親友・山中貞雄と
横浜の第三キヨホテル――チャブ屋、そして「3」――
で、遊びまわっていた年、
この「母を恋はずや」から始まったのではあるまいか??
傑作である理由②
仲が良すぎる家族というテーマ
小津は「母を恋はずや」で、生涯追いつづけることになるテーマを発見したのではあるまいか?
あまりに仲が良すぎて、あまりに思いやりが深すぎるがゆえの苦悩――
将来的には、「父ありき」(1942)「晩春」(1949)の 暑苦しすぎるほどの親子関係にまで発展し、
遺作の「秋刀魚の味」(1962)にまで引き継がれるわけですが……
前作「出来ごころ」(1933)の喜八さんも 息子と仲が良いわけですが、
あの作品は かあやん(飯田蝶子)やら次郎(大日方伝)やら
共同体全体が仲がいいわけです。
「東京の合唱」(1931)の岡田時彦一家も仲がいいですが、
家庭内の葛藤がメインテーマではない。
失業という大きな問題が立ち塞がっているわけです。
すべては「母を恋はずや」から始まったのではあるまいか??
「東京物語」(1953)の紀子(原節子)のキャラクター……
血のつながらない義理の家族を ひたすらに愛し抜くという人物のルーツは、
血のつながらない母を
ひたすらに愛し抜く 「母を恋はずや」の大日方伝なのではあるまいか??
傑作である理由③
階段というモチーフ
究極的には 蓮實重彦先生のおっしゃる「不在の階段」に通じるわけですが、
(「監督小津安二郎」の「Ⅳ住むこと」という章を参照のこと)
大好きな「階段」というモチーフを、「母を恋はずや」で発見してしまったのではあるまいか?
僕はつねづね 「浮草物語」(1934)「浮草」(1959)の
あの奇妙な空間構造が疑問だったのですが、
ようやく答えがわかりました。
かあやんの家の基本構造は チャブ屋の構造だったわけです。
1階:接客の空間
2階:プライベートな愛の空間
この2つの空間を「階段」が繋いでいるわけです。
八雲恵美子(エロい)&坪内美子(かわいい)は、
2階の愛の空間を 見上げ、耳を澄ませるわけです。
部外者の彼らには不可侵の領域なわけです。
これは見事にチャブ屋の構造にそっくりです。
そして「風の中の牝鶏」(1948)で、
田中絹代が階段から落っこちなければならなかったのは
「母を恋はずや」で、小津安二郎が階段というモチーフを発見してしまったせいです。
(この画面に写っているのは男性のスタントだというのはどこで読んだんだっけ??↓↓
厚田雄春さんの回想だったかな??)
傑作である理由④
誰かが欠けた家族
前作「出来ごころ」の喜八一家も 突貫小僧の母親が欠けていたわけですけど、
しかし不在の彼女を巡って 物語は進行するわけではありません。
ひたすらに「死者」の肖像があらわれるのは
この「母を恋はずや」からでしょう。
だが、まあ、正直
岩田祐吉(死んだお父っつあん)、出すぎだな……というのは誰もがおもうところ。
けっきょくのところ、死者の肖像はまったく出さない方が効果が高い、
ということを小津安っさんは
「父ありき」で発見するわけです。
そして遺作の「秋刀魚の味」の家族も
「誰かが欠けた家族」なわけですが、
笠智衆の妻、岩下志麻の母親は
なんとなく岸田今日子に似ているらしいがそうでもないかもしれない、
というきわめてあやふやな情報しか与えられないわけです。
はい。
以上 4つ……
①「暗号」
②仲が良すぎる家族というテーマ
③階段というモチーフ
④誰かが欠けた家族
これをですね、小津安っさんは「母を恋はずや」で発見してしまったわけですね。
これはとんでもない傑作といってよいのではあるまいか?
すべては「母を恋はずや」から始まった
そう言いきってよいのではあるまいか??
□□□□□□□□
はい。
はじめからみていくことにします。
12、「母を恋はずや」(1934)
「塔」とは関係ないんですが……
しょっぱな、松竹の画面がなんともファシストっぽい勇ましさです。
鷲🦅……
が、政治信条うんぬんではなく、
この当時、こういうのがカッコよかったとみるべきか。
「小津安二郎全集・上」によると
シナリオの表紙に 「東京暮色Ⅰ」なるサブタイトルがつけられているとか。
もちろん戦後「東京暮色」なるタイトルの作品を撮るわけですから、
やっぱりこの作品にはなんらかの思い入れがあったとみるべきなのではなかろうか??
S25 傍
老小使、貞夫に声をかけて、
「お父さん、今朝は何とも
なかったのかね?」
貞夫、頷く。
老小使さん、
「分からないもんだねえ……」
と言う。
校庭のシーンで 主人公兄弟(子供時代)が、
塔(樹木、坂本武)を見上げるショットがあります。
話題がわき道にそれてばかりいますが、
「全日記小津安二郎」1934年4月……
四月二日(月)
二日 野田よりとく来る
父やゝ快方 愁眉ひらく
一日家にてこんてにていかく
仕ごと 中止
十時二十分 急に父苦しむ かくて
午後十一時十五分 父死す行年六十九
心臓狭心症なる由
臨終まことに苦悶の色あり 涙新たなるものあり
四月三日(火)
赤羽小学校の校庭ロケーションのところ中止 細雨まことに美し
会社より清水 野田 青木 原 根岸 佐々木など来る 通夜
父親の死で一旦とりやめになったのが
このシーンだったのではあるまいか?
フィクション世界で「父の死」をめぐるシーンを撮ろうとしていたら
実際の「父の死」にめぐりあってしまった小津安二郎でした。
作品に戻りまして
S27 梶原家の食堂
大きなウェストミンスターの時計で、
上流階級の邸宅を示すというパターン。
後年「晩春」のアヤちゃん(月丘夢路)の家でも用いられました。
これがトーキーであれば、ウェストミンスターチャイムを厳かに鳴らしたことでしょう。
もちろん「塔」(時計)のショットです。
S28 煙草の棚
その横にかけられた父の写真。
と、シナリオにはありますが、
横ではなくて 上ですね。
遺影。
これも「塔」のショットとみていいのではないか?
それを裏付けるかのように 暖炉の上には細長い物体ばかり置いてあります。
写真の下にある箱には パイプがたくさん入っています。
遺品のパイプというのは、「秋日和」(1960)に出て来ましたっけ。
「遺影」=「塔」
それを裏付けるかのように、
岡崎(奈良真養)は「遺影」を見上げるのです。
子どもたち、母親(吉川満子)も遺影を見上げる。
塔のショットといっていいでしょう。
S31 父の写真(ロング)
その前へ行って「行って参ります!」をやる。
「行って参ります」 このセリフを「東京物語」の香川京子も口にすることになるわけですが。
まあ、左巻きの批評家ならば……
この遺影は究極的には天皇の御真影にまでつながり
大日本帝国の家父長制封建主義を、うんぬん、とか書きそうなショットです。
まあ、何が言いたいかというと、
「制度」に従って書けばそれでもっともらしい文章が生産できるのだから、
左翼というのは楽な商売だな、ということです。
S34 ぬかるみをびしょびしょ歩いて行く兄弟
シナリオでは雨の場面ですが、
プリントは雪の場面。
いい具合に雪が降ったので 急遽変更したのかな?
にしても、
お屋敷街+雪
二・二六事件みたいな雰囲気です。
えーしかし、さすがトマス・ピンコです(笑)
「塔」は「塔」でも この電柱。
これは十字(+)であることを発見してしまうわけです。
これをお読みの皆さんは 「こじつけだな」と思われるかとおもいますが、
段々おわかりいただけるかとおもいます。
これは「+」なのです。
シナリオには書いてないが
S39のあたりのショット↓↓
これも「塔」ですが、
「母を恋はずや」の「塔」は
どこか横棒(-)が入るんですよね。
十字(+)に見えるんですよね。必ず。
で、
S39 一室
吉川満子と奈良真養の会話ですが、
前作「出来ごころ」同様、
日本間のシーンは、上下方向の視線の交錯です。
吉川満子 上を見上げる。
奈良真養、見下ろす。
見事に視線がかみ合っていない(笑)
奈良真養 腰を下ろす。
ここで視線が平らになります。
平らになった途端、
吉川満子は重大発言をするわけです。
「実はたった今
貞夫にひどく叱られたとこなんでございます」
「貴方様のお骨折で
予科の時には分らないで
済んだのでございますが……」
「今度、本科になる手続きの事
から、戸籍謄本を見られて
しまいまして……」
貞夫(大日方伝)は母親(吉川満子)と
血がつながっていないことを知るわけです。
岡崎の小父さん(奈良真養)
すっかり荒れてしまった貞夫(大日方伝)に会いに行きます。
S40 貞夫の室
乱れた室内。
貞夫が不貞腐れている。
例の日本間の基本。
上下方向の視線の交錯です↓↓
やや! 「非常線の女」の白いポットもあるぞ!
などとおもっていると、奈良真養がしゃがみこみまして
視線が平らになります。
「こんな事は、最後までかくせる
ものじゃありません」
「どうせ分る事なら何故もっと
早く知らせてくれなかったんです!」
「僕は馬鹿にされた様な気がするんです!」
などという貞夫君の甘ったれたセリフ。
貞夫君の部屋は 小津安っさんその人の部屋も反映しているのか?
深川の小津邸の部屋を?
個人的に気になってしまうのは 手前の立派そうな火鉢で――
「全日記小津安二郎」1933年12月……
十二月一日(金)
母と三越に火鉢を買いに行く約束だつたけれど
雨やまず憂陶(鬱陶)しく やめて 昼寝をする
あるいは1934年2月
二月九日(金)
所長と共に帰る ぶらぶら土橋畔のたくみに行き
火鉢その他買ふ
「火鉢」にはとにかくこだわっていたようなのです。
小父、キッとなって貞夫に言う。
「多年のお骨折りに対して
それが君の返す言葉か!」
貞夫、チラと岡崎を見たが、くさってごろりと横になる。
そして背を向ける。
と、いうブルジョワ坊ちゃんの甘ったれシーンが続きますが、
十字(+)を発見してしまうわけですね。背景に。
お読みいただいているあなたも
そろそろ納得がいったのではないでしょうか??
明らかに意図的に暗号を隠しているわけです。
ああ。そうそうお気に入りの通風器(塔)もありますね。
深川の小津邸に由来しているのかしらねえ??
まあ、なんのかの小父さんに怒られて
謝る甘ったれ坊ちゃん。
通風器がカラカラ廻っております。
そして吉川満子のセリフに
「3」が出現する。
S41 郊外の道
引越しの荷をつんだトラックが走る。
貞夫が荷物の上に乗っている。
……とありますが、プリントでは乗ってはいないようにみえる。
もとい、傑作「生れてはみたけれど」 冒頭のシーンの再演です。
つくづく昔の日本の道はひどかったというのがわかりますが、
「塔」のショットですね。
繰り返しますが、「母を恋はずや」の塔は 十字(+)を隠しております。
あと、斜めになっていることが多いような気がする。
踏切、好きですね。
とんでもなく美しいのが 小津安二郎の鉄道のショットの特徴でしょう。
鉄道が目の前を走っている 中流階級の家。
「生れてはみたけれど」の見事なパロディで
「生れてはみたけれど」の斎藤達雄一家は 階級的に上昇して中流階級の家にたどり着くわけですが、
「母を恋はずや」の吉川満子一家は 没落して中流階級の家にたどり着くわけです。
女性に男物の帽子をかぶせるという 毎度のおなじみのやつ。
ただし、吉川満子なので
八雲恵美子(「その夜の妻」)や高峰三枝子(「戸田家の兄妹」)みたいに
かわいいわけではない。
これも「塔」のショットとみていいかな?
「出来ごころ」の伏見信子の 日本髪を強調したショットみたいに。
S49 ベーカリーの中(学校附近)
弟・幸作役はおなじみ三井秀夫。
この人は「非常線の女」に引き続き、兄貴的なキャラクターに対して
どこか同性愛的な感情を抱いている風に演出されています。
それがまあ、異性愛に発展するのは 次回の「浮草物語」なわけですが。
フロイト的なたわごとを書きましたが、
みなさん、お気づきでしょう。
「+」なんですよ。
島津家の家紋みたいですが。
念を押すかのように
「十時」という字幕が出て来ます。
ようは友達同士で伊豆に遊びに行こうという相談です。
S50 窓ごしに見える隅田川
という、これまた美しい「塔」のショットですが、
「全日記小津安二郎」1934年3月
三月三日(土)
隅田川の日大の艇庫に行つてみる
とありますが、
その艇庫からの風景なのか?
そうではないのか?
次回に続きます。
このペースで書いたら、
全作品、一体いつ終わるのだろうか?