「出来ごころ」の分析は 今回でおわり。
個人的に「浮草物語」が好きなもので
(八雲恵美子&坪内美子がたまらんのだとおもう)
「出来ごころ」はあまりみていなかったのですが――
丹念にみていくと、
なんとまあ、緻密に作りこまれていますねぇ、この作品。
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谷麗光の床屋さんでおめかしした喜八さん(坂本武)ですが、
おとめ(飯田蝶子)から
「あたしとしては 次郎さんに貰ってもらえば 有難いんだけど……」
「永年の誼(よしみ)で、お前さんから 何とか話して貰いたいんだけど、
見込まれたと思って 骨折っておくれよ」
等々いわれ、春江(伏見信子)のことをあきらめます。
S69 河岸(昼)
「もったいねえ事いうない!
相手はお前には過ぎものなんだぞ」
「じゃ、とっつぁん貰いなよ」
「当節の女に惚れられるなんて
よくよくの事だぞ!」
↑坂本武+塔(電柱)
↓大日方伝+塔(広告塔? 煙突等々)
大日方伝はしゃがみこんで 坂本武を見上げます。
「塔」を見上げるショットです。
……にしても、すごい帽子です(笑)
立ち上る大日方伝。
妙な帽子ですが、左の、 これまた奇妙な形の看板と対比させたかったのかな??
きっと電飾ですよね? 夜は光るんですよね??
一体なんの看板だかわかりません。
上側「ガソリン」と書いてあるようにもみえるし、
下のほうは「ビール」と書いてあるようにもみえる。
なんですか? こりゃ。
二人が正面で睨みあう――小津作品ではあんまりないシチュエーションのような気がする。
二人の背後は鉄道の高架線でしょうか?
ほんとは鉄道を走らせたかったのだが、タイミングがあわなかったとか??
そういやヴェンダースが「東京画」で すべての小津作品に鉄道が登場するといってたようにおもいますが、
「出来ごころ」どうだったかな?
ビール工場のトロッコみたいなのは登場しますが。
坂本武の背後に かすかに煙突ーー
喜八さんの心理を代弁するかのように しょぼくれた印象の煙突です。
坂本武も大げさな芝居じみた表情はしていませんね。
フツーの演出家だと、いかにもな苦悩の表情とか欲しがりそうな場面ですが。
小津はそんな野暮なことはしません。
「手前ェは、強情張りだなあ
こうなりゃ俺だって 意地張りだぞ」
「きっと、つがいにして見せるから
そう思え!」
佐藤忠男先生は 喜八ものを 「男はつらいよ」のルーツだとどこかで書いておられましたっけ。
喜八さんは寅さんのご先祖です。
S70 小料理屋の二階(午後)
やけになった喜八が飲んだくれるという場面ですが
↓↓こんな風に端正に撮ってしまうわけですね。小津安っさんは。
三味線のお姐さんが妙に色っぽいのですが、
名前がわかりません。
大部屋の女優さんかな??
S71 ガスタンクの見える場末の町
お前んちのチャン、
工場へも出ないでかあやんちばかり
行ってるんじゃないか
……などとからかわれて いじめられる富坊(突貫小僧)
子どもたちの背後に塔(電柱、煙突……)
S72 路地
富坊が駈けて行く。
……ガスタンクのそばを突貫小僧が駈けていきます。
その突貫小僧が このあと死にかけるわけですから、
やはりこのガスタンクはブラックホールかなにか
表象不可能な存在=〈現実界〉
であるような気がしてなりません。
ふたたびガスタンク単体のショット。
S74 喜八の家
親子喧嘩のシーン。
小津自身はここがお気に入りだったようで……
いい気分で女の処から帰って来た親父が子供を張り飛ばすと、子供は親父を殴り返すんだがね、そのうち親父が急にシュンとなるんだな、それをみると子供の方も親父を打つのをやめて泣き出す……という所があってね、あすこだけはプリントがあればもう一度観てもいいような気がするな。
(フィルムアート社、田中眞澄編「小津安二郎 戦後語録集成」127ページより)
などと後年語っているようです。
突貫小僧→見下ろす
坂本武→見上げる
という上下方向の視線の交錯。
大日方伝&伏見信子のラブシーンもそうでしたが、
日本間のシーンの基本は この上下方向の視線となります。
「坊や、勘弁しなよ」
富坊、涙に濡れた顔で父を睨む。
喜八、たまらなくなり、
「チャンは此頃どうかしてるんだ」
喜八の頬を涙が流れる。
富坊、その涙を拭いてやる。
上下方向の視線が 平らになると、和解です。
親父の涙を手で拭く……ここは泣けますな……
おつぎ。
S79 ビール工場内
喜八、富坊が病気になったと知らされます。
そのくだり。
坂本武+塔(電柱)
「俺のガキが病気になるって
法はねえよ」
次郎、気が気でなく、
「でも、けがしねえとも限らねえぜ」
二人の背後に塔(煙突)
それから富坊(突貫小僧)の入院、
病室のシーンなどありまして……
突貫小僧はめでたく回復しますが、病院代が払えない、という
初期小津のいつものパターンです。
S87 喜八の家(夜)
春江(伏見信子)が病院代をこしらえるといいます。
「きっとこしらえますわ」
「こんな時でもなきゃ、あたしなんかに
御恩返しが出来ゃしませんもの……」
(中略)
喜八、たまらなくなって、春江の両肩を
ギュッとつかむ。唇をふるわせつつ、
次郎の方を向いて 「なあ、おい!」
「可愛いことをいうじゃねえか!」
「こんな小娘が
大の男を助けようって言うんだぜ!」
坂本武の背後に時計が……
「時計」は「塔」の代替として登場することがありますが、
このシーンも そんな感じがする。
伏見信子の横顔がかわいいですな~↓↓
しかし、身寄りのない女の子が
大金をこしらえる、といえば
どうなるかはわかりきったことでして……
「何と言い訳しようと、
他人(ひと)は俺達二人で
手前を喰い物にしたとしか
思やしねえや」
「なあ、分るか!」
「女の身空で、
まとまった金を作ろうとすりゃ
どうなるかぐれえのことが、
分らねえのか⁉」
「どうなろうと、あたしの事なんか
構わないじゃないの!」
「どうせ、あたしのことなんか……」
ここは次郎の部屋でのラブシーン(S60)を、
なんといいますか、
引っくり返しているわけですね。
伏見信子→見上げる
大日方伝→見下ろす
――だったものを、
伏見信子→見下ろす
大日方伝→見上げる
に、引っくり返しています。
二人の背後の時計(塔の代替物)が、効いているとおもいます。
ここです、ここです↓↓
大日方伝がしゃがみこむことで
S60の視線が ひっくり返るわけです。
手をごにょごにょ
見上げる大日方伝。
抱き合う二人 背後には時計
「その金は、俺が心配するよ」
「手前にはてんで俺の気持が
分らねえのか」
春江、次郎の真心を解して、微笑する。
S92 床屋
床屋の親方にカネを借りる次郎。
谷麗光の脇に写っているのは、
「浮草物語」に登場するアレかな?
突貫小僧が大事にしているアレ??
で、次郎の用意したカネで
めでたく富坊は回復するわけですが、
次郎はカネを返すために北海道へ行くという。
喜八が急いで次郎の家に行くと――
S94 次郎の家の表
次郎は留守で、夜空に淡く消える花火。
「東京の合唱」において
「花火」は「塔」の代替物としてあらわれました。
主人公たち、上を見上げる……
→視線の先には巨大構造物(塔)……
という黄金パターン。
なにかを喜八は決意したのでしょうか?
というか、このシークエンスが用意されているからこそ、
このあとの喜八の行動をわれわれはすんなりと納得して観ることができるわけです。
このあと、坂本武
大日方伝をぶん殴って失神させ、
自分がかわりに北海道へと行くことにします。
S96 おとめの店
「俺が行くことにしたよ」
「ガキはよろしく頼んだぜ」
おなじみクラブ歯磨。
これも塔でしょう。
「酔狂で行くんだ、
ほっといてくんなよ」
喜八、バスケットを持つと、一気に走り去る。
皆、後を見送り呆然となっている。
富坊、泣き出してしまう。
ややあっておとめも涙を拭く。
床屋の親方、夜空に消える花火を見る。
「酔狂」というコトバが
小津作品の主人公たちの行動規定・規範なのでは?
と思えなくもないところです。
「東京の合唱」の岡田時彦(社長に反論して会社をクビになる)
「非常線の女」の田中絹代(逃げずに逮捕される)
そして 戦後 紀子三部作の原節子……
酔狂で行くんだ、
ほっといてくんなよ
小津安二郎自身、
チョイト戦争に行って来ます
と笑顔で戦場に行った酔狂の人でありました。
S97 北海道行汽船の船室
「済まねえけど、
俺は先へ帰らして貰うぜ」
と船室を出て行く。
人夫二、三人驚き、後をつけて行く。
喜八、敏活に甲板に着物を脱ぎ、いきなり水中に身をおどらす。
一同「あれよ、あれよ」と騒ぐ。
ほど経って、ぽっくりと水面に浮かび上がる喜八。
まあ、見事なまでに「塔」状の樹木が並んでいます。
S98 対岸
ポプラが風になびいている。
で、終わるんですけど……
以下、トマス・ピンコの勝手な感想を書いてしまいますが、
何度見ても「あの世」の光景のような気がしてしょうがないんですよね。
三途の川の光景。
実際の喜八さんは北海道で死んで、
魂だけ 愛する息子のもとに戻っていくのではないか?
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ああ、そうそう、
この映画の最後のセリフ(サイレントなので字幕ですが)は、
「よく出来てやがら」
抜手を切って、対岸に泳いで行く。
と、「出来」がはいっているんですね。
あとは全部チェックしたわけじゃないですけど
S32 「本当に、ガラクタな父さんにしちゃ
出来過ぎた子供だよ」
S66 「勉強出来やしないじゃないか」
S87 「こんな時でもなきゃ、あたしなんかに
御恩返しが出来ゃしませんもの……」
と、「出来」づくしになっております。
(ほかにもいっぱいあるとおもう)
本当によく「出来」た作品です。