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塔の作家・小津安二郎 その13 「浮草物語」①  暗号は平行線(=)

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13、「浮草物語」(1934)

 

その10で 失敗作「母を恋はずや」を 「すべてはここから始まった」などと持ち上げましたが――

この↓↓

ドンゴロスをバックにしたタイトルというのも

あるいは「母を恋はずや」から始まったのかもしれませんね。

なにぶんプリントが失われているので確かめようがありません。

 

蛮友社「小津安二郎・人と仕事」は

1934年以降……つまり「母を恋はずや」以降、

浜田辰雄が美術監督をつとめるようになったことを重要視しています。

 

小津映画の美術監督として、この年以来のコンビになった浜田辰雄は、河野鷹思・金須孝・水谷浩らの美校での一年後輩で、温厚な性質で、外から見ると、小津組を「押しつけられた」という印象もあった。個性の強い金須孝らには、小津監督は「やりにくい」相手であった。「やりたいことが、やれない」相手であり、「やっても、つまらない」程、この監督のイメージが強固で不動で、趣味的であった。

(蛮友社「小津安二郎・人と仕事」472ページより)

 

あと、この作品のスタッフに関して もう1点書きますと、

キャメラの茂原英朗がこの作品で小津組に復帰しています。

「非常線の女」以来の 小津―茂原コンビとなります。

茂原はどうも 海軍の遠洋航海撮影のためドイツに行っていたらしいです。

あれかな? 海軍兵学校の遠洋航海かな?

 

えーさて、

以下シナリオ順に作品を見てまいりますが……

 

S1 田舎の小駅

深夜の感じ。橘座の男衆が煙草を吸いながら終列車を待っている。

 

という風情のあるシーンからはじまるわけですが……

このショットはどこで撮ったのでしょうか↓↓

セットにしてはなんだか雰囲気がありすぎるのだが……

 

↑時計のショット

↓「塔」のショット

 

前作「母を恋はずや」から 小津安っさんは作品中に「暗号」を仕込み始めた、

と書きました。(ちなみに「母を恋はずや」の暗号は「+」でした)

この作品の暗号を最初に書いてしまいますと――

「平行線」

となります。

 

◎「浮草物語」は平行線(=)の映画である。

それはおいおい確認していきましょう。

 

列車が来て、駅員さんたちがホームへ向かいます。

 

「平行線」が暗号と書きましたが……

この駅員さんのショットのように 人物たちが同じ方向を向く

視線が同一方向

というショットがこの映画、異常に多いです。

 

柱、そしてレールという「=」(平行線)↓↓

 

……「全日記小津安二郎」1934年

十一月十七日(土)

成田の二つこちら 安食の駅に電気を下して ファストシーンをとる

車にて 蒲田から 三時間半

蒲田に帰つて 暁までねて カットにかかる

 

「小津安二郎物語」p196で

厚田雄春キャメラマン(当時は助手)が 木下駅だといっていますが、

「全日記」も「小津安二郎・人と仕事」も 安食駅だと書いてますので、

安食なんでしょう。

 

安食(あじき) 木下(きおろし) どっちも難読ですね。

イバラキ県南の人間にとっては 木下(きおろし)街道という道の名前には馴染みがあります。

木下街道は千葉県北のメインストリートなので

厚田さんはそれでなにか勘違いしたのかもしれない??

 

どちらにしても信州の山奥ではなく、成田線の駅で撮影したようです。

 

喜八の一座ががやがや降りてきます。

ここも安食駅なのか?

キャスト勢ぞろいで蒲田から出かけたのか?

ちょっとわかりません。

 

「鉄道」に関しては 常に「ホンモノ」を使う小津組。

やっぱりキャスト総出で 千葉の田舎へ出かけたのか?

日記には「大井車庫」「大井の工場」などという記述も見えるが、

これはきっとラスト(S100)の 坂本武&八雲理恵子の車内のシーンだよなあ?

 

あ。

わき道にそれてばかりですが、

八雲姐さん。

「東京の合唱」では八雲恵美子表記だったですが、

「浮草物語」では八雲理恵子表記ですね。

改名した由。

 

のちのはなしですが、 坪内美子も 坪内美詠子に改名しますね。

まあ、この人の芸名の由来は……

ご存知ない方はウィキペディア等ご覧ください。

 

おとき――坪内美子たん、登場。

わたくし、

この子のおっとりした喋り方が好きなので、トーキーでないのが残念。

 

この人、「浮草物語」「一人息子」「戸田家の兄妹」「晩春」「宗方姉妹」と、

意外と小津作品登場回数が多い。

 

最後に子供を背負って下座のとっさんが出て来る。

小屋の男衆、近付きお互いに心安く会釈し合う。

男、ふと、子供の富坊を見て、

「坊主、随分とでかくなったなあ」

とっさん、嬉し相に、子供をゆすり上げて、

「満四年来なかったからな

こいつも九ツになったぜ」

向うの椅子で、おときが包みを結んでいたが、

終って皆に「お待遠う」と言って立つ。

小屋の男衆、おときを見ていて、とっさんに、

「そら豆みてえな子だったけど

いい娘になったなあ」

と感心する。

 

長々引用しましたが、このくだり――

かなり重要なのです。わたくしのみるところ。

 

なにが重要かというと、この作品――

上下方向の視線の交錯が極端に少ない。

のです。

 

視線の交錯はほとんど水平方向です。

なので↓↓

突貫小僧は

かならず谷麗光の背中におぶさっていなければならない

……わけです。

もし、このシーンで突貫小僧が起きていて 地上を歩いていたとしたら

このシークエンスは、

「見下ろす男衆のショット」→「よう、小僧。久しぶりだな(タイトル)」→「見上げる突貫小僧のショット(笑顔)」

などという構成になり、

上下方向の視線の交錯が発生してしまうからです。

 

――などと、わたくし、トマス・ピンコは推理いたしましたよ。

そして 水平方向の視線の交錯は当然、「=」平行線という暗号に関わって来るのだとおもいます。

 

ちなみにわたくしのいう 「上下方向の視線の交錯」

というのは、

 

「人物A見上げる」→カット→「人物B見下ろす」

「人物B見下ろす」→カット→「人物B見上げる」

この運動をいっております。

(「出来ごころ」の大日方伝&伏見信子のラブシーン

あるいは「母を恋はずや」の大日方伝&三井秀夫の兄弟げんかのシーンを参照のこと)

 

同一ショット内で 2人以上の人物が写っていて、

見上げる・見下ろすという運動が起こっている場合は含みません。

たとえば この↓↓坪内美子の見上げるショットのようなことです。

 

まあ、ややこしいのであとで追加で説明します。

 

S4 村祭りの幟

 

電柱・幟が「塔」です。

あと二本の幟が「=」平行線です。

 

S6 ビラ

「市川左半次一座

当る七月七日より

於橘座」

 

このビラと実際の舞台のギャップがすごい……

誇大広告……

戦後の「浮草」ですと このビラもウソじゃないでしょうが……

 

まあ、重要なのはそこじゃなくて

↓↓うどんの看板が、平行線「=」です。

 

S7 床屋の中

 

ここも、先ほどの駅員さんたちのショットのように

「視線が同一方向」

というのを描きたかったのだとおもいます。

 

お客も床屋のおじさんも鏡の方向を向いて

鏡の方向に視線が行くわけです。

 

S8 外

三枚目のマア公が、人力車に乗って町廻りしている。

太鼓をたたき、ビラを撒く。

 

電柱、幟……「塔」のショットです。

右端。

床屋さんの、あれ。

そうか、だから床屋さんが選ばれたのか。

 

床屋さんのおかみさんが「塔」を見上げるというショット。

背後にも「塔」がみえます。

通風用の設備か?

煙突?

 

おかみさんは青山万里子さんという女優さんだが、

後年、小津作品に出まくりの高橋とよさんに、なんというか体格的に似ていらっしゃる。

 

そういや、男性デブキャラの大山健二はいつのまにか小津作品に出演しなくなってますな。

主人公・坂本武となんだかキャラが被るから? でしょうか?

 

谷麗光が準主役の「出来ごころ」「浮草物語」に

(痩せた体型がよく似た)笠智衆がほとんど出てこない、というのも同じ事情かな??

 

「お前んちに、姉さん居るかい?」

子供、首をふる。マア公「じゃ駄目!」

とビラをやらない。

 

繰り返しますが……くどいようですが……

このように↓↓

ワンカット内に複数の人物があらわれ、

会話がおこなわれる場合、

当然、「上下方向の視線の交錯」

というのが起るんですけど――(以下、S13の分析につづく)

 

S11 楽屋

ひたすら「平行」です。

 

S13 楽屋

 

上のマア公のシーンからのつづき……

ですけど、

「突貫小僧のショット」→カット→「谷麗光のショット」→カット

というように構成される会話シーンでは

あくまで 視線は「水平」なのです。

 

つまり、突貫小僧が座り込んでスイカを喰っているというのは

「自然主義的」な描写ではなくて、ですね、

「こうするのがリアル」などというその場でおもいついた描写ではなくて、ですね、

小津安っさんが考え抜いたポーズなわけです。

 

視線を水平にしたいために

突貫小僧は座っている。

のですよ、ここは。

あくまで構図至上主義の結果なのです。

 

「出来ごころ」では、突貫小僧は立って 坐っている親父の顔をぶん殴ったわけですが、

そういう「上下方向の視線の交錯」は この「浮草物語」では封印されているわけです。

 

そういう風にみると、背後の(おそらく小津自身の手になるとおもわれる)

落書き調の人物像も

「視線をみてくれ」というメッセージのようにおもえなくもない。

 

で、当然、谷麗光も立ったりしちゃダメなわけです。

あくまで座り込んでいるわけです。

 

富坊、まだガツガツと西瓜を喰っている。

とっさん、見てとがめる。

「やたらと喰やがって

又、晩に寝小便するなよ」

 

しかし、この作品の谷麗光は妙にかっこいいんだよな。

キザな勘違い野郎とか ダサい金持ちボンボンとかを

やらせられることが多い人ですが、

 

「浮草物語」のとっさんは いつもの役とは違って、

哀愁があって、妙にかっこいい。

 

突貫小僧のネコの貯金箱は――

 

「出来ごころ」の床屋(これまた谷麗光)のシーンのあれか?

とおもったが、

微妙に違うかな??↓↓

 

で、なんだかエロい お灸のシーン。

 

S14 楽屋の奥

喜八、熱くて我慢出来なくなる。

おとき、困る。

おたか、傍からおときに、

「構わないからもっと大きいのを

すえておやりよ」

 

これも人物が同一方向を向く、というショットです。

 

ちょっとややこしいかとおもえますので

ここらへんで今までの論旨をまとめますと――

 

「浮草物語」の特徴

①「平行線」(=)という暗号

②二人の人物の会話のシーンでは、視線が「水平」である。

③複数の人物が「同一方向」を向くショットが異常に多い。

 

ということになります。

②③は当然 「平行線」という暗号、というか「テーマ」に深く関わっているわけです。

 

とにかくこの楽屋のシーン

視線を水平にするために……上下方向にさせないために……

 

人物はとことん坐るか、しゃがむか、という姿で描かれます。

 

この坪内美子たんのショットなんぞ↓↓

お尻の曲線とか(!!)

たまらなくセクシーですが、

 

たんに「新人女優をかわいく撮ってくれ」という

撮影所の希望のまま撮られたショットではないわけです。(とうぜんそれもあるはずですが)

あくまで小津は小津のテーマがあって、

その「平行」というテーマに沿ったショットなわけです。

 

坪内美子は立ってしまってはいけないわけです。

 

しかし、このスイカの位置が完璧すぎる――……

ああでもない、こうでもない、と動かしたのだろうなあ……

 

八雲理恵子も坐ってますよ、当然。

 

「余計な事、言ってねえで

着物出してくれ」

おたか、怪訝に「え?」と見返す。

喜八、言う。

「土地の御贔屓さん方へ

一寸挨拶に行って来るんだ」

 

というあらすじ上は重要なところですが、

以前は「上下方向の視線」で描いていたこのような部分も

あくまで水平です。

 

S15 道

喜八が頭に手拭をのせて暑そうにとことこ歩いて来る。

 

というシーン。

どこで撮ったんですかね?

撮影は1934年9月おわりだとおもうのですが……

上田、丸子などという地名がみえるので まあ、信州のどこかなのでしょう。

 

小津のロケ撮影は スカッと視界が開けることはほとんどなくて

いつも閉塞感……というか、

囲まれた場所を描きますね。

 

幟という「塔」ですね。

 

S19 奥の座敷

かあやん、飯田蝶子の家ですが……

われわれは背後の「平行」(=)に目が行ってしまうわけです。

白く輝く平行線に。

 

二人の会話は当然水平。

 

「俺も近頃、肩がこるんで

毎日、お灸をすえてるんだ」

 

会話の中身も お互い年を取ってしまったという愚痴……

神経痛だの肩こりだの 「水平」といっていいかな。

 

S22 土間

 

喜八(坂本武)とおつね(飯田蝶子)の息子 信吉(三井秀夫)が登場。

 

「何んてったって、来年は検査だもの」

喜八、いよいよ感心する。そして信吉の背中を叩いて、

「甲種だな」

と言う。

 

ここも二人が同一方向を向く、というショット。

 

階段。

平行線(=)でもありますな。

 

「母を恋はずや」以降 重要なモチーフとなる「階段」です。

 

「出来ごころ」のラストの川が

なんだか三途の川……「死」の匂いがぷんぷんしていたように

 

「浮草物語」の喜八もやっぱり

「死」の匂いがぷんぷんします。

 

死んだはずの男、として登場するわけです。彼は。

 

「やくざな河原乞食の親父なら

ない方がましだよ」

 

という今だと完全にアウトなセリフ。

だが、

今の……完全に調子に乗った「芸能人」「タレント」どもをみると

こういう自覚のある「芸人」のほうが 何十倍何百倍も美しいとおもうのだがな。

 

S25 座敷

「今とても、鮠(はや)が出るんだぜ」

「おじさんも行ってみないか」

 

という親子の会話なのですが……

 

視線が「水平」方向の「浮草物語」……

唯一の例外が 三井秀夫でしてーー

 

このシーンと ラストのあたりで

「上下方向の視線の交錯」が起ります。

いずれも三井秀夫がからんでおります。

 

↑坂本武、見上げる。

↓三井秀夫、見下ろす。

 

つまり、二人の微妙な関係を強調するために

「上下方向の視線の交錯」を使っているわけです。

 

S26 河

 

で、誰もが感嘆する、釣りのシーン。

 

これまた 同一方向を向くショット。

 

S27 橘座 舞台

マア公や吉ちゃんが、馬のぬいぐるみで馬の足の研究に余念がない。

 

というのですが、

「同一方向」を向いているし、

「平行」(=)だし、

これまた完璧なチョイスです。

 

さらにいいますと、

 

まあ、撮影助手というと聞こえはいいけど、便利屋みたようなもんで何でもやらされました。たとえば『浮草物語』は旅役者の話ですから、芝居の舞台が出て来ます。で、ぬいぐるみの馬が出てきて、中に人間が入って歩くとこがあるでしょ。あの後脚やってる役者が山田っていう人なんですが、それがどうもうまく行かない。だから「なんだってんだ、馬の脚ぐらい出来なくて。そんなもんじゃない」っていったら、それを聞きつけて、小津さんが「じゃあ、厚田やってみるか」。 しょうがないから、ぼくが後脚になったんです。そしたら、また小津さんがからかうんですよ。座って横腹のところを足で掻いてみせろってんですよ(笑)。そりゃあ、まあ一、二、一、二でやって、やっとうまく行ったんですが……。

(筑摩書房、厚田雄春/蓮實重彦「小津安二郎物語」29ページより)

 

レンズの側にはいないはずの男が

レンズに捉えられているという貴重なショットであるわけです。

 

S28 客席(夜)

お客が相当入っている。(移動)

 

という移動撮影。

 

客が皆 同一方向を向くというショット。

 

S29 舞台

 

舞台の上でも同一方向を向いている。

いい女がいないか、みているんですけど。

 

S32 客席

お客、拍手し、中の一人、

「高嶋屋!」と声を掛ける。

 

笠智衆の登場はこの1シーンだけです。

 

今回はこれまで。

 


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