「浮草物語」の分析、つづけます。
前回書きました この作品の特徴、繰り返しますと――
「浮草物語」の特徴
①平行線(=)という暗号
②二人の人物の会話のシーンでは、視線が「水平」である。
③複数の人物が「同一方向」を向くショットが異常に多い。
――となります。
S35 舞台
喜八、石を拾って富坊に投げる。富坊、受け止める。
喜八「こん畜生、仕様がねえ……」
とキセルで富坊の頭をなぐって叱る。
富坊、立ち上がって泣き出す。
というちぐはぐなお芝居。
これも「平行」とみていいのかな??
平行線は噛みあいませんからね。
S39 楽屋
おたかとおとき、次の出の化粧している。
おたか、外の雨に聴耳をたてて、
「本降りになったねえ」
おとき「ええ」と顔をしかめて
「旅で雨は、やり切れないわね」
と言う。
というのですが――
坪内美子たんの足が撮りたかったのだろうとおもう(笑)
ローポジションならではの足裏ショット。
ちなみに
戦後のリメイク「浮草」を ざざっと見直してみたが、
若尾文子たんの足は撮ってなかった(笑)
他社だから遠慮したのか?
「小津安二郎・人と仕事」では
真夜中に何度か電話をかけてきたことがあったと
「巨匠」らしからぬ不届きな行為を若尾文子が証言しているから
若尾さんに遠慮したわけではなかろう。
もし撮りたかったのだったら「撮らせて」といってるはず(笑)
もっとも小津安っさんは文子たんの「お尻」が気に入っていた由(笑)
「浮草」の 京マチ子&若尾文子のほうが 華やかさは一段上ですが、
「浮草物語」の 八雲理恵子&坪内美子も しっとりとして なんともいい雰囲気です。
あ。当然 二人が「同一方向」を向くショットですね。
S40 窓外
降りしきる雨。
「平行」ですね。
「窓の桟を撮ってるんだから平行にきまってるだろ」
と考える方もおありでしょうが、
「雨」を表現するのに他にいくらでも方法はあるはずなのです。
濡れる屋根瓦を写す方法もあるし、
水たまりの波紋を撮ってもいい。
街を行き交う人々が傘をさして小走りに……というショットもありうるわけです。
だが、↓↓
平行(=)という暗号をここに入れたかったから、窓のショットとなったのです。
S44 舞台
「どうも皆さん お騒がせして済みません」
とペコペコ頭をさげる。
横で、富坊も客席の方へペコペコ頭を下げている。
「平行」であり、「同一方向」を向くショット。
突貫小僧が股を掻いてますが
突貫さんに限らず「掻く」という動作が多いな、この作品は。
S46 楽屋
「よく降りやがるなあ」
吉ちゃんが腐ってそう言う。そして続けて、
「こりゃ、高崎の二の舞いだぜ」
と言う。
すごい構図。
吉ちゃん役 西村青児という俳優さんだが L字……直角になってますな。
西洋間ではできず 日本間ではできる構図。
天ぷら食いたい ウナギの白焼き食べたい
タバコがない 金がない という会話で――
谷麗光が、
おなじみの「塔」を見上げるショット↓↓
とっさん、上方を見て「うん」と思いついた様に頷き立ち上がる。
屋根裏の横桟に、富坊の猫の貯金箱が置いてある。
とっさん、そこから金を抜き取る。
一同の方へ「どうだい!」と得意になったが、ハッとし慌てて猫を置き戻し、取り澄ます。
子どもの方が 大人よりカネを持っているという
アイロニックなシーンですが――
現実の世界でも 彼ら端役俳優よりも(失礼!)
人気子役の突貫小僧のほうが稼ぎが良かったのではあるまいか??
富坊が入って来る。猫を見て、とっさんに、
「ちゃん、俺の金出しただろう!?」
と「返せ」とせまる。
とっさん白を切る。
富坊、許さず、
「さっき、猫、向う向けといたのに
こっち、向いてるじゃないか」
と言う。とっさん、仕方なしに金を返す。
突貫小僧の「塔」をみるショット↓↓
猫の貯金箱という「塔」の代替物。
前作「母を恋はずや」では 大日方伝がクソ真面目な顔で 気象台の「塔」を見上げていましたが、
「浮草物語」の 「塔を見上げるショット」は、
このシーンのように 「塔の代替物」ばかりです。
「塔」自体はたくさん出て来るのですが、
「水平」の視線の物語のせいか?? 純粋な「塔を見上げるショット」は
姿を見せなくなっています。
また、これまたマニアックな話題ですが――
このS46にしろ、冒頭のS11~S14にしろ、
楽屋のシーンは
しきりに「ドンデンを返し」て
このリズムは「晩春」以降のすさまじい 「カット」→「カット」→「カット」の萌芽なのかな? とおもえます。
さらにいうと、このセット。
ホンモノ同様に作られている、わけで……
そのあたりもマニア目線からすると 「すごい……」と唸るより他ないわけです。
普通 セットといや 家屋の「断面」で天井なんぞはつくらないわけです。
(普通カメラ位置はローポジションではないので天井は写せない、存在する必要はない)
ところが この楽屋のセットは 四方きちんと作ってあって、天井まできちんとあるわけです。
(猫の貯金箱はこの天井を強調するためにあるともおもえる)
ものすごいオンボロにみえて、実はものすごく豪華……
というのがこの楽屋の正体なのです……
このあたりも、「小津安二郎恐るべし……」と同時代の映画人を驚嘆させた要素なのでしょう。
子どもから金を奪おうとして失敗した負け犬一同。
おたか(八雲姐さん)から 煙草をいただくことに成功します。
が――
吉ちゃん、おたかに、
「しかし、親方も、のんき過ぎるぜ」
とごてる様に言う。
「御難、喰ってるのに、自分ばかりは
毎日、飲みに行ってるんだからなあ」
おたかも腐って頷く。一同、不満そう。
と、とっさん、
「そりゃ此の土地へ来たら
仕方がねえよ」
とうっかり言う。一同「え?」と見る。
とっさん「いけねえ」と口をつぐむ。
んー
S14の しゃがんでお茶を入れるところもそうだったが、
なにかと坪内美子たんのお尻の曲線を撮っているような気がする(笑)↓↓
え、さて――
ここまでピチピチの新人さん、坪内美子ばかり目立っていたのですが……
ここからは八雲理恵子劇場。
気まずくなって一階へ逃げた谷麗光を
八雲姐さんが追い詰めます。
ここは、セリフのない無言劇がしばらく続くので――こわい……
シナリオですと、
とっさん来て、湯わかしに水を入れる。
冷汗をふく。
ハッとする。
と、おたかが立っている。じっと見て、
「お前さん、今、妙なこと言ったね」
とっさん、困る。
おたか、
「何かわけがあり相じゃないか」
注目ポイントは
八雲理恵子をきちんとしゃがませるところでしょうねえ。
あと、谷麗光に喉仏だけで芝居をさせているところ↓↓
ですかね。
表情はほんの少しこわばらせているだけですね。
前作、前々作ですと、
八雲理恵子を立たせて、上下方向の視線の交錯で処理したかもしれないこのシーン。
八雲姐さんはしゃがんでいますから、
「浮草物語」はあくまで「水平」なのでして……
しかし水平の視線のほうが、迫力があるかな、八雲姐さん。
ものすごい美人で、この微笑というのは……こわい……
まあ、あっさり谷麗光を買収して情報を聞き出します。
シーンかわりまして……
ここも、飯田蝶子うまいなぁというところ……
S47 小料理屋(酉屋)
おつねが、板場で料理を作っている。
ふいと、天井の方を見て笑顔になる。
この酉屋の構造は、
チャブ屋の構造から受け継がれたのではあるまいか?
とは前作「母を恋はずや」の分析で書きました。
1階:接客空間
2階:愛の空間
これを「階段」が繋ぐという構造です。
S48 二階
信吉の部屋。学生らしき室内の様子。
信吉と肌ぬぎの喜八が、とうもろこしを
噛りながら嬉々として将棋に夢中になっている。
坂本武&三井秀夫の父子が
イチャイチャしている愛の空間(失礼!) というわけです。
背景の「巳」のマークが気になっているんですけど……
はじめは「うずまき」かな?
蚊取り線香もあちこちにでてくるし……
などとおもったのですが、
成瀬巳喜男の「巳」なのかな?
ともおもいます。
「全日記小津安二郎」1934年
六月十八日(月)
成瀬巳喜男 松竹をやめてP・C・Lに行くと云ふ
それもよし
この「巳」マーク、
なにか親友「巳喜ちゃん」と二人だけで通じるなにかの暗号でもあるのか?
なんにせよ、1934年
水久保澄子退社 江川宇礼雄退社 成瀬巳喜男退社――
そして父の死……
と小津にとって別れの年でもありました。
さらにいうと、
六月五日(火)
この日東郷元帥の国葬にて休日
と、めずらしく世間のことを日記に書かない小津安っさんが
アドミラル・トーゴーの国葬のあったことを記している。
輝かしい「明治」が終わったのか?
もっとも小津安っさんはこの日 昼寝などしてブラブラ過ごしていますが。
「巳」の一字だけでいろいろ考え込んでしまうわけであります。
1階。谷麗光から情報をききこんだ 八雲姐さん。
妹分の坪内美子を引き連れて 酉屋に乗りこみます。
2階の愛の空間を見上げる二人。
「同一方向」を向くショット であり、
「塔」を見上げるショットの変奏曲でもあります。
男たちの同性愛の場ですから、女性たちに侵入はできません。
それは見あげることはできても たどりつくことができない「塔」と同じ。
んー しかし、
父ー子のシーンを「同性愛だ」などというのですから
トマス・ピンコという野郎もどうしようもないです。
さいきん、「鬼滅の刃」というアニメをようやく見始めたのですが
そこにでてくる主人公兄妹をやはり
「近親相姦カップル」
などといって、まわりを顰蹙させています。
だがまあ、誰がみたって炭治郎―禰󠄀豆子は「近親相姦」でしょうが(笑)
巳と蚊取り線香の「渦巻」コンビにも注目↓↓
おつね(飯田蝶子)から
この場所を知らないはずの
おたか(八雲理恵子)たちが来ていると知らされて――
ひと悶着があります。
S51 店
喜八、稍々うろたえて、
「何しに来やがったんだ?」
おたか「ふん」と笑って酒を飲む。
「何しにとは御挨拶だね」
僕の推測する通り この「酉屋」が「チャブ屋」の構造そのままだとすると……
このS51は前作「母を恋はずや」の
チャブ屋の1階で 大日方伝と吉川満子が
お涙ちょうだいの劇を演じる、あれの変奏曲となります。
もちろん「浮草物語」のほうが何倍もおもしろいです。
前回、
「上下方向の視線の交錯」が起るのは
信吉(三井秀男)をめぐって3パターンだけだと書いたのですが
・三井秀男-坂本武
・三井秀男-飯田蝶子
・三井秀男-坪内美子
ここもそうなっているんですけど。
登場人物が3人なので このシーンはカウントしませんでした。
まあ、ここをカウントするにせよ、カウントしないにせよ、
どちらにしても この作品「上下方向の視線の交錯」が少ないことは確かです。
――何年か前書きましたが、坪内美子のタバコのくわえ方が妙にセクシーです。
こんな場面を見ているので、
このあとのS66
「あたし、そんないい娘じゃないの」
などというセリフが生きてくるわけです。
視線が上下方向なのですが、
「下」にいる人のほうが、落ち着いていて 精神的優位に立っているというのは
「出来ごころ」の親子喧嘩のシーン
「母を恋はずや」の兄弟喧嘩のシーンに共通してますな。
ああ、もちろんここは二人が「同一方向」を向くショット、ですね。
画面の背景に「視線」をあらわす何かを置くというのは 一体何なのか?
このショットの場合↓↓ ダルマさんですが。
あと、「並行線」の柄の服・帯が画面中にあらわれますね。
喜八、無理におときを帰さす。
おとき、出て行く。
おたか「ふん」と又も盃を手にして、おつねを見て、
「おかみさんも
いい子持ってお楽しみだね」
とシナリオだと おたか(八雲理恵子)は座ったまま演技をするような感じですが――
じっさいのプリントはゆらっと暖簾をくぐりぬけて 八雲姐さんが
飯田蝶子&三井秀男の親子の目の前に姿をみせるという
なんともたまらんシーンになってます。
ここは……この八雲理恵子の迫力はすごい……
あ。もちろん「水平」の視線なわけです。
「おかみさんも
いい子を持ってお楽しみだね」
おつね、喜八、ハッとなってうろたえる。
おたか、今度は信吉に笑って、
「おいくつ?」
信吉、まごつく。
おたか、見廻し、
「お父さんは何していらっしゃるの?」
社会学的に分析するとなると、
ホンネを語らない日本社会のど真ん中に ホンネを大声で語ってしまったがゆえに
八雲理恵子は追放されるのである、とかなんとかいうことになるのかもしれないですが……
スクリーン上のことを素直にみるならば……
しましま(平行線)カップル↓↓
対――
そうではないカップル(親子) だが、背後には階段(平行)
という二人・対・二人が、「水平」の視線で会話をする、というシーンになります。
しましまカップルの方は(坂本武&八雲理恵子)
あたかも磁石の同じ極同士がはじかれ合うように
このあとケンカ別れ。
もう一方のカップル(三井秀男&飯田蝶子)は、
あとあと三井秀男が坪内美子と駆け落ちをして別れますから(←親子だって!)
背後の階段(平行)は、そのことを示唆しているのか?
ついでに今のうちにいっておくと――
坪内美子はあとあとその「階段」をのぼる特権的な人物となります。
「階段」をのぼることを許されていたのは
三井秀男・坂本武・飯田蝶子この三人だけだったのですが、
S95で 「階段」をのぼった瞬間、
坪内美子はこの家族の一員となるわけです。
そうしてみると、背後の「階段」は、
この家族のすべてを知って、背後から見守っているような気さえしてきます↓↓
とうぜん、小津の遺作「秋刀魚の味」ラストの「階段」のことを考えてみてもいいでしょう。
それとも考え過ぎなのか???
で、飯田蝶子は三井秀男を連れて奥へ消え、
坂本武と八雲理恵子 二人の対決シーンになります。
そして
戦後のリメイク「浮草」の
中村鴈治郎&京マチ子のほうが有名かもしれない、
雨の中の対決シーンへとなだれこんでいきます。
ここもまあ、あらかじめいっておくと視線は「水平」なわけです。
あと↓↓
「提灯箱」という 一時期の小津作品によく出て来るモチーフですが、
あれはなんとなく「戸田家の兄妹」以降の登場かと思ってましたが、
「浮草物語」が初登場なのかな??↓↓
空舞台のショット。
先ほども書きましたが、「階段」がすべてを見つめているかのようです。
S52 納屋の軒下
屋根からしずくが垂れている。
喜八、いきなりおたかの頬をひっぱたく。
「手前なんかの出しゃばる幕かい!」
おたか、頬を押さえ、キッとなる。
喜八、向い側の軒下から肩をそびやかし、
「俺が俺の倅と逢いに行くのに
何がいけねえんだ」
おたか、負けていず、
「お前さん、あたしに
そんな口がきけた義理かい」
「高崎の御難の時の事を
忘れたのかい」
「あの時、どうやら、
やりくりの出来たのは
誰のお蔭だと思うんだい」
「あんまり、なめた真似おしでないよ」
全集のシナリオでは おたかがとにかく言いまくって
喜八はタジタジの印象ですが、
「俺の倅と
手前えなんかとは
人種が違ふんだ!」
じっさいのプリントではこの強烈な一言を喜八が吐きます。
戦後の「浮草」の中村鴈治郎もこの一言が印象に残ります。
「ナチズムの影響である」とかなんとか偉そうなことを
誰かが書いていそうな気もしますが。
次回に続きます。