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塔の作家・小津安二郎 その20「一人息子」③ 「一人息子」は「東京物語」のルーツである。

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「一人息子」3回目。

まず、前回みた 肩たたき・支那ソバシーンなんですけど――

S60 ↓↓

 

これが「東京物語」の原節子&東山千栄子のシーンに繋がっていくわけかぁ……

ということばかりに注目してしまって、

端正な構図に目が行きませんでした。

 

人物をきっちりと 画面の対角線上にのせております↑↓

 

几帳面な画面作り――

これをわざとらしい、と見るべきなのか?

このわざとらしさが快感なのよ、と感動に打ち震えるべきなのか?

 

ま、小津嫌いの方は、「だから小津は気味が悪い」というところでしょう。

小津ファンはこの「狂気」がたまらんのですが……

 

はい。

で、以下、前回からの続き。

段々険悪なムードになってきます。

「子は親の思うようには育たない」というシナリオの主筋も

やっぱり「東京物語」に引き継がれるわけです。

 

S79 居間

おつね、来て火鉢の傍に坐る。フーッと溜息をつく。

ジッと見つめつつ埋火をかき集める。

ややあって「おッ母さん」と、良助の声。

 

飯田蝶子のすぐ横に 「負け組」の象徴であるところの「鬼の念仏」

野暮ったい説明などはせず、スマートにおつねの心中を表現します。

 

良助「どうしたんです? (柱時計を見上げ中腰になり)

もうずいぶん、遅いんですよ、おやすみなさいよ」

おつね、動かない。

良助、ジッとおつねを見つめる。

おつね、顔をそむける。

 

↓↓暗くて見えづらいが 左側、

ジョーン・クロフォードのポスターが貼ってあります。

 

「ジョーン・クロフォード」は 「鬼の念仏」と対になっていて

・ジョーン・クロフォード→夢・希望の象徴

・鬼の念仏→失意の象徴

……なのではあるまいか?? などと深読みしたくなるところです。

 

大事な場面の直前で時計を見上げる、というのは、

「東京の女」の岡田嘉子がやっていました。

トマス・ピンコのいう(笑) 「塔を見上げるショット」の変奏曲ですな。

 

親子喧嘩がはじまります。

 

S81 居間

おつね「女の手一つでおめえを東京の学校へやろうなんて、ていげいのことじゃなかったんだし、それをお前がそんな気でいてくれたんじゃ――」

と、涙ぐむ。

 

右の薄暗がりにいるのは

起されてしまった坪内美子たん。

 

良助(自嘲的に)「いやそりゃおッ母さんから見れば、不甲斐ない倅だとお思いでしょうけど――大久保先生だってあの時分はずいぶん大きい望みを持ってましたよ。その先生が東京じゃトンカツを揚げてるうじゃありませんか――あんな大きな青雲の志が五銭のトンカツを揚げてるなんて――ねえ、おッ母さん、人の多い東京じゃ仕様がありませんよ」

 

ここもやっぱり「東京物語」――

笠智衆、東野英治郎、十朱久雄のじいさん三人が飲んだくれるシーン――

S101 

沼田「いやァ、親の思うほど子供はやってくれましぇんなァ。第一、覇気がない。大鵬の志というものを知らん。それでわしゃァ、こないだも倅に言うた。そしたら倅の奴、東京は人が多ゆうて上がつかえとるなどと言やがる」

 

この東野さんのセリフに引き継がれるわけです。

 

にしても

「あんな大きな青雲の志が五銭のトンカツを揚げて」

というのは名ゼリフです(笑)

 

「一人息子」S81が 「東京物語」S101 桜むつ子のおでん屋のシーンへ変奏される。

 

1936年の「一人息子」では 親子の直接対決が描かれるのに対し、

1953年の「東京物語」では 親は親同士集って子供への愚痴を言い合うだけです。

 

しかし戦後まもなくの「東京物語」

笠智衆は息子を一人 十朱久雄は息子を二人 戦争で亡くしているという設定もあったりして

事情はかなり複雑化してたりもします。

 

おつね(強く遮り)「思うようにいかずか! そのしょうねが、いけねえだに」

良助、無言でおつねを見ている。

 

おなじみの視線の噛み合わないカットバック――

この気味の悪さがたまらん……

 

おつね「けんど、すんなことはどうだってええだ。お前せえしっかりしててくれりゃ、かあやんは家だって畑だって、すんなものはなんにもえりゃしねえだ。かあやんは、お前ぎりが頼りなんだし、すんだのに、すんだのに――すんな気でいてくれたんじゃ――」

涙が声を阻む。

 

このあたりから坪内美子がむせび泣く声が入ってきます。

トーキーならではの表現をやってみたかったのでしょう。

 

S82 次の間

杉子、たまらず咽ぶ。袂で顔を抑える。

 

ただ……唐紙を隔てて向う側にいる人物が 主人公たちの会話を聞いていてどうこう、という展開。

なにか歌舞伎だのなんだの お芝居の古臭い表現のようにも思えるな。

なんにせよ、こういうシーンは 小津は使わなくなったように思えます。

(……だよな??)

 

S85 襖に貼られた『鬼の念仏』

やがてほのぼのと夜が明ける。

工場の音が聞こえ始める。

 

深読みかもしれないが……

「〇」をあちこちに忍び込ませているように感じる。

 

次のカットも――

 

「〇」――

背後の大きな〇の正体はなんだかわからんのですが。

 

S86 附近の原っぱ

糸の染物が竿一杯に干してある。

おつねが赤ン坊のお守りをしている。

 

ここにも「〇」

 

おつね「坊や、でかくなったらなにになるだ。坊やも東京で暮らすんかね」

 

ここは、当然――

「東京物語」S51

「勇ちゃん、あんた、大きうなったら何になるん?」

「あんたもお父さんみたいにお医者さんか?

――あんたがのうお医者さんになるこらあ、お祖母ちゃんおるかのう……」

 

この名シーンに引き継がれます。

セリフは似てますが、

飯田蝶子のいうニュアンスと(蛙の子は蛙、なのか??)

東山千栄子のセリフのニュアンス(おのれの死への予感)

若干違っているというのが見事です。

 

赤ちゃんの頭が見事に真ん丸です。

「〇」

 

おつぎ。

坪内美子が着物を売って二十円という大金をこしらえます。

蓮實重彦先生が 小津映画では着るものは金に化けるということをどこかで書いていたようにおもう。

まあ、「東京の合唱」で八雲恵美子も着物を売ります。(夫の岡田時彦が勝手に売っちゃったのだが)

 

もとい、

S87 良助の家

良助、金をとり、感謝の目で杉子を見上げ、

良助「お前も行けよ」

 

杉子「私――?」

良助「なりなんかどうだっていいじゃないか、留守は前のおかみさんに頼んどけばいいよ、な、一緒に行けよ」

杉子(うなずいて)「ええ――」

と、明るくいう。

 

日本間での視線のやり取り。

坪内美子を立たせたり坐らせたりして

日守新一の視線の高さをいろいろコントロールしています。

 

おそらくこの「視線の動き」がないと 画面はひどく退屈になるのではないか?

とおもわれます。

あと、「出来ごころ」の分析のときに書きましたが

(大日方伝×伏見信子のラブシーン)

洋間ではできなくて日本間ではできる(日本映画ではできる)

テクニックとして この視線の動きを発明したのではないか?

などともおもえます。

 

で、突貫さんの登場。

初期小津において、この子の出演する率というのはものすごく高いな。

笠智衆に次いで第二位くらいにはつけているのではあるまいか?

斎藤達雄といい勝負だろう。

 

S88 おたかの家

富坊、鉛筆を削って芯を尖らせている。

〽月が鏡であったなら――と唄い出すと、

 

突貫小僧の頭が「〇」

さらに月が「〇」

 

なかなかの美声。次回作「淑女は何を忘れたか」でも歌うシーンがあるので

小津安っさん、突貫小僧の歌声が気に入っていたのでしょうか。

 

S90 原っぱ

馬がつないである。

富坊、急に元気になり、

富坊「おいッ、皆こいよ」

と、先に立って走る。

 

煙突……「塔」のショットです。

 

S91 馬のところ

富坊、得意に馬の腹など撫ぜて、

富坊「いいかい見てろよ」

と、巧みに馬の腹をくぐりぬける。

 

と、なにやらおっかないことを始めるのですが、

 

厚田:前にもお話した通り、小津さんはじめ、みんなは歩兵だったんですが、ぼくだけ特科隊というところで馬の世話をさせられてたんです。当時、野戦重砲というと、馬で大砲を引っぱってた。そんなお話すると、喜ばれましてね。ぼくが呼ばれて「馬という奴は、後脚はうしろには蹴るけど、絶対に前には蹴らない。だから前脚と後脚との間をくぐっても大丈夫なんです」と説明すると、「そいつは面白い。ひとつ、それをギャグとして使ってみるか」。

 結局、初年兵のナンセンス喜劇の方は撮らなかったんですが、その話が『一人息子』に使われてますよ。

(筑摩書房、厚田雄春/蓮實重彦「小津安二郎物語」126~127ページより)

 

厚田雄春さんによれば くぐっても大丈夫なんだそうです。

 

が、大けがしてしまったということは、

不注意で馬の尾っぽ側に行ってしまったということか?

そのあたりは描かれないのですが――

 

S93 原っぱ

人だかりがしている。

良助とおたかが、駆け込んでゆき、

おたか「富ちゃん!」

良助「富ちゃん!」

と交互に名を呼ぶ。

 

良助「こりゃすぐ医者に行きましょう」

と、富坊を抱えて人ごみを押しわけズンズン歩き出す。おたか寄り添ってゆく。

 

S94 馬、ノンビリ草を食っている

 

「塔」のショットです。

こんなローポジションで馬を撮るというのも珍しいな。

 

S96 手術室

手術が行われている。

良助が立ち会っている。

 

――というのだが、なんというかキッチュな画面。

何度見ても笑ってしまうショットである……↓↓

 

吉川満子に 先ほどの二十円を渡す日守新一。

考えて見ると、小津作品には「病院」よく出て来ますな。

一番強烈なのは 「東京暮色」 有馬ネコちゃんが堕胎するところかな。

 

たぶん病院建築とか 学校建築とか オフィス建築とか

すらっとしたモダンデザインが好きなのだろう、という気がする。

 

天井がきっちりあるから↓↓ これはロケなのかな?? ちょっとわからないですが。

この1シーンのために こんなセット作らないような気がする。

 

S97 病院の廊下

良助「人手が要ったら、遠慮なく言って下さいよ。杉子を来させますから」

おたか(感極まって)「すみません」

と涙ぐむ。涙は頬を伝う。そしておつねに頭を下げて泣きながら、

おたか「お母さん、ありがとうございます。いろいろご親切にしていただきまして――」

 

しかし、そんな感動シーンも子供には関係なく――

 

君子(おたかの袖を引っ張って)「お母ちゃんマリ買ってね」

おたか、また、新しい涙が頬を伝う。

 

「マリ」……そしてこの子の頭が見事に真ん丸です。

暗号「〇」

 

兄貴の突貫小僧といい(月)

この子といい(マリ)

つくづく「〇」に関係がある兄妹です。

 

まあ、ある意味、突貫小僧の大けがのおかげで

飯田蝶子は息子の日守新一を見直すわけですので――

「〇」→円満 ということなのかもしれないです。

 

そういえば日守新一が吉川満子の渡したのは 二十円――

二重円……

「◎」なのですよね……

 

兄も妹も「〇」の 「◎」兄妹――

その母親に 二十円(◎)を渡したわけです。

 

出かけようとおもったが

おカネをあげちゃったので 出かけられなくなった良助の一家です。

 

S99 良助の家

おつね「な、貧乏してるとなあ、ああいう時のありがた味がふんとに嬉しくなるもんだ。(そして感慨深く)おらもうんと貧乏しただからなあ」

 

おつね、自分にいいきかせるように、

おつね「ことによるとお前もお大尽になれなかったんがよかったかも知れねえだ」

良助、頭をたれたまま動かない。

 

と、親子の和解シーンに「ジョーン・クロフォード」は登場しますので、

やっぱり「鬼の念仏」(敗北者)と対の存在という説は正解かも??

 

おつね「お前ふんとに今日はええことしてくれただし。これが何よりの田舎(ざいご)へのお土産だし」

良助、無言でいる。

杉子、涙ぐむ。

工場の音だけがかまびすしい。

 

Germany のポスターは突貫小僧の「馬」のシーンと対になっている、というわけかな?

 

三者三様。

お互いに視線をかわすことなく、このシーンは終りまして、

で、次のシーンで おつね(飯田蝶子)は田舎へ帰ったことを観客は知らされます。

 

なんともビターな味……

 

このシーンの最後に登場する↓↓

毛布だかシーツだかの模様……

渦巻……(正確には雷紋というらしいが)

 

これが――

「東京物語」S105

酔っぱらった笠智衆が東野英治郎を引き連れて

ウララ美容院に帰って来るシーンに登場するのだからおもしろい↓↓

 

「雷紋」はどうも「豊穣」のイメージがあるらしいが、

小津作品においては、渦巻・雷紋はどうもいい意味では登場しないようにおもえます。

じっさい、

ご覧なった方はご存知の通り、

「東京物語」の杉村春子・中村伸郎夫婦はあまりいい描かれ方はしていないわけです。

 

どうも――トマスの勝手な推測では

「〇」(円満・完全)がくずれると 「渦巻」になるような気がします。

あくまで小津作品の中のイメージです。

 

どなたもお気づきでしょうが、杉村春子の浴衣の柄も「渦巻」です↓↓

 

「一人息子」に戻りまして――

 

S100 附近の原っぱ

薄暮の道を良助と、杉子は赤ン坊を背に、考え深く帰ってゆく。

 

「塔」だらけのショットです。

めずらしい移動撮影ですね。

 

おたかと、脚に繃帯をして松葉杖をついた富坊が二人の後姿に気付き、

富坊「おじちゃん」

と呼ぶ。

 

S101 良助の家

良助、杉子、帰ってくる。

杉子、赤ン坊を下ろす。

良助、赤ン坊を抱き取る。

杉子、フト柱時計を見て、

杉子「お母さん、もうどの辺までいらしったかしら」

良助「さあ――」

 

ミルクの吸い口をくわえる、というのは、

「東京の合唱」で岡田時彦がやってたような気がする↓↓

 

杉子「おかあさん満足してお帰りになったかしら」

二人、見合う。

良助(呟くように)「多分満足してはお帰りになるまいよ。――本当いうと俺はまだおッ母さんに東京へ来て貰いたくはなかったんだよ」

 

このあたりは「東京物語」S118 三宅邦子と山村聰の会話に引き継がれます。

 

文子「満足なすったかしら」

幸一「そりゃ満足してるよ、方々見物もしたし、熱海へも行ったし……」

文子「そうねえ」

幸一「当分東京の話で持切りだろう」

 

しかし――「満足してるはず」と思いこんでる「東京物語」の方が苦味がキツイ……

 

S103 母の手紙

「これで 孫に何かかって下さい 母」

それに金が二十円添えてある。

良助、こみ上げてくる。

 

良助「おい、俺、もう一遍勉強するぞ」

杉子、たまらない感じでうなずく。

 

というのだが、この坪内美子たんはなんともかわいい。

 

良助「中等教員の検定でもとって見よう」

更に涙ぐんで強く、

良助「なあ、で、お母さんにもう一遍出て来て貰うんだ」

 

ここもかわいい↓↓

このシーンは坪内美子劇場ですな。

 

――というか、ラストというのはどうしてもダレてくるもので、

だからこそ、

きれいな女優さんで場をもたせるというところがあるのか??

 

「一人息子」に比べればどうしようもない愚作だが、

「母を恋はずや」のラスト近くがやはり 逢初夢子劇場だったことなどを思い出したいところです。

 

そういわれると「東京物語」のラストは 原節子劇場、なわけです。

 

杉子「あんたはいいお母さんをお持ちになって仕合せですわ」

たまらず、泣く。

良助、無言。

じっと、赤ン坊を見る。

 

はい。最後の最後もかわいいです↓↓

 

東京のシーンの最後は――……

 

「〇」で締めくくります。

左翼系の批評家はどうも ラストの無機質な扉のショットに感動するらしいのだが――

(連中にとって戦前の日本は無条件に「悪の帝国」でなくてはならないので、ね)

 

だが、ねえ、

東京のシーンのラストは「〇」なんですよ。

赤ちゃんの頭なんですよね。

 

はい。

確かに、ラストは信州なんですよ。

 

S104 製糸工場

糸車が廻っている。

モウモウたる湯気の中で、忙しく働く若い女工達。

 

↓↓うーん……

こうしてみると、糸車は「〇」じゃなくて「渦巻」なのかな??

①だったか②だったかで 糸車=「〇」と書いたかもしれんですが、

間違いかな??

 

S106 工場の裏手

おつね、重い足取りで、バケツを下げて歩いて来る。バケツを置くと、腰を叩きながら倉庫の白壁際の陽だまりに行き、空の木箱に腰を下ろす。フッとため息をつき、遠い山並みを眺める。

 

というのだが、

手ぬぐいの模様……唐草模様は「渦巻」とみたくなるところ。

 

連山も、遥か東京の空も、しかし、工場の塀に閉ざされて、僅かにしか見えないのだ。

おつね、次第に沈んでゆく。

 

閂が掛った裏門の扉は、頑なにおつねの希み(のぞみ)を遮っているかの様だ。

――完――

 

――というのだが、どうなのかね?

田中眞澄あたりはこのラスト、大絶賛なのだが。

まったく美しくないし……「塔」も「〇」も「渦巻」もでてこない……

どうしたものか??

 

□□□□□□□□

さいごに――

「小津安二郎・人と仕事」所収の座談会で

主演の飯田蝶子が おもしろい出来事を語っていますので紹介します。

ちなみに

「三宅」→三宅邦子

「高杉さん」→高杉早苗

「厚田」→厚田雄春

です。

 

飯田:話は変わるけど、「一人息子」のとき私が「息子もなァ東京へ行って偉くなって……」といって廊下を拭き掃除してる芝居があってさ、徹夜で、悲しいところで涙ポロポロ「息子のところへ行きてえなァ。金ためて息子のとこへ行くだ」とやってると誰かが号外を持って飛び込んで来て「阿部定がつかまった」といってるのよ。「あら、どこで?」って私が芝居をやめちゃって、怒られたね、「お定とこっちは関係ない」って。(笑)

三宅:高杉さんはわからないでしょう?

飯田:「お定と何か関係があるのか」って。(笑)それから、もう上手くいかない。

厚田:蒲田はサイレントのステージだから午前二時二十分の新聞電車が通ってから夜中だけ仕事してた。借りて来ていた赤ン坊に歯が生えて坪内美子(美詠子)さんが抱いていて重くなったっていうんだ、四カ月経ってるんだからね。

(蛮友社「小津安二郎・人と仕事」157ページより)

 

「一人息子」の撮影がちょうど、阿部定事件の頃であったことがわかります。

また厚田さんの証言から 「新聞電車」なるものがあったこともわかります。

(いつごろまであったのかねえ? 電車ファンには常識の存在なのかな??)

 

まあ、こういうだらけた姿勢が積み重なって 飯田蝶子は小津組常連からはずされてしまったのかもしれません。


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