んー……
今もっともホットなコンテンツと
まったく注目されない戦前日本映画をムリヤリ並べて語ろうとしております。
キーワードは
鬼(モンスター)としての「女」
です。
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10月19日 「鬼滅の刃・無限列車編」を見に行きました。
土浦のイオンの映画館へ行ったのですが、
公開4日目で はやくも
展示物(?)の下の部分が壊れちゃってる↓↓
野蛮ですね~、イバラキ。 ついでにいうと、交通マナーも最低なんですよ。
(なぜ魅力度最下位ではないのか? 県民のわたくしも納得がいかない(笑))
パンフレットは売り切れてありません、というものすごい状態でした。
(そんな映画あるのか?)
かわりといってはなんだが こんな無料特典が入場の時にもらえました↓↓
煉獄さんが主役のマンガとか 物語のあらすじとか いろいろおもしろかったです。
大きさはジャンプコミックスとまったく同じ。
カバーの体裁も同じですね。
8巻と並べてみますが↓↓
感想をざざっと ネタバレにならぬ程度。
ちなみにわたくし コミックスは22巻まで読んでおり、アニメも全話みました。
だから「おはなし」の内容はすべてわかったうえで映画をみております。
・えんえん泣いていた。T子さんと二人 「泣き過ぎると頭痛がするのはなぜ?」と話しあった。
・IMAXとやらいうものでみたので 善逸くんの「イィヤァアアーッ!」がよく聞こえた。
・無限列車のおはなしのあと、吉原遊廓のはなしがはじまるので――
無限列車→テレビアニメで製作
吉原遊廓→映画で製作
というのがお子様向けにいいのではないか? などと思っていたのですが、
「機関車」といえば これほど「映画」的な題材・舞台はないわけですし、
お話の内容もストレートでわかりやすいので
無限列車を映画で作ったのは正解だったな、などとおもいました。
・煉獄さんはなんだか (いい意味で)戦前の青年将校のようだな。などとおもいました。
彼にとってただ一人の「異性」は、「母上」だったとおもうのですが、
このあたりもまさしく青年将校してるな、とおもいました。
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ここから本題にはいります。
清水宏作品の主人公たちは
炭治郎・禰豆子(たんじろう・ねずこ)スタイル
――が、どうやらお気に入りらしいのです。
(禰豆子ちゃんの「ね」は どうもしめす偏が正しいようだが、変換できないです。どうしてくれる)
「炭治郎・禰豆子スタイル」というのはあれです。
細かい説明はしませんが、
「鬼滅の刃」の主人公・竈門炭治郎くんが 木箱に入った妹・禰豆子ちゃんを背負うという
基本パターンをいっております。
ヒーローがヒロインを背負うという形のことをいっております。
一番有名で、かつ、わかりやすいのは――
「有りがたうさん」(1936)で、
上原謙(加山雄三のお父さん) が、桑野通子を背負うという形が
標準ポジションとなっているわけです。
上原謙はバス運転手で 桑野ミッチーはお客なので
この炭治郎・禰豆子スタイルから動くことはないわけです。
サイレント時代の「港の日本娘」(1933)も
清水宏は 炭治郎・禰豆子スタイルに固執しているように見受けられます。
江川宇礼雄&及川道子
江川宇礼雄がハーレーダビッドソンを運転してますので
及川道子は 禰豆子ちゃんのように背負われる形になります。
江川宇礼雄&沢蘭子
これまた見事に 炭治郎・禰豆子スタイルなわけです。
「按摩と女」(1938)
徳大寺伸&高峰三枝子様
これまた 炭治郎・禰豆子スタイルが安定しているようなのです。
一体なぜなのか?
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はじめに 「鬼滅の刃」の炭治郎・禰豆子スタイルのはなしをしましょう。
あれは 鬼(モンスター)になってしまった禰豆子ちゃんは日光に当たると死んでしまう。
なので 木箱に入れて背中に背負う という形で
竈門炭治郎は行動しているわけです。
…………
――と、説明されているわけです。
が、はっきり真相をいうと、
炭治郎(兄)は禰豆子(妹)との近親相姦を恐怖しているから
あの格好なわけです。
そんなことは 作者・吾峠呼世晴先生は一言もいってないですが、
わたくし、トマス・ピンコがいうからには そうなんです(笑)
兄が妹を背負う、という形だと 近親相姦しようがないのであのスタイルなのです。
さらにいうとしょっぱなの家族皆殺し・血まみれシーンは
はっきりいうと 禰豆子ちゃんの初潮を表現しているわけです。
炭治郎は家族皆殺しに動揺した、というよりも
禰豆子ちゃんとセック〇できる可能性に恐怖した。
というのが正しいです。
なにかというと禰豆子ちゃんが血を流すのはそういうわけです。
(当然 劇場版でもそうです。ついでにいうと 禰豆子ちゃんの「血が燃える」というのは意味深です)
あと、禰豆子はとにかく眠る人(鬼?)ですが、
グリム童話のヒロインたちもよく眠ります。
グリムのヒロインたちがそろって思春期の少女たちであることも考慮にいれてよいでしょう。
換言しますと、ですね。
「鬼滅の刃」=炭治郎(兄)がいかに禰豆子(妹)との近親相姦を回避するか?
というおはなしだと言ってもいいです。
だから 禰豆子が鬼(モンスター)になったことは
炭治郎にとってすこぶる好都合であった、ともいえます。
モンスターとはセック〇できないからです。
ただ「食べられてしまう」という危険性はありますけど……
以下、余談ですが――
(↑上記の「食べる」という動詞はもちろんセック〇のメタファーです。けっきょく近親相姦の危険からは逃れられないようです)
(鬼になった禰豆子ちゃんの精神年齢が子供レベルになったというのも 近親相姦回避に関連があるでしょう)
(禰豆子ちゃんがくわえている竹……富岡さんがくわえさせた竹は はっきりいうと「貞操帯」です)
(「鬼滅の刃」の作品構造全体が近親相姦的にできていることも注目していいでしょう。
つまり「双子」イメージがなにかというと登場することです。ざっと思いだすだけでも……
時透無一郎兄弟
継国縁壱兄弟
産屋敷耀哉ー鬼舞辻無惨
胡蝶カナエー胡蝶しのぶ(姉妹だが双子めいてみえませんか)
――といったところでしょうか。数え上げていくとキリがないです)
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えー ここまで読んでくださった方はおられるのだろうか(?)
「鬼滅の刃」と清水宏作品 両方に関心を持っているなんて方、
わたくし以外、この世の中に存在するのかね??
もとい、「鬼滅の刃」の構造を踏まえたうえで
清水宏作品の分析をざざっと行いたいとおもいます。
まず「港の日本娘」(1933)
江川宇礼雄&井上雪子ですが↓↓
鬼(モンスター)ではない女の子とは 主人公はきちんと向き合うことができるわけです。
鬼ではない女なので
江川宇礼雄は井上雪子と結婚することになるわけです。
結婚できるわけです。
ところがモンスター女 つまり鬼の禰豆子ちゃんのように危険極まりない女相手だと――
炭治郎・禰豆子スタイルで接するより他ない。
だが危険な女、
モンスターのような女に惹かれてしまうというのも、また男。
――なわけでして。
ヒーローがヒロインとほとんど目を合わせない。
というのも清水宏作品の興味深い特徴のひとつです。
以下、江川宇礼雄&及川道子の再会のシーンなんですが――
小津のカットバックどころじゃなく
まったく目が合ってません。
完全に江川宇礼雄は モンスター……鬼である及川道子を恐れているわけです。
んー↓↓
暖炉というのもセック〇のメタファーだな……
及川道子の背後の男根状の物体にも注目したい(↑↑)
こんなモンスターには敵うはずがないので
江川宇礼雄は完全に防御を固めるわけです。
怖がって目を合わせないわけです。
井上雪子との会話シーンと比較すると まったくアプローチが異なるわけです。
おつぎ。
「有りがたうさん」(1936)
これはもう解説のしようのないほど 炭治郎・禰豆子スタイルなわけです。
まったく目を合わせようとしない、というのも同じです。
上原謙&桑野ミッチー 二人に会話はありますが、
二人はほとんど目を合わせないわけです。
上原謙は運転手なんだから当然、とおもわれる方もおられるでしょうが、
それは論理が転倒しています。
・一番近くにいるが、一番遠い。
・会話をするが、まったく目を合わせない。
このようなヒーロー&ヒロインーー
炭治郎・禰豆子スタイルの作品を作りたかったから
バス車内を舞台にしたロードムービーが作られたわけです。
あと、今まで 男性(炭治郎)目線でばかり 物事を語ってきましたが、
女性(禰豆子)側からは 男性の一挙手一投足がみえる。
確認できるというのも このスタイルの特徴でしょう。
(「鬼滅の刃」に戻りますと、炭治郎がピンチに陥ると 木箱の中にいる禰豆子ちゃんが助けるというシーンがよくある。
あたかも禰豆子は炭治郎のすべてを把握しているようです)
桑野ミッチーは 上原謙のすべてをみつめています。
ちょうど 「港の日本娘」の及川道子が 江川宇礼雄のすべてをみつめていたように。
「有りがたうさん」は全部確認してみたんですけど、
上原謙&桑野通子のカットバックというのはまったくありませんでした。
かわりに存在するのは
名高い朝鮮人の女の子との会話シーンでして
(久原良子という女優さんらしいです)
彼女は鬼(モンスター)ではないので
きちんと目を合わせて会話できる安全な存在なのでしょう。
(というか、背景のぐるぐるボケがすごいな。小津はこんなレンズ使わない……ような……)
「有りがたうさん」は カットバックが2シーンあるのですが(たぶんそうです)
そのうちの1つがここ、というからには(もう1つは 河村黎吉がでてくるところです)
やはり重要なシーンなわけです。
この朝鮮人の女の子のシーンについて云々する人は多いだろうけど、
カットバックで処理されているということに注目はされているのかね??
えー
おつぎ。「按摩と女」(1938)
徳大寺伸&高峰三枝子様が
しょっぱな な、な……なんと、
逆・炭治郎・禰豆子スタイルをやってくれまして↓↓
トマス・ピンコ理論を破綻させてくれるのですが――
まったくどうしてくれる!
真逆じゃねえかよ!
となるのですが。
映画の最後にきまして 徳大寺伸はなんにもわかっていかった ということが明らかになるわけです。
禰豆子ちゃん、及川道子、桑野通子
彼女たちが主人公のすべてをわかっていたのとは対照的です。
んで、
そのあとはひたすら
徳大寺伸(前) 高峰三枝子様(うしろ)
という 炭治郎・禰豆子スタイルが基本となります。
高峰三枝子様は
(まあ、「犬神家の一族」でもそうですが)
得体のしれない鬼(モンスター)です。
……にしても、
きれいだな……
どこで撮ったのか。
セットなのかロケなのか?↓↓
……で、
ここに来まして
「簪」(1941)の
笠智衆&田中絹代は一体なんなのか?
という謎が生じるわけです。
今までの 炭治郎・禰豆子スタイルをまったく引っくり返してしまったわけです。
ちょっとこれは説明がつきません。
ただひとつ注目したいのは
田中絹代が日本映画最大のスタアであること。
それから清水宏の元・配偶者であること。ですかね。
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えー、はいはい。終りにします。
いいかげん終りにします。
以上の――
最近気になっている 清水宏作品の諸特徴……
・炭治郎・禰豆子スタイル(ヒーローが前、ヒロインが後で密着という構図)。
・ヒーローとヒロインがまったく目を合わせようとしない問題。
・ヒロインがそろって 鬼(モンスター)であること。
を、一般的にはどのように解釈しているのであるか?
調べようとしまして
唯一の(?) 清水宏関連本
フィルムアート社 「映画読本 清水宏」
というのを買って 読んでみたのですが――
そんなことは誰も注目していませんでした。
例の田中眞澄先生……
スクリーン上のことをなにひとつ見ない先生が絡んでいる時点で
たぶんそうだろうとはおもっていたのですが……
いやしかし、
桑野ミッチーかわゆすぎる……
なんてかわいいんだ……
(「恋愛修学旅行」とかいうふざけたタイトルの作品のスチールらしい↓↓)
こちらは「東京の英雄」
三井秀男&桑野ミッチーなんて 小津作品じゃ見れないから新鮮。
というか、桑野通子って清水宏作品のヒロインなんだな、とあらためて確認しました。
(その点、桑野ミッチー版「お茶漬けの味」が実現していれば、な、とおもうのです。
日本の官僚というのは戦前から一貫してクソですね)
論考はイマイチでしたが、
桑野ミッチーの写真がたくさん載ってたのはよかったです。