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「雨」(1932)ルイス・マイルストン監督・ジョーン・クロフォード主演

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小津安っさんが影響を受けたハリウッド作品も見なきゃな――

……と、小津作品の分析をするのなら

あたりまえすぎることを ようやくやり始めました。

 

まずはじめは ルイス・マイルストン「雨」なんですけど……

いやぁ すんばらしい作品です。

 

・「母を恋はずや」(1934)のチャブ屋↓↓

・「一人息子」(1936)の主人公の家のふすま↓↓

に、ジョーン・クロフォードのポスターが貼ってあるんですけど

うん。

「雨」見たら、誰もが夢中になってしまいますな。この人には。

 

□□□□□□□□

以下、作品の感想を書くんですけど

まあ、「小津への影響」ということばかり書くとおもいます。

というか、

それが主要目的ですので、ね。

 

しかし……

まずはじめ、大プロデューサーのシェンクの名前よりでっかく

Joan Crawford  ↓↓

 

このあたりの経緯……

買ったDVDに淀川長治先生の解説がついてたんで 書きおこしますと……

 

この「雨」を、ジョーン・クロフォードがやったんですね。

当時、ジョーン・クロフォードは、こんな「雨」のサディをやるような女優じゃなかったんですね。

もっともっとモダンな、チャールストンダンスをやるような女だったんですね。

女優だったんですね。

それが「雨」で一躍サディをやるというんで

「えー!」ってみんなびっくりしたくらいの、サディは大役なんです。

で、皆さんはご存知だと思いますが、

「グランドホテル」でガルボとケンカしたんですね。

それで泣いて、サミュエル・ゴールデンのところ行きまして――有名なプロデューサー――

「わたしね、どうしても立派な役やりたいんです。お願いします」

「それではサディ・トンプソンをやろう」

「まあ!」

ジョーン・クロフォード泣いて喜んだんですね。

それが「雨」ですね。

(淀川さんは「サデー」と言っているように聞こえるが、「サディ」と書きました)

 

に、しても名調子ですな。。。

突然「わたしね、どうしても立派な役やりたいんです」 となるあたり。話芸ですな。

 

ついでに……

序に嫌いなのも云わして貰おう――グレタ・ガルボにカザリン・ヘップバーン。

(泰流社、田中眞澄編「小津安二郎全発言 1933~1945」138ページより)

 

安っさんがガルボが嫌いというのは、

「グランドホテル」をめぐるいざこざを知ってのことなのか?

オレのジョーンをいじめやがって! と。

もしくは役者として嫌いなのか??

 

タイトルは実にシンプル。

買ったDVDに THE RAIN とありましたが、違いますね。

 

ただの RAIN ですね。

 

しょっぱな驚かされるのは↓↓

もくもくした入道雲に ティンパニ(?)のドロドロした音……

 

これって「となりの八重ちやん」(1934)のラスト……

佐藤忠男大先生はなんか性的な解釈をされてましたけど……

 

なんだ、島津保次郎、

マイルストン「雨」のまるパクリじゃんか‼

 

つづいて雨の表現↓↓

これは小津安っさん 「東京の女」(1933)で なんというかオマージュ的なことをやっているとおもうのですが、

ややこしくなるのであとで触れます。

 

そして サディ・トンプソン――ジョーン・クロフォードの登場シーン。

 

強烈。

両手→両足→顔

とアップでつないでいきます。

 

小津ではこんなの、ないよな。

でも、あれか。

「非常線の女」(1933)のキスシーンは、これの影響なのか?

 

網ストッキング=セクシー

というのはいつからなのかな?

 

黒ストッキング=娼婦

というのはどこで読んだんだっけ?

19世紀はそういう意味があったようなのですが。

 

 

 

濃ゆーいメイクで ジョーン・クロフォード登場。

ギンギラギンです。

 

さきほどチラッと触れました

「非常線の女」(1933)のキスシーン↓↓

 

まず足のアップ

で、田中絹代→水久保澄子

というシークエンス。

 

はたして影響はあるのか、どうなのか?

そういう気でみていけば

田中絹代の足の動きはなんとなくジョーン・クロフォード風でもある。

 

問題は、ハリウッド作品がどのようなタイミングで日本に輸入されていたのか?

ということなんですけど……

(「小津安二郎戦後語録集成」の田中眞澄の注によると 1933年日本公開らしい)

 

あとあと見ていくように「東京の女」(1933)は 「雨」の影響が明らかなので

同時期に撮影された「非常線の女」(1933)も やっぱり「雨」の影響をみるのが自然のようにおもえます。

 

もとい、「雨」に戻りますが↓↓

 

「タバコ」&「チェックのタイトなスーツ」という公式なんですが……

 

ハワード・ホークス「脱出」(1944)

ローレン・バコールたんがそのまんまの格好・スタイルなんですよね。

 

これは「雨」の影響なのか?

それともそもそも 「タバコ」&「チェックのタイトなスーツ」というのは

映画とは関係のないところで

「あばずれ女」のユニフォームだったのか??

 

ローレン・バコールの自伝を読み返せばなにか書いてあるとおもうが

(バコール自身は全然こんな役柄の人ではない純情なお嬢さんで

ハワード・ホークス夫妻の言うままに不良女キャラを演じたというのは読んだ記憶があるが

「雨」のジョーン・クロフォードの影響とかはまったく記憶にない)

 

バコールたんの自伝は 本の山のどこかに埋もれて

どこにあるのか、現在捜索中です。

どなたかご存知の方は教えてください。

 

……にしても、クロフォードもバコールも かっこいい……

うしろ姿はボギー……ハンフリー・ボガードです↓↓

 

まあ、伝説的カップルですわな。

ねっとりした「黒い」画面がいいな……照明が完璧。

 

わき道ばかりそれてますが……

あと。淀川長治先生が「原色」のスーツといっているんですよね。

モノクロ画面だからわからんのだが、

何色なんだろうか?

 

黄色?

赤?

 

んで、ジョーン・クロフォードが宿敵のウォルター・ヒューストンに出会うシーン。

ここのカットバックはすばらしいです。

 

ディゾルブでつなぎます。

清水宏みたいな感じ。

 

おおまかな「物語」の構造を書いてしまいますと――

 

ウォルター・ヒューストンは宣教師でして、

ジョーン・クロフォードのあばずれ女に「悔い改めよ」と迫って来るわけです。

 

ウォルター・ヒューストン→宗教的権威も世俗的な権力も持っている・長身の白人男性

ジョーン・クロフォード→権力も金もない無職の女性

 

――と、どうやっても勝ち目がない戦いに ジョーン・クロフォード演じるサディ・トンプソンが勝つ。

という、実にシンプルで スカッとした内容です。

 

小津の「淑女は何を忘れたか」(1937)の分析で

「対角線」を利用した構図がやけに多いな、とおもったのですが、

 

以下にみるように 「雨」も対角線が多いです。

ジョーン・クロフォードの表情の変化が実に見事。

 

この……

 

対角線はルイス・マイルストンの特徴なのか?

そもそも「映画」の画面作りの基本なのか?

どっちなんですか?

 

あと小津の有名な

視線の噛み合わないカットバック。

 

「雨」の ジョーン・クロフォード&ウォルター・ヒューストンもやっぱり視線が噛み合いません。

 

ここらへんで 小津と マイルストン「雨」との関わり

文献上でわかることをまとめますと――

 

(高橋通夫の証言・助手時代のはなし)

マイルストン監督の「雨」でシークエンスによって雨の性格を変えた技術設計の見事さなどを話題として、酒を飲み、映画を語り、饒舌と駄弁に明け暮れした、小津ちゃんをリーダーとした硬派……

(蛮友社「小津安二郎・人と仕事」131ページより)

 

「小津安二郎戦後語録集成」464ページによると、

「雨」の日本公開は昭和八年で 上記の証言はおかしい、と田中眞澄は書いているのだが、

(たしかに1933年、小津は助手ではなく監督としてもうすでに独り立ちしている)

小津の周辺で話題になったらしい、ということは事実ではないか?

 

清水宏:小津君なんかがひどく賞めていたので遅蒔ながら『私の殺した男』と『雨』とを見て来たが。

岸松雄:どうでした。

(中略)

岸:なるほど。マイルストンの『雨』などは、清水さん好みだと思うがな。

清水:ああいった題材は、とても好きなんですが、あの映画を見ていて、ぼくは外国語にもっとよく通じていたら違った面白味が判るのじゃないかという気がしてならなかった。

(泰流社、田中眞澄編「小津安二郎全発言 1933~1945」78ページより)

 

――というような感じでして、

実は 小津自身の「雨」への評価はまったく残っていない。

という実情です。

ただ、まわりの人の証言から 「雨」を褒めていたというのがわかるだけ。

あとは彼の作品をみていくより他ないでしょう。

 

わたくしの見るところ、「東京の女」は

マイルストンの「雨」の影響が明らかだとおもいます。

 

彼女のほくろ↓↓

これも「東京の女」に影響を与えているとおもうのですが……

あとでみていきます。

 

あとあとこれはつけぼくろだと分るんですがね。

えー、で……

おはなしの流れですが、

トマス・ピンコは正直 「あらすじ」とかどうでもいいですけど……

いちおう説明しておきますと、

 

ウォルター・ヒューストンの宣教師が 島の総督を動かして

ジョーン・クロフォードに退去命令を出そうという流れになります。

だが、ジョーン・クロフォードは 故郷、サンフランシスコに帰りたくないという事情があるらしい。

 

で、そのあたりの苦境を、

彼女に好意を持っている軍人さんに話しているというシーン。

とくに有名な俳優さんではない、とおもいます。

役名はオハラ伍長とかいう アイリッシュらしい名前の海兵隊の下士官です。

 

ラストはこのオハラ君がサディ・トンプソンを オーストラリアのシドニーに連れて行く、という筋です。

 

ですが、このシーンは―― 

 

「ブレードランナー」(1982)の

あの暴力的なキスシーンを思い出させます。

 

「雨」のオハラ君はまったく優しい人物なんですけどね。

 

↓↓わたくし手持ちのスチール写真はこんな。

ハリソン・フォード&ショーン・ヤング

 

スチールのほうが「雨」っぽいな。

実際の作品は「雨」っぽくない。

 

はたして影響はあるのか?

 

「雨」に戻ります。

以下、「階段」での事件が続きます。

 

見事に対角線。

 

「階段」+ジョーン・クロフォード

こういうきっちりした構図。小津は好きそうです。

 

しかし、これを↓↓ カメラを動かしながらやるんですからすごいです。

 

ひきつづき

ジョーン・クロフォード×ウォルター・ヒューストンの「階段」での対決。

これができる役者は日本には……いなかったのではないか?

 

なめらかな移動撮影といい、役者のレベルといい、

小津は絶望しちゃったかもしれない。

きっちりと対角線。

 

ジョーン・クロフォードは「男根」のような「乳首」のようなものを掴み……

 

ウォルター・ヒューストンの背後には 裸婦の彫像。

これが、まあ、彼の本質を暴いているわけですが。

 

小津のずっと後の 「風の中の牝鶏」(1948)は明らかに 「雨」の影響下にあるでしょう。

 

あと「母を恋はずや」(1934)のチャブ屋の壁に 「雨」のポスターが貼ってあると 冒頭近く書きましたが、

小津が「階段」を描き始めるのもまた、「母を恋はずや」以降となるわけです。

 

小津の「階段」のルーツは ルイス・マイルストンの「雨」にあるのかもしれない。

 

 

 

このお話がすごいのは……

 

サディ・トンプソン……ジョーン・クロフォードが

宣教師の望む通りの「聖女」へと変貌を遂げるところでしょう。

 

このあたりは移動撮影ですさまじいです。

ここから外の雨の光景にむけてカメラが滑らかに移動します。

これは実物をみていただきたいところです。

 

移動しながら、きっちり対角線。

んで、突然良い子になってしまったジョーン・クロフォード。

 

驚くオハラ君。

あごの脇のあれは つけぼくろだったのか、とわかります(笑)

 

んで、破滅へと向かう ウォルター・ヒューストンでありました。

 

聖女、になってしまったジョーン・クロフォードに段々誘惑されていきます。

 

ひたすら美しいジョーン・クロフォード

 

 

 

欲望の視線。

 

このカットバックもまったく噛み合わない。

小津安っさんにとっては「同志よ!」というところかな。

 

んで、どういうことになったのか、明確には描かれないのですが、

 

ジョーン・クロフォードの部屋にウォルター・ヒューストンが入っていく→カット

 

次のシーンで

ウォルター・ヒューストンの死体らしきものを観客は見せられます。

自殺です。

 

そして再び……

ギンギラギンのジョーン・クロフォード。

 

対角線。

つけぼくろもしっかりあります。

これも対角線の構図ですな↓↓

で、おはなしは終り。

ジョーン・クロフォードはオハラ伍長と一緒にシドニーへと旅立ちます。

 

ラスト。

あれほどジョーン・クロフォードにきつくあたっていた

ウォルター・ヒューストンの奥さんが 妙にしおらしいのですが

(↓↓左側のバアさん)

 

ネット上で、

「ウォルター・ヒューストンの宣教師は過去に女性問題がいろいろあったのではないか?」

とかうがった見方をしている人がいたりして、おもわず爆笑してしまったのですが……

(だったら自殺するわけないだろ)

 

それではまったくこのお話に説得力はないので、

ただ単に

キリスト教世界の文脈では 「自殺」は大罪である、ということをいっておけばよろしいかとおもいます。

 

□□□□□□□□

で、以下、

ルイス・マイルストンの「雨」(1932)が

小津安二郎の「東京の女」(1933)に与えた影響を見ていきたいとおもいます。

 

というか、「東京の女」

「非常線の女」の撮影途中に

当時・松竹蒲田の筆頭監督であった野村芳亭に田中絹代を持っていかれてしまって

で、そのぽっかり空いた時間に作ったという作品だったりします。

 

急ぎで作らなくてはならない作品で 「さてどうしよう」となったときに

「そんならマイルストンの『雨』をマネしてやってみよう」となったのではあるまいか?

(↑トマスの勝手な想像)

 

岡田嘉子のキャラクターの持つ二面性。

 

弟おもいの真面目な職業婦人。

 

だが、じつは……娼婦。というのは

 

どうみても 「雨」のジョーン・クロフォードでしょう。

 

彼女のつけぼくろもまた 「雨」の影響のしるしでしょう。

 

微妙に位置が違うあたり……小津のプライドでしょうか。

プライドがあまりない(?)島津保次郎は まるパクリしちゃってますが。

 

対角線構図もマイルストン作品からの影響なのか??

 

 

 

絹代ちゃんも

 

対角線です。

 

それから江川宇礼雄の自殺がわかるシーン。

(とうぜん「自殺」というテーマも「雨」と同じ)

 

岡田嘉子が外をみる。

たらいの水が揺れている。

(地震らしい)

 

この水の表現は、

雨の冒頭の↓↓ 波紋からきているのではないか?

(深読みですか?)

 

 

 

 

 

 

 

□□□□□□□□

えー

以下は完全に付け足しです。

 

 

論旨がめちゃくちゃになってしまうんですけど。

エルンスト・ルビッチの「私の殺した男」(1932)もみましてね。

(1932年という年がどれだけすさまじいかわかりますが)

 

そこに「時計」……

 

「死」の匂いのプンプンする「時計」

 

そして「階段」

 

「階段」

 

「階段」

 

「東京の女」の映画館のシーンにあらわれるのは……

 

「百万円貰ったら」というオムニバス映画の

ルビッチ監督の部分らしいのですが……

 

やはり「階段」……

そのうち「私の殺した男」の感想も書くとおもいます。

 

しかし、知識を得れば、また疑問も多くなってくるという具合でして――

・小津の「対角線」のルーツはどこにあるのか?

・小津の「階段」のルーツはどこにあるのか?

・小津の「時計」のルーツはどこにあるのか?

といった具合。

 

まあ、ひとつ確実なのは

「東京の女」(1933)の岡田嘉子のキャラクターの二面性は

「雨」(1932)のジョーン・クロフォードに由来している。

ということでしょうか?


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