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塔の作家・小津安二郎 その22「淑女は何を忘れたか」② 中西文吾との交流

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はじめに……

撮影監督が 茂原英雄から厚田雄春に代った経緯に関しまして――

「全日記小津安二郎」をみると これまた別のことが書いてあってなんだかわからなくなります。

 

茂原英雄関係の記述をひろっていくと――

1937年

1月27日(火)

小宮階下 セット

午后八時過ぎより高輪より電話あり

茂原氏母堂死去されし由 早じまい

 

1月28日(水)

早朝 茂原帰里 上野に送る

セット 厚田本日からクランク

 

2月4日(木)

本日より茂原氏来社

 

2月13日(土)

茂原氏 ゐけいれんにて欠

未亡人の洋館 調子出ず

とりてのちやゝ長きうらみあり

 

2月14日(日)

茂原氏 本日も欠

つゞきセット上げる

さつそうとはまいらず

 

という感じで、「胃痙攣」で欠勤ということが書いてあったりする。

 

前回の記事で書いたことを繰り返しますと

「小津安二郎物語」

→「茂原さんが予備役の召集で三週間穴があくというので」「僕は最後の三分の一くらいやった」(厚田雄春の証言)

というのですが……

 

「淑女は何を忘れたか」の撮影は 「全日記小津安二郎」によると

1937年1月13日(水)にはじまり 2月23日(火)に終わっています。

で、1月28日(水)に厚田雄春は茂原英雄にかわって 「キャメラ番」に就任している。

 

2月4日(木)茂原さんが戻ってきた日以降、厚田さんはまた助手に戻ったのだろうか?

そこらへんがよくわからない。

また厚田さんの証言の「予備役召集」が 小津の日記に全く記されていないのもよくわからない。

もっとも、小津安っさんにすべてを記録する義務があるわけでもないが(笑)

 

小津の日記の「茂原氏」というちょっと突き放したような表現も引っかかる。

「茂原氏」??

……

とにかくこの交代劇は謎ばかりです。

 

以下、トマス・ピンコの勝手な推測なんですが――

ウィキペディアによりますと 茂原英雄が開発したトーキーの「茂原システム」

この方式を採用したトーキー作品は

松竹では小津の「一人息子」だけだったようなのですが、

(この頃の松竹のトーキーは「土橋式」というもの。「淑女は何を忘れたか」もそうです)

どうやら新興キネマでは「茂原システム」でトーキーを作っていたようなのです。

 

つまり、この時期の茂原さんは キャメラマンは廃業し、

トーキー技術一本で稼いでいこうか、という人生の転機だったようなのです。

(いざとなれば奥さんの飯田蝶子の稼ぎもあるし……)

 

このあたりの茂原さんの事情(松竹からの離脱)が、

小津、厚田両者の証言のもやもやに反映しているのではあるまいか?

 

□□□□□□□□

S19 酒場セルヴァンテス

小宮「どうしてここにいることがわかったんだい?」

節子「第六感や……、そやけど叔父さん、ええとこあるわ」

小宮「………」

節子「あないに追い出すみたいにされて、ゴルフに行きやはったら、叔父さんもうおしまいよ」

 

西銀座の酒場に 節子……桑野ミッチー登場です。

ついでにいうと、この頃の小津は 「節子」なる名前がお気に入りのようで――

「戸田家の兄妹」(1941)の高峰三枝子は「戸田節子」役を演じます。

 

戦後は「宗方姉妹」(1950)の田中絹代が「宗方節子」

「お茶漬けの味」(1952)の津島恵子が「山内節子」

と……あと誰か「節子」はいましたっけ?

 

ヒロインの名前。

「節子」の次は ご存知「紀子」の登場で、

もちろん 原「節子」が「紀子」を演じることになるわけです。

んーそういや四方田犬彦がこんなこと書いてたような気がするな。たしか……

 

このショットで注目したいのは、ですね――

モダンな、パイプを使った椅子、です。

以下、藤森照信先生の文章ですが、

 

 土浦さんの回想によると、モダンなアパートはヨーロッパ水準で作ることができたが、問題はインテリアで、パイプ家具用のパイプで良いものが無く、水道管用のパイプにクロームメッキして使ったが、しばらくすると、曲ったまま元にもどらなくなってダメになったという。

 東京に誕生したモボとモガの小宇宙も、昭和十年代の戦雲の中でこのパイプのような運命をたどることになる。

(平凡社、モダン都市文学Ⅰ「モダン東京案内」月報より)

 

モダニズム建築家・土浦亀城の証言を紹介されているのですけど――

けっきょく

冶金技術の未熟

という大日本帝国工業界の最大の弱点が姿を見せます。

 

戦中の日本の工業力について、

いまだにやれゼロ戦がすごい やれ戦艦大和が、云々いう人がいますが、

パイプ家具ひとつ作れなかった冶金技術です。

エンジンは一世代前のアメリカ製エンジンのB級品コピー(液冷1000馬力エンジンが作れない)

マシンガン、大砲類の劣悪な性能は言わずもがな……

バトルシップ・ヤマトの17インチ砲は大迫力なんでしょうけど、はてさて命中したのやら……

(納得いかない方は 兵頭二十八先生の諸作品を読むべき)

 

えーと、なんでしたっけ。

1937年の作品に

目ざとくパイプを使った椅子を登場させた小津安っさんは、やはり最先端を走っていたというべきでしょう。

このあとにみるS47 銀座明菓のシーン

「全日記小津安二郎」によると 実際にロケで撮っているようなので

銀座明菓では こんなモダンな家具を実際に使っていた、ということなのでしょうかね??

 

小宮「おい、(と制し)節ちゃん、こんなの飲んじゃ駄目だよ」

節子「平気や。(と小宮のを飲んでマダムの方へコップを見せ)頂戴!」

小宮「節ちゃん!」

 

このショットも対角線で構図を決めております。

 

「オジサマ」と「若い娘」が酒場で一緒になる、というパターン、

「晩春」(1949)で受け継がれることになります。

 

S20 料亭の一室

いささか酩酊して、小宮と節子がお酌の踊りを見ている。

 

人物の背景に「顔」を配置するという、「浮草物語」(1934)以降やり始めたやつ↓↓

前作「一人息子」(1936)では、ジョーン・クロフォードでした。

(最近、ようやくジョーン・クロフォード主演の「雨」をみました。すごくよかったです)

 

料亭での桑野ミッチー→うんざりしている斎藤達雄というシークエンス。

こんなの1カットで撮ってしまえばいいのに。(二人をいっぺんに撮ってしまえばいい)

それぞれきっちり構図をきめて撮ります。

 

さきほど大日本帝国の工業製品をバカにしましたが、

それを使う人たちは ほんとに努力していたわけです。

劣悪な機材という点では小津もやはり同じ。(機材は一昔前の輸入品でしょうけど)

劣悪な機材で最大限の仕事をしようとしています。

 

はい。毎度毎度の対角線。

この人は足が長いのでこういう姿勢も様になります。

 

今度はカメラ位置をずらして 似たような構図を撮る↓↓

めんどくさいことをやってます。

カメラをやったことない方にはわからないかもしれんですが、

これはかなりめんどくさいんです。

そのめんどくさい作業に役者さんたちもつき合わないといけない。

 

カメラの位置を変えた理由は……よくわからない。というか、意味不明。

しかし、小津安っさん的にはなにか意味があるのだろう。

強いて言うと、↓下のショットの方が客観性が増しているか。

 

「小津安二郎・人と仕事」で

巨匠・木下恵介が「非常線の女」撮影現場のあまりの面倒くささに辞めたくなったと

涙交じりの文章を書いているが……

その苦労がなんとなくわかるショットです。

 

間もなく踊りは終る。

節子「ご苦労はん。(とねぎらい、盃を小宮にさし)叔父さんどう?」

床柱に凭れた小宮。

小宮「もういいよ」

節子「あかんなア」

 

桑野ミッチーの腕の角度が対角線。

女将「先生いらっしゃいませ」

小宮「やア……」

女将(愛想よく)「今晩はまたお綺麗なお嬢さまと御一緒で……」

 

節子「いやや、うち頭いたい」

小宮、心配になって節子に寄り、脈を取り、額に手をやる。

節子、その手を振払って、

節子「そんなに、商売気ださんかてええ」

 

桑野ミッチーの頭を、きれいに対角線上にのせています。

 

以上の料亭のシーンといい、

「淑女は何を忘れたか」全体に漂うブルジョワ臭――

これが中西文吾との交流の結果なんだろう、とは前回ちょろっと書きました。

 

この頃、中西文吾との交友がある。荒田正男の紹介であった。新宿に仏蘭西屋という舶来ゼイタク服飾品店を出しているハイカラな地主の息子で、スポーツマンでプレイボーイでインテリで、小津の遊び友達になる資格があった。後の銀座の田屋の店主である。

ゴルフ・赤坂・十二社などの遊びに誘われた。

この時代は、軍国化と平行して、都会的な自由主義とブルジョア趣味が、消えんとする蝋燭の火のようにパッと燃えさかった時期でもあった。逃避するように小津は、そちら側を体験する。

(蛮友社「小津安二郎・人と仕事」501ページより)

 

赤坂、十二社って何の説明もないですが、芸者さんですよね。

 

さて、

お金持ちのプレイボーイ、というと、先ほど引用させてもらった

藤森照信先生の文章にも

お金持ちのプレイボーイが登場してきて妙な感じがするんです。はい。

野々宮アパートというモダン建築の話を

設計者の土浦亀城が語っているのですが……

(ついでに書くと 野々宮アパート、藤森先生べた褒め。写真もいくつか載っているがかっこいいです……)

 

「野々宮アパートって名前だけど、建てたのは野々宮さんじゃなくて、野島さんていうんだよ。野島康三。御存じありませんか。あの頃のモダンボーイの代表選手でネ。たいへんな財産家の息子だったものだから、当時ヨーロッパから入ってきた新しい芸術や文化や風俗に傾倒しまして、写真をやったんだ。今では写真なんて誰でもやるが、当時はカメラもフィルムも薬剤も全て輸入の時代だったから、ライカを買って自分で写真をとるっていうのは最高のオシャレだった。その野島さんが私の友だちだったから、設計を頼まれた。十階に“野々宮写真館”という名の野島さんのスタジオを作ったのはそのせいです。二階は野島さんの家で、三階以上をアパートで貸した。“野々宮写真館”という名前から現在の町の写真屋さんの店を想像する人もあるようだが、それはちがって、彼の個人スタジオです」

(平凡社、モダン都市文学Ⅰ「モダン東京案内」月報より)

 

えー気になるのは

「ライカ」

「野々宮」

このワードです。

 

「ライカ」といや、小津なわけです。

どうも1933年あたりから凝りはじめたらしい。

で、戦場にまで高価なライカを持っていったわけです。

そして「野々宮」……なんか聞き覚えあるなー……とおもったら

なんと‼

「一人息子」(1936)の主人公たちの姓が「野々宮」なんです。

 

こうなったら、小津安っさんと

東京に存在した、もう一人の「お金持ちのプレイボーイ」野島康三との交友を想像してみたくなりますが……

どうなんでしょうねぇ??

 

とにかく中西文吾、野島康三といった……

なんだか久生十蘭の小説に出て来るようなお金持ちのお坊ちゃんたちが

1930年代のつかの間のモダン文化を牽引していたようなのです。

 

もとい、酔っぱらった節子……桑野ミッチーが、帰宅します。

 

S22 玄関に続く部屋

節子、少し危い足どりで這入って来る。

節子「只今」

 

なんだか構造がいまいちわからないのですが、

(「晩春」「麦秋」の舞台の家だとだいたい構造が想像できるのだが)

 

小宮家……もとい、小宮邸は

日本家屋と洋館の融合した構造なのでしょう。

 

S25 岡田の下宿 朝

雨が降っている。壁には小宮の服がかけてある。小宮は岡田の褞袍(どてら)を着て、向い合って共に朝飯を食べている。味噌汁、目刺、沢庵。

小宮「ああ……ね君、こりゃ本降りかね」

 

小津映画に雨が降っているという「異常事態」なのですが、

なんだか「日曜の朝」&「雨」という雰囲気がよく出ていて 個人的にはとても好きなシーンです。

 

「淑女は何を忘れたか」

はっきりいって「失敗作」で なんだかちぐはぐなところが多い気がするのですが、

ところどころ美しいシーンがあるからやめられません。

何度も見てしまいます。

このS25の雨の日曜日 それからS9 夕暮れの日本間で 吉川満子と桑野通子がおしゃべりするシーン

あと、S48 銀座明菓のシーンも美しいですね。

以上、個人的な好みなんですが。

 

こんな格好でも 斎藤達雄はなんだかかっこいいぞ。

 

佐野周二もかっこいいですね。

 

この爽やかな青年が 戦争に行って帰ってくると、

原節ちゃんのなんかイヤらしい上司になってしまうわけか(「麦秋」)。

あ。その前に「風の中の牝鶏」があったか。

 

例によって例のごとく、

二人とも見事に視線がかみ合っていないのですが――

 

そんなことはどうでもよくて

小津安っさんに重要なことは

・対角線上に人物の頭を乗せて

・対角線と平行に腕を乗せる

このことだったのだと思います。

 

「時計」というお気に入りのモチーフも登場してます↓↓

あんがい、「出来ごころ」で使ったやつかもしれない??

 

S26 節子の部屋

節子はパジャマの上へガウンを着て、寝台に寝ころんで、雑誌を読んでいる。

額に頭痛膏が貼ってある。

ノックの音。節子、起きる。女中がアイロンをかけた洗濯物を持って這入って来て、

それをおいて行こうとする。

 

・鳥かごというお気に入りのモチーフ

・画面内に「顔」を配置するといういつものやつ

・対角線

・ガウンを着て、海外のファッション雑誌をみているという優雅な生活

 

フロイトかぶれのあなたは、椅子の背もたれの男根状の物体も気になるところでしょう。

 

節子「文や」

お文、振り返る。

節子「叔母さん、うち?」

 

マレーネ・ディートリッヒですかね↓↓

 

S39 道

足早に、肩を並べて節子と小宮が歩いて行く。

節子(小宮に)「危いとこやった……盗塁成功や、ダブルスチールや」

 

若い女性がスポーツの話をするというのも 1930年代的な現象なのでしょう。

個人的にはベースボールというのは一体なにがおもしろいのかさっぱりわからないのですが。

日本人はこの頃からどういうわけか好きですよね。

 

お。

久しぶりの「塔」(電柱)です。

斎藤達雄&桑野ミッチーがすらっと「塔」のようにスタイルがいい、ということは言うまでもない。

 

冬の光景。

「非常線の女」 田中絹代&水久保澄子のキスシーンを思い出させます。

 

S40 酒場セルヴァンテス

このシーンは実は興味深くて、ですね。

小津にきわめてめずらしく 1シーン1ショットで撮られているんですね。

 

1分10秒かそこら続く (小津にしては)とても長いショットです。

他の作品でも、こんなのは……あるかな??

ちょっとわかりません。どなたかに教えていただきたい。

 

長回しのショットだからこそ、なのか、

対角線を使った端正な構図は崩しません。

 

下手くそな斎藤達雄にできるだけ演技をさせない演出なので

(ほとんど動かない)

「はあ、実はかっこいいオッサンなのだな」

とわかります。

 

節子「叔父さん、また芸者見にいこうか? 金やったらうちあるわ」

と胸を叩く。

節子「行こ」

沈みっぱなしの小宮。

節子「叔父様、オジサン、ドクトル、おっさん、オトコ!(呆れて)よう言わんわ」

と莨をくわえる。

 

S41 小宮の家 茶の間

コタツで小宮と節子の帰りを待っている時子。

 

なるほど、若い頃の美しさは想像できます。

栗島すみ子。

 

ただそれは「少女」としての美しさで

「中年女性」としての美しさではないような気がしてしまうのだが、

さあ、トマス・ピンコの勝手な判断なのでしょうか。

男性側の勝手な(暴力的・ポルノ的な)視線なのでしょうか。

 

ハッキリ言えるのは このキンキン声は トーキーには不向きだったろう、ということです。

 

えー、で、

戦前の小津作品にはよく出て来る暴力シーン。

ぶん殴ってすべてを解決しようという安易なやつです。

 

S43 次の間

時子(小宮に)「大体あなたがいけません。あなたがいけないから、節子は増長するんですよ」

小宮、無言でいきなり時子を殴る。

小宮「増長してるのはお前じゃないか!」

時子「…………」

 

しかし、端正な暴力シーンです(笑)

 

殴られた直後の栗島すみ子先生ですが、

 

対角線をひっぱってみると このような感じ↓↓

 

実に注意深く作られているということがよくわかります。

 

はい。視線がまったく噛み合わないカットバックです。

わざわざ赤線を引っ張りませんが、

桑野ミッチーの帽子の角度……対角線上じゃないかな↓↓

 

ぶん殴ったあと、

「ああやっとかな、あかへんのや、うちもう胸スウッとしたわ……。胸すかし飲んだみたいや、今晩よう寝られるわ」

などといっていた節子だったのですが……

 

S44 時子の部屋

節子「こんなこと言うてえらい生意気やけど、叔父さんやかてゴルフへ行きとない日もあるわ。あの日叔父さん、岡田さんとこい泊まりやはったのよ」

時子、意外の感に打たれる。

節子「うち一緒やったの……。女のくせにお酒なんぞ飲んでえらい心配かけてしもて……堪忍してね」

 

と、ずいぶんちゃっかりしてる、というか

政治力があるというか……

 

「彼岸花」(1958)の山本富士子

「秋日和」(1960)の岡田茉莉子

こんがらがった事態を 強引な政治力でうまく調整してしまう彼女らのルーツがここにあります。

 

しつこいですが、対角線。

あと背後の男根状の物体も気になります。

瓶ですけど。

男根状の物体が続きます。

まあ、おはなしの方向がそういう風になってますので……

(今の感覚でははなはだ分かりにくいのだが――……

栗島すみ子が、自分をぶん殴った斎藤達雄を 「男らしいわ」と惚れ直す、という展開なのです。

説明しないとわかりませんな。こんなの)

 

S45 小宮の部屋の前

階段を昇ってくる小宮。

新聞を指に立て、バランスを取りながら部屋に這入る。

 

新聞=「塔」=男根状の物体 です。

 

S46 小宮の部屋 書斎

 

暖炉、というのもセクシャルなイメージですね。

 

節子「なによ、その顔」

小宮、その声に一方を見ると、節子が来て、既に椅子に腰かけている。

小宮の顔から微笑が消える。

 

このショットが↓↓

厚田さんのキャメラマンとしての初仕事だと、

「小津安二郎物語」に書いてありました。

 

ということは、1937年1月28日水曜日に撮られたわけですね。

 

背景の椅子↓↓

「晩春」にこんなのが出て来ましたよね。たしか。

ハートマークもなにかを暗示しているわけかな。

 

対角線。

 

S47 喫茶店

西銀座あたりの小粋な店、喫茶の一方、婦人服地、化粧品、装身具なども売っている。

例の三人、時子と千代子と光子、お茶を飲んでの雑談――

 

と、なんだか素敵な……

しかし洋服屋なんだかカフェなんだかめちゃくちゃな店です。

こういうのがあったのだろうか?

 

時子、ふと立って一方の装身具部に行き、ネクタイを取って、

時子「ね……これどう? うちのに」

光子「そんなの派手よ」

時子「よしてよ、まだ若いのよ」

 

塔=ネクタイ=男根状の物体 です。

 

例の中西文吾ですが、

さきほど引用した「小津安二郎・人と仕事」の文章だと、

「後の銀座の田屋の店主である」

というから、このシーンに協力したりしたのだろうか??

 

で、これも銀座のシーン。

今は完全に失われた 1930年代モダン・トーキョーの面影。

すべては失われてしまったわけですが、

小津がこのシーンをきちんとロケで撮っていてくれたことに感謝するほかないわけです。

 

S48 喫茶店

銀座明菓の屋上あたり、買物の包みを横に置いて、節子と岡田はお茶をのんでいる。

 

「全日記小津安二郎」1937年

2月15日(月)

銀座明菓にてクランク

帰つて下宿

桑野具合悪き由 封切日の近ければ案ず

*大阪の姪の病みおる白き梅

 

と、撮影日も、このあと桑野ミッチーが病欠したこともわかります。

後年の岸恵子の「具合が悪い」とは違って 本当に病気なのでしょう。この人は。

 

一緒に drinkしているだけで

eatするわけではないので

この先二人が結ばれるのか? それはわかりません。

 

モダンなパイプ家具。

だが、劣悪な性能だったらしいとは上に書きました。

 

あと、冬だというのに窓が開いてるんですけど……

撮影現場で照明等暑いからなのか?

もともとこうなのか??

あるいは空気感染する疫病が流行っていたのか(笑)

 

節子「うまいこと言うてからに……それ逆手とちがいまっか?」

両人、笑う。

 

またタバコです。

病弱な人にこんな演技させて。

 

節子、座を立ち、一方に行き、銀座を見おろして、

節子「うち明日のいま時分もう大阪や……」

 

たまらなく美しいショット。

 

「麦秋」S136

原節子が上司の佐野周二に お別れの挨拶に来るシーン。

佐竹「おい、よく見とけよ」

紀子「――?」

佐竹「東京もなかなかいいぞ」

 

佐野周二が窓際から街を見下ろすシーンは、戦前のこのシーンの余韻を感じてしまいます。

 

 

S49 小宮の家 時子の部屋

その日の夜、時子は外出着の羽織をたたんでいる。小宮は火鉢の前で莨を吸っている。

なごやかな情景。

 

対角線。

 

 

 

時子「ねえ、節ちゃん、もうどの辺まで行ったでしょう」

小宮(ちょっと置時計を見て)「さあ沼津あたりかな、いま頃はもう寝台でよく寝てるだろう」

 

と、小津お得意の「空間論」

感情をセンチメンタルに語るのではなく、「どこ」という即物的な話題に持っていきます。

 

あ。斎藤達雄&暗号「+」です。

 

 

 

時子「ね……珈琲でも入れましょうか……」

 

小宮「うむ……でも今から飲んで寝られるかな!」

 

時子(甘く)「寝られるわよ」

 

栗島すみ子+男根状の物体+端正な構図。

 

スケベそうな笑みを浮かべる斎藤達雄+男根状の物体

 

1937年

3月3日 「淑女は何を忘れたか」封切。

 

以降の小津安っさんの行状ですが、

「全日記小津安二郎」をみますと、

・ゴルフに熱中。

・次回作のシナリオの相談といって箱根へ。

・となると森栄さんのいる小田原「清風」は近い。

・ひたすらゴルフ。

と遊んでばかりいます(笑)

 

が、

9月10日 応召。後備役伍長。東京竹橋の近衛歩兵第二聯隊に入隊。

9月24日 大阪浪花港を北日本汽船北昭丸で出帆。写真機ライカを持参する。

 

と、ライカと一緒に中国大陸に出征します。

このあたりもなんか遊んでいる雰囲気です。


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