趣味の「マリみて」研究。
おそらく、大部分の方には意味不明な記事、
続けます……すみませんね。
①今野緒雪はにょろにょろフェチなのではないか?
(長くてにょろにょろしたものに異様な執着がある)
②紅薔薇三姉妹(祥子・祐巳・瞳子)は、ヘビ三姉妹なのではないか?
この二つの疑問を解決しようとしております。
10,「レイニーブルー」
作中の時間:某年6月。
(寸評)
志摩子さん目線の「ロザリオの滴」
由乃さん目線の「黄薔薇注意報」
祐巳ちゃん目線の「レイニーブルー」がはいった一冊。
今まで大きな仕掛けばかり目にしていたのでどうにも物足りない。
「仕掛け」というのは、「無印」における学園祭やら 「いばらの森」における謎の文庫本やら
「ウァレンティーヌス」におけるお宝探しゲームやらのことで
その「仕掛け」をつかって「儀礼」と「ゲーム」が繰り広げられる、というのが「マリみて」の基本パターンだったわけです。
祐巳ちゃんが大切にしていた傘がなくなる、(盗られる)という仕掛けはあるにはあるけど……
これだけでは弱い。
ただ、祐巳・由乃・志摩子 同級生三人が三人とも落ち込んで、暗い、というアンニュイな雰囲気はなんともいえん魅力があります。
p93-95
「……晴れないと思うな」
祐巳さんは自分のロッカーを開けて、上履きを出し、簀の子の上に揃えて置いた。
「あら、どうして言い切れるの?」
もちろん、非科学的な上履き占いだって根拠は何もないんだけれど、こうも堂々と否定されると突如対抗意識が芽生えてくるものだ。
「まさか、テレビの天気予報を観てきたから、なんて、つまらない答えじゃないでしょうね」
すると、祐巳さんは「違う」と首を振る。そして彼女のトレードマークといっていい、リボンで結んだ二つの髪の束を自ら指で示し、「これがね」と言った。
「髪?」
由乃は聞き返した。
「髪がどうかしたの?」
それだけじゃ、何が何だかさっぱりわからない。
続いて登校してくるクラスメイトたちに場所を譲って、二人は下足室を出た。ありがたいことに、祐巳さんとは同じクラスだ。教室が別だという理由で話を途中で切り上げなければならない、なんてこともない。
「私の髪がいうことを聞かないの」
廊下を歩きながら、祐巳さんが言った。
「その心は?」
「湿気が多い。つまり、雨がすぐ側まで来ている気がするってこと」
祐巳さんの根拠は、由乃の上履き天気予報よりずっと説得力があるように思われた。
(由乃&祐巳。校舎内、昇降口にて)
祐巳ちゃんの「超能力」が明らかになるところ。
ですが、もうすさまじいとしかいいようがない。
つまり 祐巳=ヘビが……ヘビなので水(湿気)を探知する能力がある、ということです。
で、その探知器官が 二つの髪の束(にょろにょろ)……
その探知器官を リボン(にょろにょろ)で結んである、という……
今野緒雪、天才です。
p150-151
カシャ、カシャ。
シャッター音が心地いい。まるで本当のスターにでもなったみたい。
「ふむ」
蔦子さんがカメラを下ろし、満足げにうなずいた。
「ご協力感謝。いい写真ができたら、進呈するからね」
挨拶もそこそこにスキップしながら廊下に出る「カメラちゃん」のカメラからは、ジシャ――――っていうフィルムが巻き戻る音がしていた。
(蔦子、由乃&祐巳。校舎内、廊下にて)
フィルムが巻き戻る、というような描写ははじめてのような気がする。
そういわれると 「フィルム」という物体は幅広のリボンのような物体だということに思い当たるのであった。
とうぜんながら「にょろにょろ」です。
今まで書かなかったが蔦子さんの「蔦」も「にょろにょろ」です。
11,「パラソルをさして」
作中の時間:某年6月
(寸評)
オープニングの場面がたまらなく美しい。
ずぶ濡れの祐巳、聖さまに救助される→聖さまの同級生・加藤景さんの部屋で身体を乾かす
このシークエンスが。
そしてこのシークエンスの締めくくりで
p36
「時間が逆転したみたいだ」
聖さまが、立てかけておいたキクラゲ、もとい黒い紳士用傘を一振りして、水滴を払った。
正真正銘の黄昏時であるのに、二時間ほど前の方がむしろ暗かった。
不思議な天気。
聖さまじゃないけれど、確かに時間の感覚がおかしくなる。
雨に打たれ、黒い車の走り去った車道をぼんやり見つめていたあの時から、二時間。それはたった二時間しか経っていないとも思えるし、もう二時間も経ってしまったとも感じられた。
あれは本当にあったことなのか。もしや時間が逆回転していて、これから起こることなのではないのだろうか。
と、時間の逆転が語られ、
・祥子-祐巳
・彩子(さいこ・祥子さまのお祖母さま)-弓子
という二組のカップルのおはなしが重なり、
祐巳の傘・弓子の傘 と、二つの傘のイメージが重なる、という壮大な「仕掛け」があるんですけど……
どうなんですかね? 成功しているといえるのか?
「いばらの森」ほどうまくはいってないような気がする。
p113
「で?」
雨に洗われた石畳の上に立って、縦ロールの少女が睨むようにこちらを見た。低木の葉っぱには、雨の滴が残っている。
「私に何のご用なのでしょう」
機嫌が悪いのは、上級生に呼び出しをうけたことが気にくわないのか。それとも、祐巳の顔をみたくなかったからなのか。
いや、どちらもそうなのだろう。
正直者の瞳子ちゃんは、教室を出てからずっと、不機嫌な表情を隠そうともしない。
「この間の続きでもなさるおつもりですか?」
大きな丸い瞳で、真っ直ぐの視線を送ってくる。
(瞳子&祐巳。中庭にて)
祐巳・瞳子
ヘビ娘が二人。という図。
「水」描写があり、ひたすら「目」が強調されます。
p130
しかし足音をたてずに階段の上り下りができるという得意技をもつ瞳子ちゃんも、興奮している場合はダイナミックな音をたてるということが今回判明した。
(祐巳の心理描写。薔薇の館にて)
吉野裕子先生によると――
蛇は怒るとその尾をこまかく震わせる。その時、尾の下に草があれば、震動で草がざわめき、紙があれば同様に紙がサワサワと鳴る。また荒い呼吸使いもする。
(法政大学出版局、吉野裕子著「蛇 日本の蛇信仰」13ページより)
……のだそうです。
基本無音だが、興奮すると音をたてるヘビ娘・瞳子……
p192
「彩子(さいこ)というのはお祖母さまの名前よ。その方のご旅行というのは、病院までお祖母さまに会いにいらっしゃることだったの」
(祥子&祐巳。都内某所、祥子さまのお祖母さまの屋敷にて)
彩子-清子-祥子 という三つの「S」が語られます。
そして
彩子-弓子
祥子-祐巳
二組のカップルが重なります。
p202
清子小母さまと祥子さまは、鍋焼きうどんを珍しそうに眺め、調理し終わった物をお祖母さまにお供えしてから、ぺろりと食べた。
「こんな楽しいランチは、お正月に祐巳ちゃんたちが来てくれた時以来だわ」
(祥子さまのお祖母さまの屋敷にて)
祥子-祐巳のヘビ姉妹の仲直りの場面ですので、
鍋焼きうどんという「にょろにょろ」がふさわしいです。
12,「子羊たちの休暇」
作中の時間:某年7月。
(寸評)
祐巳ちゃん、軽井沢(おそらく)の小笠原家の別荘へ行く!
というおはなしで、リリアンの外の世界なもので、おもしろいといやおもしろいのですが、
祐巳ちゃんがお金持ちのお嬢さま連中にいじわるされて、云々、というのは通俗――
あまりにありふれている。
(しかもいじわるされたところで 祥子さまという最強お嬢さまが味方にいるのだから、まあ怖くはないわな)
天才・今野緒雪に書いて欲しいのはこんな世界ではない気がする。
気のせいか、蛇、にょろにょろ要素が少ないのもこの巻の特徴。
この巻から ひびき玲音さんの表紙の印象がガラッと変わります。
あと、祥子さまの「祥」の字の中には「羊」がいます。
p15
「何より、私は暑いのが苦手なの」
出ました、お嬢さまの我がまま攻撃。
(祥子&祐巳。薔薇の館にて)
変温動物なので暑いのが苦手なのでしょう。
祥子-祐巳はヘビですから、海ではなく山にいくのです。
p66
「おはよう」
祥子さまはいつものように手を祐巳の胸もと付近に伸ばしたが、そこにタイがないことに気づいて、襟なしで乱れようもない襟刳りをそっと撫でてほほえんだ。
「おはようございます」
(祥子&祐巳。M駅改札口にて)
あまり本調子ではない巻でも、ところどころすさまじい描写をみせるところが天才の天才たるゆえん。
↑↑この場面のすさまじさは、どう説明すればよいのか?
祥子さま(ヘビ)―タイ(にょろにょろ)というお決まりの組み合わせなんですが、
夏休みで、祐巳ちゃんは制服姿ではないので タイがない、という場面。
「あるもの」の不在を描写することで 逆に「あるもの」を強調する、という、なにやら実存主義的な場面です。
13,「真夏の一ページ」
作中の時間:某年8月。
(寸評)
傑作。といっていいとおもいます。
ここで一段ギアを上げて 次回の「涼風さつさつ」――中期「マリみて」の最高傑作につなげる、という、その前フリでしょう。
「略してOK大作戦(仮)」→今野緒雪がふたたび本来の「儀礼」&「ゲーム」に戻って来た!
「おじいさんと一緒」→今野緒雪民俗学、ふたたび!
というところでしょうか。
しかも、その「ゲーム」を祐巳ちゃんが自分で主体的に構築していく、というあたり
今までになかったことです。(今まではまわりの人が提案した「ゲーム」にただ巻き込まれているだけだった)
「マリみて」のターニングポイントといえる一冊でしょう。
次回作「涼風さつさつ」で大々的に花寺学院高校の野郎ども(とうぜん男の子)が登場するので、
その準備を 「子羊たちの休暇」「真夏の一ページ」で淡淡とやっているというあたり、
作家というのも大変な仕事だな、とおもわせます。
p26-27
令さまが「どうぞ」って振るので、祐巳は立ち上がって左手は腰に、右手は天上を指さし、シャキーンってポーズをとった。
「名づけて『いきなり男子校の中に投げ込むとショックが大きいから、徐々に慣らしていって男嫌いを克服してもらおう大作戦』!」
「作戦名が、若干長すぎやしませんか」
「……そ、そうね。考え直す余地はありそうね」
(乃梨子&祐巳。K駅近くの喫茶店にて)
長すぎる作戦名、という「にょろにょろ」です。
これはしかし、同時に、ですね、
「男なんか出すな!」「われわれは女の子たちが女の子だけでワチャワチャしているのを見たいんだ!」
という悪しき読者に向けてのメッセージでもあったりするわけですね。
すさまじいですね。
あと、上記の……主体的に「ゲーム」を構築する、というのはこのシーンから始まりますので
「シャキーンってポーズ」は大げさではありません。
p49
「うわっ」
素っ頓狂な声をあげたのは、祐麒が先だった。無理もない。この茶室は離れにあるのに、渡り廊下を歩く足音も、人の気配も、戸が開くまでまったく感じられなかったのだ。
「いらっしゃいませ」
丁寧に下げた頭をゆっくりと持ち上げたその顔を見て、今度は祐巳が「あっ」と声を出した。この、強靭なバネのような縦ロールは――。
「……瞳子ちゃん」
(瞳子&祐巳。柏木邸にて)
しつこいようですが、瞳子-無音=ヘビ です。
丁寧に下げた頭をゆっくりと持ち上げたその顔、というあたりも
ヘビ娘の動作だとおもえば興味深いのです。
p111
「でも私、何も存じませんから」
振り切っても振り切っても、蛇のようにしつっこくまとわりついて離れない。
(築山三奈子&乃梨子。マリア像ちかくにて)
これは三奈子さま、というメインではないキャラに「蛇」をくっつけた例。
14,「涼風さつさつ」
作中の時間:某年9月。
(寸評)
大傑作。
「すずかぜ さつさつ」 S・S・S 作者が大好きなS音を重ねまくっていますから、
これはおもしろくならないわけがないです(笑)
最大の特徴は 理解不能な「他者」の出現! でしょう。
拙ブログ、何回か前の記事で 「少女革命ウテナ」と「マリみて」を比較して
「ウテナ」は他者を描いているが
「マリみて」には他者は存在しない
と書いたのですが、間違いですね。
この巻の、細川可南子の存在を忘れておりました。
リリアン女学園の生徒たちは基本、育ちのいいお嬢さまたちなので
理解不能な他者、なんてものは登場しなかったのですが、彼女だけは怪物、でした。
可南子の言動・行動はとても興味深いので引用しますと――
p48
「祐巳さまの一番の魅力は、ご自分がどんなにすてきな女の子であるか、お気づきにならないところですね」
可南子ちゃんは、真顔で言った。どうやら、先ほどの「冗談」は彼女の中では冗談ではなかったらしい。
「なんて奥ゆかしいんでしょう、祐巳さまは」
目を輝かせてつぶやく後輩。
(可南子&祐巳。薔薇の館にて)
p145
「そうです。祐巳さまは、いつまでも天使のような存在でいてくださらないと。汚い男なんかには見向きもせずに、ずっとずっと真っ白な少女のまま。マリア様の学園でほほえんでいてください」
可南子ちゃんは、うっとりと目を細めた。
p146
「私が求めているのは、温室の中で花開く日を待つこのロサ・キネンシスのつぼみなんです。冷たい外気や、害虫に触れることなく、一定の室温、水や栄養の行き届いた、一点の曇りもない完璧な花です。私は祐巳さまを一目見て、祐巳さまこそがリリアン女学園を象徴するにふさわしい無垢な存在であると確信したんです。ただ、ここで美しい花を咲かせてくださればそれでいい。外に目を向けることなんて、一切必要ないんです」
(可南子&祐巳。古い温室にて)
ほめ殺しの怪物――……
あと、トマス・ピンコの野郎が思いだしたのは、
アンドレイ・タルコフスキーの「ストーカー」(1979)で……
アナトーリー・ソロニーツィンの「作家」と
ニコライ・グリニコの「教授」のやりとり。
教授:何をお書きに?
作家:読者について。
教授:一番面白いテーマだ。
作家:書くことに意味などありません。
ソロニーツィンの「作家」が 「オレは『読者』について書いている」
というんですね。
「涼風さつさつ」の今野緒雪がまさしくそうで、
「男なんて出すな!」「書くな!」「女の子だけが見たい!」という悪しき読者を
細川可南子という魅力的なキャラクターで戯画化してしまったわけです。
ほんと天才ですね。
p128
蔦子さんの写真。あれは全部偶然だった、という可能性はないのだろうか。
(偶然で十数枚?)
そんなことがあるだろうか。
写真の中の祐巳が髪を結ったリボンは、何種類もあった。それは、別の日に写されたという何よりの証拠である。それなのに、祐巳の背後には必ず写っているその影――。
(祐巳の心理描写。蔦子さんとの会話のあと。場所不明)
可南子が完全に不気味……
と判明するシーン。
そのシーンにリボンという「にょろにょろ」を登場させます。
p152
「私は祐巳の顔も、髪も、声も、指先も、すべて好きだけれど。でも、その外見が好きだからあなたを好きになったわけではないわ。それを動かすあなたの心があるから、それが愛着になっているの」
祥子さまの手は、祐巳の頬をなで、髪に触れ、手を握り、そして最後に制服のタイの結び目で止まった。
「私の、心」
「ええ。目に見えない部分よ。もし祐巳らしさというものがどこかにあるなら、たぶんそれにくっついているのではなくて?」
「お姉さまは、それを見つけてくださいますか」
(祥子&祐巳。古い温室にて)
美しいラブシーン。
祥子さまの手がさいご 「にょろにょろ」で止まるという……
ヘビ娘二人のラブシーンでありました。
p183
「では、次の方。何番」
「ラッキーセブンの七番」
「七番。あ、本当、これはラッキー。問題がありました。さて、ではいきます。ずばり原子番号七は何?」
「えっと……、また来ます」
二番目のチャレンジャーは、自ら出口側の滑り台に身を投じた。理数系より文系の方が得意だったらしい。
かと思えば、「親鸞上人の書いた大ベストセラー本のタイトルは」とか「調味料のさしすせそとはなんぞや」とか、「古文の鈴木先生の奥さんの名前は」とか、「9×7はいくつ」とか問題は多岐にわたった。
(花寺学院高校の学園祭の描写)
これは今野先生の異常なまでの「S」への執着がうかがえるところ。
問題のすべてに「S」がからんできます。
セブン……7……
まだ有馬奈々ちゃんは登場してませんが。
p188
生徒会室を出て階段を下りようとした時、祐巳は手洗い所の蛇口にふと目をとめた。
「あ、冷たくしていった方がいいかな」
鞄の中にしばらく放置されていた濡れタオルは、少しぬるくなっていたのだ。
お姉さまには、少しでも気持ちよく使ってもらいたい。それが妹心というものである。そういうわけで引き返し、ビニール袋からタオルを出して、蛇口をひねった。
水道の水は、思った通り冷たくて気持ちよかった。濯いで軽く絞ったタオルを袋に戻してさて戻ろうというところで、祐巳は背後から声をかけられた。
「おい、福沢」
「え?」
(祐巳ちゃん、弟の祐麒に間違われ拉致される。花寺学院高校にて)
例の「蛇口」
かならず大事な場面に顔を出すような気がする。
さすが「涼風さつさつ」 大傑作だけあって、「にょろにょろ」も「ヘビ」も充実しているんです。はい。
p231
『たとえ音のない真っ暗闇の世界にいても、そこに祐巳がいるならすぐにわかるわ』
――はい、お姉さま。
『全身をぐるぐる巻きにされてベッドに横たわっていたとしても、間違いなく祐巳を捜し当てることができるわ』
――はい、お姉さま。
祐巳は、あの時に戻ってうなずいた。
これ以上の幸せなんて探せなかった。
(祥子&祐巳。花寺学院高校グラウンドにて)
ここね……すごく美しいラブシーンなんですけど、
わたくしの 祥子さま=ヘビ説によりますと――
一部のヘビには「ピット器官」とやらいう
赤外線放射を探知する感覚器官がそなわっているらしいんですわ。
つまり ヘビ娘・小笠原祥子が 体のどこやらにある赤外線センサー的な器官によって
妹ヘビ・祐巳ちゃんを探知した(笑)
というそういう場面なのだろうと解釈できるわけです。
……
しかし、今野緒雪の文章をすなおに読んでいくと、この解釈しかないわけです!(断言!)
15,「レディ、GO!」
作中の時間:某年9月。
(寸評)
リリアン女学園の9月はなんだかとんでもないことになっていて
・お隣の花寺学院高校の学園祭の手伝い
・体育祭
・2年生のイタリア旅行
と、殺人的なスケジュールなのですが(2年生はとくに大変。さらに山百合会メンバーは地獄)
「真夏の一ページ」→「涼風さつさつ」と、
自分が完全に波に乗っていることを確信した今野緒雪の自信のあらわれなんでしょうか?
この巻も、体育祭という「ゲーム」を扱っているわけですから、面白くならないはずがないです。
さらにいえば 祐巳ちゃんが細川可南子に「ゲーム」を持ちかける、という要素もあり――
「真夏の一ページ」同様、
祐巳ちゃんが「ゲーム」を自分から発信するという点も興味深いところです。
そう考えると――「真夏の一ページ」以降、中期「マリみて」が盛り上がっていくというのは
祐巳ちゃんが主体的に物語を動かし始めたから、といえるかもしれません。
いや、そうなんでしょう。
p108
ピーピッピーピ、ピーピッピピーピ、ピーピッピーピ、ピーピッピピーピ。
突然、明るい笛の音が響き渡り、登場したのは派手な黄色い衣装に身を包んだ令さまたち。
(中略)
ピーピッピーピ、ピーピッピピーピ―、ピーピッピーピ、ピーピッピピーピ―。
カナリア祭りはまだ続いていた。
(令さま率いる黄色チームの応援合戦の描写)
やけに長い(笑) ピーピッピピーピ―
「にょろにょろ」です。
p150
姉妹水入らずでつかの間のひとときを過ごし、それからさっきとは逆の順路でグラウンドに戻った。
午後の部が始まる予定の一時まではまだあと十五分ほどあったけれど、会場は軽快な音楽が流れ、トラックの内側ではフォークダンスの輪ができていた。これは自由参加で、やりたいと思った生徒が自由に仲間に加わっていい。
「お姉さま。私たちも腹ごなしに踊りましょうよ」
「え、でも」
「楽しいですよ、きっと」
ちょっとだけ尻込みする祥子さまの手を引いて、輪に加わる。
すると参加せずに遠巻きに眺めていた生徒たちが、どっと押し寄せフォークダンス人口が一気にふくれ上がった。
(昼休みのフォークダンスの描写)
このフォークダンスシーンはすさまじいです。
読んでいて、ゾクッときました。
全文引用したいくらいですが、長すぎるのでやめときます。
祐巳ちゃんが
祥子さま・可南子・瞳子・無名の祐巳さまファン・令さま・由乃さん、とフォークダンスを踊る。
あんまりすばらしいので、こまかく分析するとなにかが隠れているかもしれません。
とりあえずここで指摘しておきたいのは フォークダンスが「にょろにょろ」である、ということです。
p168
「じゃ、私はこれで」
逸枝さんは、祐巳に場所を譲ってそそくさとその場を去る。蛇口は四つある。二人並んで使っても、二つは余る勘定なのに。
「逸枝さん……?」
(リレー選手の逸枝さんがケガをしているかもしれない、という描写)
で、おなじみ蛇口の登場です。
やっぱり重要なシーンに登場しますね。
16.,「バラエティギフト」
(作中の時間:さまざま)
(寸評)
短編集です。
「降誕祭の奇跡」が、おもしろいです。
今野緒雪の「時間」に関するこだわりが短編に凝縮されています。
奇妙なタイムトラベルもの、といってよいのか?
完読マラソン4周目を実施するときは「時間」に注目して読みたいとおもいます。
今、思い出せるものを書き出すと
「いばらの森」でタイムトラベル云々という表現がでてきた。
「パラソルをさして」で、時間の逆転云々という表現がでてきた。
そんなところか。
あと、この「バラエティギフト」のオチは
鳥居江利子さまからの贈り物に
「11月までに妹を作りなさい」という由乃さんへのメッセージが隠されている、というもので――
これまた「時間」ですね。
p87
中等部の制服と高等部の制服とは、一件同じもののように見えるが、胸もと部分が多少異なっている。襟がそのままタイになっている高等部の制服に対して中等部はタイのラインと同じ黒の細いリボンを蝶結びする格好なのだ。
(リリアン女学園の中等部と高等部の制服の相違点)
「ショコラとポートレート」という短編の中の一文。
将来の重要人物、内藤笙子ちゃんが登場します。
んで、その短編で リリアンの中等部と高等部の制服の違いが明らかになります。
中等部はリボン 高等部はタイ であるらしいです。
どちらも当然ながら「にょろにょろ」です。
p148
「何これ、この『白ポンチョ』っていうのは?」
私は声をあげて、薄っぺらい冊子をバシバシ叩いた。何だか正体のわからないものが目の前にあるのは、毛虫が机の上を這っているくらい気持ちが悪い。
(乃梨子&菫子さん(乃梨子の大叔母)。菫子さんのマンションの部屋にて)
毛虫という「にょろにょろ」です。
17,「チャオ ソレッラ!」
作中の時間:某年9月。
(寸評)
リリアン女学園二年生一行、イタリア旅行の巻。
天才・今野緒雪が民俗学者の目でイタリアを描くわけだから、これまた楽しくならないはずがない。
民俗学者だけあって、イタリアのトイレ事情とか ホテルのモーニングコールはどうやって頼むのか?とか
へんなディテールがたまらなく楽しい。
ただ疑問は――
・タイトルは文法的に正しいのだろうか? イタリー語はまったくわからないのですが。
・p196によるとイタリア旅行は9月終りらしいのだが、
台風とかあるよね? なんでこの時期に修学旅行行くの?
p56-57
「おでこを冷やせば治るのね」
「ええ」
今度ははっきりと声に出した。
「わかった。じゃ、そうしよう」
祐巳はそう言って、まずは湯船に注いでいたお湯の蛇口を閉めた。それから、由乃さんの鞄からパジャマを出して、着替えさせ、ちゃんとベッドに寝かせた。
「タオルは、ホテルの一番小さいサイズのでいい?」
「あのね。鞄のポケットに入っているハンドタオルでお願い」
「鞄のポケットね」
指示された場所を探ると、そこからはヒヨコ柄のタオルが出てきた。
「……これは、かなり年代物だね」
ずいぶん色あせているし、ほつれた箇所を繕った跡もあちこち。タオルなのに、ずっと大切にしてきたぬいぐるみみたいな趣があった。
「うん。でも魔法のタオルなの。いつも私の熱を下げてくれてきたのよ。私、小さい時これがないと眠れなかったの」
(由乃&祐巳。ローマ市内某ホテルの一室にて)
例によって「蛇口」
かならず重要な場面に顔を出す蛇口が、やっぱり重要な場面に登場です。
ヒヨコ柄のタオルという 由乃さんの「ライナスの毛布」が出てきます。
TBSラジオ・アフターシックスジャンクションのリスナー向けに書くと 「ミーミーちゃん」ですね。
見ようによっては、祐巳-由乃のイチャイチャ場面だともみえます。
そうみると、翌朝の由乃さんが、ケロッとして妙にドライ、というのも意味深です(笑)
あたかも一晩だけのあやまちみたいな感じ(笑)
p85-86
「新しいの買うの?」
「うん。志摩子さんは乃梨子ちゃんに、聖さまからいただいたのをあげたらしいけれど」
聖さまもそのお姉さまからいただいた物だっていうから、白薔薇さんちのは何代も続いているロザリオなのである。
「私のは、私のために令ちゃんが買ってくれた物だし」
だから令さまは、江利子さまからのロザリオをいまだ持っているということになる。
姉妹(スール)の契りで授受するロザリオは、代々受け継いだ物でも、新たに購入した物でもどちらでも構わないことになっていた。「代々」と限定してしまうと、いろいろ不都合があるからだろう。
「祐巳さんのロザリオは? 祥子さまが蓉子さまから譲られた物かしら?」
「知らない」
そういえば、聞いたことがない。
(由乃&祐巳。ヴァチカン美術館にて)
ロザリオという「にょろにょろ」
そういえば17巻目にしてはじめて ロザリオのルールが明らかになるというだからすごいです。
あと 「知らない」と一言で斬り捨てる祐巳ちゃん……あんたね。
p136-137
「何だか、ドキドキしてきたね」
ジェットコースターに乗る前みたいな、へんな緊張感がある。
(中略)
時間になったので、ぞろぞろと斜塔の中に入る。
中は石造りの階段で、壁もしっかりあるから、外から見て想像していたよりは怖くはない。筒状の建物の内側に螺旋階段がついているような物だから、階段をひたすら上っている分には外の景色が見えないのだ。
ただし、怖くはないが、歩きにくい。だって、傾いでるのだ。当たり前だけれど。
しかし、うまくできすぎている人間の脳は、目から入ってきた情報を勝手に加工処理して、真っ直ぐ建っているかのように修正してしまう。だから、頭では傾いでいることはわかっていても、感覚的にはステップに垂直に足を乗せようとしてしまう。でも、本当のところは斜面に足をかけているのだから重力が斜めにかかっているみたいで気持ちが悪いのだ。壁が場所によって、身体にくっついたり離れたりするように感じられるのも慣れない。
(祐巳、由乃、蔦子さんたち、ピサの斜塔にのぼる)
ピサの斜塔のシーン――すさまじいです。
ジェットコースター、そして斜塔の中をぞろぞろ、という「にょろにょろ」なんですけど。
「傾ぐ」「重力」という、これまた重要ワードが頻出するんですよね。ここ。
(「無印」の祥子さま・祐巳の激突シーンで「傾ぐ」が登場。当然「ウァレンティーヌス」のジーンズショップ試着シーンも思いだしましょう)
p151
祐巳たちはまず、午前中にウフィツィ美術館へ行った。学校側が事前に希望者の人数分予約を入れていてくれたんだけれど、それでも世界中から押し寄せる観光客の数は多く、予約している人の列もそうでない人の列も、どちらも長蛇。美術館の入り口から伸びる行列を見ただけで、諦めて帰ってしまう観光客も多かった。
(ウフィツィ美術館にて)
「長蛇」このワードは、はじめて? かな?
18,「プレミアムブック」
(寸評)
これは、ですね。
アニメ版「マリア様がみてる」の設定資料集なのですね。
アニメ版は正直興味があるのですが、
踏みこむとなんかキリがなさそうな気もして――という状況です。
さいごに数ページだけ Answer という短編が収録されています。
p130
小笠原祥子は、怪獣に似ている。
大きい手提げ袋を肩から提げて黙々と歩く姿が、箱庭のような街を壊して歩く、特撮ものの怪獣の姿とどうしてか重なって見えるのだ。
いつも、何かに怒っている。
見えない何かと戦っている。
(水野蓉子からみた小笠原祥子の描写)
特撮ものの怪獣、というのだから 当然 巨大爬虫類なのだとおもいます。
さすが蓉子さま。
祥子さまの本性は爬虫類(ヘビ)だと見抜いているのでしょう(笑)
19,「特別でないただの一日」
作中の時間:某年10月。
(寸評)
怒涛の中期「マリみて」――今野先生、乗りに乗りまくっていますから、
おもしろくないわけはないのですが……
例の怪物・細川可南子ちゃんの謎が――
「なぜ彼女はこんなにまでひねくれているのか?」
という謎があっさりと解決されてしまう点はたいへんに不満です。
謎は謎のままで放っておいてよかったのではないか?
しかし、コバルト文庫ではそれは不可能だったのか??
とはいえ、1巻目「無印」から作中の時間で丸一年が経過。
で、学園祭が描かれるというタイミングでして
お話の中心は 祐巳-瞳子に移りつつあるわけです。
可南子問題は、さっさとどこかへ放り投げたかったのでしょう。
祐巳-瞳子の微妙で、繊細で、しかし心締め付けられる心理戦がたまりません。
その心理戦に、祥子さま、乃梨子が絡んで来るあたりもたまりません。
そして、こんな繊細な心理戦とは無関係の……能天気なトリックスター・由乃さんもたまりません。
p40
「私の、ちょっと大きくない?」
「どれ? あ、本当だ」
平安時代のお姫さまは、ズルズル引きずってはいるが、それにしても並んで着替えていた由乃さんの裾と比べて、ズルズル部分が多い感じ。
(学園祭の劇の衣装合わせ。被服室にて)
学園祭の劇で「とりかえばや物語」を演じることになった祐巳ちゃん。
平安時代の衣装なので 裾をズルズル。
もちろんヘビです。
p61
「ハリガネ……って可南子ちゃんのこと?」
「似てるじゃない、ハリガネに。新しい一年生が乃梨子ちゃんと一緒に入って来た時、すぐに思ったわ。あ、この子たちハリガネとバネだ、って」
「……やめなって、そういうの」
しかし。言葉とは裏腹に、祐巳はつい笑ってしまった。
ハリガネとバネだって。
(アリス&祐巳。リリアン女学園、薔薇の館へ向かう道にて)
可南子→ハリガネ
瞳子→バネ
だそうです。どちらも「にょろにょろ」です。
つまり、可南子も可南子で ヘビ姉妹になる資格はあったのでしょう。
p67
「約束なんてしなければよかった」
可南子ちゃんは、すすいでいた最後のカップの水を切って籠の中に伏せた。
「あ、可南子ちゃん」
祐巳は泡のついたままの手を洗ってから、水道の蛇口を締めて追いかけた。隣にいた可南子ちゃんは、すでに流しの側から去り、志摩子さんたちの手伝いに回っている。
「約束なんかしなければよかった、か」
(可南子&祐巳。薔薇の館にて)
例の「蛇口」がきっちり登場。
そういわれると 1巻につき登場回数は1回だけなのかな? 「蛇口」
登場しない巻もあるとおもうのですが、
登場した場合、2回も3回も登場したりはしないようなんですよね。
こんなどうでもいいことにこだわるのはわたくしだけだとおもうのですが……
でも意図的だとおもうんだよな。
p80
祐巳はその日の稽古中、瞳子ちゃんから目が離せなかった。そして得られた結論は。
瞳子ちゃんの演技力は素晴らしい、ということだ。
親戚で、長いつき合いがあるはずの祥子さますら騙せてしまうほどの、完璧な演技をしてのけた。
松平瞳子は間違いなく才能のある女優であり、そしてとてつもなく嘘つきなのだった。
(祐巳の心理描写。薔薇の館にて)
「嘘つき」……は、
例の創世記に登場するヘビさんの特徴でしたね。
11巻目の「パラソルをさして」で「正直者」と書かれていたのと矛盾しますがね。
ちなみにこの巻のラストは
p190
祥子さまは嘘つきだ。
特別でないただの一日だなんて言いながら、姉妹(スール)になって一年目の今日、決して容易ではない課題を祐巳に与えたのだから。
と締めくくります。
瞳子を嘘つきといい、祥子さまを嘘つき、といっているわけです。
なんとまあ、丁寧に作りこまれた作品です。
何度読んでも飽きないはずです。
p101
「みんな知ってるのよ、ユキチが山百合会からもチケットをもらえること。その上、うちの学園祭以降、どういう訳か祐巳ちゃんのファンが鰻登りに増えちゃって」
アリスが、二人の背後からチョロチョロと出てきた。
(祐巳、祐麒、アリス。リリアン女学園校門の近く)
ウナギって、今まで出てきたかな?
もちろん「にょろにょろ」です。
p187-188
「私の言ってる意味、わかるかしら」
祐巳は、今度は大きくうなずいた。
「目から鱗がはがれて、涙が出てきました」
「ばかね」
どうしよう、涙が止まらない。
うれしかったり、悲しかったり、切なかったり、ありがたかったり、大好きだったり、寂しかったり、いろいろな気持ちがミックスされて、何味だかわからない涙が、次から次へとあふれてきた。
祐巳は、祥子さまにすがりついた。
お姉さまが泣かせたんだから、遠慮なんかいらない。たとえすべてがお姉さまのせいじゃなくても、構わない。
祐巳は、祥子さまのただ一人の妹。だから、いいんだ。独り占めしたって。誰に遠慮することがある。
しばらく抱きしめてくれた後、祥子さまはそっと身体を離して、グジャグジャになった祐巳の顔を真っ直ぐに見た。
「祐巳」
そして言う。
「あなた、妹を作りなさい」
(祥子&祐巳。マリア像のそばにて)
はい。ラストの 祥子―祐巳、ヘビ姉妹のイチャイチャ場面。
吉野裕子先生を引用しますと、
蛇のウロコのにぶい輝きは、滲出してくる脂膏によるもので、これが水をはじき、汚れを付着させない。そして乾燥からも身体を守っている。眼球にも、コンタクトレンズのようにかたい透明の皮をかぶせており、眼も脱皮のときはにはちゃんと脱ぐのである。
(「蛇 日本の蛇信仰」5ページより)
のだそうです。
「目から鱗がはがれて、涙が出てきました」という祐巳ちゃん。
彼女の「泣く」という行為は、さては「脱皮」なのでしょうか??